第六話 何、これ?
最後に覚えているのは、迫り来る電車。
僕は、刹那的衝動に駆られて、アイツを突き飛ばそうと走った。
傘すら捨てて走り、今までで一番速かったかもしれない。
感情とはすごいモノだと感心した。
それが故に、止まる事が出来なかった。
死ぬ気は無かったのだ。
ただ、衝動に駆られて行動したツケだ、仕方ない。
まあ………いいか、やる事もやりたい事も無かったし。
復讐は果たした、ざまあみろ。
でも………叔父さんは悲しむのだろうか………それは気に
僕の意識は、ここで消えた。
◇
夢を見た。
たまに見る、妙にリアルな夢。
視界の隅にもやがかかっている様な、そんな視界で、体の自由は効かない。
僕は真っ白い空間に立っていた。
何処までが天井で、何処までが床なのかは分からない程の、果てしない純白。
ここが夢なのか、天国等なのかは知る由はない。
まあ、知った所でどうという事は無い。
瞬きまで鮮明に認識できる、奇妙な体験。
瞬きを一回、二回終えると、黒い物体が忽然と現れた。
猫だった。
純白の空間に逆らう様な、黒色。
「やあ、やっと来たね。会えて嬉しいよ」
猫の口は動いていないのに、少し反響しながら言葉が聞こえてきた。
コレは、テレパシーというやつなのだろうか。
猫は置物の様に動かないが、異様な雰囲気を漂わせていた。
「いやぁ、大変だったねぇ……色々と。同情するよ……うん。
でも、君は選ばれたみたいだね。僕に繋がるのは、極稀だからね」
まるで、全てを見てきたかの様に、黒猫は上から目線で喋る。
これは、僕の潜在意識とかだったりするのだろうか。
昔、同時期に猫と犬を飼っていた事があるけど、その影響……?
そんな事を思っていたら、次の瞬きで猫は中型位の犬に変わっていた。
(誰……?何者なの……?)
声になったのかは分からないが、それでも発しようと試みた。
何かを言った感覚はある。
「さあね、何者なんだろうね。ボクも分からない」
興味の無さそうに、犬は言う。
どう言う事なのか全く理解できないが、相手も状況を理解して無いのか……?
「まあ……そうだねぇ……君が知っているであろう”人以外の生物”は、自分が
何者であるか理解していると思うかい?知識ある者はあれこれ言うかもしれ
ないけど、実際に聞いたわけじゃないよね。
聞く術は無いし、本質は分からないのさ」
犬、いや、さっきまで犬だった梟は、小難しい話を仕掛けてきた。
中国の芸能である仮面の様に、瞬きの間に姿を変える目の前の不明体。
不思議と、嫌悪感を抱く事は無い。
(あなたは意思疎通できているじゃないですか。
どっかから生まれたりとか、したんじゃ無いんですか?)
率直な疑問をぶつける。
モノには必ず始まりがあるだろう。きっとこの不明体にも。
「そうだね、君が言うのはもっともだ。でもね、ボクは気がついたらここに
居たのさ。いつからだったのか、どれ位かはもう分からないけどね」
(……はぁ)
「君は”真実”はあると思うかい?」
(……自分の目で見ているモノが真実……とかじゃないんですかね)
「ははっ、君が見たモノが”真実”である証拠は何処にあるんだい?
実は君がそう思い込んでいる、って可能性もある。
この現状も、君自身の存在についてもだ」
な、何を言っているんだ……?この不明体は……?哲学か……?
実は僕が僕じゃ無いかも知れないとか、訳がわからない。
実に小難しい夢だ。
(……何が言いたいんです?)
「あー、これはボクの持論さ。あまり気にしなくていいよ。
要するに、ボクも自分自身が何者かは分かっていないって事さ。
凄く久々のお客さんだったから、饒舌になってしまったよ」
まあ、その気持ちは分からなくは無い。
一人きりは寂しいが故に、聞いてもらえる相手が居ると、相手を気にせず
喋ってしまう人は結構いる。
でも、興味の無い話は聞き手側にとっては辛い。
「お、もう少しで終わるみたいだよ」
(何がですか?)
「君の”書き出し”さ。君はこれから新しい旅に出るんだよ」
サラッと、大事な事を言わないでほしい。
書き出し?旅?僕は一体どうなってしまうのか、最早分からない。
何が起こったとしても、どうする事もできないのだろう。
そう、コレは夢なのだから。
(旅……ですか)
「そうさ!……まって、その前に力を上げるよ。ボクに会ってくれたのと、
話を聞いてくれたお礼さ。色々サービスしとくよ?今機嫌いいからね!
えーっと、記憶継承に……他にも色々……」
力をやろう。
とか、漫画みたいな事を言い出した。
特別な力が欲しいと、昔はいつも泣きながら切に願っていたから、コレはそんな
願望からの夢なのだろうか。
あの惨劇が無かった事に出来る様な、そんな能力を。
でも、そんな能力は幻想だった。
(……はぁ)
「……うーん、思ったより”君の願い”は魂の容量を喰うみたいだ。
そうだなぁ……代価として名前を無かった事にするね」
またとんでもない事を言い出した。
名前と言えば、個を個たらしめるレッテルであろう。
それを無くす事は、生まれ変わる事とも言える。
そんな事いきなり言われても……僕には親から貰った……
自分の名前を頭に浮かべようとした時に、異変に気がついた。
ド忘れとかでは無い感覚。
僕の名前って……何だっけ……?カケラも思い出せない。
感じた事の無い不安が襲った。
そんな僕を気にする事なく、いつの間にか人型になっていた不明体は続ける。
「どうやら、もう時間みたいだね。きっと君なら向こうでも上手く出来るさ!
ボクのお墨付きだし、その力もあ」
ん?
不明体の姿が、ノイズ混じりに少しブレた。
「……っ!?……あはっ……ははっ!そんな事が起こり得るのか。
なるほどね、そこまでとは。道理で容量を喰っていた訳だよ。
君は本当に愛されていたんだね、羨ましい限りだよ」
何かに納得して、意外そうに不明体は笑う。
一人で何を言っているんだ?見えない誰かでも居るのか……?
あ……
視界が、白に飲まれていく。
「じゃあ、がんばてね〜。あ、そうだ、”アイツ”にもよろしく言っといてよ」
アイツって誰だよ……
僕は目覚めるのだろうか?目覚めないかも知れない。
怖い、怖いなぁ。
でも……あんな事して生きていたとしても、絶望してしてしまいそうだ。
◇
白い紙に絵の具を垂らす様に、視界に色が広がる。
夢では無い、ハッキリとした視界。
初めに認識したのは、木に寄りかかった男だった。
驚きの表情を浮かべ、呆気に取られている。
周囲は森であった。
鬱蒼とした木々の間から光が差して、僕を照らす。
その眩しさに思わず目を細める。
病院で無いのは一目瞭然だった。
死んだのか?ここはそう言った世界なのか?
無意識に独り言が溢れ出てくる。
思考が纏まらない中、目の前の男が僕に聞いてきた。
「あなたは神か?」と畏まった態度で。
え、神?僕が?神?この男には今そう見えるのか?
思った事をそのまま男に聞き返した………ん??
何か、声違くない?てか、目線が凄く低いんだけど??
男はさっきから、僕を舐め回す様に見てくる。
ハッと視線を下に移す。
日焼けを知らぬ白い肌、華奢な身体、視界は真っ平らに……え?平ら?
あ、あれ……?あれ!?無いぞ!?”ヤツ”は何処!?
どどどどどうなってんの!?
裸だし、髪長いし……てか何この明るい髪色!?
まさか、そんな……そんな事が起こりえるのか!?
目の前の男はそんな事はつゆ知らず、僕に質問をしてくる。
「ここはあの世か?」と。
いや、知るかよ!と正直思った。
それ所じゃ無いし、聞きたいのはこっちの方だ。
触っている感じは現実的感覚を覚える。
僕はテキトーに相槌しながら、身体の機能を確認する。
察するに、どうやらこの男も何かしら狐につままれた体験をしたっぽい。
やけに必死さが伝わってくる。
男は続ける、「あなたは”しんし”か?」と。
は?何だそれ?紳士?真摯?神使?聞いただけじゃ分からない。
分かる事は、僕はその”しんし”では無いであろうという事。
見た目が変化してるみたいだから、鏡かなんか見ないと確証は無いけれど……
取り敢えず否定しておく。
すると男は、木に寄りかかるのを止めこちらに歩み寄ってきた。
立ち上がった男は、あまりにも大きかった。
この人、2m超えてんじゃないか……!?
いや、そう見えただけで、僕が小さくなっている。
ああ……アレだ、某名探偵みたいな現象なのか……現実に起こるなんて……
僕が反射的に後退りしてしまった事で、男は一瞬躊躇ってしまった。
それでも男は、自分の羽織っていた上着を差し出した。
裸だったのでありがたい。
この人は、悪い人では無さそうな気がする。
人の温もりを久しぶり感じたからかもしれないが、それでも雰囲気は何となく
伝わってくる。
それにしてもコレ、ぶかぶかだなぁ。
引きずったりしたら申し訳ないから、地面に着かない様にもって……
「どれ」と、男は僕の後ろにしゃがみ込んで何かしている。
時々、ビリっという音が聞こえる。
引き摺らない程度に上着はナイフで破かれていた。
僕の為に、申し訳ない……
「実は同じのまだあるんだ、気にするな」と男は言う。
優しく微笑む男を見て、何処か懐かしさを感じた。
初対面なのに、会った事がある様な……そんな懐かしさ。
なんだろう。
◇
これからどうしたら……と考えていると、男から提案があった。
「ウチに来たら?」と。
不安はあった。
出会って間もない知らない男について行くのは、誰だってそう思うはず。
小学生だって口酸っぱく言われているからね。
だが、事情が事情だった。
辺りは森でここが何処かも分からず、自分の状況もさっぱり分からない。
まずは、生きる事を最優先に……
……生きる事を最優先?どの口が言っているんだ?
こんな事になっている原因は僕だろう……?
嫌な事を思い出した。
自分が刹那的感情に駆られた結果が、この非現実的な現状。
頭の中は混沌としすぎて、今にも倒れてしまいそうだ。
男はずっと敬語だった。
「命を助けられたから」と言うが、微塵も自覚が無いし、痕跡も無い。
取り敢えず、違和感が凄いからやめてもらう様に伝えた。
すると男は、咳払いを挟んですぐに砕けた口調で話し出した。
結構気を使っていたんだろう。
そして僕は、男に言われるがままについて行った。
◇
森の中を歩く。
あまり整備されていない道。
生えている草はそれほど高くは無いが、不思議な形をしている。
好奇心のままに、自然と周りに目を奪われる。
「名前は?」と男に聞かれた。
一番困る質問が来てしまった。
さっき、丁度無くなっちゃったんだよなぁ……
さっき歩いている最中に、思い出してみようと必死に記憶を漁ったのだけれど
どう頑張っても無理だった。
どうしたものか……
あの作品は確か、近くの物から名前を取ってたな……
でも、周りに何も無くない?
えぇ……どうしよう……
あ、この人僕の事を神とか”しんし”だとか言ってたな……
取り敢えず、”シン”でいいかぁ。それで誤魔化そう。
そう名乗ると、少し疑問がある顔をされた。
あれ?何か不味かったのか?ダメな名前だったとか……?
何とかはぐらかして、男の名前を聞いた。
「グレイ=ベルルーク」と言うらしい。
全然日本の名前では無かった。
まあ、見た目から予想は出来ていたけれど。
村の領主、らしい。
領主なんて単語は聞き馴染みが無い。
普通に生きていたら、漫画とかでしか聞く事は無いだろう。
確か、その土地の偉い人…みたいな意味だったかな。
そんな事を思っていると、森が開けてきた。
崖の下には、規則正しく並んでいる作物らしき物と、点々とある民家。
ザ・田舎って感じだ。
取り敢えず、グレイさんの家に行って情報を集めよう。
今分かっているのは、少なくともココは日本では無さそうと言う事、
僕の身長、髪色、そして……お、女の子になっていると言う事である。
にわかにも信じがたい事実だけど、夢では無さそう……
ああ、早く自分の姿を確認したい。
不安と、ほんの少しの期待を持って、そう思った。
◇
グレイさん家、デカくね……?
読んでいただきありがとうございます。
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