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0-2 賽は投げられた

 私は伯爵家の屋敷に帰ると、自室のベッドに突っ伏す。


 完璧な貴公子の仮面の裏側には、少々意地悪なエラン殿下がいたらしい。

 ニコニコと笑いながら『それで、どういう意味なんだい?』と追及する殿下は、それはそれは楽しそうだった。


 しどろもどろになりながらも、適当なウソではぐらかしたけれど、きっとバレているんだろうなあ……。

 でも、バレバレなウソだと分かっていても『××××』の『×××』がどういう意味かだなんて……。王子様を前に口が裂けても言えるわけがない。

 下町生まれにも、羞恥心の欠片くらいは残っているのだ。


 ハア、あの数分でどっと精神的疲労が溜まったわ……。


 ため息を吐いていると、コンコンと扉がノックされる。


「お嬢さま、お休みのところ失礼します。旦那さまがお呼びです」

 

 ……クソ親父が? 一体全体何の用だろう?

 近頃は仕事が忙しいとか何とかで、顔を合わすことも無かったのに……。


「分かりました」


 扉越しに返答すると、私はベッドから身を起こす。


 クソ親父はまごうことなきクソ親父だが。生活の面倒を見てもらっているのだ。呼び出しを無視するわけにもいかない。


 手鏡を覗き、母親譲りの赤毛をささっと整える。


 扉を開け、廊下に出た。メイドが一礼してから先導しようとしたが、私は手振りで『いらない』と示す。


 クソ親父の部屋目指して廊下を歩く。


 上位者からの呼び出しだ。トロトロと歩くことなく足早に。されど気品を損なわないように。

 果てしなく面倒くさい。ズカズカと歩きたい。

 でもそんな姿を見られたら、淑女つめこみ教育を担当したロッテンマイヤー夫人の雷が落ちるだろう。その方が面倒くさい事になる。


 クソ親父の部屋に着いた。トントンとノックする。


「入れ」

 

 どこかぶっきらぼうな返答だ。ともあれ、許しを得たので入室する。


 部屋には二人の男性がいた。


 一人は、灰銀色の髪をオールバックにした四十路の男で、神経質そうな顔立ちをしている。こちらを一瞥することなく、執務机で羽ペンを走らせ続けていた。――我が親愛なるクソ親父殿である。

 もう一人は、執事のセバスだ。


「ごきげんよう、お父さま」


 私は、恭しく淑女の礼カテーシーをした。

 フンと、クソ親父は鼻を鳴らす。


「少しは淑女の真似事も様になってきたか。……ロッテンマイヤー夫人には報酬を弾まねばならんな」


 はあ。ロッテンマイヤー夫人を労うのは構わないけど、もう一人労う人物を忘れてはいませんかね?


「ありがとうございます」


 副音声を笑顔の裏に隠しながら軽く頭を上げた。

 クソ親父は、こちらに視線を呉れると目を細める。


「だが、急ごしらえのメッキは剝がれやすいもの。……学園でボロを出してはいないだろうな?」


 ドキリとする。まさに今日、あの空き教室で盛大にボロを出したばかりだ。


「勿論ですわ、お父さま。淑女としての礼節を欠くことなく学園生活を送っております」


 クソ親父は、神経質そうな顔を露骨に顰める。


「下らんウソを吐くな。――これからはもっと気を引き締めよ」


 ――??? 何故ウソだと? 当てずっぽう? それにしては、クソ親父の声音は余りに確信染みた、否、確信した者のそれだった。


 解せない。まるでイカサマ賭博に嵌ったかのような心地だ。


「セバス」


 クソ親父は、封筒をセバスに手渡す。セバスはクソ親父の傍を離れ、私に封筒を手渡して来る。


 受け取り、ちらりと伯爵家の封蝋がされた封筒を見遣る。


「これは?」

「付き合いの長い服飾店の店主に宛てたものだ。それを持っていき、ドレスを新調してきなさい」

「ドレスの新調?」

「再来月に、学園で社交を兼ねた大規模な茶会があるだろう」

 

 ああ、と心中頷く。


「承知しました、お父さま」


 クソ親父はもうこちらに目を向けることも無く『下がれ』と一言口にする。


 長居したい部屋でもない。

 言われるがままに部屋を出ると、どうしたわけかセバスも後を付いてくる。

 どうかしたのか? と視線で問うと、セバスが耳打ちしてくる。


「お嬢さま、『法と裁き』を司るトリッドリットの当主である旦那さまに、ウソは通じませんぞ」

「どういうこと?」

「代々トリッドリット家には、ウソを見破る魔法具が受け継がれているのです」


 何ですって? ウソを見破る? となると、この屋敷に来てからの、あれもこれもそれも、全部クソ親父にはバレていたというの?


 私は顔を手で覆う。なんてイカサマ……。


「ウソを見破る、というのは具体的には?」

「ウソを感知する魔法具と聞いています」

「感知するだけ? 心の内を読んだり、そういうことは出来ない?」

「左様です」


 成る程、成る程……これは、クソ親父の前では下手なことは言えないわね。

 厄介だ。けれども、心の内を見透かすのでなければ、やり様もある。だって、ウソを吐かなくても人を騙すことはできるのだから。


 セバスは肩を竦める。


「お嬢さま、これに懲りましたら、下手なウソを吐き親子仲を悪化させるような真似はお控えください」

「ええ、そうするわ。ああ、セバス――」


 まだ確認すべきことがあった。クソ親父は、他にも手札を隠しているかもしれない。

 そう。相手の手の内が分からぬまま、カード博打なんて出来っこないのだから。


「――ねえ、我が家には、他にも特別な魔法具があったりするの?」





「はあ、詩集の講義とか本当にいるの?」


 私は、講義が終わると溜息を吐いた。全く、『パンにならない芸に時間を費やすな』が、下町のことわざなのに。

 高貴な人たちは、無駄なことばかりしていけない。


「アーニャさん」


 心中でグチグチ言っていると、背後から声を掛けられた。

 ああ、振り向きたくない。が、そうもいかない。


 渋々振り返り『ごきげんよう、オリヴィアさま』と挨拶する。


 鷹揚に頷き『ごきげんよう』と挨拶を返したのは、ラザフォード公爵家の令嬢オリヴィアだった。

 さもありなん。

 辛うじてとはいえ、上位貴族の端くれである伯爵家の令嬢を、『さん』付けで呼べるのは、同学年の女生徒の中では彼女くらいのものだ。


 オリヴィアは、今日も今日とて、取り巻きの令嬢たちを引き連れている。


 ――猿山の女主人め。


 悪態とは真反対の笑みを浮かべる。


「私に、なにか御用ですか?」

「いえね、アーニャさんは『ウェルギス』や『ホーロス』などの古典詩集が苦手なようですから、少し心配になって」


 まだ生徒が多く残ってる場での、『貴女、無教養なのね』口撃である。

 取り巻きたちに至っては、聞こえよがしにクスクスと忍び笑いだ。


 腹立たしいが、我慢だ、我慢。


 先日の性悪女たちの時とは、事情が異なる。連中は家格の下の娘たち。多少の意趣返し、仕返しくらいは許されたが。


 貴族で最も家格の高い公爵家の令嬢――しかも、第一王子の婚約者でもあるオリヴィアに下手なことはできない。

 

 私はぐっと手を握る。


 オリヴィアは、クスクス笑う取り巻き見回した。


「貴女たち、お止めになって。誰にだって、苦手な事の一つや二つあるものだわ」


 オリヴィアは、私に向き直る。


「本当に心配なのよ。貴女の出自を思えば、ねえ? 色々不都合があるでしょうし。それに、一部の不心得者が思い違いをして、貴女を敵視するかもしれないわ」


 オリヴィアは、真っ直ぐに私へと手を差し出す。


「私のことを頼ってほしいのよ」


 私は白々しくその手を見る。


 この学園に編入して以来、陰に陽に続く嫌がらせ、その首謀者の癖によくもまあ。

 私は気付いていた。全ては、オリヴィアの指示であったことを。

 オリヴィアとて、隠す気はなかったろう。


 取り巻きを使って嫌がらせをしつつ、自身はこうして私に手を差し伸べる。

 この相反する行動は、一体どういうことか?

 その答えは明白だ。


『私が面倒を見て上げる。だから、私の下につきなさい』


 オリヴィアの真意はそいうことだった。


 気に入らない元庶子の娘を屈服させる。きっと、その一事だけでも胸がすくような心地なのだろう。


 加えて、平民を母に持つとはいえ、今や私は正式な伯爵家の令嬢、しかも一人娘だ。

 今、私を屈服させられれば、次代のトリッドリット伯爵家を、ラザフォード公爵家の傘下に出来るかもしれない。


 成る程、成る程、オリヴィアの意図は分かりやすいし、利益を得る為の行動として間違えでもない。だけど。


 ――ああ、腸が煮えくり返るようだ。


 冗談じゃない! 下町の人間は、己の腕っぷしで上に立つ親方に敬意は示しても、親の七光りにだけは、ぜーーーーったいに敬意を払わないのである!


 私は、オリヴィアの差し出された手を無視し、胸の前で手を組む。


「ありがとうございます、オリヴィアさま。ですが、オリヴィアさまのお手は、私などではなく、大切な婚約者であるエラン殿下のお手を取るために伸ばされるべきでしょう」


 エラン殿下とオリヴィア、婚約関係にあるこの二人の仲が、どうも上手くいっていないらしいのは、学園全体の暗黙の了解だ。


 つまり、私なんかにかまけてる暇があれば、王子様の気を引きに行け、と痛烈に皮肉ってやったわけである。


 オリヴィアの顔から、サーーッと笑みが引く。冷たい無表情になった。


「そう。よーく分かったわ」


 オリヴィアは『行きましょう』と一言告げると、取り巻きたちを伴い去って行った。

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