正騎士勇者様、人生の墓場に至る。
久しぶり
ヒト族最大の王国では、上へ下への大騒ぎが起こっていた。
原因は、世界を救った勇者の結婚式。片田舎の村で行われるはずだったそれだが、どこから広まったのか、王都中で自分達も祝福したいという声が生まれ、紆余曲折の果てに王都でパレードのような結婚式を行うことになった。
「何が勇者だ……魔王じゃねえか……」
「国をあげてのパレードとか、緊急補正予算案件……」
「くそう……俺なんて死霊みたいにやつれてる人は無理ってフラれたのに……」
そして、例によって例のごとくそれによって被害を被るのが、文官長率いる会計課の面々だ。
国をあげてのパレード。終戦直後で様々な用途に国庫が使われている最中のこれは、会計課の文官の毛根を確実に死滅させていた。
「軍部の連中がやけに張り切って色々やらかしやがるし……」
「祝砲が空砲だから金かかんねえと思うなよ……空に文字を描く儀式魔法ってなんだよ。無駄な上に触媒数えげつねえよ……」
「臨時で人手も必要で……あっ、これは日雇い労働者に金を回せますね」
「おっ、そうだな。だったら最大限民間に金が回るようにするか」
戦争という巨大な需要が減ったことによる、労働力の供給過多。それを修正し、経済を正しく循環させるのも国の仕事だ。その手段としては公共事業などがあり、会計課は今回のイベントをその一貫として利用する方針を固めた。
企画書は、宰相に提出する書類を文官長が用意し、別口で王女様に提出する書類をワイト氏が用意する二段構え。これで通らなかった企画は今まで一つもない。会計課の切り札だ。
公共事業の一貫とすることで、そのための予算枠から費用を捻出でき、補正予算の手間が減る。別の公共事業での予算圧縮が必要になる可能性があるが、国民のためと余裕を持たせた予算がカツカツになるほど使用されているあたり、不正に流出している予算を減らせばいくらでも捻出できる予定だ。会計課が本気を出せば予算関係の不正は幾らでも摘発できる。
以前は、会計課の面々に賄賂を持って近づいてくる者や、家族を盾に脅すような輩もいたため、あまりその手の告発はしていなかったが、魔王殺しの大魔導師と聖女の王女様というカードを手に入れた会計課に、怖いものなど不況と書類の不手際しかない。
「良いよなぁ。勇者様は結婚式の金まで国が出してくれるんだぜ?」
「……結婚式……うっ、頭が……」
「どうしたワイト。お前に痛む頭なんざねえだろ」
「いや、結婚式と聞くとどうも引っ掛かりまして……指輪を買わなければいけないという謎の衝動が……」
「絶対買うなよ? よしんば買っても姫様に渡せよ?」
ウンウンと頭を悩ませるワイト氏。ワイト氏は生前も独身だ。婚約者がいたが、勤めていた商会の関係だったので、感情のある結婚では無かったのだろう。なのにこの感情は何かと疑問は尽きなかった。
「ん……? ワイト、ここの計算間違ってる……ぞ……?」
「「「「え!?」」」」
「すみません……」
文官長も含め、全文官が震撼した。ワイト氏の計算能力は人外だ。七桁以内ならあらゆる四則計算を十秒以下で解答できる。本人いわく九九を百の段まで覚えれば余裕という話だが、文官長以外誰も真似できていない。
そんなワイト氏が計算を間違えるなど、会計課にワイト氏がやって来てから初めての事態だった。文官長も、自分で計算をし、何度も検算をした上で、まだ自分を疑っているほどだ。
「ワイト、帰れ。今すぐに! 命令だ! 休め! どうかしてるって! な? 体壊しちゃ元も子もねえよ。社員は資源。やばいんだったら周りに言っていいんだぞ?」
「そうだワイト氏! キツいんだったらみんなで分かち合えばいい。全員揃って、俺達会計課だろ!?」
「皆さん……」
ワイト氏は感動していた。魔国時代にはあり得ない光景だ。まるで奴隷……いや、奴隷以下の使い魔のように仕事を押し付けられていた魔国。しかし、秩序ある王国の会計課は、こんなにも温かくワイト氏を労ってくれた。
「お前がぶっ倒れて書類複製骸骨壊れたら洒落になんねえしな!」
「お茶汲み骸骨が止まったら泣くし!」
「死霊室の便利骸骨いなかったら誰が資料を管理するんだよ!」
「あと、俺が姫様に頭下げなきゃなんねえだろ! 最悪クビが飛ぶわ! 物理的に!」
「お前ら……」
あまりにも利己的な会計課の面々に、ワイト氏は思わず素で呟いた。
なお、書類を複製する死霊は他の部署からも重宝されており、ヒト族と違って指示が明確ならミスを犯さず、愚痴も言わずに淡々と仕事をこなす雑務死霊は、会計課のみならずあらゆる部署から配備を切望されている。
「ご心配なさらず。気持ちを切り替えて、しっかり働きますとも。勇者様の機嫌を損ねて消されたくありませんから」
ワイト氏はかねてより勇者様を恐れているが、その恐怖は魔王城での一戦以来、より大きなものとなった。
闇属性の完全吸収。空間破壊。ワイト氏の苦手な要素をこれでもかと盛り込んだ聖剣を操り、上司である聖女様のバックアップを受けた勇者など、例え魂格が1000あっても相手にしたくない。
「お前本当にビビりだよな。知り合いなんだろ? 勇者様」
「ええ、まぁ……ですが、根元的な恐怖がありまして……」
そもそも勇者とは、聖霊の力をもっとも引き出す装置だ。本体となる聖女の加護を最大限にまで受け入れ、聖霊の力を攻撃力として扱う、聖女の剣である。根本からして、ワイト氏の命を脅かす存在なのだ。
ワイト氏は強くはない。一般兵士でもまともな鈍器で原型がなくなるまで殴れば殺せてしまうし、勇者や聖女の魔法を受けては一溜まりもない。防御魔法は使えるが、うっかり一撃でも貰おうものなら即死ものだ。
もしワイト氏がまともに変異を重ね、実体を持たず、神性という人類からのあらゆる行為に対して耐性を持つ属性を帯びた『グリムリッパー』にまで至っていれば、勇者に対しても優位に立てるのだが、今になってもワイト氏の変異恐怖症は治らない。デスプリースト先輩の残した爪痕は深い。
「震えんなって。そういやお前、祝儀ってどれくらい出したんだ? 勇者様相手の祝儀とか、各貴族から冗談だろってくらいの金額が送られてるんだが」
「目出度い門出に死霊から贈り物」
「出せねえよなぁ……ほ、ほら? 死が二人を別っても的な?」
「知ってますか? 勇者や聖女と肉体関係を持つと、聖霊の加護が付くんですよ……死霊にできません……おそろしや……」
「マジか。つか、上層部が勇者の素質が遺伝しねえかって思ってるんだが、実際どうなんだ?」
「……勇者の本体は聖女様ですし、聖女が代替りしない限り、ある程度の加護への適性は保証されますよ。流石に不純物が混ざるので、オリジナルよりは弱くなると思いますが」
「マジか。勇者の本体って聖女様なのか。知らなかったわ」
「ええ。なので最適解としては、聖女と勇者が結ばれることです。この場合、もっとも凶悪な勇者が数代続きます。もっとも、聖霊が聖剣を起動する案件にならなければ、光属性最強の魔法戦士止まりですが……」
「聖剣が起動する案件……魔王か」
「正確に言えば魔族によって生まれる人類の嘆きやら苦しみですね。あと、その原因になりかねない対象が敵の場合も効果を発揮します」
「……その対象、お前入ってね?」
「……ええ……まぁ……」
入っているどころか、聖霊視点からすれば、闇属性が薄く、聖霊に害を及ぼす能力の低い魔王よりも、存在するだけで聖霊や精霊を殺し、呪いを蓄えるワイト氏の方がよほど脅威だった。
そのため、勇者が聖剣を持ってワイト氏に近付くと、さあ倒せと言わんばかりに聖剣は光輝く。
「なので、是が非でも結婚式に満足していただかなくてはならないのです! すでに隣の国の姫騎士様に依頼して、少なくとも帝国からの暗殺者を全面カット! 隠密性と呪殺性に優れた犬神氏を極東からお招きして、他国の暗殺者を牽制! 風神様と雷神様に拝み倒して天候も晴天を確定! ドラゴンにも死霊にも、何人たりとも邪魔させません……!」
「お、おう……あのさ、その天候操作、わりと国家規模で役に立ちそうなんだが……」
「風神様も雷神様も力を持った妖怪であって、本物の神ではないので、自分の領地以外の天候を動かし続けるのは困難かと」
「いや、それでもな……? いや、もういい。仕事増えても面倒だ。つか何気帝国の上層部動かしてんじゃねえよ。ちょっと怖いわ」
「この間お会いしましたのでついでに……倉に死蔵していたヒト族化の薬を差し上げたら快く引き受けてくださいまして」
「……その薬、お前に使えねえの?」
「私は一瞬でも生者に戻れば自分自身の呪いで自滅しますので。むしろ、お盆にどうして戻れるのか、不思議で仕方がありません」
「そうか……ヒト族に戻れれば、お前も魔王殺しの大魔導師様って具合に参加できるのにな」
「そうですね」
そう言いながら、書類を取り出すために開けたワイト氏の引き出しのなかに、ワイト氏にはとても似合わない高級そうな小箱があることに文官長は気がついた。
そう。まるで、恋人に贈る指輪を納めるような、そんな小箱だ。
「おい。ワイト、これ……」
「ああ。謎の衝動に抗いきれず、つい……」
文官長が小箱を開くと、燃えるように赤い宝石の指輪が、光を受けて煌めいた。
そうして、王国はついに勇者様の結婚式の日を迎えました。勇者様と花嫁さんを乗せた馬車が通る大通りには、この日のために集まったたくさんの人達が、勇者様の登場を今か今かと待ちわびています。
天気は二人の門出を祝うかのような、雲一つ無い快晴。空からは聖霊の光を帯びた花びらが降り注ぎ、街を幻想的に彩っています。
「あっ、死ぬ……王都中に聖霊の加護が……」
「しっかりしろワイト! 気を確かに持て!」
無論、ワイト氏の呪いはその程度で滅びません。この程度で滅ぶなら、聖女様の近くにいるだけで消えてしまうでしょう。ですが、気分の問題です。ヒト族で言えば、吸うだけで肺が汚染されるような大気を吸っているような、そんな状態なのですから。
「目出度いときに死人なんて出すなよ……」
「そもそも死人です……ジョン達を連れてこなくて良かった……」
お偉いさんに逆らって会計課に左遷された文官長は、祝福の席でも針のむしろなので、ワイト氏と一緒に、少し離れた見晴らしの良い場所からパレードを見ていました。
ですが、文官長は知りません。ワイト氏を通じて王女様への伝を手に入れ、ワイト氏という文官の最強便利ツールを保有する文官長は、今や左遷された窓際文官と笑われることもないのです。
「嫁さんも美人で、羨ましいねぇ。確かもう腹に子供がいるんだっけか?」
「ええ、紛れもなく勇者様の子供です。確実に勇者様の子供です。奥様はしっかり待たれていましたとも」
「お、おう……噂じゃ実は勇者様の親友との子供って話が……」
「デマです。勇者様の親友の想い人は勇者様なので、それは心配ありません」
「別の心配が急浮上したんだが!?」
「大丈夫です。勇者様が使命を果たしたあと正騎士になると知って、その想いの力で正騎士に登り詰めた猛者ですが、きっと、恐らく……」
しばらく騎士の宿舎には近づけません。文官長には家族がいるのです。万が一にも純潔を散らすわけにはいきません。
「な、内容も豪華だなぁ。国王からの祝辞。友人枠で姫様の祝辞。帝国の皇帝からの祝電発表に、近隣諸国からの贈り物……すげえ何あれ。ヘビ? ドラゴン?」
「極東の黄金像ですね。龍です。私が運びました」
「やべえな。あれ全部金? 鋳潰して予算にしてぇ」
罰当たりなことですが、一般家庭に黄金像があっても意味はありません。鋳潰して予算にした方が世のため人のためです。
「俺らの贈呈品、あれのあとだと霞むな」
「まあ、こういうのは気持ちですので」
王国文官一同から、新郎新婦には家具が贈られました。自国の職人にお金を回しつつ作られたプレゼントで、生まれてくる子供が怪我をしないよう、様々な配慮を施した一品です。少なくとも黄金像よりは役に立つでしょう。
「おっ、勇者様なんか喋るっぽいぞ」
「空間魔法で実質距離を近付けます。それで聞こえるでしょう」
「便利だなー。お前」
大きな馬車の上で、白いスーツに身を包んだ勇者様が、声を広げる魔法を前に、おほんと咳払いをします。
「えー、みなさん。この度は、自分と妻の門出を祝して頂き、本物にありがとうございます。国王陛下や各国の皆様からの祝福、とても嬉しく思います。実は、口下手なわたくしですが、この場を借りて、感謝の言葉を伝えたい方がいます」
誰だ誰だと沸き立ちます。この目出度い日和に、勇者に感謝の言葉を授けられるなんてとても光栄なことです。
「わたくしは、救世の旅として、魔王を倒しました。しかし、それはわたくし一人では到底成し遂げることのできない偉業でした。聖女様や守護騎士、姫武将に支えられて、魔王に立ち向かうことができました」
どこかで『ところで勇者君はいつ噛むの? まひょ……うって』『黙れ守護騎士』というやり取りがありましたが、ほとんどの人には聞こえていません。聖女様が顔を赤くしたくらいです。
「ですが、あの戦いの最後には、もう一人の仲間ができました。とてもシャイな仲間で、皆さんの前に姿を現すことはありませんでしたが、彼がいなければ、魔王は倒せず、こうして誰一人失われずに、この幸福を得ることはできなかったでしょう」
ワイト氏が撤退準備を始めました。文官長がそれを羽交い締めにして引き留めます。ワイト氏は死霊を召喚してまで文官長を引き剥がそうとしますが、王都中に溢れる聖霊の祝福のせいで、死霊達は思うように力が出ません。
「この場を借りて、彼に感謝を。ワイトさん、ありがとう。貴方のお陰で、こうして彼女と結ばれることができました」
結婚式は大盛り上がりです。万雷の拍手とともに、ワイト氏コールが響き渡ります。 ワイト氏はとても光栄でも震えるほど嬉しく思いましたが、噂程度でしか無かった魔王殺しの大魔導師の存在が国民に認知されたことに、別の意味で震え上がりました。
「ほら、感謝されっぱなしで良いのかよ。ちょっとくらい個人的に祝福してやれよ。魔王殺しの大魔導師様」
「文官長……わかりました」
ワイト氏は、空間魔法で家の倉からとある品を取り寄せます。いつぞやの聖女の使い魔であったフェニックスからジョンが噛み千切った不死鳥の尾羽から作られた羽ペンです。
永遠を意味する不死鳥。死が二人を別っても。不滅の炎は、ふたりの幸福が尽きぬようにと祈りを込めて。
その贈り物を、ワイト氏はそっと、空間魔法で届けました。
(サイレント書籍化成功……詳しくは活動報告にて……バレてない……)