(一章 続き)
きょとんとした表情のままの結衣に溜息をついて「あのなぁ」と切り出した。
「幽霊さんより、実体のが怖いだろう。若い女の子が、こんな山奥なら痴漢や窃盗に遭って殺されたって三日はわからないくらい誰も通らないぞ。この付近ならここの関係者以外は居ないし、もう少し離れると、誰も通らないケモノ道になるし」
そう言うと、結衣は嬉しそうに笑った。
「車で来たし、大丈夫だよ!心配してくれてありがとう。でも、満ってば心配症~!確かに山道、でこぼこしてハンドル取られて、車でも安全とも言えなかったけど、会いたかったんだもん、えへっ!」
ちょっと舌を出す可愛げな仕草に、もう何も言えなくなった。
「そうか・・・・・・わざわざ来てくれてありがとう」
「どういたしましてぇー!」
嬉しげに結衣が笑う。
「こんな時間だから帰るなよ。明日、送ってやるから・・・・って車で来たなら、それも要らないか」
「いやんー!やらしー」
そう言っておどける結衣を見て、疲労感が広がり、畳に寝転がった。
すると何か、感じた。
飛び起きた。
結衣も何かを感じているようだった。
部屋の入口の障子の方だろうか?
ふと結衣を見ると、結衣も障子の方を見つめていた。
障子には何も影も映ってはいない。
障子を開けた。
特に何もない。
日本庭園風になっている庭が、廊下の向こうに広がっている。
庭側の壁がガラス張りとなっている廊下の右端の庭の出口へ向かった。
そして、置いてあるサンダルで庭へ降りた。
確かにこちらの方向だ。
「何・・・・・思念?」
結衣が耳を塞いで目を閉じた。
確かに強い思念が聞こえる。
耳から聞こえるのか何処から聞こえるのかわからない。
ただ耳を塞いでも聞こえてくる。
空が曇っているからか、辺りが暗い。
綺麗に整備された広い庭の周りには、木々が植わっている。
風で木々がザーザーと音をたてる。
「確かに・・・でも今、聞こえたわ」
結衣が呟く。
「悲しい・・・・・・・女の子の声・・・」
ザーザーという木々の音に混じって再び声がした。
『パパ・・・パパ・・・苦しい・・・・痛い・・・止め・・・て・・』
小さく響いた。
「パパ・・・止めて?」
確かにそう聞こえた。
それきり、その女の子の気配が消えた。
「・・・・・消えた・・・ね?」
結衣が言う。
「苦しいって言ってたな・・・」
「この辺に残留してる魂かしら・・・?自縛霊?満ぅー、ちゃんと、依頼者に憑いてた霊とか供養してあげてるぅ?」
結衣の質問に「勿論」ときっぱりと言い切り頷く。
「まぁ、この世界にはいーっぱい、うようよしてるのなんて居るけどね~。結衣なんてぇー。この前、新宿で会っちゃったぁー。なんかーどうやらー、恋人に新宿で刺されて、悲しくて天国行けないって言うからー、仕事外だけど、仕方ないから、結衣が天国に送ってあげたのー。恋人自体は刑務所に服役してるらしいんだけどー、悲しい気持ちは消えないんだって。家族も悲しんでるからって言うんだけどー、結衣は家族の心までどうにもできないからねーとは伝えたのー」
「仕事外だけど仕方なく」と言うあたり、もう世間の感覚とずれてきてるよなーと結衣を哀れに思った。
結衣とお化け屋敷なんて入っても面白くなんてないだろうな、とも思った。
「こんな霊気が全くないものじゃ驚けないんだけどー」とか係員に言いそうで怖い。
そういう意味ではお化け屋敷に勤める人たちに何を言うかわからない恐怖がありそうだが。
こんな仕事をしている関係で、結衣も武道の腕も確かではある。
そこらの痴漢ごときで結衣を押し倒せるとは思えない。結衣が夜道を怖がらないのはそれもあるのかも知れない。
やれやれ、と思って俯いて笑った。
そんな心を読んだかのように、口を尖らせる結衣に、「ごめん」と謝った。
すると、結衣の腕が飛びついてきた。
飛び掛かるように抱き付いてきた。
「しょうがないから、これで許してあげる」
結衣を受け止めた手を背中に回して、抱きしめた。
---襲っちまえばいいじゃん?けっ、根性無しが---
誰かの男の声がした、と思った。
結衣から離れると、結衣は「どうしたの?」と目をぱちぱちさせた。
「いや・・・・・男の声が・・・・・」
「えっ?嘘?私は何も聞こえなかったよ?」
結衣がきょとんとしながら、周りをきょろきょろとする。嘘はついていないようだ。
確かにした・・・と思った。頭の奥・・・・・・意識の奥・・・・・。
「・・・・・疲れてるのかな・・・・・・」
「大丈夫?」
「ああ、明日は除霊の仕事で依頼者の所に行くから、今日は休む。結衣は何処でも良いからマキさんに頼めば寝床作ってくれるよ。マキさんの事だから客間にはもう布団を敷いてくれてると思う」
「マキさん・・・・ああ、長く皐月家に仕えてくれている使用人さんだっけ。何処にいるの?」
「この廊下の突き当りを左に曲がって玄関に向かう途中の部屋で今の時間なら休んでるはずだよ」
廊下に戻り、そちらの方角を指した。
「満の部屋の満の隣でいいよ?・・・・マキさーん!」
廊下に向けて叫ぶ結衣の背中を押して、部屋の外に追い出した。
「止めてくれ。俺が眠れない」
「ちぇー、客間に戻るかぁ」
ぶつぶつと呟く結衣はいじけながら、廊下を歩いて行った。
それにほっと息をついて、布団に横になり、眠った。