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1-3 裏の顔役

「リタさん、どうぞお掛けになって」


 私が促すと、栗毛の娘は『ありがとうございます』と長椅子ソファに腰掛けた。

 対面の席から、さりげなく彼女のことを観察する。


 年齢は私の一つ下だというが、幼い顔立ちと小柄な体躯から、二つ、三つ下に見える。

 視線はまだ一度も合わない。リタの目は落ち着かなげに泳ぎ、まるで私が弱い者いじめをしているような心地にさせられる。


 第一印象は、臆病な小動物だ。

 とてもではないが、横領などという大それた事が出来るようには見えない。


「さて、今日お呼びしたのは、もう一度横領の件をお尋ねしたいからなの」


 初めて、リタと視線が合った。私は柔らかく微笑む。


「……以前お話した通りです。横領は全て私がやりました」


 私は一つ頷く。


「ええ、そのように聞いています。しかし、エラン殿下はその証言を信用されていません。――私もです」


 何か言いたげなリタを、掌を掲げ制する。


「率直にお聞きしますね? リタさん、どなたか親しい人を庇われているのですか?」

「そのようなことは……」

「では、誰かに脅されている?」


 リタは体を硬直させる。


「もしも脅されているとしたら、あなた自身のことで脅されているのですか? それとも……」


 彼女の挙動を具に観察しながら、ゆっくり続ける。


「……あなたの身内、たとえば実家のことで脅されている?」

「ッ!」


 リタの体がびくんと跳ねる。


「違います! 実家は関係ありません! ……いい加減にしてください、アーニャさま。私が全部やったのだと、そう自白しているではないですか」


 リタは一瞬私を睨んだ後、すぐに視線を逸らしながら言った。


「そう。分かったわ、リタさん。もう退室してもいいわ」


 リタは席を立つと、こちらに背を向けて歩き出す。そそくさと部屋を出て行った。

 私は彼女を見送ると、右耳のイヤリングを指で軽く弾く。


「成る程ね、事件解決の鍵はリタの実家か」





 私は、古着屋で買った上下の服を着て、野暮ったい帽子をかぶり下町を歩く。

 ずんずんと歩いて、下町の中でも奥まった、いかがわしく物騒なエリアまで足を伸ばす。


 まだ昼日中なので、人通りも少ない。夜には欲にまみれた連中がこぞって歩いているものだが。


 閑散とした通りを暫く歩き、とある娼館の前で足を止めた。丁度玄関の傍に、女が一人気怠げに立っているので声を掛ける。


「ねえ」


 女がこちらを向く。……知らない顔の娘だ。まだうんと若いので、入ったばかりの新人だろう。こちらを怪訝そうに見て来る。


「やり手婆を呼んでくれる?」

「女将を? あんた誰さ?」

「お願い。急ぎの用事なの」


 私は女の手を取ると、銀貨を握らせた。

 女は、一度びっくりした顔を見せると『すぐに呼んで来るよ!』と店の中に引っ込んでいった。


 待つこと暫し、枯れ木のような婆が姿を現す。


「おやおや、あんたかい。懐かしい顔だ」


 この婆は、娼館『ロッタルクの妖精』の経営者であり。同時に、娼館の売上を元手に高利貸しも営んでいる。

 つまり、この世で最も邪悪な婆の一人である。しかしそれだけに、薄暗い世界の情報に明るい。


「婆、仕事の依頼よ」


 私は懐から小袋を取り出すと、婆に押し付ける。

 婆は、袋の中を改め出した。


「ひーふーみーよー……金貨が五枚かい。くくっ、握り締めた小汚い銅貨をぶち撒けていった小娘が、変われば変わるものだ。ええ? 伯爵令嬢サマ」

「……銅貨をぶち撒けたって、何時の話をしてるのよ」


 私の記憶が確かなら八歳の時の話だ。

 なけなしの銅貨数枚を、この婆にぶち撒けてやったのは。


「で? お貴族さまが、今更下町のやり手婆に何を頼もうってんだい?」

「グレイ商館を探って欲しい」


 私はリタの父親が経営している商館の名を告げる。

 婆は片眉を上げた。


「グレイ商館? あの最近羽振りの良い商館かい?」


 おや? 予想に反する言葉が返ってきた。


「羽振りが良い? 経営が傾いてるとかではなくて?」


 てっきり、実家の商売が上手くいってなくて、そこを何者かにつけ込まれたのでは? と思っていたのだけど……。


 婆は頷く。


「ああ。確かに、一、二年前は、経営がおもわしくないらしい、という噂も流れてたがね。持ち直してからは、景気が良さそうさ。別に珍しい話でもなし。そこまで注目もしていなかったがね。だけど、お前さんが探りを入れに来たってことは……」


 婆はニタァと笑う。


「成る程、真っ当な商いで持ち直したってわけじゃなさそうだねぇ」


 この笑みを見る度に確信する。この婆、絶対にロクな死に方をしない。


 だけどまあ。婆の言は正しいだろう。

 裏がある。そういうわけだ。

 その裏が何なのか分かれば、リダが何者にどういう理由で脅されているのか、それが明らかになるに違いない。


「グレイ商館を調べて欲しい。頼まれてくれるわね?」


 私は金貨の入った小袋を指差す。


「いいだろう。……この金貨は、前金として受け取っておくさね」

「前金?」

「ああ。首尾よく望みの情報を仕入れたら、金貨をもう五枚いただくよ」

「……婆、強欲は身を滅ぼすわよ」


 婆は鼻で笑う。


「強欲が身を滅ぼす? 馬鹿を言うでないよ。それが本当なら、わたしゃあ、百回は滅んでるだろうさ。……強欲が身を滅ぼすわけじゃない。無能が身の丈に合わぬ欲望を抱いた時に滅ぶのさ」


 そこらの婆が斯様な大言を吐けば、こちらも鼻で笑って返すところだけど。


 この婆は一介の娼婦から、勤めていた娼館を乗っ取り『ロッタルクの妖精』の女主人に。そして高利貸しとしても成功し、今や下町の顔役の一人になった、そんなバケモノの類だ。

 とても笑うことはできない。


「あっそ。――『憎まれっ子世に憚る』。この世の中、消えてなくなった方がいい者こそ、消えないものよね」


 私は捨て台詞を吐くと、踵を返す。

 元来た道を歩き出した。


 ……前金と合わせて金貨十枚かあ。


 私は内心頭を抱える。

 伯爵家の財力からすれば、はした金だが。それはクソ親父の金である。


 いや、私も伯爵令嬢として恥ずかしくない体裁を整えるに足る現金を、毎月伯爵家から貰っているけれど。


 そこは、世の父親の大部分と異なり、娘に全く甘くないクソ親父である。本当に、体裁を整えるのに必要最低限な額しか渡されていない。


 それでも、節約し、節約し、貯めたなけなしの金貨五枚だったのである。

 これ以上、財布を逆さに振っても何も出てこない。


 さて、どうするか? クソ親父に相談……するだけ無駄だろう。


「……こっそりセバスに泣きつくか」


 私はどうセバスを説得するか考えながら、下町を後にした。

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