表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レディ・アーニャの事件簿~下町生まれの令嬢は、お口の悪さを隠せない~  作者: 入月英一@書籍化
サミュエル茶会事件

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/8

0-4 アーニャの裁決

「アーニャ嬢、どうしたんだい? その姿は?」


 庭園から移動し空き教室に入ると、先客のエラン殿下が目を丸くする。


 当然の疑問だろう。

 頬に引っ掻き傷、髪はぼさぼさ、制服は葉っぱと土汚れで見れたものじゃない。


「……年甲斐もなく、かくれんぼを少々」

「まあ、無理に問い質しはしないが」


 ……良かった。当然、ウソだと理解してもらえてるらしい。

 もし本当に、年甲斐もなくかくれんぼをするような女だと納得されたら、さしもの下町生まれも立ち直れない。


 エラン殿下は眉を顰めながら言う。


「そんな格好になるような無茶は慎むべきだ」

「泥臭く、が下町の信条です」


 エラン殿下はゆるりと首を振る。


「確かに、貴族生まれにはない強みなのだろうが……。君も女の子なのだから、自分の体を大切にすべきだよ」


 そう言って、殿下は私の乱れた髪に触れる。指を手櫛に、赤毛を梳く。


 突然の行動に体が固まる。


 で、殿下、分かっているんですか? イケメン以外がそれをやったら、引っ叩かれても文句を言えない所業ですよ!


 ドキドキと心臓が高鳴る。頬はきっと赤く染まっている。


 絵に描いたような金髪碧眼のイケメン王子様と、こんな夢のようなシチュエーションを体験するだなんて!


 下町の娘でも、いやさ、下町の娘だからこそ、いつか白馬の王子様が自分を迎えに来てくれることを夢見るのだ。

 小さい時分に夢見た王子様、そのまんまの貴公子に優しくされたら、勘違いしてしまうではないか!


 いやいやいやいや! エラン殿下は誰にでもお優しいだけ。勘違いしてはいけない。

 そうよ、アーニャ! 勘違いしてはダメ! 思い出して! 下町に迎えに来たのは、白馬の王子様ではなく、神経質なクソ親父だったでしょ!


 私は、二歩、三歩下がり、エラン殿下の手から逃れると、頭を振るう。


 意識を切り替えろー、私。ここには、ラブロマンスをしに来たわけじゃないでしょ。


 そうだ。ここには、ある確認をしに来たのだ。

 そう、確認。先程盗み聞いたオリヴィアの企みを密告しに来たわけではない。


 密告したとして、エラン殿下がそれを信じるかどうか……殿下のオリヴィアへの不信を見るに、信じてもらえる可能性は高そうだが、それでも密告する気はない。


 だって、これは私の喧嘩だ。

 殿下に告げ口して、はい終わり! だなんて、他でもない私が納得いかない!


 自分の手で決着をつけねば、女が廃るというものである。


 だから、ここに来たのは、エラン殿下の気持ちを確認するためだった。


「殿下」


 私は、キッと殿下の顔を見る。


「この空き教室だからこそ出来る、失礼な質問をしてもよろしいでしょうか?」


 エラン殿下は思案するように目を細める。ややあって口を開く。


「質問をどうぞ、アーニャ嬢」

「ありがとうございます。……はっきり申し上げて、オリヴィアさまは殿下の婚約者に相応しくないと思いますが。殿下は、どのようにお考えですか?」


 私の直截すぎる言葉に、エラン殿下は苦笑する。


「そうだね。僕個人に相応しいかどうかは、どうでもいい。問題は、未来の王妃に相応しいかどうかだ」


 エラン殿下は憂い顔になる。


「王妃とは、国民を慈しむ者でなければならない。子を愛する母親の様に。だが、オリヴィア嬢は……」


 殿下の表情に苦いものが混じる。


「彼女は、下の者を見下し虐げる。自らに過剰に奉仕させようとする。……傲慢で我儘な貴族子女の典型だ。その性質は、早い段階から分かってはいた。分かってはいたが」

「お分かりになっていたが、何でしょうか?」

「……僕たちの婚約は国が決めたものだ。オリヴィア嬢が自ら望んだものではない。勝手に婚約を決められ、勝手に不適格の烙印を押されるのは、流石に哀れだろう。彼女がまだ成年貴族でないこともある。……機会を与えようと思った。心を入れ替えるための機会を」


 エラン殿下がオリヴィアに告げた忠告の真意は、そういうことだったか。


「もしも、もしもオリヴィアさまが、その機会を無下にし、変わられなかったら?」

「……将来の王妃に相応しからざる者が、第一王子の婚約者の立場にある、そういうことになるだろうね」


 エラン殿下の想いはよく分かった。


 オリヴィアがそう望んだわけではなく、元々は国が決めた婚約関係。

 だからこそ、エラン殿下はオリヴィアに機会を与えている。

 しかし、彼女がその機会を無下にするのならば、切り捨てることも止む無し。そんな想いが見て取れた。


 殿下が、そういうお積りなら、私も遠慮なく行動に移せるわ。


「ありがとうございました」


 私は一礼してから空き教室を出る。

 廊下を足早に進み、学園の敷地を出ると駆け出した。


 道行く人々が、目を丸くしてこちらを見るが知ったことか。

 息を切らせながら、伯爵家の屋敷に戻る。


 私は淑女らしさをかなぐり捨て、廊下をずかずかと進む。そうして、クソ親父の部屋の前に立つ。バン! とノックもなしに扉を開けた。


「何事だ!」


 クソ親父が叱責する。眼光鋭く睨んできた。

 だけど怯まない、交渉の前に怯んでいては、舐められて終わる。私は、不敵な笑みを浮かべた。


「お父さま、折り入って相談が御座います」





 サミュエルの茶会当日になった。

 この茶会の名は、その昔遥か東方から茶葉を持ち帰ったとされる旅人の名前から来ているらしい。


 よっぽどの事情がない限り、全生徒の参加が推奨されている大規模な茶会で、新年の大舞踏会と共に、学園の二大社交とされている。

 会場はアズミュールの庭園。学園の敷地内で最大の庭園だ。


 淡いクリーム色の外壁と赤銅色の瓦が特徴的な校舎をバックに、青々とした芝生が広がっている。


 まだ開始時間前だが、既に多くの貴公子や淑女たちが集まり、歓談をしている。


 私は新調したドレスを身に纏い、執事のセバスを従えて庭園に足を踏み入れた。

 上座のテーブルを見る。


 エラン殿下は、まだ来ていないか……。


 私は歓談に混じることなく、静かにその時を待つ。



 茶会の開始五分前に、エラン殿下は婚約者のオリヴィアをエスコートしながら現れた。

 着飾った学生たちが、順々に殿下たちに挨拶をする。


 殿下は一々挨拶を丁寧に返し、軽く雑談をしてと、これがまた中々長い。


 ようやく席に着くと、給仕役のメイドたちが殿下のカップに紅茶を注ぐ。

 私は、踏み出した。


「殿下」

「ああ、アーニャ嬢……アーニャ嬢?」


 一向に挨拶をしようとしない私に、エラン殿下は訝し気な表情を浮かべた。

 私は一つ深呼吸する。


 震えだしそうな体を抑えつけながら口を開く。


「告発します。オリヴィアさまは、殿下の御心を惑わせる薬を、殿下の紅茶に盛っています」


 会場がどよめく。エラン殿下は眉を顰めた。


「貴女、何を言ってるの!?」


 オリヴィアは立ち上がると、金切り声を上げる。

 私は、彼女に向き直る。


「貴女が、殿下に薬を盛ったと言いました」

「冗談を言わないで! 貴女、どういう積り!?」

「冗談かどうかは……」


 私はカップを見る。


「その紅茶を調べればお分かりいただけるかと。ご禁制の魔法薬が検出されるでしょうし」

「ふざけないで!」


 オリヴィアは怒りに任せて手を振り、テーブルの上からカップをなぎ払った。

 ガシャン、と音を立て砕けるカップ。中にあった紅茶は、芝生を濡らし地面にしみ込んでいく。


 こちらを見るオリヴィアは、怒り心頭といった表情だけど、これはポーズね。

 カップを破壊してもおかしくないよう振舞ったか。

 その目の内には、余裕の色がある。


 私は砕けたカップを見遣る。


 魔法薬入りの紅茶がしみ込んだ土から、成分を検出できるだろうか?

 うーん、分からないけれど、もし検出できたとしても、実は薬が盛られた事実が判明するだけだったりする。

 誰が入れたかの証拠がなければ、オリヴィアを追い詰めることはできない。


 オリヴィアに余裕が見られるのは、彼女もそのことに気付いているからだろう。


「貴女、こんな言いがかりをして、タダで済むと思っているの?」


 オリヴィアは酷薄な笑みを浮かべる。


「ええ、言いがかりなら、タダでは済まないでしょうね。ですが、無用の心配です。私の告発の正しさを証明する手が、私にはあるのだから」

「貴女、何を言って?」


 私は、おかしいとばかりにクスリと笑う。


「オリヴィアさまは古典にお詳しいのに、この国の建国以来、我がトリッドリット伯爵家が、如何なる役目を担ってきたかをご存じないのですか?」


 オリヴィアは、ハッと何かに気付いたかのような表情になる。

 まあ、気付いたってどうしようもないのだけど。

 だって、私はクソ親父を説得し、とびっきりの切り札エースを持ち出すことに成功していたのだから。


「セバス」

「はい。お嬢さま」


 セバスはマホガニー製の木箱を恭しく捧げ持つ。


 私は木箱を受け取って、テーブルの上に置く。木箱を開き、中から黄金色の天秤を取り出した。


「これは、『正義の天秤』か!」


 エラン殿下が声を上げる。オリヴィアの顔は真っ蒼になった。


 この国の『法と裁き』を司るトリッドリット家。この家の当主が、高等法院の裁判長を歴任してきたのには、訳がある。


 そう、この国の建国時に活躍した大魔法使いマリンが造った魔法具の一つ『正義の天秤』を継承しているからに他ならない。


 この天秤は、罪を量る魔法具。

 曰く、『罪は重い。目に見えずとも、銀の羽根よりも重い』。この文句は、知らない者がいない有名な文句だ。


 正義の天秤、その片方の皿には銀の羽根が載っていて、もう片方の皿には何も載っていない。

 当然、羽根が載った皿の方に秤は傾いている。


 しかし、トリッドリットの血を継ぐものがこの魔法具を発動させると、有罪の時には空の皿が傾くこととなる仕組みだ。


 つまり、この天秤を持ち出せた時点で、オリヴィアの罪の証明は終えたも同然なのだ。

 問題だったのは、この天秤を持ち出せるかどうかだった。


 クソ親父との交渉――オリヴィアの企みを話し、この天秤を使用させて欲しいという交渉だ。

 

 突拍子もなく、公爵令嬢オリヴィアが惚れ薬を王子に盛ろうとしています! と伝えたところで、普通なら即信じてもらえない。


 が、ここは勝算があった。

 何せクソ親父は、ウソを見破る魔法具も持っている。私の言がウソではないことが、彼には分かったことだろう。


 なので問題は、オリヴィアの企みを知ったクソ親父が、王子と公爵家、どちらに恩を売った方が利益になると判断するかだった。


 まあ、クソ親父がどちらを選んだかは、ここに天秤があることが答えだ。


「貴女、ねえ、アーニャさん」


 オリヴィアが猫撫で声を出す。……気持ち悪いなあ。


「ウチの公爵家なら、ねえ、分かるでしょう? だから……」

 

 オリヴィアが思わせぶりな懇願をしてくる。

 これは、アレだろう。


 正義の天秤に伝わる文句、『罪は重い。目に見えずとも、銀の羽根よりも重い』には、実は高位貴族だけが知る続きがある。


 曰く、『罪は重い。だが、金貨200枚はそれより尚重い』


 これは、この魔法具が造られる際に、高位貴族たちが設けた抜け穴である。


 何とこの魔法具、使用者の意思で有罪であっても無罪判定が出せる。高位貴族たちは、自分たちが裁きの場に立った時のことを想定し、斯様な抜け穴を作ったのだ。

 そう、金貨200枚の賄賂で、無罪を勝ち取れるのである。


 全く、こんな魔法具に『正義の天秤』だなんて名付けた奴は、ぼったくり酒場の主人より面の皮が厚いに違いない。


 尚、高位貴族たちも冤罪はかけられたくなかったので、無罪を有罪にすることはできない仕様だ。


「お願いよ、アーニャさん」


 気持ち悪い猫撫で声を続けるオリヴィアに、私はニッコリと微笑んでやる。


「オリヴィアさま、当家は『後払い』を受け付けていませんの。ごめんあそばせ」


 オリヴィアはカッと目を見開く。


「庶子の生まれの! 平民の母を持つ卑しい女が! この私を裁くか!」


 オリヴィアは私に掴みかかろうとするが、エラン殿下が彼女を後ろから羽交い絞めにする。

 ナイス! 殿下! 

 いくら殿下が細身とはいえ、男に羽交い絞めにされては、いいとこのお嬢さまに成す術はない。

 オリヴィアは、鬼のような形相で私を睨んでいる。ああ、高貴なお嬢さまだって、一皮剝けば何と醜いことか!


「猫の皮が剥がれてるぞ、この『××××』! 黙って見てろ!」

 

 私は上着のポケットから折り畳みナイフを取り出す。その刃を人差し指の腹に当てた。ぷくっと血の玉が浮かび、ツーーッと滴る。

 落ちた雫は、正義の天秤に吸い込まれた。ぽぉっと淡く光を放つ。


「公爵令嬢オリヴィア、汝がエラン殿下に薬を盛った罪人か否か! 法と裁きを司るトリッドリットの後継アーニャが、その罪を量る! 審判ジャッジ!」


 誰もが固唾を飲んで、正義の天秤を注視する。

 秤は、独りでに傾いた。――有罪を示す方へと。


「あああああああああああああ!!!!!!」


 オリヴィアは絶叫を上げながらくずおれる。


「オリヴィアの罪は、ここに確定しました」


 私は、エラン殿下に視線を遣る。殿下は頷いた。


 頽れるオリヴィアを見下ろしながら、エラン殿下は告げる。


「僕は君に忠告し、機会を与えた。しかし君はそれを無碍にした。残念だ。……罪人が未来の王妃になることはあり得ない。君との婚約は破棄させてもらう」


 オリヴィアは、びくりと肩を揺らした。


「オリヴィア嬢を連れて行け」


 殿下の命を受けた衛兵たちが、オリヴィアを庭園から連れ出していった。


 余りの事態に場が騒めく。


「そんなオリヴィアさまが……」「公爵家の令嬢、それも第一王子の婚約者だぞ!」「これは、とんでもない事が起きたな」


 エラン殿下は、不安、驚愕、好奇、様々な表情をした面々を見回す。一つ頷くと、口を開いた。


「王族の婚姻は国の大事。此度の婚約破棄に、皆が心配になるのも無理からぬこと。しかし、狼狽するに及ばない。何故なら、私の婚約者に相応しい令嬢がこの場にいるからだ」


 エラン殿下が毅然とした態度で宣言する。

 だけど、相応しい婚約者? 待て、どうしてこちらを向く?


 殿下の翡翠の双眸が、真っ直ぐ私を捉える。


「公爵家の権威に屈せず、この私を救いに来た令嬢――道義と勇気を兼ね備えたアーニャ嬢こそが、私の婚約者に相応しい!」

「はあ!? で、殿下、何を仰って……!」


 ぐいっと腕を引っ張られたことで、私は反論の言葉を吞み込んでしまう。


「ッ~~~~!!!?」


 エラン殿下の腕の中!? ほ、抱擁! 抱擁だぁぁああ! クソ親父にだって抱きしめられたことないのに!


 きゃあ! と令嬢たちから黄色い声が上がる。


 エラン殿下は私を抱きしめたまま、私の耳元に唇を寄せる。


「落ち着いて。仮初の婚約だよ」


 エラン殿下の囁きに、私は小首を傾げる。


「仮初?」

「そう仮初。また変な婚約者を押し付けられないように、ね。頼まれてくれないか、アーニャ嬢」


 仮初かあ。耳朶を打つエラン殿下の声。その心地よさに絆されたわけではないけれど、私はこくりと頷く。


「分かりました」





 かくして王子様とお姫様は結ばれました。めでたしめでたし。……というのは童話である。

 現実は違う。それを転機とし、また新たな人生がスタートするのだ。


 ロマンスに判断力を著しく鈍らせていた私は、そんな当たり前のことに気付かなかったのである。

 そう、まともな判断力があったのなら、この後の波乱に満ちた学園生活を予想できただろうに。

 はぁ。私の『×××××』。

 ブクマ・評価は作者の励みになります。

 是非下の★★★★★で評価をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ