⑰ 理の議会 ― 女王
議場の朝
王宮北棟に新設された「理の議会」。
精霊との誓約を守り、民と自然の声を国政に反映するための場。
その初会合の日、議場には静かな緊張が漂っていた。
議場の中央には、精霊の紋章が刻まれた円形の石床。
その周囲には、各地の精霊代表、貴族、軍、学者、民の代表が席を構えていた。
リクセル王女は、まだ十四歳。
本来ならば、十五歳の誕生日を迎えてから正式に即位する予定だった。
しかし、祖父王の急病と、精霊界からの“理の揺らぎ”の警告により、即位は一年前倒しとなった。
それは、彼女にとって突然の試練だったが、彼女は逃げなかった。
深紅の礼装に身を包み、胸元には精霊との契約を象徴する“光の葉”を飾る。
その手はわずかに震えていたが、足取りは確かだった。
壇上へ向かう途中、父(ベルセル王太子)がそっと肩に手を置き、囁いた。
「怖がらなくていい。君の言葉は、精霊も民も、ちゃんと聞いている。」
リクセルは彼の手に一瞬だけ視線を落とし、静かに頷いた。
「……ありがとう、お父様。私は、ちゃんと伝える。」
ベルセルは微笑み、少しだけ身を引いた。
「君はもう、誰よりも女王らしいよ。」
誓いの言葉
壇上に立ったリクセルは、議場を見渡した。
精霊代表たちは、風・水・火・土・光・闇の六属性を象徴する衣を纏い、静かに彼女を見つめていた。
彼女は一歩前に出て、両手を胸の前で重ねる。
その姿勢は、誓いの儀式に準じたものだった。
少しだけ声を震わせながらも、はっきりと語り始めた。
「私は、リクセル・ベル・セーリンタスク。
精霊との誓いを継ぎ、民の声を聞き、国を導く者として、ここに立ちます。」
「私はまだ若く、知らぬことも多い。
けれど、知らぬからこそ、学び、聞き、感じることができます。」
「精霊の理は、力ではなく、心で守るもの。
民の痛みも、自然の声も、私の中に響かせていきたい。」
彼女は一度、目を閉じて深く息を吸い、再び目を開ける。
その瞳は、まっすぐに精霊代表たちを見据えていた。
「理の議会は、私の命と心をもって、誓いの場とします。
どうか、皆の力を貸してください。」
リクセルの宣言の後、壇上に静かに歩み出たのは、彼女の父――ベルセル王子だった。
彼は、かつて「王太子」と呼ばれていたが、王位継承を娘に譲る決意を固めたことで、正式に「王子」としての立場に移った。
その姿は、威厳と優しさを併せ持ち、深い誇りと愛情が滲んでいた。
ベルセルは壇上の中央に立ち、リクセルの隣に並ぶと、ゆっくりと手を胸に当てた。
その声は穏やかでありながら、議場全体に響き渡る力を持っていた。
「私は、ベルセル・スボルト・フラクシス・ドン・ルト・ルビール。
かつて王太子としてこの国を支え、今は一人の父として、そして精霊との誓約者として、ここに立ちます。」
「我が娘、リクセルは、十四歳にしてこの国の理を背負う決意をしました。
それは、誰に強いられたものではなく、彼女自身の心が選んだ道です。」
「私は、彼女の隣に立ち、剣ではなく言葉を、力ではなく心をもって支え続けます。
精霊の声を聞き、民の願いを受け止め、理の議会の一員として、誓いを果たします。」
彼は一度、リクセルに視線を向け、優しく微笑んだ。
「リクセル。君はもう、誰よりも女王らしい。だが、女王である前に、君は私の大切な娘だ。迷った時は、いつでも戻ってきていい。私は、君の帰る場所であり続ける。」
リクセルは、父の言葉に目を潤ませながら、静かに頷いた。
「……ありがとう、お父様。私は、あなたの娘であることを誇りに思います。」
共鳴の始まり
議場は静まり返っていた。
その静けさは、拒絶ではなく、深い共鳴の予兆だった。
宰相エルグレイが立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「女王陛下。その言葉こそ、理の議会の始まりにふさわしいものです。
我々は、記録と対話をもって、陛下の誓いを支えます。」
スワロ公爵も立ち、手を胸に当てて言った。
「自然と命の守護者として、精霊の声を陛下に届ける役目を果たします。
風の音、水の流れ、土の震え――すべてを、共に感じましょう。」
メビゲンル公爵は、軍の代表として立ち上がる。
彼は剣の柄に手を添えながら、力強く言った。
「守護軍と調停軍は、陛下の誓いを守る盾となります。
剣は振るわず、理を守るために構えるものと心得ます。」
精霊代表の一人――風の精霊の代弁者が、静かに立ち上がった。
彼は、風の羽根を模した杖を掲げながら言った。
「リクセル王女。あなたの言葉は、風に乗って我らに届きました。
誓いは受け入れられました。理の議会は、今ここに始まります。」
聖樹の葉と宣言
議場の天井に吊るされた聖樹の枝が、静かに揺れた。
その葉が一枚、ふわりと舞い降り、リクセルの手元に落ちる。
彼女は驚いたようにそれを見つめ、そっと両手で包み込む。
その瞬間、葉が淡く光り、彼女の胸元の“光の葉”と共鳴した。
ベルセルは、壇上のリクセルを見つめながら、心の中で呟いた。
(君はもう、立派な女王だ。俺は、ずっと隣で支える。)
リクセルは、聖樹の葉を胸に抱き、静かに微笑んだ。
そして、壇上から一歩前に出て、はっきりと宣言した。
「理の議会、開会します。」
その言葉と共に、議場の床に刻まれた精霊紋章が淡く輝き始めた。
風が通り抜け、光が差し込み、議場の空気が柔らかく、温かく変わっていく。
国の新たな時代が、静かに、確かに動き始めた。
神殿の中庭
月光が静かに差し込む神殿の中庭。
聖樹の根元に集う者たちの祈りが、空気を震わせる。
月光が差し込む中庭に、リュスクマテルテス神官が立ち、古の詠唱を口にする。
その声は風に乗り、神殿の回廊を駆け抜ける。
マル様は、薬草の香を焚きながら聖樹の根元に祈りを捧げていた。
その姿は、かつて帝国の王妃であった面影を残しながらも、長い年月の中で変わり果てていた。
神殿長は、神殿の記録書を手に、精霊紋章の前で静かに待つ。
そして、リクセル王女の双子の兄――ルクセルは、石床に膝をつき、妹の名を胸に祈っていた。
その時、風が神殿の回廊を駆け抜けた。
空気が震え、聖樹の葉がひとひら、ふわりと舞い降りる。
「風は、理の声を運ぶ。調和者の息吹が、我らを呼んだ。」
銀の羽根を持つ少女――風の精霊アリュエルが、空から舞い降りた。
彼女の周囲には、次々と精霊たちが姿を現す。
「涙も、癒しも、流れに乗って戻る。マルの祈りが、泉を開いた。」
青い衣を纏った水の精霊セリュナが、マル様の手を取り、静かに水の流れを通す。
その瞬間、マルの容姿が淡く光に包まれ、若き日の姿へと戻っていく。
「この香……懐かしい。マル様の香が、我らの眠りを解いた。」
苔の帽子をかぶったミルミル族の長・トゥルルが、聖樹の根元から現れ、マル様の足元に跪いた。
「ルクセルの心に宿る炎が、我を目覚めさせた。」
炎の剣を背負う火の精霊ヴァルグレイが、ルクセルの胸に手を当てる。
その瞳に炎が灯り、彼は静かに立ち上がる。
「揺れる心も、大地に根を張れば揺るがぬものとなる。」
岩のような巨人――土の精霊ドロメルが、ルクセルの足元に力を流す。
「泣いてもいいよ!でも、鬼ごっこは続けようね!」
遊び好きの小人ピリカがルクセルの肩に飛び乗り、笑いながら言った。
ルクセルは微笑み、聖樹の葉を掲げる。
「リクセル。君の誓いが、世界を動かした。」
その言葉に応えるように、聖樹の葉が光を放ち、精霊紋章が輝き始める。
「あなたの声は、風の記憶を揺らした。ハイエルフの血が、理を呼び戻す。」
アリュエルがリュスクマテルテスの周囲を舞い、彼の髪が淡く銀に輝く。
光の精霊リュミナスが胸元に宿り、瞳に精霊の光が宿る。
「闇は恐れではない。あなたの中の闇は、癒しの深さを知っている。」
黒い羽根を持つ少年――闇の精霊ノクティアが影の中から現れ、静かに語る。
「……私の魔力が、目覚めました。精霊よ、共に歩ましょう。」
リュスクマテルテス神官は、静かに目を閉じ、深く息を吸った。
「あなたの記録は、理の風を呼び戻した。」
アリュエルが神殿長の周囲を舞い、古の記録書に風を通す。
「その肩の重さ、我らが共に背負おう。」
ドロメルが神殿長の背に手を置き、重みを分かち合う。
「記録は続く。あなたの誠実さが、神に届いた。」
小さな巻物を持つノモノモが、神殿長の足元に座り、巻物を広げる。
神殿長は目を閉じ、深く息を吐いた。
「……私は、まだ歩ける。理の記録者として。」
聖樹の根元から、淡い光が広がる。
精霊たちが中庭に集い、小人たちが石床の紋章を囲む。
リュスクマテルテス神官が、静かに言った。
「理が、戻り始めた。調和者の声が、世界を目覚めさせた。」
マル様は、涙を浮かべながら呟いた。
「この瞬間を、五十年待っていたよ……。」
神殿の空気が、柔らかく、温かく変わっていく。
帝国の歪みが、静かに、確かに癒されていく。
理の響き
聖樹の葉が光を放ち、精霊紋章が輝き始めた瞬間。
神殿の空気は柔らかく、温かく変わり、夜明けの光が静かに差し込んだ。
その光は、神殿の回廊を抜け、王宮北棟へと届く。
「理の議会」が開かれる議場の天井に吊るされた聖樹の枝が、わずかに揺れた。
リクセル王女は、議場の壇上に立っていた。
彼女の胸元の“光の葉”が、神殿の聖樹と共鳴し、淡く輝いている。
その輝きに気づいた宰相エルグレイが、静かに言った。
「神殿が、応えている……。帝国は、精霊の声と繋がった。」
スワロ公爵が目を細め、風の流れを感じ取る。
「風が語っている。神殿で、理が目覚めたのだ。」
その時、議場の扉が静かに開いた。
ルクセルが、神殿から戻ってきたのだった。
彼の瞳には炎が宿り、肩にはピリカがちょこんと座っている。
「リクセル。神殿が応えた。精霊も、小人も、君の誓いを受け入れた。」
リクセルは、兄の姿に微笑みながら頷いた。
「ありがとう、ルクセル。私は、もう迷わない。」
議場の中央に刻まれた精霊紋章が、再び淡く光る。
その光は、神殿の紋章と同じ輝きだった。
リュスクマテルテス神官が、神殿からの使者として議場に現れる。
彼の髪は銀に輝き、瞳には精霊の光が宿っていた。
「帝国の皆様。神殿は、調和者の声を受け入れました。精霊と小人は、帝国の歪みを癒すために戻り今こそ、理を記し、未来を紡ぐ時です。」
マル様も、若き日の姿で議場に現れる。
彼女は静かにリクセルの背に手を添え、言った。
「あなたの言葉が、世界を動かした。私は、もう一度この国の理を見届けるために、ここに来ました。」
議場に集う者たちは、静かに立ち上がる。
精霊代表たちも、神殿の光に呼応するように、衣の紋章を輝かせた。
リクセルは、壇上から一歩前に出て、はっきりと宣言した。
「帝国は、神殿と共に歩みます。精霊の声を、民の声を、自然の声を、すべてこの場に響かせます。」
その言葉と共に、議場の床に刻まれた精霊紋章が再び輝き、神殿の聖樹の葉が、風に乗って議場へと舞い込んだ。
それは、理の再生の証。
帝国の新たな時代が、神殿と帝国の共鳴によって、静かに、確かに始まった。
メデルの浮き遊び
精霊と小人たちが神殿に帰還した日から、帝国の空気は少しずつ変わり始めていた。
風は柔らかく、光は温かく、魔力の流れが滞りなく巡るようになった。
その変化は、家の中にも静かに届いていた。
「メデル、外で浮いちゃダメって言われたでしょ?」
ブランデット――家族からは“デットお兄様”と呼ばれる彼は、優しく微笑みながらメデルの頭をぽんと撫でた。
メデルは、ちょっとだけしょんぼりした顔で、兄の袖をぎゅっと掴んだ。
「でも……風が気持ちよかったの。ふわって、浮いたら、雲のにおいがしたの。」
「うん、わかるよ。外は広いし、風も呼んじゃうからね。でもね、浮くのは家の中でもできるよ。」
「しかしメデル、浮くの上手だね。」
「お兄様も直ぐ出来るよ、こうやるの。見ててね!」
メデルは、ちいさな足をぴょんと揃えて立ち、両手を胸の前でぎゅっと握った。
その瞳は真剣そのもの。ブランデットは、少し驚いた顔で見守っていた。
「メデル、浮くのって……難しいんじゃ……?」
「ううん、簡単だよ!風さんと仲良くするだけ!」
メデルは、ふわっと息を吸い込むと、目を閉じて静かに呟いた。
「ふわり……ふわり……風さん、ちょっとだけ、お願いね。」
その瞬間、彼の足元がふわっと浮き上がり、体が軽やかに宙に浮いた。
ブランデットは目を丸くして、思わず声を漏らした。
「すごい……ほんとに浮いた……!」
「でしょ?じゃあ、お兄様もやってみて!」
メデルは、兄の手を取って、そっと胸の前に導いた。
「こうして、心を静かにして……“風さんお願い”って思うの。」
ブランデットは、メデルの真似をして目を閉じた。
「ふわり……風さんお願い……」
すると、彼の体もふわっと浮き上がった。
魔力の通りがよくなったことで、元々素質のあるブランデットの力が自然に開花したのだった。
二人は、家の中の広間で、ふわふわと浮きながらくるくる回った。
「できた!お兄様、できたよ!」
「メデル、すごいです……!」
「えへへ、メデルは風さんとお友達だからね!」
ふわふわと浮かぶ兄弟の笑い声が、家の広間に響いていた。
メデルはくるくると回りながら、ブランデットの手を引いて天井近くまで舞い上がる。
「お兄様、もっと高く!雲のにおい、もうちょっと!」
「メデル、天井にぶつかるよ!あ、でも……風さん、気持ちいいね!」
その時――扉が静かに開いた。
「……ブランデット様、メデル様……?」
メイドのエリミナが、銀の盆を持ったまま、目を見開いて立ち尽くす。
その後ろから、執事のリバルセルマーズが、眉ひとつ動かさずに言った。
「……浮遊は禁止されております。特に屋内での高所浮遊は、家具と天井の安全を脅かします。」
「ひゃっ……見つかっちゃった……!」
メデルがくるりと回って、ブランデットの背に隠れる。
ブランデットも、そっと降下しながら、気まずそうに笑った。
「えっと……ちょっとだけ、浮き方の練習を……」
「ブランデット様、メデル様、こちらへ。おやつの前に、回収させていただきます。」
エリミナは、盆を片手に、もう片方の手でメデルをふわっと抱き上げる。
リバルセルマーズは、ブランデットの足元に魔力の輪を展開し、静かに着地を促した。
「浮遊記録、神殿に報告いたします。次回は、許可を得てからどうぞ。」
「うう……風さん、ごめんね……」
メデルは、エリミナの腕の中でしょんぼりしながらも、こっそりと指先で“ふわり”の合図を送った。
風が、彼の髪をそっと撫でて通り過ぎる。
「でも、お兄様と浮けて楽しかった!」
「うん、またこっそり……じゃなくて、ちゃんと許可もらって浮こうね。」
二人は、メイドと執事に“回収”されながらも、心の中では風と遊ぶ約束を交わしていた。




