エレジー先生と雪まつり
近くに学童クラブができたので、子どもの患者が増えてきた。厄介だな、とエレジー先生は思う。子どもは小さいので、見落としてしまうことがある。診療を終えて帰ろうとした時に、待合室のソファーの下に一人隠れているのを見つけたこともあった。
マユキ君は、そんな子どもたちの中でもひときわ小さかった。手足はマッチ棒のように細く、顔立ちもあどけない。
「一人で来たの?」
「はい。もうすぐ三年生ですから」
エレジー先生は驚いた。少し前に診察した一年生の男の子より、一回りも二回りも小さい。きっと身長が伸びなくて心配になり、病院へ来たに違いない。
「ちりめんじゃこの中にイカが入ってました」
マユキ君は淡々と言った。赤ん坊のように甲高い声だ。
「ちりめんじゃこの中に、イカが入ってたんです」
「うん、まあ、聞こえてるけど」
ちりめんじゃこだけを食べていても、急激に身長が伸びるわけではない。紛れているイカやエビを探して遊んでいるようでは論外だ。
「明日からはもっと大きい魚を食べなさい。最近はアーラドゥートラの陰謀で漁獲量が減ってるけど、もうすぐ三年生なら自分で取りにいけるでしょ」
マユキ君は机の上の医学書を勝手に開いた。まったく人の話を聞かない子だ、とエレジー先生は呆れる。
「魚を食べたら死んだように眠りなさい。そして夢の中で、お坊さんの頭をスポンジで丁寧に磨きなさい」
「先生、髪の毛を一本ください。DNAが見たいです」
エレジー先生はマユキ君の腕をつかみ、自分のほうを向かせた。マユキ君はにこにこしている。
「適当なことばっかり言うと、適当な大人にしかなれないよ。エレジーが言うんだから間違いない」
椅子に座らせようとしたが、マユキ君は動かない。押しても引いてもびくともしなかった。
「まったく、中に鉛でも入ってるの?」
「先生、その写真は北海道ですか」
マユキ君は壁にかかったカレンダーを指差して言った。エレジー先生は振り向き、そうだよ、と言った。雑誌のおまけに付いてきたカレンダーで、ろくに見てもいなかったが、雪の積もった町の写真なので北海道だろう。
「北海道なら、もっといい写真がたくさんあります。雪まつりの日にはみんなで雪を浴びて雪像になるんです」
「北海道、行ったことあるの?」
「先生、ないんですか」
マユキ君は北海道から引っ越してきて半年こちらで暮らしたが、もうすぐ帰るのだと言う。
「いつ帰るの?」
「今日です」
「いいね。エレジーも行く」
エレジー先生は急いで荷物をまとめ、白衣の上にフェイクファーのコートを着た。待合室にいた患者たちにはクッキーとポテトチップを配り、帰ってもらった。
「北海道は広いから、きっと背も伸びるよ」
「先生、背を伸ばしたいんですか」
マユキ君は不思議そうに言い、何も持たずにすたすたと歩いていった。
「北海道では何をするの」
「走ったり、スケートをします。スケートをしながら雪を浴びて、雪像になります」
「何が一番面白い?」
マユキ君は少し考え、顔を上げてエレジー先生を見た。
「ちりめんじゃこにイカが入っていたことです」
歩くマユキ君の姿は、少しも小さく見えなかった。電車にも飛行機にも乗らず、歩いて北海道まで行ってしまいそうだった。