1-1 嘘
「――エラン殿下との婚約、か。台本にはない振り付けだな」
伯爵家当主の部屋だ。神経質そうなクソ親父の顔は、今日も今日とてしかめっ面である。
「申し訳ありません、お父さま。ですが、何もかも筋書き通りとはいかぬもの。時には、アドリブも必要でしょう」
私の返事に、クソ親父はフンと鼻を鳴らす。
「まあよい。しかし婚約か。王子個人が勝手に言い出したこと。とても正式なものとは言い難いが……大勢の前で口にしたことだ。王家も、早々無かったことには出来ぬだろうな」
クソ親父の言葉に、私は内心頷く。
王家に不満があったとしてもだ。――なんかウチの息子が言ってたけど、あれは無しでよろしく! とは簡単にはいかないだろう。
婚約を無効にするにしても、ほとぼりが冷めてからに違いない。いや、そもそも……。
「殿下ご自身が、仮初の婚約だと仰っています。一時しのぎの策に過ぎず、誰も正式な婚約を望んでいないのですから、いずれは白紙撤回されるでしょう。問題は、何もないかと思いますが……」
「問題?」
クソ親父は片眉を上げる。
「初めから問題になどしておらん。婚約が正式になろうとも、撤回されようとも、我が伯爵家に不利益はない」
おや、と私は訝しむ。
「私は、婿を取るものだとばかり思っていましたが」
伯爵家の後継問題を思えば、婿養子を迎え入れるべきだろう。まさか、第一王子を婿にするわけにもいかないだろうに。
クソ親父はじろりと私の顔を見る。その瞳の中には不満の色があった。
どうやら、落第点を付けられたらしい。
「仮に嫁入りとなろうとも、後継問題は交渉で解決できる。そうだな、殿下とお前との間に儲けた、二番目か、三番目の子が成人した段階で、臣籍に降り伯爵家を継げばよいこと。……無論、他の貴族家から婿を取るのがベストではあるがな。しかし、王家と縁戚となれるのならば、嫁入りも悪くない」
成る程、道理である。
「また、婚約を白紙撤回となれば、それはそれで構わん。王子の無責任な発言で、こちらは振り回され迷惑を被るわけだ。詫びとして、何らかの利益を引き出すことが出来るだろう」
ふむふむ。確かにクソ親父の言う通りだ。どちらに転んでも、伯爵家に不利益はない。
私は目を細めてクソ親父の顔を見る。――相変わらず抜け目のないことだ。
クソ親父は、机をトントンと指で叩く。
「婚約の話は横に置こう。お前の此度の働きについてだ」
「ご不満な点が御座いましたか?」
「いや」
クソ親父は頭を振るう。
「想定外のこともあったが。悪くはない立ち回りだった。――我が伯爵家も、大いに利益を得た」
「お父さまのご尽力あればこそです」
私は頭を下げる。
お世辞ではない。実際、クソ親父は水面下で八面六臂の活躍をしている。
王家や、各貴族家などへの根回し、政治工作。そしてオリヴィア、ひいては実家のラザフォード公爵家に如何なる沙汰を下すのか? その辺りを、当の公爵家も交えて王家と落とし所を擦り合わせた。
エラン殿下に禁制の薬物を盛ろうとした事件。未遂に終わったとはいえ、その罪は軽くはない。
しかし、罰は予想に反して軽いものとなった。
下手人であるオリヴィアは『レディ』の称号を剥奪の上、ド田舎の修道院送りとなった。
彼女が見下してきた平民として、一生を山中の修道院で過ごすこととなる。
一方、実家のラザフォード公爵家に関しての沙汰であるが。
事件はオリヴィア個人の犯行とし、公爵家は関わっていなかったと判断された。むろん、判断を下したのは、高等法院裁判長――クソ親父である。
但し、娘の監督不行き届きとして、公爵家には金貨200枚の罰金刑が下された。……聞き覚えのある金額だなあ。
どうやら、王家とクソ親父は、公爵家を追い詰めすぎる事を危惧したらしい。
ラザフォード公爵家は、王国東部の雄。東部諸侯らのまとめ役である。
追い詰め過ぎれば、最悪国を割る内乱になりかねない。そんな事態は、誰も望まぬことである。
その為、公爵家そのものへの罰は軽いものとなった。
もっとも本当に金貨200枚なぞで済むわけもない。
罰を軽くすることで、王家とクソ親父は公爵家に大きな貸しを作ったわけだ。
公爵家は、何らかの形でこの貸しを返済することになるだろう。
とまあ、全て丸く収まる裁きとなったわけだが。
言うは易く行うは難し。これほどの交渉をまとめ切ったクソ親父には、素直に感心する。
「――流石はお父さまです。この難解な事態を見事に裁かれました」
感心ついでに、リップサービスしたわけだが……。
「下らん真似はよせ。世辞なぞ、私は求めていない」
クソ親父は羽虫を追い払うように手を振る。
「評価を下すのはお前ではなく、私だ。――セバス」
クソ親父は、控えていたセバスに目配せする。
セバスは私の傍によると、手のひら大のケースを手渡して来る。
受け取り開けると、シンプルな意匠のイヤリングが入っていた。
このイヤリングは……ちらっと、クソ親父の耳元を見る。おそらく、クソ親父が付けているものと同じものだ。
「これは?」
「セバスから、我が伯爵家に伝わる二つの魔法具のことは聞いたな?」
二つの魔法具、一つはこの前使用した『正義の天秤』、もう一つは……。
「ウソを感知する魔法具?」
クソ親父は頷く。
「――『審判者の耳飾り』だ。代々、当主と次期当主がそれぞれ一つずつ保有して来たものだが。お前に渡すかどうか、暫し様子を見ていた」
私は僅かに口の端を吊り上げる。
「つまり、今回の件で、次期当主に相応しいと評価して頂けたので?」
クソ親父は、フンと鼻を鳴らす。
「自惚れるな。働きに対する褒美だ。が、お前に過ぎたる代物だと判断すれば、すぐに没収する」
「肝に銘じます」
クソ親父は、真剣な目になる。
「分かっているな? この耳飾りは秘中の秘。天秤はその効果を広く知らしめることで意味を持つが。この耳飾りは逆。誰も知らぬからこそ、その価値が高まる」
「はい」
クソ親父の言う通りだ。
ウソを感知する魔法具、余りに便利な魔法具だが。これの存在が明るみになれば、途端に無用の長物と化してしまう。
だって、ウソを判別できる人間の前で、誰がウソを吐くというのだろう?
皆、私の前では口を噤むか、当たり障りのないことしか話さなくなるに違いなかった。
「学園内の勢力争いなど、子供のママゴトに過ぎんが。しかし、その子供らもいずれは大人になり、この国を動かす重鎮になる。今の内に縁を結ぶなり、弱みを握るなり。その耳飾りを使い、上手く立ち回るがよい」
「分かりました」
話の終わりを察した私は、早速耳飾りを付ける。ニッコリと微笑んだ。
「ところでお父さま、我が家に伝わる魔法具は、天秤と耳飾りの二つで全てなのですか?」
クソ親父は神経質そうな顔を顰めながら、くいくいと人差し指で合図を送って来る。
――耳を貸せ、そういうことだろう。
私はクソ親父の執務机に寄ると、少し屈む。
直後、バチン! と頭を叩かれた。――痛い!
「全く! その小賢しさは、誰に似たのやら。……下がれ」
「……はい」
私は頭をさすりながらクソ親父の部屋を後にする。
――どうやら、他にも隠された魔法具があるらしかった。
*
学園の廊下を歩く。……視線が痛い。
編入してきたばかりの頃も、元庶子の伯爵令嬢という特異な立ち位置から、無駄に注目を集めていたが……。
今はその比ではなかった。
まあ、無理もないか。
サミュエルの茶会で大立ち回りをしたばかりである。
ついでとばかりに、エラン殿下の婚約者ポジまでゲットしてしまった。
これで注目するな、というのも無理があるだろう。
だからといって心情的に納得できるものでは、全然ないけれど。
全く! 私は見世物小屋の珍獣か!
優雅さを損なわない限界ぎりぎり速度で歩く。そんな事ばかりが上手くなりそうだ。……なんて無駄な技術を磨いている事だろう。
目指す先は生徒会室だ。エラン殿下からの呼び出しである。
それにしても、殿下ったらどうして空き教室を指定しなかったのかしら?
そんな疑問を抱きながら廊下を急ぐ。
「北校舎の二階……右手階段の傍……ああ、ここか」
生徒会室のプレートを見つける。私は軽く制服を整えてから扉をノック――。
「リタ! 冗談はよせ!」
室内からの怒声に、ノックの手を止める。……何だ? 何だ?
それからも生徒会室から何やら諍いの声が響く。
私は恐る恐る扉を開け、室内を覗き見た。
見るからに緊迫した空気。その場の中心にいるのは、一人の女性徒のようだった。
栗毛で背の低いその子は、目に大粒の涙を浮かべている。
そんな彼女を囲うように、数名の男女の姿――その中の一人が進み出る。エラン殿下だった。
「リタ嬢、正直に話してくれないか? 僕は、君がこんな事をするとは信じられない」
エラン殿下が優しい声で諭すように言う。
しかし、リタと呼ばれた女生徒はヒステリックに頭を振った。
「いいえ! いいえ! 本当です! 私が…! 私が全て……! うう……帳簿の改ざんも、生徒会予算の横領も、全部、全部、私が……! 申し訳ッ…申し訳ありません! 申し訳ありません!」
悲痛な叫びが上がる。
――直後、私の右耳のイアリングが、仄かな熱を帯びた。