1. 邂逅
雪が降っている。
雪が降り積もっていく。
雪は次第に吹雪へと変わっていく。
吹雪は石畳の街道を覆い、遠くに輝く城壁の明かりをもその白さで覆い隠していく。
その圧倒的なまでの白さですら隠せない、黒き痛みと澱みを含んだ一団が、弱々しい足取りで、雪に覆われた街道を進んでいた。その一団の中でもとりわけ絶望に打ちひしがれた集団がいた。荷馬車である。行きに積んでいたのは荷物と食料であったが、帰りにはそのようなものなどひとつたりとも積んではいないのである。
付け加えるとそれの引き手すらもいなくなっていた。本来の運び手を失い、満身創痍の男たちが引く馬車では、体を黒き「澱み」に侵された負傷者たちが、術者たちの精一杯の抵抗で何とかその暗黒に全身を飲まれまいとしている。
しかし、その抵抗もむなしく、負傷者たちが段々と、段々と、体を崩壊させ、黒い液体と化していく。行くな、帰ってこいと治癒の術者たちの叫びが響き渡る。しかし、その声も肉体という殻を喪ったものたちには届かず、かつては身体であった液体が荷馬車の隙間から流れ落ち、白い雪を黒く、黒く染めていった。
帰路についたときにいた荷馬車の乗り手は、どんどんと雪を染めるだけの塗料と化していき、いつしか人数は半分になっていた。その事実に、精一杯の抵抗をあざ笑うがごとき絶望が皆を包んでいった。
当然ではあるが、その一団の先頭には、彼らの長が黒色に汚れたブーツで雪を踏みしめな
がら、満身創痍の肉体に鞭を打って白き暗闇の中を進んでいった。
安物ではあるが実用性に優れた革製のブーツ、闇夜に紛れるかのような黒い騎士隊のズボン、国章である五芒星が胸に縫いこまれた黒地のタートルネック、国章を見せるかのように胸元が空いた白のベスト、獣の分厚い皮と毛で作られた茶の外套。一団の首班はそんな恰好をしていた。名はカーン・ベルソン。エメルニア帝国第三騎士団団長である。
長らく行軍を続け、吹雪もやっと止んできていた。
「あと1時間というところか。」とカーンが問いかける。
「荷車の具合もみると、一時間半というところかね、隊長。」と返すのは副官のアルファウス。彼はカーンの腐れ縁であり、現在は優秀な副官である。
「もう少し進んだら花火を上げて町からの回収部隊を要請しようと思うんだが。」
「了解、後方に行って余裕がある魔術師を探してくる。この吹雪があけたのがどうにも気がかりだ。できるだけ腕の立つ奴の力は残しておきたい。」
「頼む。───いつかの時もこんな風に吹雪の後だったな。」
「それ以上はやめとけ。口に出すと案外当たるもんだろ、南の方には言葉に魂が宿って云々ってのがあるらしいからな。」
「言霊とか言うやつか?俺にはわからんよ。」
そんな軽口を交わし、アルファウスは後方へと向かう。
一行はどんどんと町へと近づき、遠くに城壁の明かりが見えてきたことで一行の緊張に緩みも生まれてきていた。カーンは救援要請打ち上げの指令を出そうと、口を開こうとした。
刹那、カーンら騎士団の中核メンバーに緊張と悪寒が走る。
同時に、琴のような弦楽器によく似た音が鳴り響く。彼らには馴染みのある、そして彼らを絶望の底へと落とす、災いそのものである。
「奴らが来るぞ!戦闘態勢!」
長の叫びで一団が円形の陣形を組む。この陣形が全方位を見渡すものであることは言うまでもない。しかし、この陣形は奴らと戦うのには必須の陣形であった。
瞬間、どす黒い、底の見えない沼が雪に塗料を撒くかのように出現する。その沼からゆっくりと、沼に引きずり込まれる様を逆再生したかのような動きで、狐のような輪郭だけは立派に再現された黒き怪物が這い出てくる。
「タイプαだ!およそ 30 体!」と団員の一人が叫ぶ。
「いや、それだけじゃない。前方に最悪の奴が出てきた。」と騎士団随一の魔術師、ロザメリアが指摘する。
ちょうど彼らの進行方向から 100mほど遠くであろうか。そこにも小さな沼があらわれ、ヒトの姿形をした、しかし一目で同族でないと理解できる存在がはい出てきている。その外見は草履、袴、袖口が大きく開いた神官を思わせる格好、烏帽子である。これだけでも洋装を基本とする彼らからすると珍妙かつ奇怪な格好をしていよう。ただ、それ以上に奇怪であるのは、顔部分を覆う札のようなものと、ソレが黒一色であったことだ。
「タイプε・・・。実在したのか・・・。」
騎士団の若い団員が唖然としたかのような顔をして言葉を漏らした。
「勝てるわけないだろ・・・。騎士団最上位格なんだろ・・・アレ。」
「あともう少しで町だったのに・・・。───畜生。」
その存在の顕現により、一団が諦念に支配されていった。
─────否、一人の男だけは違った。団長のカーンである。彼は中核メンバーに向かい小さな声で、
「犬を片付けたら、全速力で町まで向かえ、澱人は俺が差し違えてでも倒す。」
「馬鹿言わないで。一人でアレに勝てるわけがない。」と治癒術師のサリアが言う。
「無茶だ。せめて俺とロゼあたりも加わらないと無理だ。」とアルファウスも彼女に加勢する。
「私は団長に賛成。私たちじゃかえって邪魔だね。アルが先導して私が後衛で逃げ切る。頼むよ団長。」とロザメリアはカーンの意見を推す。
意見の割れる団員の中、カーンの覚悟は揺らがなかった。
「俺一人で十分だ。頼む、アル。」
「───わかったよ。・・・死ぬなよ?」
一団の長の強情さにアルが折れる。
その瞬間、彼らの会話の途切れ目を待っていたかのように、黒き狐達がこちらに向かって突撃してくる。
それに対し、彼らの反撃は実に鮮やかであった。
カーンは直剣を光のごとき速度で腰の鞘から引き抜き、獣の首を落とす。
アルファウスは右手の槍、左手の短刀で、獣の頭を縦に開く。
ロザメリアは二節の短い詠唱で、展開した魔法陣から炎を放ち、獣どもをまとめて元の澱みに還していく。
後方では、サリアが展開した防壁で獣の突貫を防ぎ、若い騎士団員たちが防壁の隙間の穴から銃を打ち込み、獣の体を穴だらけにしていく。
そうして、大した苦労もなく、獣の形をしたナニカたちは元の澱みへと還されていく。
最後の一匹を始末した直後、動きがあった。人類の恐怖の対象である「澱人」が鈴のような音とともにゆっくりと、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
「fhhvggi?vaydgw$!’&$&YG##%VTCX?<BFJH??」
その存在は、わけのわからない、しかしなぜかそれが言葉であることは万人が理解できる音を発した。なぜか、本当に不可思議なことではあるが、その言葉は人類への憎悪に満ちていることは理解できる。その理由はうかがい知れないが、本当になぜか理解できる。
そのコトバを発したあと、奴の両の手から黒い澱みが噴出してきた。その澱みは、手の中で細長い形を形成する。やがてそれは剣の形となる。そして、奴はそれぞれの手で剣を持って、大きく両腕を開く。そこをカーンは好機と見た。
「行け!」
カーンが叫ぶとそれを待っていたかのごとくアルファウスが先導して一団が全速力でかけ始める。
無論、澱人もそれを見逃すはずもない。奴は先程から一寸とも動かないまま、この世の条理を完全に無視した、完全なる瞬間移動でアルファウスの真上へと移動し、彼の首めがけて剣を振り下ろす。
アルファウスの命運が絶たれるかと思われた瞬間、カーンも縮地のごとき踏み込みで自身の剣を間に挟み込む。もとより、彼が狙われることを見越した動きである。アルファウスも、自身が狙われることを承知で先導を引き受け、そしてそれをカーンが止めることまで見越して動いていた。彼らの長い信頼のなせる業であることは言うに能わない。
剣を受け止められた澱みは、カーンの剣を踏みつけて大きく跳躍し、そのまま街道から離れた雪の薄い場所に降り立ち、下段の構えを取る。
その、明らかに誘い込むような動きにカーンは乗らず、一団の最後尾のロザメリアが駆け抜けるまで街道のそばで守りの構えを取っていた。
緊張状態が続く。
所々が黒く染まった雪道に静寂が訪れる。
静寂の中、カーンが口を開く。
「来いよ澱人さん、こっちの方が戦いやすかろうて。」
明らかな挑発であるが、意図を介したのか、澱人は態勢を低く置いた。
直後、雪で足を取られるはずの地面を、常外の力で強く蹴り、澱人が彼に迫る。そして、彼の足を狙い、十字に構えた剣を振り下ろす。
この動きも、カーンには予想できていたため、十字の交叉点に剣の腹を合わせる。その十字を、下からかち上げるように強く剣を振り、その勢いのまま、顔面を下から切り裂こうとする。
しかし、澱人は人間ではおよそ到達不可能な速度で上体をそらし、その勢いを使い右足で蹴りを出す。カーンは飛び上がって避けようとするが、あまりの速度に避けきれず、蹴りが掠めた脛の部分がえぐり飛ばされる。
「ッゥ!」
彼の苦痛に満ちた声が響く。しかし、その痛みをこらえて、蹴りに出した足を切り落とそうと剣を振る。しかし、澱人は残った左足で強く地面を踏み込み、後ろへ地面と平行に跳躍する形で後退する。澱人とカーンが互いに着地したのち、再び、両者は街道の石畳の上で向かい合った。
澱人にはこの一連での攻防での疲労は全く見えない。
一方、カーンには既に疲労の色が見えていた。長期間の作戦で蓄積していた疲れに加え、先程負傷した右の脛とその周辺が黒く変質しつつあることも原因だった。もとより彼は澱みの汚染に対し類いまれなる耐性を持ってはいるが、完全にその負傷をなんとかできるわけではない。
実力的にはカーンがやや有利という具合ではあったが、その天秤は澱人に完全に傾きつつあった。
両者は、互いに相手から目を離さず、そのまま膠着状態のまま円を描くように動く。
刹那、澱人の姿が消失する。それを瞬間移動と判断したカーンは、視界外に意識を向ける。
否、それは瞬間移動にあらず。カーンは瞬間移動がブラフであると瞬時に悟った。彼がそれを悟れたのは意識を極限まで研ぎ澄ましていたからであろう。
澱人は瞬間移動したと見せかけ、再び元の位置に出現し、一本の剣を捨て三段突きの如き姿勢で突貫してくる。カーンは背を見せていた姿勢から澱人の出現方向に振り向き、守りの構えを取ろうとする。
しかし、半歩、彼は敵よりも出遅れていた。瞬間移動の察知のために極限まで先鋭化していた意識に、極度に疲労し、なおかつ負傷している肉体が追い付かなかったのである。
彼の心の臓に、その命を消し去らんとする刃が迫る。この瞬間、迎撃は間に合わないことをカーンは悟った。
彼の心臓が一突きで破壊され、命の灯は消える───はずだった。
瞬間、カーンと澱人の間に赤き閃光が走った。比喩などではなく、本当に赤い軌跡を描いた何かが両者の間を駆け抜けたので有る。
異変を真っ先に感じたのは澱人であった。その理由は明白である。───三段突きを繰り出した自身の右腕が切断されていたからである。
その異変を引き起こした存在は駆け抜けすぎた距離を、一回の華麗なるステップで舞い戻ってくる。そして、刀を片手に構え、カーンを守るかのように両者の間に立った。
茶のブーツ、淡いクリーム色をした修道衣を思わせるような上下、その上に羽織った茶のローブ、透き通った湖のような青い瞳、そして、雲の隙間から指す陽光を反射する、美しい銀の長い髪。彼女は、そんな風貌をしていた。
「助けに来たよ、カーン!」
互いに初めて出会ったはずであるその少女は、まるで再会を喜ぶかのように、カーンに向かってそう叫び、満面の笑顔で微笑んだ。
エメルニア歴1638年2月9日、この日、この二人が、このような形で出会ったことで、人類と「澱み」の戦いが新たな展開を迎えることが確定した。それと同時に、この世界の理が崩壊することもまた、運命づけられたのであった。
誤字報告ありがとうございます。