1-2 生徒会役員
例の空き教室で、エラン殿下と二人差し向かいに座る。
殿下はやや俯き何やら考え込んでいる。
私は、そんな殿下の顔を窺う。
僅かに寄った眉間の皺。細められた翡翠の瞳。――なるほど、麗人は憂い顔すら美しい。
そんな再確認をしていると、殿下が一度頭を振る。顔を持ち上げ、私の目を見た。
「アーニャ嬢、あんな場面に鉢合わせてしまい申し訳なかったね」
「いいえ、私への気遣いは無用です。それよりも殿下、あの女生徒は……」
「彼女の名はリタ。生徒会の会計を務めている子だよ」
リタ、ね。泣きじゃくり、謝罪の言葉を繰り返していた栗色の髪の女の子。
私は、彼女の首元に巻かれたタイの色を思い出す。
「リタ……彼女は、奨学生ですね」
エラン殿下は頷く。
聖ミハエル学園は、基本的に貴族の子女が通う学び舎だ。
しかし例外も存在する。それが奨学生だった。
奨学生とは、平民出身の学生たちのことで、学費を免除されるなどの優遇措置を受けながら日々勉学に勤しんでいる。
有能な人材を育成する為に用意された入学制度。
ただし、狭き門だ。名誉ある学園に通うに足る、そう判断された特別に優秀な平民にのみ門戸が開かれる。
「リタ、彼女は商人の娘という境遇もあってか、幼少の頃から算術に非凡なる才覚を示していたそうでね。それを認められ、奨学生として学園への入学が許された生徒だ。――僕もその能力を買って、生徒会の会計に任じたわけだが……」
そして今回の横領騒ぎに繋がった、と。
私は、真っ先に思い当たった疑問を口にする。
「奨学生にお金の管理を任せる。ええと、中々に大胆な起用かと思いますが、他の生徒会役員は反対されなかったのですか?」
エラン殿下は苦笑を浮かべる。
「まあ、アーニャ嬢の想像通りだ。控え目に言っても、彼らは不服そうだったよ。特に……誰とは言わないが、強硬に反対した生徒会役員もいた」
「ならどうして?」
非凡な算術の才があり、商人の娘でもある奨学生。なるほど、会計を務める能力はあるだろう。
しかし彼女だけが適任者であるわけもなし。
他に、いくらでも波風立たぬ候補者がいたことだろう。
「生徒会は、学園に通う生徒たちの代表だ」
エラン殿下はボソッと口にした。
「だが一口に生徒と言っても、色々な立場の生徒がいる。王族、貴族、平民。――同じ貴族の中でも、高位、低位貴族はもとより、代々文官の家系なのか、武官の家系なのか、中央に強いコネを持つのか、地方で勢力を有するのか……様々だ」
ふむ。確かにそうだ。
「生徒会が生徒たちの代表であり、彼らの代弁者であるならば、その構成メンバーは学園に通う生徒らの縮図でなければならない。僕はそう思っている」
言葉を切った殿下は、再び苦笑交じりの表情を浮かべる。
「だけど、僕が生徒会長に任命された時に、生徒会の役員に奨学生は一人もいなかったんだ」
「それで、リタを会計に任命した、と」
「無論、奨学生という立場と、能力だけで決めたわけではない。彼女の人柄も信用してのことだ」
「人柄……」
エラン殿下は頷く。
「リタが不正をしたとは、僕には信じられない。これでも人を見る目はある積りだ」
「はい。私もそう思います」
私の同意に、殿下は怪訝そうに目を細める。
「初対面でしたが、それでも分かることもあります。不正など大それたことをする胆力があるようには見えませんでしたね。むしろ、気の弱い性質の娘ではありませんか?」
「ああ。ああ、そうだとも。アーニャ嬢の目にも、そのように映ったのなら心強い」
……本当は目ではなく、耳飾りで判断したんだけど。
リタ、彼女の涙ながらの告白。それに、審判者の耳飾りが反応した。
クソ親父が、私に不良品を押し付けたのでなければ、彼女の告白はウソであったことになる。
「ならば問題は一つだ」
殿下は人差し指を立てる。
「リタが何故ウソの告白をしたか。考えられるのは、誰かを庇っているか――」
「誰かに脅されたか、ですね」
私たちは頷き合う。
「――真犯人、仮にそう呼称しますが。真犯人を突き止める手っ取り早い方法は、リタから真相を聞き出すことでしょうけど」
私の言に、エラン殿下は難しい顔になる。
「確かに、彼女から聞き出せれば早い。しかし、そう簡単に行くだろうか? 彼女は自ら罪を被ろうとしている。その背景にある事情が何であれ、生半可なものではないだろう」
そうなのよね……。このままリタが横領犯ということになれば、たとえエラン殿下が温情の大盤振る舞いをしたとしても、放校を免れるとは思えない。
リタとて、それは承知のことだろう。にもかかわらず、罪を被ろうとしている。
奨学生という立場は、そう簡単に手放せるものではない。
只の平民にとって、数少ない出世のための足掛かりだ。学園の卒業生ならば、中央の官庁の役人になることだってできる。
そんな立場を投げ打ってまで罪を被ろうというのだから、その理由が生半可なものであるわけもない。
「殿下」
私は自身の胸に手を当てる。
「もしよろしければ、私がリタに事情聴取したいと思うのですが」
「君が?」
「ええ。私は同性ですし。それにほら、片親が彼女と同じ平民です。心を開いてくれるかもしれません」
「そうか。そうだね。頼まれてくれるか、アーニャ嬢」
「畏まりました」
当面の方針は固まった、と私は席を立つ。『それではこれで』と口にしながら空き教室を退出しようとする。
扉に手をかけた所で、ふとある疑問を思い出し振り返った。
「そういえば殿下、どうして私を生徒会室に呼び出したんですか?」
ああ、とエラン殿下は頷く。
「生徒会の構成メンバーは学園の縮図であるのが望ましいと言っただろう? 先日、一人の役員が欠員した。――元公爵令嬢オリヴィアのことだが」
生徒会役員どころか、学園の生徒ですらなくなったものね。
「オリヴィアは高位貴族の令嬢であり、王太子の婚約者でもあった。学園に通う淑女らの中でも最上位の淑女だったと言えるだろう。……空いた席を埋める人材がいる」
女生徒の中で身分はダントツだったしなあ。彼女のいない今、学園でもっとも高貴な淑女って誰かしら?
高位貴族とされるのは、公爵、侯爵、伯爵の三つだけだけど……。
「……賢い君にしては、察しが悪いね。高位貴族である伯爵家の令嬢であり、王太子である僕の婚約者。アーニャ嬢、君ほど代わりに相応しい女性徒はいないだろう?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。最も高貴な淑女の代わりが……私?
「え゛」
淑女の口から漏れ出てはならない声が漏れた。