表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

0-3 オリヴィアの企み

 オリヴィアの下につくことを拒否した。

 嫌がらせは、今までのようなぬるいものではなく、苛烈を極めるだろう。


 どう対処すべきか? 私は一人静かに考えようと、例の空き教室に向かう。



「いらっしゃい、アーニャ嬢」


 空き教室に入った私を、エラン殿下が出迎えた。


「……今日もサボりですか?」


 エラン殿下はネクタイを雑に緩めた姿で、机の上に座っている、手には一冊の本。表紙を見るに、格調の高い文学書ではなく、市井に出回っている娯楽小説のようだ。


「まあ、そんな所かな。ここでの事は、互いに目を瞑る。そういう協定だ。君も、楽にするといい」


 エラン殿下はウインクする。


 よし来た! 私は空いてる椅子にどっかりと座ると、靴と靴下をぽいっぽいっと投げて素足になった。ぐーーーーっと伸びをする。


「あ~~! 面倒くさいなあ!」


 私は遠慮なく心の内を吐露する。


「何か面倒事でも?」

「ええまあ。元庶子の伯爵令嬢、学園で面倒に事欠かないのは、推測できるでしょう?」


 流石に、あなたの婚約者のせいで困っています、とは言えない。

 私は、じっとエラン殿下を見る。


 そういえば、殿下はあの婚約者のことを、どう思っているのかしら?

 少し探りを入れてみようか。


「ああ殿下、ここに来る前、オリヴィアさまにお会いしましたよ」


 一瞬、ほんの一瞬だが、エラン殿下の顔が曇ったのを、私は見逃さなかった。


「……そうか。彼女と何か?」

「いいえ。特別な事は、何も」


 エラン殿下は本を閉じる。真剣な面持ちになって、私の目を真っ直ぐ見詰める。


「君は、大抵の面倒事なら自分で対処できそうだが……。本当に困ったことがあれば、僕に言うといい」

「……ありがとうございます」


 エラン殿下は一つ頷くと、読書を再開する。


 ふーむ。どうやら、エラン殿下が一方的にオリヴィアに不満を持ってそうだなあ。

 まあそうか。あんな嫌な女が相手なら、それも仕方のないことだ。


 国に婚約者を決められて、しかも相手は底意地の悪い女。王子様っていうのも、大変なものなのねえ。





 学園内を一人歩く。

 まだ、連中の動きはないが、常に警戒しておくべきだろう。


 注意深く視線を走らせながら歩く。


 廊下から階段へ。

 すると、丁度階段の下から上がってくる人物がいる。その金砂の髪に思わず視線が留まった。


「あっ、エラン殿……」


 ドン! 階段の上で背中を押された。

 足がくうを踏む。


 や……ば!


 思わず目をつぶり、襲いかかる衝撃を覚悟する。


「危ない!!」


 叫び声、そして覚悟していたよりも、ずっと弱い衝撃を覚えた。


「大丈夫か、アーニャ嬢!」

「あっ……」


 目を開け見上げると、すぐ近くにあるエラン殿下の顔。

 どうやら、エラン殿下に抱き止められたらしい。


 ドク、ドクと、心臓が早鐘を打つ。冷や汗が背筋を流れた。


 冗談じゃない! 余りに直接的すぎるやり口じゃない! 階段で背中を……って!


 私はガバッと振り返る。しかし既に下手人の姿はない。

 じっと誰もいない階段上を見る私に、殿下が囁くように言う。


「女生徒だった。が、落ちてくる君に意識がいって、誰かまでは……」

「そう、ですか」


 まあ間違いなく、オリヴィアに指示された誰かだろう。


 殿下の叫び声を聞きつけたのか、何人もの学生たちが階段の上に現れる。

 一体何があったのかと騒めく学生たちの中に、オリヴィアたちの姿もあった。


 さて、どうしたものか?

 私が思案していると、エラン殿下が進み出て階段を上っていく。オリヴィアの前に立った。


「ごきげんよう、エラン殿下」


 淑女の礼カテーシーをとるオリヴィアに対し、エラン殿下は挨拶もせずに話し出す。


「オリヴィア・ラザフォード、我が婚約者よ。忠告は一度だけだ。未来の王妃たらんと欲するならば、今からでも王妃に相応しい振る舞いをすることだ」


 低く這うような声だった。

 エラン殿下は、オリヴィアの返事を聞くことなく歩き去る。


 怒りを露わにしたエラン殿下に、集まっていた学生たちが一層騒めく。


「エラン殿下ったら、虫の居所が悪かったのかしら?」


 人の目があるからだろう。オリヴィアはそんな言葉で取り繕いながら虚勢を張る。


 取り巻きたちが、不安そうな面持ちでオリヴィアを見る。

 オリヴィアはそれらの視線を受けながら口を開く。


「大丈夫、大丈夫よ。ええ、きっと『サミュエルの茶会』の席で仲直り出来ることでしょう」


 その一瞬、オリヴィアの顔に虚勢の笑みとは異なる笑みが浮かぶ。


 私の頭の中で警鐘が鳴り響く。私はあの笑みを知っている。

 あれは、売春宿のやり手婆があくどい企みをしている時と同じ笑みだ。





 オリヴィアは、取り巻きの中でも最も近しい者たちとだけで度々茶会をしている。

 場所は決まって、学園の一画にある小さな庭園だ。

 連中が悪だくみを話し合うとしたら、恐らくこの場所だろう。

 

 そう当たりを付けた私は、庭園の生垣の中に全身を潜り込ませている。


 ふふふ、下町出身とはいえ、いやしくも伯爵令嬢がこんな所に隠れているなんて、神様だって見抜けまい。


 なんて自画自賛している間にも、枝が頬を引っ掻き、髪に絡まる。あ、痛い、痛い……。



 私が痛みに耐えていると、オリヴィアたちが現れた。

 彼女らは席につき、暫く他愛ない雑談を交わす。……こんな茶飲み話を聞くために、痛みを我慢しているわけではないのだが。


 しかし、神は私に微笑んだ。


 オリヴィアが給仕を終えた使用人たちを下がらせると、がらりと場の空気が変わった。


「エマ、例のものは?」

「こちらです、オリヴィアさま」


 エマ、と呼ばれた取り巻きの一人が、机の上に小瓶を置く。

 ガラス製の、親指と人差し指で摘まめる程度の大きさの小瓶だ。

 

 オリヴィアは、小瓶を手に取ると目の高さまで持ち上げる。


「これが……」

「はい」


 エマは緊張に満ちた声で答える。


「ティースプーン二杯分、エラン殿下がお飲みになる紅茶に混ぜれば、それで」


 別の取り巻きが口を開く。


「給仕するメイドの一人は買収済みです」


 オリヴィアは頷く。


「薬の出所も、買収したメイドも、足が付かないようにしなさい」

「はい」


 オリヴィアは、邪な笑みを浮かべる。


「これで、殿下は私の思うがまま……」


 これが、オリヴィアの企み。成る程、惚れ薬か、媚薬か……。

 茶会の席で混ぜるなら、媚薬はないか。なら、惚れ薬だろう。


 下町の中でも、最も奥深く、最も薄暗い場所では、そういうご禁制の魔法薬も売買されていると聞くが……。

 法に触れる代物だ。当然、リスキーな品である。


 馬鹿な女。婚約者なのだから、何もしないでもエラン殿下と結婚できるのに。

 ちっぽけなプライドの為に、危ない橋を渡るのか……。あるいは、冷えいく婚約関係に危機を募らせたか?


 どちらにせよ一緒か。彼女が、過ちを犯そうとしている事に、変わりはない。



 それから、オリヴィアたちが密談を終え庭園を立ち去るまで待った。

 私は生垣から脱出する。人目を避けるように、いつもの空き教室を目指した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ