⑯ 理の裁き――王の死
王妃が息を引き取ってから数時間後。
王宮の空気は重く、聖樹のざわめきは止むことなく続いていた。
王の間は、かつての栄華を象徴する空間だったが、今は冷たい沈黙に包まれていた。
玉座に座る王の姿は、誰の目にも異様だった。
灰色にくすんだ肌、濁った瞳、痩せ細った指先。
震える手には、かつて若さと魔力を得るために用いた血結晶の器が握られていた。
「なぜ……戻らぬ……なぜ、若さが……力が……」
王は、かつてマルの魔力を血結晶として抽出し、若返りと魔力強化を得ていた。
だがその力は、王妃の体内に封じられた魔力の理によって支えられていた。王妃の死により、その支えが失われ、王の肉体は急速に崩れ始めていた。
だが、王の心を蝕んでいたのは、肉体の崩壊だけではなかった。
彼の胸の奥には、長年封じ込めてきた感情があった。
――異母弟、リュスクマテルテスへの魔力に嫉妬し異母マルの魔力に魅了された。
私が、追い出したと言われている、リュスクには会ったことがなかった。
だが、50年程前、地下聖堂で偶然見かけたその姿が、脳裏に焼き付いていた。
祈る姿。静かな瞳。
王家の血を持ちながら、精霊に仕える者として生きる彼の姿に、王は言葉にならぬ憧れを抱いた。
それは、兄弟としての情ではなかった。
それは、恋でも違った、魂の共鳴だった。
だが――その感情は、前王妃と父王によって歪められた。
「彼は、”ハイエルフの兆しがない”王家の恥だ。精霊に仕える者など、王の血にふさわしくない」
「お前は王だ。あの子に心を向けてはならぬ」
そう言われ続けた王は、リュスクへの想いを封じ込めた。
嫉妬と憧れが混ざり合い、彼の心は静かに病んでいった。
――その嫉妬が、十数年前に地下聖樹の間の管理を引き継ぎで地下に眠るマルと出会って再発。
マルの魔力に魅力し血結晶の採取という禁忌へと変わった。
リュスクマテルテスの腕に刻まれた採取紋章。
誰にも気づかれぬように、魔力を抜き取り続けたのは、王自身だった。
「彼の魔力を喰らえば……彼の光を、俺のものにできる……」
その歪んだ思想は、精霊の理を完全に踏みにじった。
聖樹の根が震え、精霊たちの怒りが王宮へと届いた。
白虎が地を踏みしめ、朱雀が炎を揺らし、玄武が根を這い、青竜が空を裂く。
そして、翠鳥が王の間に舞い降りた。
王は、精霊の姿を見て、かすかに笑った。
「来たか……理の番人よ。だが、私は王だ。理など……力の前では意味をなさぬ」
翠鳥は静かに語った。
「王よ。あなたは誓いを偽り、契約を破り、命を奪い、魔力を喰らった。
あなたの力は借り物。あなたの命は、理に背いた代償。
今、理は裁きを下す」
その瞬間、聖樹の葉が一斉に震え、光が王の体を包み込んだ。
若返りの魔力が剥がれ、血結晶の力が逆流し、彼の肉体は老いと苦痛に飲み込まれていく。
皮膚は裂け、血管は凍り、魔力の流れは断絶された。
王は叫ばなかった。
ただ、静かに目を閉じ、玉座の上で息を引き取った。
その死は、誰にも看取られず、誰にも惜しまれず、ただ精霊の理によって静かに終わった。
玉座の背に刻まれていた王家の紋章が、ひとりでに砕け落ちた。
それは、王の死と共に、契約の破綻が象徴された瞬間だった。
聖樹の葉が、静かに揺れた。
それは、理が正された証――そして、次なる時代の始まりの兆しだった。
***
王宮―再建の兆し
中庭の白い石畳に、月光が静かに降り注いでいた。
夜風が薔薇の香りを運び、三人の影が並ぶ。
ベルセル王太子は、長身を少し屈めて、双子の子を見つめる。
その瞳には、優しさと、どこか哀しみが宿っていた。
「ルクセル、リクセル。……お前たちには、伝えておかねばならないことがある。」
ルクセル王子は、静かに顔を上げる。
「……父上、何か決められたのですか?」
ベルセルは頷いた。
「私は、王にはならない。王座は、私の道ではない。」
リクセル王女は、驚いたように眉をひそめる。
「でも、お父様は王子です。王にならなければ、誰が国を導くの?」
ベルセルは、空を見上げる。
「私は、スワロの隣にいたい。彼の志を支え、国の外から見守る者でありたい。
王座に座るよりも、心を通わせる者として。」
ルクセルは、少し考え込んだ後、静かに言葉を紡ぐ。
「……僕は、神殿に仕えたい。精霊と人の間に立ち、癒しをもたらす者になりたい。
王ではなく、祈りの道を選びます。」
ベルセルは微笑む。
「それは、お前らしい選択だ。精霊たちも、きっと喜ぶだろう。」
リクセルは、二人の言葉を聞きながら、ゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、決意の光が宿っていた。
「なら、私が王になる。誰も王にならないなら、私がこの国を導く。」
ベルセルは驚いたように娘を見つめる。
「リクセル……お前は、王になりたいのか?」
「違う。なりたいわけじゃない。でも、誰かがならなければ、国は揺れる。
お父様の想いも、兄の祈りも、私が受け継ぐ。」
ルクセルは妹を見つめ、静かに言った。
「リクセル……君なら、きっと良い王になる。僕は神殿から、君を支える。」
ベルセルは、娘の肩に手を置いた。
「その覚悟があるなら、リクセル。君は、きっと良い王になる。私は補佐として君を支える。私の誇りだ。」
その言葉を聞いたリクセルは、少しからかいながら、腕を組んで言った。
「ねぇ……父上。スワロ公爵の隣に居なくてよいの?補佐として王宮にいるの?
なんだか、ちょっと寂しそうに聞こえるけど?」
ベルセルは一瞬言葉に詰まり、苦笑する。
「……お前は、よく見ているな。だが、補佐として王宮に残ることも、彼の志を支える道だ。時間はある。」
リクセルはさらに目を細めて、にやりと笑う。
「スワロ公爵にちゃんと言ったの?……もしかして独りよがりは……恥ずかしいよ(笑)」
ベルセルは慌てて手を振りながら、顔を赤らめる。
「いや!!あっ……大丈夫……お互いに……解っているから……(汗)」
ルクセルとリクセルは顔を見合わせ、同時に声を上げた。
「「え!告白してないの!!!」」
ベルセルは言葉に詰まり、月光の下で小さく肩を落とした。
リクセルは、笑いながら言葉を続けた。
「王になるなら、まずこの国の“痛み”を知りたい。民の声を聞き、精霊の沈黙を感じたい。
王座は、ただの椅子じゃない。心で座るもの。」
ベルセルは、静かに頷いた。
「その言葉を持つ者こそ、王にふさわしい。」
夜は深まり、三人の影は月光の中で重なった。
それぞれの道は違えど、心は一つ。
王座を巡る語らいは、家族の絆をさらに強く結びつけていた。
***
祈りの湖。
王宮の奥でもなく、実家の領地でもなく。
王太子妃は、静かに王宮を去った。
マーガレット様が選んだのは、側近セリュンが治める湖のほとりの祈りの小屋。
そこには、誰も彼女を王妃として扱う者はいなかった。
ただ、側近と1人の侍女が、彼女の心と体を静かに癒した。
彼女は、朝には湖の水面に祈りを捧げ、昼には草花に語りかけ、夜には星々に感謝を告げた。
水辺を忠実な側近であるセリュンと静かに一緒に歩いていた。
彼は、真面目で、今の王太子妃の・・・マーガレット様の無邪気さにいつも振り回されている。
「ふふふ(笑) ねぇ、セリュン。私の側は、やっぱり大変?」
マーガレットはくるりと振り返り、子供のように首をかしげる。
セリュンは少し戸惑いながらも、真面目に答える。
「はい。責任も重く、民の期待も……」
「うーん……だったら辞める?(笑)〜」
マーガレットは両手を広げて、ふざけたように言った。
セリュンは慌てて足を止める。
「王太子妃・・・マーガレット様!それは困ります!――」
「うそうそ!冗談だよ〜♪」
マーガレットは笑いながら、セリュンの腕に軽く抱きつくようにして謝る。
「ごめんね、セリュン。ちょっと駄々こねたくなっちゃっただけ。」
セリュンはため息をつきながらも、どこか安心したように微笑む。
「……まったく、マーガレット様は大人のようでいて、時々とってもお子様です。」
「でしょ?だから王妃になるの辞めたの~。子供の気持ちも、大人の責任も、両方わかるって、ちょっと大変じゃない?」
セリュンは、彼女の言葉に深く頷いた。
「大丈夫ですよ。民も精霊も、皆マーガレット様を愛しています。」
マーガレットは、窓の外に目を向ける。
聖樹の葉が、夜風に揺れていた。
「ありがとう・・・ふふふ(笑)」
「……はい。マーガレット様・・」
・・・時々正気に戻られる・・・
セリュンは、少しだけ肩を落としながらも、微笑みを浮かべて歩き出した。
マーガレットはその背を見て、くすくすと笑いながら、軽やかに後を追った。
王太子妃としての名も、王家の記憶も、すべてを忘れた。
今はマーガレット様は、ただ一人の女性として、精霊の声に耳を傾けながら、静かに生きた。
彼女の心には、王妃の魔力の残滓が微かに残っていた。
それは、精霊との契約の断片であり、彼女の祈りを通じて、湖の精霊と再び結びついていった。
彼女は、王宮の喧騒を離れ、誰にも知られず、誰にも縛られず、静かに、穏やかに、祈りの人生を歩んだ。
そして――八十歳の誕生日の朝。
湖のほとりで、側近に手を握られながら、彼女は微笑んだ。
「ありがとう……。私は、幸せでした……」
その言葉と共に、湖の風が優しく吹き、彼女の魂は、精霊の光と共に空へと還っていった。
湖の水面には、白い花が一輪、静かに浮かんでいた。
それは、彼女の祈りが精霊に届いた証――
そして、王家の痛みを癒した、ひとつの再生の物語だった。
***
王宮の政務室。
静かな始まり
重厚な扉が閉じられ、外の喧騒は遠ざかっていた。
部屋の中央には円卓が置かれ、四人の男たちが向かい合って座っていた。
ベルセル王太子
宰相エルグレイ・ヴァルム
スワロ公爵
メビゲンル公爵
彼らは皆、ほぼ同じ年齢。若き日々を共に過ごした者もいれば、政務の場で火花を散らした者もいる。
だが今、彼らは一つの目的のために集まっていた。
――「契約後の国政」と「新たな体制の構築」
ベルセル王太子は、静かに口を開いた。
「精霊との契約は果たされた。私が誓いを立て、精霊たちは応えた。だが、契約は始まりに過ぎない。国をどう動かすかは、我々の責任だ。」
宰相エルグレイは契約文の写しを手にしながら頷いた。
「魔力供給は安定しました。聖樹の葉も再び輝きを取り戻しつつあります。
しかし、王政の空白期間が長かった分、民の不安は根深い。信頼の再構築が急務です。」
スワロ公爵は静かに言葉を継ぐ。
「精霊との契約は“心”の誓い。それを国政にどう反映させるかが問われる。
ベルセルが王となるなら、我々はその理念を支える体制を築かねばならない。」
ベルセルは首を振り、はっきりと告げた。
「いや、リクセルが女王だ。」
その言葉に、宰相・スワロ・メビゲンルの三人は驚きの表情を浮かべた。
メビゲンル公爵は腕を組み、少し皮肉めいた口調で言った。
「理念は良いが、現実は厳しい。軍の再編、辺境の治安、貴族間の調整――精霊の加護が戻ったからといって、すべてが解決するわけではない。」
ベルセルは静かに頷いた。
「だからこそ、我々が動く。王座に座る者が“心”を示すなら、我々は“手足”となる。
リクセルが“成義”を迎える15歳その後20歳までは、私が父として支える。その後は、彼女の補佐として、心の調停者となる。」
政務室の空気が、ふと静まり返った。
円卓の上には、精霊との再契約の証である“光の印章”が淡く輝いている。
ベルセル王太子は、ゆっくりとスワロ公爵を見つめた。
その瞳には、揺るぎない決意と、どこか少年のような真っ直ぐさが宿っていた。
「コル……一緒にならないか。」
その言葉は、政務の議題とはまるで違う温度を持っていた。
スワロ公爵――コルベックは、瞬間的に固まった。
耳まで真っ赤になり、言葉を失ったまま、ベルセルを見返すこともできずに視線を落とす。
彼の背は高く、普段は堂々とした姿勢で政務に臨む。
だが今、肩をすくめ、目を泳がせるその姿は、まるで少年のようだった。
ベルセルは、その姿を見て、胸が静かに高鳴った。
(……コル、こんなに照れるなんて。いつも冷静で、堂々としてるのに……。今の顔、すごく……可愛い。
頬が赤く染まって、目が泳いで、肩が少しすぼまって……。綺麗だ。こんな表情、俺しか見せたくないなぁ...誰にも見せない顔を、俺にだけいっぱい見せてくれるなら……それだけで、嬉しい。)
宰相エルグレイは、眼鏡の奥で目を細めながら、口元を押さえて咳払いをした。
「……ふむ。これは、政務の一環として記録すべきかどうか、迷いますね。」
メビゲンル公爵は、腕を組みながらにやにやと笑いをこらえきれず、
「いやはや、王太子殿下。あまりにも直球すぎて、我々の立場がありませんな。」
ベルセルは、少しだけ肩をすくめて言った。
「政務の一環だよ。国の未来を語るなら、心の在り方も含めてだ。」
コルベックは、ようやく顔を上げた。
その瞳は揺れていたが、拒絶ではなく、戸惑いと照れが混ざった複雑な色をしていた。
「ベル……ベルセル様。今ここで、それを言うのは……ずるいです。」
ベルセルは、思わず微笑みながら言葉を継いだ。
「ベルだよ。ずるくてもいい。俺は、ずっと言いたかった。お前が隣にいてくれるなら、どんな政務も、どんな未来も、怖くない。」
メビゲンル公爵は、肘でエルグレイをつつきながら小声で言った。
「コルベック、完全に落ちてるな。あの顔はもう、恋に落ちた顔だ。」
エルグレイは、静かに頷いた。
「ベルセル殿下が“カッコ可愛く”見えるのでしょう。あれは、戦略的勝利です。」
コルベックは、深く息を吐いた。
「……私は公爵です。責任も、領地も、民も背負っています。
それでも、あなたの隣に立つことが許されるなら……考えます。」
ベルセルは、コルベックの手にそっと触れた。
「答えは急がなくていい。お前の“風の音”を、俺はずっと聞いてるから。」
コルベックは、ほんの少しだけ微笑んだ。
その笑みは、政務室の重苦しい空気を、ほんの一瞬だけ柔らかくした。




