㉔旅―冒険者 4
宿の部屋に入る場面
扉が静かに開いた瞬間、ふわりと柔らかな香りが鼻先をくすぐった。
――薬草の芳香だ。
メデルは思わず深呼吸し、胸いっぱいにその香りを吸い込む。森で摘んだルマ草や、癒しの力を持つミントリーフが乾燥され、壁際の籠に丁寧に並べられている。
香りは強すぎず、心を落ち着けるような優しい調合だ。
部屋は広い。窓から差し込む夕陽が、木目の床を黄金色に染めている。壁は淡いクリーム色で、角には小さなランプが灯り、柔らかな光が空間を包んでいた。
窓の外には、遠くに森の影と、夕焼けに染まる山並みが見える。
天井には梁が走り、そこに吊るされたドライハーブが、ほのかな香りをさらに添えていた。
中央には、フーマのために特別に用意された大きなベッドが鎮座していた。
――僕達にはまるで巨人の寝台だ(笑)。
厚い毛皮が敷かれ、銀狼の体格に合わせた幅と長さ。ベッドの縁には、獣人ギルドの紋章が刻まれた鉄製の装飾が光っている。
「……すごい」
メデルは小さく呟き、ブランデットと目を合わせる。兄も同じように息を呑んでいた。二人の胸に広がるのは、驚きと、少しの緊張――ここは自分たちの世界とは違う、旅の始まりを告げる場所だという実感だった。
窓際には丸いテーブルと椅子が二脚。そこには、宿の主人が気を利かせて置いたハーブティーのポットが湯気を立てている。
「メデル、座ろうか」
ブランデットが微笑み、椅子を引いた。メデルは頷きながら、ちらりとフーマを見た。
銀狼は無言で部屋を見渡し、ゆっくりとベッドに近づく。その背中に、旅の疲れと、どこか安堵の影が見えた。毛皮の上に腰を下ろし、しばらく動かず、深く息を吐く。その吐息が、まるで重荷を下ろした獣のように静かで、力強かった。
やがて、フーマは片腕を枕にして横たわった。銀色の髪が毛皮に広がり、夕陽に照らされて淡く輝く。閉じた瞳の奥に、疲労と、守るべき使命への覚悟が宿っているように見えた。
そのとき、低く落ち着いた声が部屋に響いた。
「……悪くない匂いだ。森を思い出す」
獣人ギルドの紋章が刻まれた鉄製を触りながら
「…これは獣人ギルドの紋章なんだが何故か守られている感じがするんだ…」フーマは小さく笑った。
わずかな笑みが、彼の口元に浮かんだ。
「ここなら、眠れる」
そう言って目を閉じたが、しばらくしてもう一言だけ、吐息に混じるように呟いた。
「……必ず、守る」
その声は、眠りに落ちる直前の獣の誓いのように静かで、重かった。
メデルは胸が熱くなるのを感じた。――この人は、僕たちを守るためにここまで来てくれたんだ。
ブランデットも同じ思いを抱いていた。兄の指先が、そっとメデルの手に触れる。
「……頑張ろうな」
その声は小さく、けれど確かな決意を帯びていた。
二人はテーブルに向かい、ハーブティーのカップを手に取った。湯気とともに広がる香りは、ルマ草の甘さとミントの清涼感が絶妙に調和している。
フーマは毛皮の上で静かに眠っていた。
銀色の髪が夕陽に淡く光り、長い耳がわずかに動くたび、獣人の本能がまだ覚醒していることを示していた。
――守る、と言った声が耳に残っている。
メデルはその言葉を胸の奥で反芻しながら、兄と並んでハーブティーを飲んだ。
湯気とともに広がる香りは、ルマ草の甘さとミントの清涼感が絶妙に調和していて、緊張していた心をゆっくりと解きほぐしていく。
「……おいしい」
メデルが目を輝かせると、ブランデットも微笑んだ。
「落ち着くな。こういう時間、大事だよな」
兄の声は、どこかほっとした響きを帯びていた。
そのとき、メデルがぽつりと呟いた。
「……夕食~!」
無邪気な声に、ブランデットは思わず吹き出し、肩を震わせて笑った。
「お前、緊張してたのに、結局そこか」
「だってパン食べる約束したよ!!」
メデルは頬を膨らませながらも笑い、薬草の香りに包まれた部屋に、柔らかな笑い声が広がった。
部屋の中は静かだった。薬草の香りが漂い、窓の外では夕闇がゆっくりと広がっている。
毛皮の上でフーマは横たわったまま、微動だにしない。
――もう30分……。
メデルはベッドの端に座り、足をぶらぶらさせながら兄に小声で言った。
「ねえ、もう食堂に行こうよ。パン食べたい……」
ブランデットは眉をひそめ、ひそひそ声で返す。
「だめだよ。フーマ様が起きてからって言ったじゃないか」
「でも、お腹が鳴ってる……」
「我慢しなさい」
二人の声は、毛皮の上の銀狼には届かない――はずだった。
そのとき、低い声が部屋に響いた。
「……騒がしいな」
メデルとブランデットはびくりと肩を跳ねさせる。
フーマがゆっくりと身を起こし、肩を回し、首をひねり、深く息を吐いた。
「……もう起きてる。先に食堂に降りていい」
「えっ、本当に?」
メデルの顔がぱっと明るくなる。
だが、ブランデットはすぐに確認した。
「……普段なら『待て』って言うのに、いいんですか?」
フーマは片眉を上げ、淡々と答えた。
「下にいるマルデージは信用できるし、奴の伴侶もナカナカの腕前だ。俺は頭をはっきりさせてから降りる。お前たちは先に行け……ブランデット、口調が戻ってる。丁寧すぎるぞ」
その声は、眠気を払いながらも揺るぎない。
「……わかった」
ブランデットは頷き、メデルの手を取った。
「やった!」
メデルは小さくガッツポーズをして、扉へ駆け出す。――パン♪パン♪パン♪
階段を降りると、ふわりと温かな空気が二人を包んだ。
炉の炎が赤く揺れ、薪のはぜる音が心地よいリズムを刻んでいる。
木の床は磨かれていて、足音がやわらかく響く。薬草の香りがほんのり漂い、緊張していた胸が少しずつほどけていく。
「……あったかい」
メデルが小さく呟くと、ブランデットは微笑んだ。
「うん。宿って、こういう匂いがするんだな」
二人は並んで食堂の中央へ進む。
宿食堂での夕食。
炉の炎が赤く揺れ、木の香りと薬草の芳香が心を包んだ。
食堂は広く、梁の走る天井から吊るされたランプが、柔らかな光をテーブルに落としている。
壁際には乾燥ハーブの束が並び、薬草の香りがほんのり漂っていた。
炉の前で、宿の主人テティソが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「ようこそ。長い道のりだったろう? まずは座って、温かいものを食べて、体を休めてください。」
その声は、まるで家族に向けるような柔らかさを帯びていた。
メデルは思わず笑顔になり、ブランデットと並んで席に着く。
「……パンと野菜、ありますか?」
小さな声に、テティソは目を細めて笑った。
「もちろんだとも。焼きたてだよ。君の顔を見たら、パンを出さないわけにいかないね(笑) 野菜もあるよ。子供なのにちゃんと野菜食べる事出来るのだね!」
そう言って、香ばしい匂いのする籠とサラダボールをテーブルに置いた。
「それと、スープもたっぷりある。薬草を少し入れてあるから、体が温まるよ」
ブランデットが礼を言うと、テティソは二人を見つめ、声を落とした。
「……明日から森へ向かうんだろう? 危険な道だ。無理はしないで。何かあったら、必ず戻ってくるんだよ。」
その言葉に、メデルの胸がじんわりと熱くなる。
「……はい。絶対に帰ってきます」
ブランデットも力強く頷いた。
テティソは二人の肩に軽く手を置き、優しく言った。
「約束だよ。君たちの笑顔を、またここで見たいんだ」
その声は、炉の炎よりも温かかった。
そのとき、厨房から豪快な笑い声が響いた。
「おーい、パンの話ばっかりしてると、肉が冷めちまうぞ!」
現れたのは女将・マルデージ。肩までの赤茶の髪を後ろでざっくり束ね、片手に大きな鍋を持っている。
「さあ、食え食え! 肉は力になるんだ。剣士だった頃から、私は肉で生きてきた!」
彼女は鍋をテーブルにドンと置き、笑顔で二人を見下ろした。
「坊やたち、森に行くんだって? いい度胸だな! でもな、腹が減ってちゃ剣も振れないし、魔法も出ない。だから、食え!」
メデルは目を丸くして頷いた。
「……はい!」
「よし、その返事がいい!」
マルデージは豪快に笑い、パンをちぎってスープに浸しながら言った。
そのとき、給仕の少年ルククが慌てて駆け寄ってきた。
「母さん! ハーブティー、こぼしちゃった!」
手に持ったトレイから、湯気の立つポットがぐらりと揺れる。
「おいおい、落ち着け!」マルデージが笑いながら受け止める。
「す、すみません! 父さん、ブランデット君とメデル君にハーブティーを……」
「いいんだよ、ルクク。君の気持ちは届いてる」
テティソが優しく声をかけると、少年の顔がぱっと明るくなった。
「はい! じゃあ、ちゃんと注ぎますね!」
ルククは慎重にカップにハーブティーを注ぎながら、メデルに笑いかけた。
「これ、森で摘んだルマ草の香りがするんだ。落ち着くよ!」
「ありがとう!」
メデルは嬉しそうにカップを両手で包み込む。
「……おいしい!」
その声に、ルククは胸を張った。
「よかった! 僕、森のハーブにはちょっと詳しいんだ!」
「へえ、すごい!」
ブランデットが微笑むと、ルククは照れくさそうに笑った。
マルデージが笑って肩を叩く。
「こいつ、まだまだ半人前だけど、ハーブの知識だけは父さん譲りだ!」
「母さん、それ言わなくていい!」ルククが顔を赤くする。
テティソも笑みを浮かべて言った。
「でも、落ち着きのなさは母さん譲りだな」
「父さんまで!」
ルククが頬を膨らませると、マルデージは豪快に笑った。
「いいじゃないか! 元気がある証拠だ!」
そのやり取りに、食堂の空気がさらに温かくなった。
――この宿、なんだか家みたいだ。
メデルは胸の奥でそう思いながら、パンを頬張った。
その声に、階段の影からフーマが姿を現した。
マルデージが大きな声であいさつをした。
「フーマ様ようこそ夕食出来ていますよ。。」
「……騒がしいな…なんで様なんだ…口調も・・・気持ちわるい!」
「騒がしいくらいがちょうどいいんだよ!」
マルデージが笑いながら返す。
「テティソが昔の知り合いでも今はお客様だって言うから!!」
フーマはテティソを見て言った。
「気持ち悪いから今のままでいい(笑)」
テティソは苦笑しながら頷いた。
「……了解。」
マルデージは肉の皿をフーマの前に押し出した。
「食え。守るって顔してるけど、守るには力がいるんだ」
フーマは無言で椅子に腰を下ろし、肉を一口噛んだ。
「……悪くない」
その短い言葉に、マルデージは満足げに頷いた。
「だろ? 私の腕は剣でも鍋でも一流なんだ」
テティソが苦笑しながら言う。
「でもマルデージ、少しは静かにしてあげなさい。彼ら、疲れてるんだから」
「静かに? はっ、元気を出すには声もいるんだよ!」
そのやり取りに、メデルとブランデットは思わず笑った。
――この宿、なんだか安心する。
薬草の香りと、炉の炎、そして二人の温かい声が、旅の不安を少しずつ溶かしていった。
夕食後の交渉
夕食を終え、食堂の賑わいが落ち着いた頃。
メデルとブランデットは、部屋に戻る途中で顔を寄せ合った。
廊下には薬草の香りが漂い、ランプの光が二人の頬をほんのり染めている。
「……ねえ、兄様」
「……わかってる」
ブランデットの声は低く、でもどこか楽しそうだった。
「毎日、変わりばんこに……」
「うん、ちょっとずつなら……」
「赤ちゃんじゃないけど……抱っこしてほしい……」
「……魔力、気持ちいいから」
メデルは指先をもじもじと合わせ、ちらちらと兄の顔を見た。
「でも、バレないように……」
「そうだな。毎日ちょっとずつなら……」
二人は同時に小さく頷いた。
「うん♪うん♪」
その声は、まるで秘密の合図みたいだった。
「……フーマ様には絶対言わない」
「うん。あの人、なんか察しそうだし」
メデルは頬を膨らませながら、心の中で決意した。
――バレない計画、完璧!
二人は顔を見合わせ、こっそり笑った。
食堂の炉の炎が静かに揺れる頃、二人は再びテティソの前に座っていた。
メデルはちらちらと視線を送り、ブランデットはもじもじと指先をテーブルに走らせる。
「……テティソさん」
「ん? どうした?」
その優しい声に、メデルはさらに赤くなる。
「……あの……その……」
「抱っこしてほしいんです!」ブランデットが勢いで言った。
「え?」テティソは目を瞬かせ、すぐに柔らかく笑った。
「赤ちゃんじゃないけど……」メデルが小さく付け足す。
「ふふ……いいよ。でも、どうして?」
「……魔力が……気持ちいいから」
その言葉に、テティソは少し驚き、そして静かに頷いた。
「わかった。でも、忙しい時は無理だよ。魔力路が……いや、ちょっと疲れてるからね」
「ちょっとずつなら……」ブランデットがもじもじと視線を落とす。
「……うん♪うん♪」メデルは心の中でガッツポーズをした。
暖炉の前の大きな椅子にテティソが腰を下ろし、ブランデットをそっと抱き上げる。
その瞬間、兄の肩がふわりと緩み、頬がほんのり赤く染まった。
「……あったかい」
「魔力、流れてる?」メデルが小声で尋ねると、ブランデットは小さく頷いた。
「……気持ちいい」
メデルはワクワクしながら次の番を待っている。
――早く、僕も……。
暖炉の炎が静かに揺れ、部屋に柔らかな光と薬草の香りが満ちていた。
大きな椅子に腰を下ろしたテティソの腕の中で、ブランデットがそっと降ろされる。
「ありがとうございます……」兄が小さく礼を言うと、メデルの胸がドキドキと高鳴った。
――次は僕の番だ……!
「おいで」
テティソの声は、炉の炎よりも温かかった。
メデルはもじもじと足を動かしながら、そっと近づく。
「……赤ちゃんじゃないけど……」
「わかってるよ」テティソは笑みを浮かべ、両腕を広げた。
その瞬間、メデルの頬が真っ赤になった。
「……お願いします」
小さな声でそう言って、テティソの腕に身を預ける。
ふわりと体が浮き、胸の奥までじんわりと温かさが広がった。
――魔力……流れてる……。
メデルは目を閉じ、深く息を吸い込む。薬草の香りと、テティソの魔力の柔らかな波が重なり、心がとろけるようだった。
「……気持ちいい?」
「……うん……すごく……」
声はかすれて、夢の中みたいに甘かった。
テティソは優しく微笑みながら、メデルの背を軽く撫でる。
――でも、長くはできない。魔力路が……。
そして、さらに知らない――食堂の隅で、銀狼が椅子に腰を下ろし、静かにこちらを見ていることを。
フーマは肉を噛みながら、低く呟いた。
「……なんかしてるな」
その声は、誰にも届かないほど小さかった。
密かな作戦会議
フーマはまだ肉を食べているから先に部屋に戻ったメデルとブランデットは、扉を閉めると同時に顔を寄せ合った。
薬草の香りが漂う静かな空間で、二人の声はひそひそと小さく響く。
「……兄様、気づいた?」
「うん。魔力路が傷ついてるね。……」
ブランデットの眉がきゅっと寄る。
「でも、テティソさん、僕たちに心配かけないように笑ってた」
「……だから、僕たちが治す」
メデルの瞳がきらりと光った。
「えっ、どうやって?」
「毎日ちょっとずつ、魔力を流すんだよ。僕たちの魔力、癒しの力あるってグラウス師も言ってたでしょ?」
「でも、バレたら……」
「バレないようにする!」メデルは小さく拳を握った。
「抱っこの時に、ほんの少しだけ……」
「……なるほど」ブランデットは腕を組み、真剣な顔になる。
「でも、流しすぎたら逆に負担になる」
「うん、だから“ちょっとずつ”」
二人は同時に頷き、声をそろえた。
「――バレない計画、第二段階!」
メデルは指で小さな円を描きながら言った。
「僕が先に流す。兄様は後で確認して、足りなかったら補う」
「わかった。でも、フーマ様には絶対知られないように」
「うん。あの人、耳が良すぎるから……」
二人はちらりと扉の方を見て、さらに声を落とした。
「……もしバレたら?」
「その時は……“魔力の挨拶”って言う!」
「そんな挨拶あるの?」
「あることにする!」
メデルの無邪気な笑顔に、ブランデットは思わず吹き出した。
――でも、本気だ。テティソさんを守りたい。
二人の胸に、小さな決意が灯った。
その時、廊下の奥で足音が止まる。
銀狼の耳がわずかに動き、低い声が夜に溶けた。
「……やっぱり、なんかしてるな」
数日後の夜。
夕食を終え、食堂の賑わいが静まり、二階の廊下には薬草の香りとランプの淡い光が漂っていた。
ブランデットはメデルを部屋に送り届け、扉を閉めた後、ほっと息をついた――その瞬間。
「……ブランデット」
低い声が背後から落ちてきた。
心臓が跳ねる。振り向くと、銀狼が廊下の影に立っていた。
ランプの光に照らされたその瞳は、夜の獣のように鋭く、深い闇を宿している。
「テティソに……何を企んでる?」
声は静かだが、刃のような鋭さを帯びていた。
ブランデットの喉がひゅっと鳴る。
「な、何も……してません」
必死に笑みを作るが、視線が泳ぐ。
「……そうか?」
フーマの足音が近づく。重く、ゆっくりと。
「毎日、あの椅子で……何をしてる?」
「ただ……抱っこしてもらってるだけです」
「抱っこ?」銀狼の眉がわずかに動く。
「……赤ちゃんじゃないけど……」
声が小さくなる。汗が首筋を伝う。
フーマはしばらく黙ったまま、じっとブランデットを見つめた。
その視線は、心の奥まで見透かすようだ。
――ばれちゃった……。
ブランデットの胸がきゅっと縮む。
やがて、銀狼は低く笑った。
「……お前ら、隠し事は下手だな」
その一言が、夜の静けさに重く響いた。
フーマは背を向け、ゆっくりと下に歩き去る。
残されたブランデットは、壁に手をつき、深く息を吐いた。
――どうしよう……。
部屋の扉が閉まると同時に、ブランデットは背中を壁に預け、深く息を吐いた。
「……ばれた」
その声は、ひそひそどころか震えていた。
ベッドの端で待っていたメデルが、目を丸くする。
「えっ!? 誰に!?」
「フーマ様だよ……廊下で……」
ブランデットは額に手を当て、必死に言葉を絞り出す。
「『テティソに何を企んでる?』って……低い声で……」
「ひゃあぁぁ……」メデルは両手で口を押さえ、目がうるうると揺れた。
「どうしたの!? どう答えたの!?」
「ごまかした……けど、無理だった」
ブランデットは肩を落とし、声を潜める。
「最後に……『お前ら、隠し事は下手だな』って……」
「終わった……」メデルはベッドに倒れ込み、枕をぎゅっと抱きしめた。
「もう、バレバレじゃん……」
しばらく沈黙が落ちる。薬草の香りが漂う中、二人の心臓の音だけが響いていた。
やがて、メデルが顔を上げる。
「……ねえ、兄様」
「……何?」
「仲間にしよう」
「は?」ブランデットの目が見開かれる。
「フーマ様を仲間に入れるんだよ! だって、もうバレてるんだし……」
「そんな簡単に……」
「お願いするの! 『黙ってて♡』って!」
メデルは両手を合わせ、きらきらした目で兄を見つめる。
「……メデル、本気?」
「本気!」
ブランデットは頭を抱えた。――でも、確かにもう隠し通せない。
「……わかった。でも、どうやって?」
「僕が言う!」メデルは胸を張った。
「『フーマ様、テティソさんを治したいの。黙ってて♡』って!」
「……その♡」
ブランデットはため息をつきながらも、心の奥で決意した。
――もう後戻りできない。なら、正面から頼むしかない。
その時、廊下の奥で足音が止まる。
銀狼の耳がわずかに動き、低い声が夜に溶けた。
「……話は聞いた」
二人の背筋が凍りついた。
メデルは枕を抱きしめたまま、声を震わせる。
「フーマ様! テティソさんを治したいの! 黙ってて♡」
「♡は駄目だよ!」ブランデットが小声で突っ込むが、もう遅い。
銀狼の瞳が、夜の獣のように二人を射抜いた。
沈黙。長い沈黙。
薬草の香りが、やけに遠く感じる。
やがて、フーマは深く息を吐き、視線をランプの光に投げた。
その瞳は、どこか遠い記憶を見ているようだった。
「……治療って、聖女だろう」
低く、重い声が落ちる。
「僕、メデル、聖女じゃないよ!!」
「メデル!今それじゃないよ!」ブランデットが慌てて突っ込む。
フーマは深く息を吐き、言った。
「黙ってる案件だな」
肩をすくめ、銀狼はゆっくりと二人を見下ろした。
その目に、諦めとも呆れともつかない影が宿る。
「……面倒なことに巻き込みやがって……ギルド……」
刃のような言葉が、夜の静けさに響いた。
メデルは必死に両手を合わせ、きらきらした目で見上げる。
「お願い……仲間になって!」
銀狼はしばらく黙ったまま、二人を見透かすように視線を落とした。
そして、口角をわずかに上げる。
「……条件付きだ」
その声は、夜の獣の低い唸りのように響いた。
「俺の言うことは絶対。それでいいなら、黙ってやる」
「へへへ……」ブランデットとメデルはにこやかに声をそろえる。
「はい。大丈夫です。よろしくお願いいたします!」
フーマは気の抜けた溜息をつき、ぼそりと呟いた。
「おい。敬語やめろ」
「うん!ありがと!!」




