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僕はメデル〜" "にはなりません〜  作者: はるかかなえ


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㉕旅―冒険者 5

朝の宿、まだ薄暗い部屋に低い声が響いた。

「起きろ。もう時間だ。」

銀毛の獣人フーマが窓際で腕を組み、金の瞳で二人を見下ろしていた。尻尾がゆるく揺れ、朝靄を透かす光が毛並みに淡く反射する。

ブランデットとメデルは布団の中で小さく身じろぎした。

「……ふーま様……フーマ……おはようございます。……おはよう。」

ブランデットが目をこすりながら、か細い声で挨拶する。

「今日も朝からギルドですよね!」

メデルが目をこすりながら言った。

「僕、起きているよ……。」

フーマは鼻で笑い、肩をすくめる。

「起きてる奴は、そんな声出さない。」


階段を降りると、宿の子ルククが待っていた。

「おはようございます!これ使ってください。この端の棚で顔洗います?目が覚めますよ?(笑)」

木桶の水は冷たく、顔を浸すと眠気が少しだけ遠のいた。

「うわっ、冷たい!」

メデルが声を上げると、ルククは笑った。

「でしょ?これで目が覚めるんです!」

宿の亭主テティソが通りかかり、穏やかな声で言う。

「おはよう、皆さん。今日も元気にね。」

その言葉に、メデルたちは少し元気を取り戻した。

「『おはようございます!はーい』」二人は声をそろえて返事をした。

フーマは軽く顎を引き、無言で会釈する。その仕草に、テティソはにこりと笑った。

出口のカウンターにはマルデージさんが座っていた。

「おう、来たな!朝飯だ、持ってけ!」

布に包まれたパンを手渡される。中には昨日の肉をほぐして詰め、しゃきっとした野菜も入っている。

「『ありがとうございます!』」二人は声をそろえて礼を言った。

フーマは顔をしかめながらぼそりとつぶやく。

「おい、マルデージ……声大きい、朝だぞ。」

マルデージは笑いながら肩をすくめる。

「悪い悪い、元気が一番だろ?(笑)」

「元気すぎると、町中起きるぞ。」フーマが尻尾をひと振りして階段を降りる。

メデルとブランデットは笑顔で元気に叫んだ。

「『行ってきまーす!(笑)』」

テティソとマルデージは笑いながら返してくれる。

「『ああ、いってらっしゃい』」


ギルドへ向かう道。

朝靄が町を包み、石畳は夜露でしっとりと濡れている。パン屋から香ばしい匂いが漂い、遠くで馬車の車輪が軋む音が響く。

市場では、野菜を並べる音と人々の小さな笑い声が重なり、屋根の上では小鳥がさえずっていた。

通りの角では、新聞売りの少年が声を張り上げ、井戸端では女たちが水を汲みながら朝の噂話をしている。

「……ねむい……」

メデルが小さくつぶやく。

「頑張れ、もうすぐだ。」

ブランデットが笑って肩を叩いた。

フーマは前を歩きながら、ちらりと振り返る。

「眠いなら走れ。目が覚める。」

「えぇ……」

メデルが顔をしかめると、フーマの口元がわずかに緩んだ。

メデルはぼんやりと空を見上げながらつぶやく。

「今日は……町のお手伝い……なにかなぁ……。」

眠気はまだ残っているけれど、胸の奥でわくわくが膨らんで、三人は依頼ボードへ急いだ。


第一日目:お手伝い

ギルドの掲示板を見上げる二人。昨日と同じように、冒険者たちのざわめきが響いている。

貴族の子供である彼らにとって、お手伝いは未知の世界だ。

「今日は町のお手伝いだって。」

メデルが小さな声で呟く。

「……お手伝いって、何をするんだ?」

ブランデットは眉をひそめる。剣術や魔法なら慣れているが、町の雑事など経験がない。

フーマは二人の背後で腕を組み、掲示板を一瞥した。銀狼の獣人である彼の存在は、周囲に一種の緊張を与えている。

「町の子供たちと一緒に働かせるか……」

彼は低く呟き、視線を町の方へ向けた。護衛としての責任と、子供たちに経験を積ませる機会。その狭間で思考が揺れる。

その時、背後から声が掛かった。

「フーマ、子供は子供に任せてみてはどうだ?」

振り向けば、ギルドのベテラン冒険者が立っていた。皺の刻まれた顔に、穏やかな笑み。

「俺たちも昔はそうやって学んだ。護衛が近くにいると、甘えちまう。」

フーマは黙ってその言葉を噛みしめる。確かに、危険は少ない町の仕事だ。だが、護衛を離れるという選択は容易ではない。

「……離れてもいいのか?」

「見える場所にいれば十分だろう。あんたなら、何かあれば一瞬で駆けつけられる。」

ベテランの言葉は重く、しかし温かかった。

掲示板の依頼に目を留める。

《広場と街道の掃除 報酬:半同貨1枚 最大5人まで》

「お兄様……兄さま、これは……」

メデルが不安げに見上げる。

ブランデットは唇を噛み、自分たちができるか考え込んだ。

その時、横から元気な声が飛んできた。

「お貴族の鍛錬か? 罰か? ははっ!」

振り向けば、茶色の髪を逆立てた少年が笑っている。

「良ければ一緒にするかぁ? 俺たち二人で受けてるけど、あと三人枠あるんだ。」

さらに別の少年が肩をすくめて言った。

「俺たち後、3人でこの仕事やるんだ。他の奴らはまだ小さいから依頼を受けれないからな!ついでに教えるよ、坊ちゃんたち!」

「俺はディル、八歳。」

「俺はビビ、六歳!」

二人は勢いよく名乗り、笑顔を見せる。その無邪気さに、ブランデットとメデルは戸惑い、思わずフーマを振り返った。

フーマは眉をひそめ、先ほどのベテラン冒険者に声を潜めて尋ねる。

「こいつら、大丈夫か?」

「ああ、彼らは孤児院に身を寄せてる子だよ。」

ベテランは肩をすくめる。

「ここじゃ領主も教会も手を出さない。昔、子供のいない夫婦が孤児を招き入れて、その夫婦が亡くなっても、子供たちだけで世話を続けてるんだ。逞しいだろ?」

「支援は……ないのか?」

フーマの声に驚きが滲む。

「ないさ。だからこうして働いてる。生きるためにな。」

その言葉に、フーマの銀色の耳がわずかに震えた。

受付で確認を取り、フーマは二人をディルたちに任せることにした。

ブランデットは孤児たちに向き直る。

「私はブランデット6歳だ。こっちが弟のメデル、わからない事が多いと思うがよろしくお願いする」

「僕、メデル5歳だよ、よろしくお願いします。」……4歳なのが内緒

その言葉に、ディルが目を丸くし、やがて笑った。

「へぇ、マジ貴族だな(笑)!じゃあ、行こうか?」

「トト4歳とメメ4歳とファーミ3歳を合わせるよ(笑)」


町の広場では、子供たちが桶を運び、掃除をし、笑い声を響かせていた。だが、その笑顔の裏には孤児という現実がある。

親を失った理由は様々だ――戦争、病、魔獣の襲撃。だが、彼らは生きるために働き、笑う術を知っていた。

ブランデットとメデルはその輪に加わるが、ぎこちない。

「これ、どう持つの?」

メデルが桶を前に困惑する。

「こうだよ!」

ディルが笑いながら手を貸す。爪には土が詰まっているが、その手は力強い。

「ありがとう……重いね。」

「慣れれば平気さ!」ディルは胸を張る。その笑顔は、貴族の屋敷では見たことのない強さを秘めていた。

ブランデットは黙って箒を握る。だが、貴族らしい所作が逆に目立ち、周囲の子供たちがくすくす笑う。

「お坊ちゃん、箒は飾りじゃないぜ!」

その言葉に、ブランデットの頬が赤くなる。

「……わかってる。」

彼はぎこちなく掃き始めるが、動きはぎこちない。

「ねえ、こうやるんだよ。」

小さな女の子がブランデットの袖を引っ張り、箒を持つ手を直す。

「力を入れすぎると疲れるから、こう、軽く振るんだ。」

彼女の手は小さいが、動きは慣れている。ブランデットは驚きながらも、その通りに動かしてみる。

「……こう?」

「そうそう! 上手じゃん!」

女の子の笑顔に、ブランデットの緊張が少しほぐれた。

一方、メデルは桶を運ぶ途中で足をもつれさせ、危うく水をこぼしそうになる。

「わっ!」

「大丈夫? こうやって腰を落として持つんだよ。」

ビビが駆け寄り、メデルの姿勢を直す。

「腰を……落とす?」

「そうそう、こうやると楽だろ?」

メデルは真似してみて、思わず笑った。

「ほんとだ、軽くなった!」

「だろ? 俺たち毎日やってるからな!」

ビビの誇らしげな声に、メデルは素直に「すごいね」と返した。

その時、もう一人の女の子がぽつりと呟いた。

「……あんたたち、いい服着てるね。」

ブランデットは言葉に詰まる。メデルは笑顔を崩さずに答えた。

「うん……でも、こういうのは初めてだから、教えてくれてありがとう。」

その言葉に、女の子は少しだけ目を丸くし、やがて笑った。

「じゃあ、いっぱい覚えて帰りなよ。ここじゃ、働けないと生きていけないんだ…」

掃除の手を休めたディルが、ふと空を見上げた。秋の陽光が広場に差し込み、石畳を淡く照らしている。

「なあ、坊ちゃんたち。」

彼の声は、先ほどまでの明るさとは違っていた。

「俺たちがこうして働いてる理由、知ってるか?」

ブランデットは箒を握ったまま、言葉を失う。メデルは首をかしげた。

「……理由?」

ディルは笑った。だが、その笑みはどこか寂しい。

「魔獣だよ。俺の村、三年前にめっちゃ強い魔獣に襲われたんだ。夜だった。火が上がって、みんな逃げた。でも……親父もお袋も、戻ってこなかった。」

ビビが小さな声で続ける。

「俺もだよ。お母さん、俺を抱えて走って……でも、途中で……」

言葉が途切れ、ビビは唇を噛んだ。小さな肩が震えている。

メデルは桶を置き、そっとビビの手を握った。

「……ごめん。」

その声は震えていた。ブランデットも胸の奥が熱くなる。

「魔獣って……そんなに……」

彼は言葉を探しながら、ディルを見た。

「怖いんだな。」

ディルは肩をすくめた。

「怖ぇよ。でも、泣いてても飯は出てこない。だから働くんだ。俺たち、孤児院で暮らしてるけど、あそこも古い家をみんなで直して住んでるだけだ。領主も教会も知らん顔だしな。」

女の子が箒を握りながら笑った。

「でもね、ここで働けばパンがもらえるし、時々スープもあるんだよ。だから、頑張るの。」

その笑顔は、痛いほど強かった。

メデルは小さな声で呟いた。

「……僕たち、父に会うために旅をするんだ。冒険者になるために、こうして依頼を受けてる。」

その言葉に、ディルが目を丸くし、やがて笑った。

「へぇ、すげぇな! じゃあ、魔獣に会っても逃げるなよ?」

その冗談に、ブランデットは苦笑した。

「……逃げない。絶対に。」

その声には、決意が宿っていた。

遠くからフーマはその会話を聞き取り、銀色の耳をわずかに動かした。

「魔獣……か。」

彼の瞳に、一瞬鋭い光が宿る。護衛としての本能が、再び強く息を吹き返した。


第二日目:お手伝い

厩の掃除

朝の空気は冷たく澄んでいたが、厩の扉を開けた瞬間、鼻を突く匂いが二人を襲った。

「うっ……」メデルが顔をしかめる。

「これが……馬の匂い?」ブランデットは眉をひそめ、後ずさった。

ディルが笑う。「坊ちゃん、これくらいで音を上げるなよ!」

彼は慣れた手つきで干し草を抱え、馬の鼻先に差し出す。馬が鼻を鳴らし、ディルの肩に顔を寄せる。

「ほら、こうやってやるんだ。」

ブランデットは恐る恐る真似をするが、馬の大きな目に圧倒されて手が震える。

「……でかいな。」

「怖くねぇよ。こいつら、俺たちより優しいからな。」ディルの声は誇らしげだった。

メデルは干し草を抱えようとしたが、腕が細くてうまく持てない。

「重い……」

「腰を落として、こうやるんだよ。」ビビが笑いながら教える。

メデルは真似してみて、思わず笑った。

「ほんとだ、軽くなった!」

「だろ? 俺たち毎日やってるからな!」

「……こんにちは。ちょっと疲れてる?回復させるね。。大丈夫だよ…。」

小さな声で呟いた言葉に、馬が鼻を鳴らした。ディルとビビは気づかないが、フーマの銀色の耳が遠くでぴくりと動いた。

ブランデットは汗を拭いながら、馬の蹄を洗う作業に挑戦する。

「重い……剣より重いじゃないか。」

「ははっ、坊ちゃん、剣より馬の足の方が強ぇんだよ!」ディルの笑い声が厩に響いた。

作業が終わる頃、二人の服は干し草と泥で汚れていた。だが、ブランデットの顔には不思議な充実感があった。

「……やればできるんだな。」

馬の毛並みを撫でると、メデルの指先に微かな温もりが伝わった。その瞬間、彼の胸の奥で何かが揺れる――精霊の気配だ。

馬の瞳が柔らかく光り、メデルを見つめる。

その言葉に、ディルが笑って親指を立てた。

「そうだろ? 坊ちゃんも、ちょっとだけ俺たちに近づいたな!」

遠くからフーマはその光景を見守っていた。銀色の耳が微かに動き、周囲の気配を探る。護衛としての本能は警戒を解けない。だが、子供たちが笑い合う姿に、彼の胸の奥で何かが緩む。


第三日目:お手伝い

解体所の掃除

朝の冷たい空気を切り裂くように、鉄の匂いが鼻を刺した。

解体所の扉を開けた瞬間、ブランデットとメデルは息を呑む。床には血の跡、壁には吊るされた獣の皮。昨日の広場の笑い声とは、まるで別世界だった。

「……ここで、肉を切るんだ。」

ディルが淡々と呟く。彼の声は、どこか大人びていた。

「売らなきゃ、冬を越せないからな。」

ブランデットは吐き気をこらえ、メデルは涙を隠すように顔を伏せた。

「……僕たち、知らなかった。」

「知らなくていい世界だよ、坊ちゃん。でも、俺たちは生きるためにやるんだ。」

ディルの言葉は冷静だったが、その奥に諦めが滲んでいた。

責任者の男が現れ、血に染まった前掛けを外しながら言う。

「掃除は床と台だ。水は外の桶で汲め。血の匂いは残るが、できるだけ落とせ。」

その声に、孤児たちは慣れた手つきで動き始める。ブランデットとメデルも必死に真似をするが、手は震え、冷たい水が指を刺す。

あらかた片付いた後、ブランデットは思うことがありやがて、責任者に近づいた。

「……あの、聞いてもいいですか?」

男が眉をひそめる。「なんだ?」

「最後に捨てている……骨に付いた肉の、グズ残り。持ち帰ることは……できますか?」

その言葉に、孤児たちが一斉にこちらを見た。ディルの目が驚きに見開かれる。

責任者はしばらく黙り、やがて低く笑った。

「坊ちゃんが、そんなこと聞くとはな……。持って帰る奴はいない。だが、欲しいなら止めはしねぇ後片付けはちゃんとしな。腐る前に煮りゃ食える。」

その声は冷たくも、どこか試すようだった。

ブランデットは深く頭を下げた。

「……ありがとうございます。」

その姿に、ディルがぽつりと呟く。

「ブランデット……本気でやるんだな。」

ブランデットは顔を上げ、静かに答えた。

「生きるために、だろ?」

その言葉に、孤児たちの目が変わった。笑いではなく、仲間を見る目に。

遠くからフーマはその光景を見守っていた。銀色の耳が微かに動き、心の奥で何かが疼く。

「……帝国の歪みは、こんなところにあるのか。」

彼の瞳に、鋭い光が宿った。


フーマは銀色の耳をわずかに動かしながら、責任者の男に歩み寄った。

「……あの子たち、本当に大丈夫なのか?」

低く押し殺した声。獣人特有の鋭い眼差しが、男の顔を射抜く。

解体所責任者――年季の入った革鎧を纏うベテラン冒険者は、肩をすくめて笑った。

「大丈夫だよ。あの子らは強い。強くならなきゃ、生きていけないからな。」

フーマの眉間に深い皺が刻まれる。

「孤児院に身を寄せてると聞いた。領主も教会も……手を出さないのか?」

その問いには、獣人の低い唸りが混じっていた。

「ここじゃ、誰も助けちゃくれねぇ。昔、子供のいない夫婦が孤児を招き入れてな。その夫婦が亡くなっても、子供たちだけで世話を続けてる。あの古い家でな。」

彼の声には、諦めと誇りが入り混じっていた。

「逞しいだろ? 誰も守っちゃくれない世界で、あの小さな手で生きてるんだ。」

フーマの銀の尾がわずかに揺れた。

「……支援は?」

「ない。」男は短く答えた。

「だからこうして働いてる。掃除でも荷運びでも、何でもやる。パン一切れとスープのためにな。今日あの子達は食料を見つけたそれをどうするかはまた別だがなぁ」

沈黙が落ちた。フーマの瞳に、冷たい光が宿る。

「帝国は……腐ってるな。」

その言葉は低く、誰にも届かないほどの声量だった。だが、責任者の男は耳ざとく笑った。

「腐ってるかどうかは知らねぇが……あんたみたいな奴がいるなら、まだ救いはあるかもな。」

フーマは視線を解体場へ向にける。そこでは、ブランデットとメデルが孤児たちに囲まれ、ぎこちなく箒を動かしていた。笑い声が風に乗って届く。

「……救い、か。」

銀狼の瞳が細められた。護衛としての本能が、再び鋭く息を吹き返す。


孤児院の現実と精霊の声

解体所での掃除を終え、ディルたちと別れた後、広場の先で再び彼らと出会った。

「ごはん、買えた?」メデルが小さな声で尋ねる。

ディルは笑いながら答えた。

「今日の飯はパンだ。スープは……買えなかった。」

その言葉に、メデルの胸が締め付けられる。

「……パンだけ?」

「そうだよ。でも、腹が減っても泣かない。泣いても、パンは増えないからな。」

ディルの笑顔は強かったが、その奥に滲む影を、メデルは見逃さなかった。

ブランデットは拳を握り、心の中で呟く。

野菜を探す。森で、必ず。

遠くからフーマはその決意を感じ取り、銀狼の瞳を細めた。


帰り道、冷たい風が頬を撫でる。メデルは小さな手を胸に当て、そっと精霊に語りかけた。

「……ねえ、どうしてディルたち、火を使わないの?」

微かな光が、彼の指先に揺れた。精霊の声は、風に溶けるように響く。

『火は危うい。古い家は乾いた木でできている。火を使えば、すべてが灰になる。だから、彼らは恐れている。』

メデルの胸が痛んだ。

「じゃあ……煮ることもできないの?」

『水で食べる。冷たいまま。パンと、時々スープ。だが、スープが買えなければ、パンだけ。』

その言葉に、メデルは足を止めた。今日の笑顔が脳裏に浮かぶ――ディルの誇らしげな顔、ビビの小さな肩の震え。

「……そんなの、寒い冬に耐えられないよ。」

『…だから毎年何人かは…この世を“終わる”事になる…』

メデルは息を呑み、兄を見上げた。ブランデットは黙って歩いていたが、その拳は固く握られていた。

「兄さま……僕、野菜を探したい。森で、何か……」

ブランデットは深く息を吐き、弟の肩に手を置いた。

「……俺も考えていた。あの骨の肉だけじゃ足りない。野菜があれば、煮れば……そして僕達には土の小人さんと遊んだ時に作った耐火煉瓦も作れる…」

言葉が途切れる。二人の視線が、遠くに見える古びた屋根に向いた。孤児院――子供たちの家。


孤児院へ向かう決意

その時、背後から低い声が響いた。

「……お前たち、何を考えている?」

振り向けば、銀狼フーマが立っていた。鋭い瞳が二人を射抜く。

ブランデットは一瞬ためらい、やがて静かに答えた。

「孤児院を……見たい。あの子たちが暮らしている場所を。」

フーマの耳がわずかに動く。

「理由は?」

「……知りたいんだ。どうして火を使えないのか、どうしてパンだけなのか。俺たちができることがあるなら、やりたい。」

その声には、昨日までの幼さはなかった。

フーマはしばらく黙り、やがて低く笑った。

「……坊ちゃんが、そこまで言うとはな。いいだろう。ただし、俺も行く。あそこは安全じゃない。」

銀色の尾が風に揺れた。

「帝国の歪みを、この目で確かめるか…まだ幼い2人には酷かもしれんが…。」

銀狼の決意 ― 魔獣の洞窟

青い小屋亭に戻る途中、フーマが珍しくブランデットとメデルに言った。

「少し…今夜お前達の側を離れても良いか。マルデージはBランク伴侶のテティソもそれなりに強い」

ブランデットとメデルは即座に答える。

「はい。大丈夫です。部屋から出ません。精霊に結界も張って貰います。」

フーマは驚き、小さくつぶやいた。

「おいおい結界って…ますます聖女じゃないかぁ~(苦笑)」

夕闇が町を包む頃、フーマは宿に戻り、銀色の尾を静かに揺らした。

「テティソ、マルデージ。」

低い声に二人が振り向く。

「悪いが今日は、二人を頼む。俺はギルドに戻る。」

「何かあったのか?」マルデージが眉をひそめる。

「……確認することがある。」

その声は冷たく、刃のような鋭さを帯びていた。


ギルドの扉を押し開けると、夕暮れの光が背に差し込む。酒と汗の匂いが混じる中、フーマは受付へ向かった。

「三年前、村を襲った魔獣のことを教えろ。」

受付の男が目を丸くする。

「……あんた、なんでそんな昔のことを?」

「理由は聞くな。情報だけだ。」

銀狼の瞳が光り、男は息を呑んだ。

古びた記録帳が開かれる。

「……あった。三年前、北の村を襲った魔獣。ランクは……A。」

その言葉に、周囲の空気が一瞬止まった。

「まだ洞窟に居座ってるらしい。距離は……ここから半日だ。」

フーマの尾が静かに揺れる。

「半日……近いな。ガルドンは居るか?」

彼の声は低く、だが奥に燃える決意があった。

「…います。」

受付で情報を得た後、フーマはギルドの奥へ足を向けた。重い扉を押し開けると、鍛錬場の隅で大剣を研ぐ男がいた。

「……ガルドン。」

名を呼ぶと、男が顔を上げる。灰色の瞳が鋭く光った。

「久しぶりだな、フーマ。何の用だ?」

「三年前の魔獣……まだ洞窟にいるらしいな。」

ガルドンの手が止まる。

「……あれを一人で行く気か?」

「群れを守る牙は、俺一人で十分だ。」

低い声に、ガルドンは苦笑した。

「昔から変わらねぇな。だが、あれはAランクだ。死ぬぞ。」

「死んだら、それまでだ。」

フーマの瞳に宿る光を見て、ガルドンは息を吐いた。

「……なら、これを持ってけ。」

彼は腰から小さな革袋を投げた。中には赤い粉末が入っている。

「魔獣の血を鈍らせる薬だ。棘に塗れ。少しは生き延びる確率が上がる。」

フーマは袋を受け取り、無言で頷いた。

「礼は言わねぇ。」

「言うな。お前が帰ってきたら、それで十分だ。」

銀狼は背を向け、扉を押し開けた。夜風が冷たく頬を撫でる。

「……帰るさ。あの子たちのためにな。」


夜、フーマは一人、森を駆けた。半日の距離を縮め、霜を踏む音が静寂を裂く。

洞窟は岩山の腹に口を開け、黒い闇を吐き出していた。冷たい風が血の匂いを運ぶ。

「……まだ生きているな。」

フーマの耳がぴくりと動き、低い唸りが喉を震わせる。

洞窟の奥、赤い光が揺れた。

魔獣――黒鋼の牙を持つ獣。体躯は馬の二倍、背には棘、目は血のように赤い。

その咆哮が岩壁を震わせ、冷気が刃のように走る。

「闇にのまれたな…三年も居座りやがって……今日で終わりだ。」

魔獣が突進した瞬間、銀狼の体が風を裂いた。

岩を蹴り、横へ跳ぶ。爪が石を砕き、火花が散る。

棘が岩を貫き、破片が頬を裂いた。血が一筋、銀毛を染める。

「速い……!」

フーマは双剣を抜き、銀光が闇を裂いた。

「吠えろ、銀牙!」

剣に魔力が走り、刃が蒼白に輝く。

魔獣の牙が迫る。フーマは剣で受け、衝撃が腕を痺れさせる。

「……硬ぇな!」

岩壁に跳び、反転し、獣の背へ斬撃を浴びせる。血が飛び散り、鉄の匂いが濃くなる。

だが、魔獣は吠え、棘を逆立てて尾を振り、岩を砕いた。

「くそっ……!」

フーマは転がり、間一髪で棘を避ける。肺が焼けるように熱い。

その瞬間、フーマは腰の袋を引き裂き、赤い粉末を指先にまぶした。

「ガルドン……借りるぞ。」

粉末を剣の刃に擦り込み、棘に触れた瞬間、赤が黒鋼を侵し、鈍い煙が立ち上る。

魔獣が苦痛に吠え、動きが一瞬鈍った。

「今だ……!」

銀狼の瞳が燃え、魔力を解き放った。

双剣が蒼白の光を纏い、刃が雷鳴のように唸る。

「終わりだ!」

跳躍――銀光が闇を裂き、魔獣の首を断ち切った。

血が岩を染め、咆哮が途切れる。洞窟に静寂が戻った。

フーマは剣を収め、深く息を吐いた。

「……これで、あの子たちの村を襲う影は消えた。」

銀狼の瞳に、冷たい光が宿る。

「帝国は腐っている。だが、俺は守る。群れも、あの子たちも。」

彼は魔獣の牙を折り、証として腰に下げた。

夜明けの光が岩山を染める中、銀狼は孤児院への道を歩き出した。

この牙は、あの子たちに伝えるために――恐怖は終わった、と。

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