第二話 物言わぬ骸
「結局、その若い女性の身元は判明したんですか?」
園部美也子が机越しに訊いた。
神谷諒一は、黙ったまましばし遠くを見るようにしていたが、やがて低く短く答えた。
「いや」
それだけ言うと、彼は手元のスマートフォンを取り上げ、履歴をスクロールしながら発信ボタンを押した。
「田中秀通の検視に立ち会った、山邊主任に話を聞きたい」
コールが続き、ようやく電話がつながったかと思うと、数秒間のざわついた事務所内の音声のあと、
「――申し訳ありません、山邊は現在会議中で取り次ぎできません」
という無機質な返答があり、すぐに通話は一方的に切られた。
神谷はしばしスマートフォンを見つめた後、軽く舌打ちし、鼻で笑った。
「……どうも固いんだよな。まるで、箝口令でも敷かれているようだぜ」
園部に目をやると、彼女は眉を寄せながら首をかしげた。
「そこまで……? 検視結果って、普通ならもっとオープンですよね」
「ああ。だが、今回は妙だ。上からのストップがかかってる雰囲気がある。田中の遺体を見た関係者、誰も多くを語ろうとしない。まるで、“触れるな”って言われてるようにな」
神谷は椅子にもたれながら、ひとつ息をついた。そしてぽつりと呟くように言った。
「昭和二十年は……丁度、太平洋戦争が終わった年だった。国は混乱していて、警察なんてあってないようなもの。記録もバラバラ。第一、あの時代は、民間人だって膨大な数の死者が出ていた。若い女の一人や二人――」
「……まー……」
園部が呆れたように声を漏らした。
神谷は言葉を切り、苦笑いを浮かべた。
「いや、俺も言ってて嫌になるよ。だが、当時は本当にそういう時代だった。人の命の重さが、今とはまるで違ったんだ。“亡くなった若い女性”ってだけじゃ、誰も気にも留めない。記録に残ることすら珍しかった」
しばしの沈黙。
園部は静かに口を開いた。
「でも……だからこそ、名前を知ってあげたい。少なくとも、あの娘は……どこかに生きた痕跡を残していたはずです。写真でも、記録でも、誰かの記憶の中にでも」
神谷はしばらく黙ったまま、美也子を見つめていた。
やがて、小さく頷く。
「――そうだな。遺体に名前を与える。それが俺たちの最初の仕事だったな、忘れてたよ」
神谷は再び古いファイルを開いた。
そのページには、河原に横たわる娘の遺体写真。血の滲んだ白い着物、そしてうっすらと写り込んだ、見慣れぬ腕時計――。
「これは……?」
神谷が顔を上げたとき、何かが動き出した気配がした。