第七話 亡霊の正体
翌日の朝、署に戻った神谷、園部、三石のもとに、一本の電話が入った。
「田中正造氏の弟さんの娘さんが、今もご健在です。島根県の邑南町おうなんちょうというところの集落に住んでいらっしゃるそうです」
すぐさま調整が進み、三石の裁量で警察車両――一台のパトカーが用意された。
山間の道を抜けて、島根県との県境を超えたのは昼過ぎ。
陽射しは強く、夏草の匂いが窓の隙間から入り込んできた。
目的地は、小高い丘の上にある古びた二階建ての木造家屋だった。
年季の入った瓦屋根と、どこか懐かしい縁側。
その庭先では、一人の中年女性が麦わら帽子をかぶり、家庭菜園のトマトを摘んでいた。
「佐藤凞子ひろこさんですね?」
神谷が声をかけると、女性はふと顔を上げ、軽く目を細めて頷いた。
「はい、そうです。遠いところ、ようこそ」
笑顔の多い、ふくよかで柔らかな雰囲気の女性だった。
手を拭きながら、軒下にある木の椅子をすすめてくれた。
三石が先に事情を説明し、園部が慎重に切り出した。
「田中秀通さんについて、何か記憶にあることがあれば教えていただけますか?」
凞子は、遠い昔を振り返るように空を見上げ、そしてゆっくりと頷いた。
「覚えてますよ、秀通さん……あの人は、私がまだ十代のころ、何度かこちらに来られて。穏やかな方でしたよ。でも、たしか……三十はもう超えていたと思います、当時」
園部が反応した。
「三十を超えていた……。確かですか?」
「ええ、間違いありません。だって、私、よく話しましたもの。あの人ね、子供は嫌いじゃなかったみたいで、よくトマトもいでくれたりして」
そして、少し笑って続けた。
「そうそう、あの方……“大連で呉服商を営む叔父夫婦に育てられた”って言ってました。大連にいた頃の話をよくされてたわ」
神谷の表情が強張る。
「……大連?」
「はい。日本がまだ満洲にいた時代。戦争が終わってからすぐ、引き揚げ船で舞鶴まいづるに戻ったって。だから最初、言葉も少し訛ってたんですよ。あの頃の人は皆、苦労されてました」
神谷は唸るような声を漏らした。
「……話が飛ぶな……」
満洲、大連、引き揚げ者、呉服商。
すべてが一見バラバラでありながら、断片としては不気味に整合していた。
検視記録:82歳(=昭和16~17年生)
凞子の証言:当時30代 → 昭和10年以前の生まれ
出自:満洲・大連/戦後引き揚げ
「神谷さん……検視の年齢、やっぱり嘘ですよ」
園部の低い声に、神谷は静かに頷いた。
「……それどころか、俺たちは“別人”を調べてる可能性すらある。
“田中秀通”という名前が、中野秀通でもなければ、戸籍の年齢とも違う――」
三石が唸った。
「名前だけで、他人の人生を生きた男。おそらく、その背景には……何か、もっと大きな“もの”が隠されている」
そのとき、庭の向こうで風鈴がちりんと鳴った。
夏の午後の静けさに、誰もが一瞬、沈黙した。
それはまるで、戦後の亡霊が何かを告げようとしている音のようだった。