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神話担う蒸気駆動の青年決闘

「さぁこれが完成品だ。生憎と、私が造ったのは機構部だけだが、性能は保障しておこう」

 赤々と燃え滾る巨大な蒸気炉の光に照らされながら、機械仕掛けの車椅子に座る老人は、古びた作業台の前に立つ青年へと言った。神経糸と呼ばれる銀色の極小金属糸、擬似的な神経によって接続された車輪を、意思と蒸気の力で回転させて、彼は無言のままでいる若き紳士へと擦り寄る。

 青年は、まだ二十歳になるかならずやという風貌で、なかなかに均一の取れた、整った顔立ちをしている。道を歩けば通り過ぎた娘達が振り向き、黄色や桃色の声を上げる事も少なくはないだろう。ただ、気立てのいい服に身を包んだ体はほっそりとしていて、余り肉付きは良くない。肌も青白く、更に片方の青眼を覆う様に垂れる金髪が、青年の弱々しい雰囲気をより強いものにしてしまっている。

 だからこそ、本来の四肢の代わりに取り付けられた、手甲であり軍靴でもある義手義足は、彼には聊か大き過ぎる様に感じられるし、今真鍮製の十本の指が掴む巨大な剣も、実に似つかわしくない。

 剣は、まるで断頭台(ギロチン)の刃に柄を付けた様な、無骨で、野蛮で、飾り気の無い代物だった。だが、それ程単純な、蛮族(バーバリアン)の武器というものでも無い事は、剣の刃が付いていない側を完全に覆う金属装甲や、柄の上方に付いた銃器の引鉄を思わす部品、それと繋がっているらしい鍔の機構が証明している。その鍔から伸びる酒瓶大の金属の缶は、圧縮した蒸気を封入した圧蒸缶と呼ばれるもので、持ち運びの容易な、使い捨ての小型の蒸気機関であり動力だ。つまりこの剣は、列記とした機械なのである。その印象を裏切って。

 それが如何なる性能を持ち、どの様に使用すればいいか。恐らく誰よりも良く理解しているのは、今、剣以上に印象を裏切り、楽々と剣を持ち上げて太く伸びる刃を見ている青年、その人であろう。

 何故ならば、製造こそ車椅子の老人、著名な科学者であり職人でもあるハンス・エーヴァルトとその弟子、及びゾーリンゲンの刀鍛冶の手によるものだけれど、この一風変わった武具をその詩作段階から振い続け、今本品を担うのは、他ならぬ彼、ミヒャエル・シャイデなのだから。

 そうだ。彼を見た目で判断してはいけない。ミヒャエルは剣士であり、戦士であり、決闘者であり、その薄い胸中、色の無い頬の奥底には、テレーゼ・エアフルトへのどうしようも無い程の恋心が、そして、ヴィクトル・ゴルツに対する清々しい程の敵対心が確かに熱く、収まっているのだ。

 だが、表面上はあくまで穏やかな様子で、彼はエーヴァルトに微笑む。

「素晴らしい。流石は『七人教授(ジーベンマイスター)』に数えられる土壱(ドイツ)最高の職人。これならば申し分無いでしょう」

 そう言うとミヒャエルは、まるで短剣か包丁かの如く剣を抱えると、隣に置かれている皮のケースの中へ入れた。丁度ぴったり入る様に造られたケースを肩紐で背負えば、何か大型の楽器を抱えている風で、彼自身もまるで音楽家であるかに見える。実際の所、そんな享楽とは一切無縁なのだが。

「そう言ってくれるならば幸いだ、私も造った甲斐があるというものだ……もう行くかね?」

「えぇ、場所柄を考えるなら、そろそろ」

「うむ解った。是非勝って戻り、私に気味の武勇伝を聞かせておくれ。あの小癪な若造の、グレゴール・ゲルヴィーヌスの創ったガラクタを、どんな風に凌ぎ、退けて、遂に倒しに至った、その経緯を……」

 ぐっと紐を握り締め、一礼の元に去ろうとするミヒャエルに、エーヴァルトは憎々しげに応えた。

 古錆びた、囲いの無い昇降機を前に、青年は振り返ると、老人を見詰める。

 かつては美しく輝いていただろうに、その髪も口髭も白く染まり切っているし、今のミヒャエルと同じ頃に蒸気機関研究の事故で半身不随となり、以降、車椅子の上に縛り付けられた体、特に脚は萎縮して、頼りない。だが、眉すら白いその下で、瞳だけが爛々と輝き、内に宿る凄まじい精神を明瞭に現している。自身と同じ様にヴィクトルが頼った相手、同じ国で同じ分野に勤しみ、同じ誉れを受ける相手に対して、この老人が抱いているのは、ずっと変わる事の無い憎悪と嫉妬と、羨望の眼差しである。だからこそ、彼はミヒャエルに、殆ど無償で協力する事となったのだが、それでもその複雑な想念は度し難い。

 自分も大概だが彼には及ばないな。ミヒャエルは、睨む様にこちらを見上げている老人を見返すと、込み上げる自嘲と嘲笑を押し殺し、爽やかな微笑みを持って、エーヴァルトに応えた。

「勿論ですよ、エーヴァルト氏。そしてその暁には、敵の血で染まった武具をお返しします、証としてね」

 そう言って、髪が掛かっていない片目を瞑ると、彼は昇降機に入り、装置を操作する。

 硬質で耳障りな音と共に、鉄製の床板が階上へ向けて動き出せば、地下の工房には未だ顔を歪ませたエーヴァルトだけが、炉の灯りに照らされて残されていた。


 地下から一階へと戻り、幅の広い廊下を渡って事務所や居間の前を抜けて外に出れば、太陽は完全に沈んでしまって、月と星と瓦斯灯の静かな煌きが眼に飛び込む。辺りに人気は無く、家々の窓も黒く塗りつぶされて、乾いた秋の寒さだけが周囲に満ちている。

 それも当然だ。ミヒャエルが胸ポケットから懐中時計を取り出し、薄暗闇の中でどうにか見れば、時刻は日の変わり目に程近かった。こんな深夜に起きて、活動している人間など、殆ど居ないだろう。居るとしても、それは余程勤労意欲に溢れた者か、人様へ真っ当に顔向け出来ない類の者位に違いあるまい。

 そしてミヒャエルも、ヴィクトルも後者の人間である。

 これから彼と逢い、何をするのかなんて、親兄弟、友人知人の誰にも言えたものでは無い。彼も、そして恐らくはヴィクトルも解っている。理由は何であれ、これが時代錯誤な殺し合いである事を。二人の内のどちらかは明日の太陽を拝む事無く失踪者として扱われ、冷たい大地の下に埋められるのだという事を。

 だが、それでもミヒャエルに止める気は更々無かった。事態はもう後戻りの出来ぬ所まで来ているし、またその殺し合いは、男と男の名誉と、女性の愛を賭けた決闘だ。是が非でも、なさねばならぬのである。

 役者じみた美顔を顰め、彼はそう念じると、ぐっと剣を入れた皮ケースの紐を、改めて握り締めた。

 やがて、密かに呼んで置いた馬車がやって来れば、ミヒャエルは颯爽と乗り込み、行き先を告げる。

 目指すは鐘琳郊外にある森の中。

 そこにヴィクトルも居るのだ。向かう彼が、それを望んでいる様に。


 その場所へ行くのに少々の時間が掛かるとするならば、今の内に彼等について語って置く事にしよう。


 ミヒャエル・シャイデは鐘琳(ベルリン)大学に籍を置く学生である。と言っても、それ程勉学に勤しんでいた訳では無い。裕福な家柄を糧にして、悪友達と共に、青春の日々を喧しく騒がしく過ごしていた。

 ヴィクトル・ゴルツもまた、そんな学生の一人である。

 同じ様に富裕な財産を持つ家系で、余り勉強熱心で無く、毎日を遊んで暮らす。上げてみると成る程、二人の共通点は多く、さぞ仲も良かったかと思われるが、実はそうではない。

 ミヒャエルが外見も中身も北皇路覇(ヨーロッパ)的男子の典型例なのに対し、ヴィクトルは浅黒い肌と黒々とした髪という南方を思わす容姿で、それに相応しい活動的な性格の持ち主である。

 恐らくそんな気質の違いが災いしたのだろう、始めて出逢った時から、彼等の関係は最悪だった。どちらが先に手を出したのか、最早両者ともに覚えてはいないけれど、最初に片方が罵詈を飛ばした。それを雑言で返せば、後はもう売り言葉に買い言葉、自身の仲間達を巻き込んでの殴り合いが勃発した。

 そして、これは誰もが良く記憶しているが、最後に勝ったのはヴィクトル側だった。ミヒャエルは決して病弱では無いが腕っ節に自信がある訳でも無く、総大将の渾身の右腕であえなく地に伏せたのである。

 しかし、これがまた良くなかった。両方一緒に共倒れであればまだ修復の余地もあっただろうに、敗者となったミヒャエルの憤怒たるや凄まじかったのだ。気絶し、ベッドから起き上がった中、取り巻きの連中に彼が叫んだ第一声など、『あいつは何処だ、何処に行った、今すぐ見つけて殺してやる』だった位だ。

 以降、二人は、出会う度に何かしらの諍いを起こした。先の恨みを込めてミヒャエル一味がヴィクトルを袋叩きにすれば、された側は逆に仕返した。その行為は回を追う毎により激しさと陰険さを増させ、警察の厄介になる事も多く、遂には大学当局が喧嘩両成敗により、ミヒャエルもヴィクトルも退学させようとしたが、それは両家が持つ莫大な金の力を持って、どうにか止められた。

 尤も、ミヒャエルにしては、別に大学を辞めさせられようと構わなかった。あのいけ好かない黒髪野郎を情け容赦無くぶちのめし、あわよくば息の根を止められるなら、何でも良かったのだ。そしてきっと、相手も同じ事を考えている筈だ。なら、望むままにそれを行うだけである。

 こうして彼等は拳を、時にはそれ以外の物(酒瓶から棍棒、刀剣に、果ては銃器まで)を振りかざし、本人達も半ば気付いているだろうが、傍目から見れば無謀で無益な争いを繰り広げていた。

 そんな何も生まぬ暴力に、ある日、一つの目的、意味が生まれる事になる。

 それが、見目麗しき少女テレーゼ・エアフルトの登場だった。

 彼女はミヒャエルとヴィクトルの、何歳かは解らないが年下で、大学近くの喫茶店で最近働く様になったのだが、その姿を一目見た途端、二人が二人ともに、その心を奪われてしまったのである。

 勿論彼等とて女性経験はあった。当然の様に女遊びはしていたし、気立ては良かったから、周囲も放って置かなかった。場数で言えば、明らかに他の学生より豊富だったといえよう。

 にも関わらず、彼等の胸はときめいた。その亜麻色に煌きながら腰まで垂れる三つ編みの髪に。背丈は小さいが、各部位の釣り合いが程よく取れた体に。自分達を見る時にどうしても見上げる様になってしまう、その大きな青い瞳に。そしてまだ男を知らぬであろう、蕾のままの初心な唇に。

 ただの喧嘩は、ここに来て決闘へと昇華された。

 しかしながら、ここまで延々と仲違いして来た二人が、たかだか一回剣乃至銃を交えた程度で物事に決着が付く筈が無く、また、本気で誰かを殺められる程達観もしていない。所詮は名前と形式ばかりの学生決闘である。何醒紀も前ならいざ知らず、この十九醒紀の世に、本当の決闘など流行らない。

 周囲の仲間達はそう思っていたし、当事者達の考えも同じだった。少なくとも、半ば冗談交じりの闘いの中で、ミヒャエルが片腕を、ヴィクトルが片脚の機能を失い、義体に換装するまでは。


『出逢った時からの因縁と、テレーゼの事に蹴りを付けよう。全力を持って戦い、俺達のどちらが真に優れてるか決めるんだ。一対一。手段は問わず。賭けるのは自分の命。場所は郊外の森、時間は二ヵ月後』

 二人だけで逢った酒場で、そう切り出したのはヴィクトルの方だった。

 カウンターに半身を付け、ミヒャエルはじっとその言葉を反芻する。

 彼の肘、神経を絶たれ、動かなくなった右手の代わりに装着されている義手は、まだぎこちなさはあるけれど、二ヶ月近い鍛錬によって、以前と変わらない生活が送れる程になっている。

 だが、両手が視界の中に収まる度、ミヒャエルはどうしても思わざるを得ないのだ。

 この機械の体の存在を。そして、自身をこうした相手の存在を。

 それはまた、ヴィクトルの方も同じなのは、木製のジョッキに口を付けながら、何時までも足音を立たせている義脚の左足が証明していよう。だからこそ、この様な提案をして来たのだ。一人で。二人だけで。

 それを似ている、とミヒャエが思うのは、自分もそうしようと考えていた矢先だったからだ。もしヴィクトルが何も言わなければ、彼の方から申し出ていたに違いない。

 だが、下手に似ているからこそ、お互いの差異が許せないのだろう。世界一優秀な土壱の義体が、しかし決して生身へ成りえない様に。形や動きを近づければ近付く程、より違うという思いが増す様に。

『良いだろう。僕も、その条件を受け入れる。それで、何もかもチャラ。そうだね?』

 暫くの後にミヒャエルが頷くと、ヴィクトルは、唸りながら頷き返す。

 そして初めての、また恐らくは最後の祝杯が執り行われた。


 その日から約束の今宵までに、ミヒャエルは人知れず準備に奔走した。

 必要なのは相手を打ち倒す為の武器であり、それを担う為の強靭な肉体だ。純粋な力比べで戦っても、勝機が無い事は、これまでによって良く解っているのだから。そして、その為には金も、体も惜しまない。どうせ義手なのだ。これ以上機械になろうと、構う事は無く、ヴィクトルも言ったでは無いか、全力を持って、と。ならば、家柄も利用して、持てる限りの力を得るまでだ。まず相手もそうする様に。

 そう思い、ミヒャエルは彼方此方に掛け合ったのだが、しかし上手くは行かなかった。

 端的に言えば、時期が悪かったのだ。

 数年前鐘琳で起こされた、戦闘用義体遣い二百余名による大暴動、通称『鐘琳事変』から義体技術は、大幅に規正され、その一年後の規制緩和に至るまで、大量の職人と技術の海外流出という手痛い結果を生み出している。かつてより理論的には可能とされながらも、しかし決して実現出来ていなかった人体の機械化を成し遂げ、義体大国とまで呼ばれる様になっていた土壱は、酷い職人不足に悩まされていた。

 それでも、流行り廃り的な義体換装者が減った事で、人数の頭打ちとなった遣い手を養う程度には優秀な職人が残っていたのだけれども、ミヒャエルが探しているのは、ただの職人でも義体でも無い。人間を超えた力を人体に与えてくれる機械、それを造る物をこそ、彼は欲していたのだ。

 だが、それだけの技術を持つ職人なんて滅多に居る筈が無い。それに度胸もだ。残念な、そして当然の事だが、幾ら緩められたとは言え、明白に殺傷を目的とした義体を製作するのは、違法である。誰々を殺したい倒したいからその為のものを造れと言って、はいそうですか、と何処のどいつが易々頷くだろうか。

 驚いた事に、ヴィクトルの方では、その協力者を見つけた。しかもそれは、実質的義体技術の発明者である稀代の職人、通称『七人教授』が内の一人、グレゴール・ゲルヴィーヌスだという。

 義体に使用される機械要素の超々小型化を行い、より精密且つ精巧な義体製作を可能としただけで無く、後の歯車式人工頭脳及び自動(義体)人形作成に貢献した男、『極小要素の変身者』の工房へ、敵が頻繁に出入りしているとの噂を耳に挟み、ミヒャエルは酷く焦った。

 と、同時に、彼は天啓を得た。誰に願い出ればいいかを、だ。

 ミヒャエルは『七人教授』に、義体製造を依頼する事を決めた。彼等は天才的だが、何処か頭の螺子が外れていると聞くから、きっと受け入れてくれるだろう、と。しかし、ヴィクトルと同じ相手では所詮二番煎じだし、グレゴールも流石に拒否するに違いない。他に誰か、頼めそうな者は居ないか。

 まず『万能の天才』グルムバッハ兄弟は駄目だ。万能の『天才』たる兄ヤーコプは、件の『鐘琳事変』の首謀者であり、ある意味適任かもしれないが、彼はその騒乱の中で既に亡くなっている。『万能の』天才である弟ヴィルヘルムは病的なまでに堅物で、生真面目な人間らしく、頼みを拒否するだろう。そもそも確か彼は、妻ドロテーアと共に世界を旅していると、何時かの新聞で読んだ覚えがある。土壱どころか、皇路覇にも居ないのでは話にならない。土壱に居ないと言えば他二人、『混血の人形造師』モリ・ヴェーバー・Tは華璃(パリ)で芸術的美術的活動に余念が無く、『歯車式人工頭脳の祖父』クリストフ・フォン・アッシェンバッハは美少年と共に至梨亜(イタリア)の何処だかで隠居中だ。第一この二人の専門は、どう考えても闘争を目的には出来まい。『神経糸の生みの親』リヒャルト・フリードリヒ・ダールマンに至っては、1873年の雲院(ウィーン)万国博覧会を最後に消息不明になっている。各国のジャーナリストが血眼になって行方を追っているそうだが、未だにその手掛かりすら掴めていない。一説によると、そんな男など最初から居なかった、その正体はあのヤーコプ・グルムバッハだ、とまで言われているが、真偽の程は定かでない。

 と、聊か脱線し過ぎた気もするが、こうして、ミヒャエルの選択肢は一人に絞られた。

 『超蒸機関への革新家』ハンス・エーヴァルト。

 詠国(イギリス)などで使用されていた従来の蒸気機関に過剰な程の改良を加えた末、最早別物とすら呼べる代物へと発展させた『超蒸機関』は義体に止まらぬ大型の機械の、そして蒸気の貯蓄という発想から造られた『圧蒸機関』は、戦闘用義体を始めとする小型の機械の動力源として使われている。力を求めるミヒャエルの目的には打って付けだ。何も悩む事は無かったのでは、と疑問すら出て来る程度に。

 問題があるとすれば、その偏屈極まりないという性格位だったが、実はそれが決定打となる。

 青年がエーヴァルトの工房を訪れ、事情を説明すると共に、ヴィクトルがグレゴールと組んだ事を告げると、車椅子の老人は烈火の如く怒り狂い、自分の方からこちらへの協力を願い出たのだ。

 どうやら二人の間に昔、何かあったらしい。良い大人が名を出しただけで激怒したのだから、余程の事なのであろう。ミヒャエルに、そんなものを知りたいなどという欲求はついぞ無かったが。


 ともあれ、彼とエーヴァルトはその手を組む事となり、青年は老人によって望み通りのものを得た。

 最初に四肢を義体に換装した。生細い腕や脚を、より肉厚のある、内蔵の圧蒸器で出力を増させたものへと変える。その為の術式は、エーヴァルトの弟子達の手により苦も無く行えたが、後の訓練の方が大変だった。時間が無いとは言え、一度に三つも換装するものでは無い。右手のお蔭で多少ともコツを掴んでいたから良かった様なものの、短時間の間に生身で出来た動作を行うのは、至難の業であった。

 それでも四六時中装着していれば嫌でも技能は充足し、ミヒャエルも今では立派な義体遣いである。

 そして、その間に出来上がったのが、今彼が背負う皮ケースの中の剣だ。

 機械による肉体の代用は、土壱と風蘭守(フランス)による『風土(ふうど)戦争』の折、恒久的な戦力投入の為に実戦で使われ、効果を上げたという(※現在だとこれは時の宰相ビスマルクによる宣伝行為(プロパガンダ)とする意見が強い)が、それとは別に、義体化に伴う身体能力の断片的、限定的急上昇は、この世界に遍く存在するもう一つの異人的要因と相俟って、銃器の持つ遠距離射程と、均衡化された技能的威力の利を緩めつつある。

 今はまだ一般的でないとは言え、やがて戦争の場に確実に響き始めるであろうその問題を対処するべく、示し合わる様に各地で造られ始めているそれら実験的兵器郡に、まだ名は付けられていなかった。

 ただ解り易く、それが持つ意味をそのままに、機巧武具、と、呼ばれる事はある。

 概念としては至極簡単だ。原始的な白兵武器に、様々な機構を施す事で、その威力効率を上げるのだ。例えば、槍の穂先を螺旋状にし、圧蒸機関によってそれを高速回転させるだとか、大槌の反対側に火薬を仕込み、打ち付けると共に着火、打撃部を強烈に押し出すだとか、だ。

 正直な話、そんなものに本当に効果があるのかどうかは、疑問の余地がある。

 大前提としての義体の兵器運用からして研究者の見解は割れており、それに対抗する為の武器に何の意味があるのか。武器単体で見たとしても、人間一人、歩兵一人の戦力を高めた所で所詮は歩兵、国家、世界を震撼させうる戦略レベルの存在になるとは、とても思えない。そうとも言われている。所詮は義体という真新しい技術によって見せられている、田舎騎士物語(ドン・キホーテ)の続き、ともだ。

 けれどミヒャエルにとって、エーヴァルトの手によるこの武具程、頼もしいものは無かった。

 彼は知っている。かつての己であればとても持てなかっただろう、ずしりと重い剣の中に仕込まれた、必殺の一撃を見舞うが為の恐るべき秘密を。今は皮革に包まれ、じっとしているこいつは、機械油と圧蒸気に塗れた龍殺しの魔剣(ノートゥング)だ。研ぎ澄まされたその刃を解き放てば、例え真竜でも無事では済むまい。

 よしんば、それを使う相手が、紛いなりにも人間であれば……これはもう何も言う事は無い。


 戦略がどうのこう、意味が何やかんやなど、彼には興味無い。

 あの男に勝てるのならば、それで良いのだ。

 その為の力は、充分にある。少々多過ぎる程に。

 依然走り続ける馬車の中で、ミヒャエルはにやりと笑みを浮かべる。彼の脳裏には、ヴィクトルという竜を討ち取り、テレーゼ姫を迎え入れる勇ましき自分の姿が、ありありと映し出されていた

 

 かく語っている間に、馬車は目的の場所へと到着した。

 ミヒャエルは御者へ向けて礼と金を渡すと、皮ケースとランプを持って、外へと降りる。

 森は、遅れてきたとは言え近代国家の首都である鐘琳の近くにあるとは思えぬ程の豊かさを持っていた。自然と融和する事無く対峙した上で、それを尊重するのは、土壱と土壱人の思想なのだろう。

 その半ば手付かずがままに残っている木々の間、昼間であれば散歩道として、歩き好きの国民達が利用している土の踏み固められた道の上を、ミヒャエルは黙って歩いて行く。ランプから毀れ落ちる光は暖かな色と明るさを誇っており、月も星も出ているとは言え、この時間には在り難い。途中から林の中へと踏み込み、道無き道を進むのならば、尚更である。

 一見すると何の変哲も無い足取りで、しかし良く見れば、自然剥き出しの地面に覚束無い足取りで、ミヒャエルは奥へ、奥へと向かった。待合の場所は事前に確認したけれど、夜に来るのは初めてだ。暗闇には慣れて来ているけれど、方向はこれで良いのだろうか。

 そんな疑いが杞憂だったと彼が気付いたのは、向かう先に見えた一つの明かりのお蔭だ。

 自分が手に持つランプの光と同じ輝きが、この先の、少し上から差し上っている。

 間違いない、あそこだ。ミヒャエルは皮紐を握り直すと、足早に進んだ。

 そうして邪魔な枝葉を掻き分けると、そこは樹木の隙間にあるちょっとした広場で、彼が来た側の対岸にはヴィクトルが、頭上の枝に結んだランプの照明を受けて、じっと佇んでいる。

 彼は腕を組み、その彫りが深く、色の濃い顔をじっと閉じていたが、ミヒャエルが来た途端、瞳を開けて身を起こした。最後に逢った時、殆ど変わらぬ姿で。変わっているのは着ている外套の色位である。

「……遅かったじゃないか。臆したかと思ったぜ」

「悪かったな。ちょっと寄る所があったのさ……所で、その体は生身かい? 例の脚以外はさ」

 そう言って、懐から取り出した懐中時計を見詰める男を、ミヒャエルは奇異の眼で見る。自分が施した様な強化を、ヴィクトルは何もしていないのだろうか。あの義脚は、相変わらず爪先を打ち付けているが。

「嗚呼、あれ以来、義体化はしていない。多少、カラクリは仕込んだが」

 ミヒャエルがランプを枝に括りつけている間に、彼は応える。ただそっと、外套の中に手を入れる。

「傷付いてもいないのに、生まれながらの体を捨てるのか? それは馬鹿のする事だ。そんな事をして得た所で、生来の動きを行うまでには戻るまい……鈍るだけだ」

「……一々癪に障る事を」

 痛い言葉に、ミヒャエルは舌打ちした。確かに、まだ精密な動作を行える様なレベルには達していない。だがその代わりに、余りある力を手に入れたのだ。小細工の一つや二つ、簡単に蹴散らしてくれる。

 彼は地面に置いた皮ケースを開けると、あの断頭台が如き剣を取り出した。片手で柄を握り締め、易々と持ち上げれば、肩へ背負う様に、降り構える。

 対するヴィクトルが外套より取り出したのは、細身の杖の様なものだった。柄があり、引鉄があり、鍔に二つの圧蒸缶が付けられている所を見ると、あれも機巧武具の一つなのだろうが、肝心の刃が無い。片側が何かを嵌め込む様に縦に凹んではいるが、それだけである。質量兵器として使うには聊か無理のあるその形状からすれば、あって然るべき筈のものが無い。これでは本当に唯の杖では無いか。それとも先端に、何か仕込み……杭か針か、或いは銃か……でもあるのか。

 眉間に皺を寄せて、ミヒャエルが訝しがっていると、ヴィクトルは両手でそれを握り、下段に構える。

 右手を上にして柄を握れば、彼はその人差し指を持って、引鉄を絞った。

 瞬間、甲高い笛の音色と共に、一瞬にして杖の片側に白い刃が形成される。

 ミヒャエルは驚きに眼を見開いた。一体あれは何なのかと。

 そうして瞳を凝らすと、直ぐに白刃の正体は察せられた。

 笛の音を響かせながら、凹みの下から上に向けて怒涛の如く流れ込んでいるそれは、蒸気だった。如何なる原理か、高速で蒸気を噴出する事により、刃の形を作っている。それがどれ程の威力、切れ味を持っているかは、剣と化した杖の前方から掻き鳴らされる、風切り音が証明していた。

「……圧蒸式流刃剣ヘイムダル。そう、グレゴールは呼んでいた」

 愕然とした表情を受けるミヒャエルを前にして、ヴィクトルはそう淡々と告げた。

 ヘイムダル。

 北皇神話に登場する神々の一柱。

 九人の波の娘が生み出した世界の監視者。

 あらゆる身分の人々を創り出した人類の守護者。

 王たる者へ栄華と破滅を約束する銀剣を与える者。

 あえて義体化を断り、人の身のままで決闘に挑もうとする、ヴィクトルの剣に相応しい名では無いか。

 額から浮き出た汗が、雫となって頬に垂れるのを感じ、ミヒャエルは思い返す。

 エーヴァルトがグレゴールを指し、一つの挿話を持って何と言っていたのかを。


「まだ義体技術が確立されていなかった頃、奴は、グレゴールは、その反対相手にこう言われたそうだ。人体を機械で代用するのは不可能だ、人の体は時計とは違う、腕を造るのに一体幾つの部品で造るというのか、それとも歯車と螺子その他諸々で地球を覆い尽くすつもりかね、と。それに対し、奴はこう応えた。にやにやと、下卑た笑みを浮かべながら、なら歯車と螺子とその他諸々を小さくしましょ、それで万事解決じゃぁないですか、とな。恐ろしい事に、奴はそれを実現しおった。今じゃ、奴の機械要素抜きに義体は語れん。この車椅子にすら奴の歯車が使われている位だ。奴は確かに凄い。人々の常識の裏を付き、冷や汗を流させる様な、悪夢めいた発想力と実行力を持っている。執念深さと集中力の点において、ヤーコプには劣るが、それでもグレゴールは天才だ。嗚呼認めようじゃないか、癪だが、な――」


 正にその通りであり、ミヒャエルは嫌な汗が背中にまで溢れているのを覚えている。

 一体何処の誰が、動力そのものを武具と化すなどと、考え付くだろうか。いや、グレゴール以外に他にはいまい。ヴィクトルは、実にとんでも無い相手を味方に付けて来たのである。

 だが、

「……なかなか凄いじゃないか。けれども、ね」

 そんなものを一方的に見せ付けられ、黙っていられるミヒャエルでは毛頭無かった。

 時を経て、幾分落ち着いた彼は、ぺろりと唇を舐めると、剣を肩から背の方へ、ゆっくりと下ろして行く。義腕の力だけでそれを支えながら、右手で上げるのは、拳銃の撃鉄に当たる部分で、妙に重たいそれが上げられると、ほんの僅かだが、刃の部分が浮き上がった。

 そして彼はもう一方の手も柄に添えると、

「僕のこいつも、なかなかなんだよ!」

 肘関節を急旋回させ、一気に前方へ剣を振り払った。

 同時に右の人差し指が引鉄を引けば撃鉄が穿たれ、刃を覆う装甲に開けられた穴から蒸気が毀れる。

 弾丸の如く、刃が押し出された。

 正面から見ると一本の線にしか見えぬ巨大な飛翔物は、身構えたヴィクトルの横をそのままに過ぎる。

 その数秒後から断続的な切断音が響き渡り、何本かの大木が音を立てて大地に倒れた。

 振り向いたヴィクトルが、後方に広がる風景に言葉を無くしている様子へ、ミヒャエルはくすりと微笑む。内心これはやり過ぎな気もしたが、力を見せ付けるという意味では合格だ。

 義手の首関節を半開きにし、手ごと剣を回転させて背負い直してから、彼は言う。

 今思い付いた、この剣に相応しい名前を。大仰な相手のそれに相応しい、その名は、

「圧蒸式飛翔剣グナーヴァル。これから僕はこいつをそう呼ぶ事にするよ」

 グナーヴァルとは、ヘイムダルと同じく、北皇神話に登場する女神グネーに由来する言葉で、自由気ままに天を駆け巡り、九つの世界を行き来する彼女を元に、『高く駆ける者』を意味している。

 刃を投擲する剣とは、蒸気を刃と成す剣程にも馬鹿げた発想だが、そんな事が出来るのも、圧蒸機関の発明者だからこそ、だ。そして、その威力は御覧の通り。動力源としての性能を何処までも高め続け、そこから空を駆け抜けて行く刃は強力無比であり、只管に力を求めたミヒャエルに良く馴染む。

 彼は、グナーヴァルを握る手を動かすと、新たな刃を装填した。装甲に覆われているから、外側だと酷く厚く見えるが、実は一枚一枚の刃はかなり薄く、日本刀並である。加えて、その強度も。ゾーリンゲンの刀鍛冶に依頼したのはその為であり、グナーヴァルの中には合計九枚の刃が納まっている。今『一刀』したから、残るは八枚。基本的に刃は使い捨てで、一度撃ったらその場での補充は効かない。全て撃ち尽くした場合、ミヒャエルの手に残るのは、機構も何も無い鉄の塊である。

 それだって人一人を殺すには充分な得物だが、そこまでするつもりは無かった。

 八本の刃だけで決着を付けてくれる。

 ミヒャエルは空いている腕をヴィクトルへ向けて伸ばすと、その掌を上に向けた。金属の中指を天へと突き出し、自分の方へくいくいと軽く動かす。嘲笑的な、明らかに誘っている笑みと共に。

 彼の方も既に冷静さを取り戻していた様で、無言に内に頷けば、宿敵の喉下へ剣先を向ける様に、身構えた。蒸気の浪費を防ぐ為か刃は造られていないが、ほんの少し指を動かせば、それで済む話だろう。

 準備は整った。

 対峙する二人の青年の顔が引き締まって行く。

 互いに手の内の大半は晒したのだ。

 後は、それを行使し、勝利するまで。

 

 決闘はこうして幕を上げ、最初に動き出したのはヴィクトルの方だった。

 彼はヘイムダルを後方に向けつつ、身を屈めながら、ミヒャエルへ向けて疾駆する。

 片方が義脚とは思えぬ走りだ。

 成る程、先の言葉には一理も二理もあった様だ。ヴィルヘルム・グルムバッハの妻、『史上最強の義体遣い』ドロテーアの伝説には及ばないが、義体遣いヴィクトルの腕、いや脚は相当なものである。

 だが、そう易々と接近出来ると思ったら、大間違いである。

 ミヒャエルは左手を柄に添えた。

 脚を開いて、重心を後ろへと傾ける。

 義体にしてから、体の動かし方が解って来た為、するりと流れる様に体勢を映せる。

 後は僅かに息を吸って止め、敵が近付くのを待つ。

 出来る限り、相手が避けられないだろう距離に近付くまで、耐えて溜めて――

 来た。

 彼我の距離が五メートルを切ると共に、ミヒャエルはグナーヴァルを振り被った。

 先程と同じ手順を持って刃を放てば、斜めに走る一線がヴィクトルへと向かう。

 ただ、その時には相手ももう動いている。

 飛んで来る刃の塊へ向けて、振り上げる様に彼はヘイムダルを振った。

 後ろから、半円を描く様なその刀身に、白き刃が注がれる。

 二つの刃が虚空で触れた。

 しかし、ぶつかり合わない。

 ヴィクトルは、くんと身を捻ると、刃の翼を軽やかに受け流した。

 轟音と共に大地を抉りながら、森の奥へと消える一刀をちらと見、ミヒャエルは舌打ちする。

 これで撃てるのは後七発だ。

 だがまずは、肉薄して来た敵をどうにかせねば。

 ミヒャエルは降り終えたばかりの両手首を百八十度回転させた。

 そのまま横合いに振れば、この隙に来ていた白刃と激突する。

 ヘイムダルとグナーヴァル。

 初めてまともに交叉した二つの刃は、前者の方が有利であった。

 凄まじい勢いで下から上に流れ込む蒸気は、薄いがしかし軟くも無い鉄の刃先を削って行く。

 徐々に、徐々に侵食し、迫り来る白刃。

 それがミヒャエルの金髪を数本散らした時、機構が炸裂した。

 受け止めながら片指で補充されていたそれは、ヘイムダルごとヴィクトルを押し飛ばす。

 くっ、と歯を剥き出させながら、彼は元居た場所へと戻って行く。

 その間に、ミヒャエルは四発目の刃を装填した。

 射出は出来るけれど、流石にそれだけで、あの刃を絶つ事は出来ない。

 全身全霊を込めた振り被りがあって、初めてグナーヴァルは真の威力を発揮するのだ。

 ミヒャエルは、柄を握り直すと、手首関節を開放し、回転し始めた。

 それに伴い、廻る剣は、まるで風車か、或いは車輪の様。

 やがて極限まで高まった遠心力は、戦闘用でも無ければ、直ぐに飛んで行きそうな程だ。

 そうなるのを堪え、再び溜めると、ミヒャエルは刀身を前から横へと向ける。

 自分から見て逆時計回りを描く刃が、彼の視力では完全な円と化す。

 その時を持って、ミヒャエルはグナーヴァルを解き放とうとした。

 だが、思いもがけぬものによって、それは思い止まれる。

 何時の間にか、ヴィクトルが目の前に居た。

 ヘイムダルを後ろへ向け、直ぐにでも振り下ろせる体勢で。

 あの刃をもう退いたのか、と動揺しつつ、ミヒャエルは刃を前に戻した。

 もうそれは剣というよりも、立派な盾である。

 仮令回転式多砲身機関砲を持ってしても、その盾は突破されまい。

 ミヒャエルはそう思った。

 凄まじい蒸気の噴出と同時に破砕音が高鳴り、刃が弾き飛ばされるその瞬間まで。

 馬鹿な、という言葉が、彼の頭の中を埋め尽くす。

 そうして浮かび上がった疑問詞は、ヘイムダルの鍔を見て氷解した。

 先程まで二本しか付いていなかった圧蒸缶が、五本にまで増えている。

 視線を向ければ、三発目の刃は真っ二つに切り落とされ、大地に刺さっていた。

 蒸気圧を増させる事で、刃の威力を高めたのか。この状況下で、咄嗟に……。

 衝突の衝撃で仰け反る体を抑えながら、ミヒャエルは感嘆した。 

 だが、賞賛を送っている暇は無い。

 敵の刃は依然勢いを保ったままであり、ヴィクトルは反動を利用して更に振り被っている。

 自らも止まっては居られない。

 後ろへ下がろうとする体を利用し、ミヒャエルはぐるりと廻った。

 間に刃を向け、引鉄に指を絞る。

 再び前が見えた時には、ヴィクトルの方も正に今剣を振ろうとしている。

 止まる暇も理由も最早無かった。

「グナーヴァル!」

「ヘイムダル!」

 二人の戦士は、咆哮と共に、互いの刃を重ね合わせた。


 結果は、見事なまでの相打ちである。

 白亜の刃は飛沫を上げて四散し、羽根の刃は中空を舞って何処に消えた。

 その担い手を、己が背後へと引き戻して。

 地面に二本の線を描きながら、ミヒャエルは下がった。退けられた、とも言うが。

 漸くにして止まれたのは、ランプを吊るした木が受け止めてくれたからである。

 枝が揺れ、光が移ろい、影が動く。

 強かに打ち付けられた背中に眉を顰めながら、彼は前へと半ば慌てて視線を向けた。

 まさかもう来ているか、と思ったのだけれど、状況はあちらも同じである。

 ヴィクトルは、ヘイムダルを支えに、片膝を付いて息を切らせていた。その外套の内側に付けられているのは、無数の圧蒸缶である。先の強化は消費を早めるのか、足元には空の缶が転がっていた。

 その内の一本がコロコロと転がって来たのを脚で止めてから、ミヒャエルは唇を開いた。

「……凄いね、枝みたいに細い剣の癖に頑張るものだ……馬鹿じゃないか、って思うけどさ」

 聊か規格外とは言え、どちらも所詮は唯の学生である。とても直ぐには動けない以上、小休憩を挟む必要があった。その為の時間稼ぎとして話を振ったのだが、驚嘆しているのは事実である。

「……細いのは何処のどいつだ? いや……お前の方こそ、そんなでかい剣を良く振って見せる……俺には、とてもじゃないが、出来た芸当じゃぁ無い……褒めてやっても、いいんだが?」

 そうして、それはヴィクトルも一緒か。ゆっくりと息を吐きながら、彼は立ち上がると、事もあろうにミヒャエルへ向けて笑みを浮かべた。嘲りでも何でも無い、純粋な笑みを、である。

 止せよ照れるじゃないか、と、彼は返すが、実際相当意外だった。この男が、ずっといがみ合って来たこの男が、こんな言葉を言うとは、俄かに信じ難い。それに対し、普通に応える自分も含めて。

 恐らくそれはこの戦いの所為である。

 ミヒャエルもヴィクトルも、言ってしまえば唯の餓鬼だ。世間知らずで、気苦労を知らぬ、まだまだ未熟な。それだからこそ違う事が許せない。許せるだけの心のゆとりが無かった。しかし、常人であれば九回位は死んでいるだろう決闘の中で、瑣末な違いを気にしている余裕も無くなった。丁度途中から、自分が義体である事を厳密な意味で気にしなくなっていた様に。皮肉であり、何とも遠回りな事だが、若気の至りとも言えるこの行為によって、彼等は一歩、大人になっていたのだ。

 それを自覚しているかどうかは解らないけれど、ミヒャエルは笑みを浮かべたまま、首を傾ける。

 視線を上に向ければ、満天の星空の中に月が優雅に浮かび上がっている。

 視界の片隅には、人の手によって創り出されたランプの暖かな光が入り込む。

 自然と人工の光の両者を受け入れるミヒャエルの心は、自然と穏やかだった。

 このまま、ヴィクトルの命を奪う事も無く、全てを洗い流してしまっても良い、と。このまま、二人で酒場まで繰り出し酒を飽きる程呑んで、朝になったら仲良くテレーゼに愛の告白をしに行っても良い、と。

 彼はそう思った。体は疲れ切っていたが、静かな気持ちで胸が一杯である。

 けれども、と、彼はグナーヴァルを握った。

 握り、刃を装填し、再び背負い込む。

 嗚呼成る程、今ならば何もかもチャラにしてしまっていいだろう。誰もそれを咎めまい。

 けれども、それはヴィクトルが言い出したならば、だ。

 彼の方から引き下がるのは誇りを、今まで敵対して来た自分の誇りを傷付ける行為だ。そんなに易々と心変わりしてしまっては、一体今までのは何だったのかという事になってしまう。それだけは出来ない。

 ミヒャエルは、汗で額に張り付く前髪を分けながら、ぐっと奥歯を噛む。

 我ながら子供だ、と彼自身感じていたが、子供で無かったら、そもそもこの場には居ない。

「……休憩は終わったか? 待ちくたびれているんだがね」

 声がして、顔を上げれば、やはりヴィクトルの方も同じだった。彼は新たな圧蒸缶をヘイムダルへと装着している。数は、先よりも一つ増して六つもだ。五つはぐるりを囲う様に鍔に。一つは柄の下方の先へ。

「はん、何を言っているのやら……それは僕の台詞だよ、勝手に取るな」

 それに対し、ミヒャエルは言い返すと、グナーヴァルの引鉄に人差し指を添えた。

 深く息を吸い、そして吐き出す。

 終わらせられた決闘は、結局再開された。

 その良し悪しを問えば、答えなど明白だが、あえて間違いを提出する。

 もうこれは意地であり、始める前に出した思いを成就するより他は無いのだ。

「さ、それじゃ改めて……始めようじゃないか、ヴィクトル・ゴルツ!」

 ミヒャエルはかっと眼を見開けると、叫び声を上げる。

 そうしてグナーヴァルの翼の刃は、待ち受けるヘイムダルの白刃へと、五度目の飛翔を告げ――


 何処か遠くから、しかし近くからとも思える奇妙な物音をテレーゼは耳にし、はっと身を起こした。

 今は解かれ、腰まで波打つ髪に手をやりながら、さっきのは一体何の音かと頭の歯車を軋ませる。

 それは、何かと何ががぶつかり合った様な感じの音だった。それが何なのかは具体的には言えないが。

 しかし妙な話だ、と、テレーゼは小首を傾げていた。

 が、その時間も、僅かに数秒程度である。

 解らないものは解らないと認め、さっさと忘れてしまう。彼女の主義はその様なものだったから。

「どうした? テレーゼ。行き成り起き上がって、何かあったのか?」

「え、あ、うぅん、何でも無いよ。何でも、うん、気にしないで……」

 そして彼女は、一、二度首を横に振って先の物音の事を頭の中からすっぱり閉め出してしまうと、妻子ある筈の喫茶店主人が逞しい胸元へ、己の乳房を押し付け、その腕の内に優しく抱かれるのであった。

始めましての人は始めまして、そうで無い人は今晩は。前世を占ったら内気な独逸人とか出てYeanな木野目理兵衛で御座い。

さて、まずはここまでお読み頂き、ありがとうございます。

今作ですが、兎に角、自分の好きなものをぶち込んで見たという作品ですな。普段から趣味全開といえばそうなのですけれど、この作品に限って言えば、最初からあの二つの変機械ありきでありました。主人公のあれは、ファンタジー要素でよくあるビーム状の飛ぶ斬撃をどうにか再現出来ないかと考え、思い付いたものです。結構あるかな? 実際出来るかは知りませんが、どうなんでしょうかね? ライバルが使う、ライトセイバーならぬスチームセイバーは、ちょっと自分でも調子に乗り過ぎた気がしないでも無いですが。

まぁともあれ、自分が好きな事を好きな様に描いてみただけではありますが、ここまでお読み頂いた方の心に一抹でも触れれば、これ幸いです。


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