第3話
現実は、理想ほどうまくいかない。
成り上がろうと思っていたけれど、そもそも私には力がない。あるのは貴族の礼儀作法と事務処理能力のみだ。
しかも王都を出て一週間後には行き倒れた。
拾ってくれた物好き――ごほん。優しい人がいたから、今も生きているけれど。
物好き――優しい人は、私を担いで近くの村に連れていってくれ、そこに定住できるよう計らってくれた。
物好きはそこの村長だった。四十代半ばの、体格のよい明るい人だ。
村長や他の村人のお世話になりながら仕事をし、忙しい日常を送っているうちに一年が経過した。
その頃になると王都の方から不穏な噂をよく聞くようになった。
なんでも、半年前に冠を戴いた王陛下の命が、ずっと何者かに狙われているとか。
他にも、王陛下と王妃様の仲が既に冷えきっているだとか。
王陛下の命を狙っているのは王妃様ではないかとか。
そんなのおかしい。そう思ってしまうものばかりだった。だってこんなの、ゲームの設定と全く違うではないか。
国を平和に治め、末永く幸せになるヒロインとヒーローはどこへ行った?
もしかして、もうゲームの強制力はなくなったのだろうか? 何らかの変化がこの世界に起きて、強制力が失われたと?
ならば、一度王都に行ってみようか。行けば、何かが分かる気がする。
思ったことはすぐ実行すべしと昔母に教わったので、噂が聞こえ始めて数日後には旅支度を始めた。今度は行き倒れたりなんかしないよう、念には念を入れた準備だった。
村を出ようとしたその早朝のことだった。
物好き村長がまた誰かを拾ってきたのは。
「村長? 誰ですか、それ?」
「さぁ……? 河の変なところに引っ掛かっていて、まだ生きていたからよ。そうそう、お前が落ちてたのと同じ場所」
「あぁ……あそこですか。何故かあそこって引っ掛かりやすいのですよね」
約一年前の感覚を思い出して、思わず顔をしかめた。
村の近くを流れる河には、引っ掛かりやすいところがある。私はそこに引っ掛かって村長に拾われたわけだ。
――今日のこの人同様に。
肩に担がれた誰かさんの服装は小綺麗だから、いいとこの坊っちゃんか何かだろう。背は高いようだが、村長に比べればチビッ子だ。
真っ直ぐに伸びた長い髪が顔の大半を隠しているが、全体的に整っているのが見てとれる。
――あ、れ?
「ぇ……?」
顔にかかった髪を手でかき揚げてみると、そこには一年前まで毎日のように目で追っていた愛しい人の顔があった。
「どうして……」
私の元婚約者であった殿下――今では国王となったその人が、真っ青な顔をして私の前に現れた。
村長に、
「なんだ、知り合いか? じゃあ看病頼むわー。俺、これから用があるんだよ。じゃあな!」
と言われて、現在村長の家。ベッドの横に椅子を配置して座っているだけだ。
ベッドで眠るのは殿下――いや、陛下と呼ぶべきか。陛下はひどくうなされており、何かを呟きながら固く目を閉ざしていた。
うなされている陛下を見ていると不安になるが、かといって何かをできるわけでもない。
私は、見守っていることしかできなかった。
やがて、数時間か経った頃、陛下がひときわ大きな声で寝言を呟いた。
「リーナ……!」
リーナ――アンジェリーナの愛称だ。私の、愛称。
私の愛称を呼ぶということは、私を夢に見ているのだろうか? 夢にみているということは、私の存在があなたの中で大きいということ?
私は、あなたの夢の中で、どんなふうに登場しているのですか……?
「ッ――!」
鋭く息を吸いながら、突然陛下が身を起こした。その額には脂汗が滲んでおり、表情は狼狽しきっていた。
俯いたまま呼吸を整えるだけの陛下に、私は静かに水の入ったコップを手渡した。
「……ありがとう」
手渡されたコップだけに視線を向け、彼は水を一気に飲み干した。
そうしてやっと落ち着いてきたらしく、顔を上げて私の顔を見た。固まった。
「お加減はいかがですか?」
「……」
返事をしない陛下。固まったまま、動かない。じっと私の顔を見つめるだけだ。
「怪我はなかったようですが」
「……」
「気分は悪くありませんか?」
「……」
「……あの、ちゃんと見えていますか?」
「駄目だ……見えていない……。あぁ、そうか。ここは夢だ。夢なんだろう。そうでなくては……」
取り乱してぶつぶつと何かを呟き続ける陛下は少々不気味だが、流石元の作りがいいためか、いい絵になる。
でもここが夢ではないと分かってもらうため、私はスッと陛下の頬に手を伸ばし――
「痛い! 痛い痛い痛いいだい!」
「夢ではありません、陛下。痛いでしょう?」
「でも、……………あぁそうか。君はリーナではないんだろう? 私なんかがまた彼女に会えるなんて、そんなの、都合が良すぎる」
「私は正真正銘、アンジェリーナ・オールドカースルです。勘当されましたけど」
顔も声も、同じでしょう?
そう言って首を傾げてみせると、陛下は白目を向いてベッドに倒れ込んでしまった。
「陛下――ッ!?」
それからしばらくして陛下が目を覚ますまで、私は、アンジェリーナだと知って気絶するほど嫌われているのかと泣きそうになっていた。
再び陛下が身を起こし、現状を説明され、互いに神妙な顔になって向かい合って数分。
順を追って説明すると、陛下は自分の意思に関係ないことを、学園に通うようになってからするようになり、それから私と婚約破棄し、ヒロインと結婚したが冷えきった関係が続いたそう。
――体は、リーナ以外を受け付けないようになっていたみたいで……。
そう言われたとき、顔を赤くしてしまったのは内緒である。
話を戻す。
結婚して半年ほど経過したが、それまでにヒロインに王族の血が流れていることが判明したり、王より手際よく働く妃だとヒロインが評判になったりと、色々なことがあったそう。
陛下は陛下で、私と婚約破棄したことをずっと後悔していたが、やはりゲームの強制力に逆らえず……ただ王として働く日々が続いたと。
そんなある日、陛下は刺客に襲われた。
返り討ちにしようにも相手は予想以上の手練れで、ただ逃げるしかできなかったと。
逃げて逃げて逃げ続けて――あの河に引っ掛かったわけだ。
たぶん話を聞く限り、河の横を歩いていたら足をツルッと滑らせて落ちてしまったのだと思う。少なくとも私はそうだった。
王都からの逃げ方も行き倒れ方も一緒だなんて……少し、笑ってしまう。
「君に会えて良かったよ、リーナ。こうして、自分の体が意思通りに動いてくれるし」
陛下は王都に戻るそうだ。王としての務めを投げ出すわけにはいかないと、そう言って。
「君には酷いことをしてしまった。いくら自分の体が言うことを聞かなかったからといって、許される罪ではない。どうやって償えばいいのか分からないくらい、重い罪だ」
深く頭を下げる陛下のつむじを見ながら、私は心底困ってしまう。
「やめてください、陛下。私はあなたに愛されていたと知れただけで幸せです。強制力に逆らえるはずもなかったのですし……」
「リーナ……」
眉を下げて弱々しい表情の陛下に、私は微笑みかけた。
「愛していますわ、陛下。これからも、ずっと」
「リーナ……君は、なんて……!」
歯を食い縛り小さく呻く陛下は、しかし熱っぽさを含んだ眼差しで私を上目遣いで見る。
「陛下?」
「リーナ、もし君が望むなら……喜んでくれるなら、私は……君を、迎えに来てもいいか……?」
勿論、役目はしっかりと果たしてくる。
澄んだ瞳で言い切った陛下には、ゲームの強制力に囚われている様子が見受けられない。
強制力はどこへ行ったのだろう? もしかして消えてなくなってくれたのだろうか?
――そんなことを考えて現実逃避をしている場合では、ないか。
『迎えに来てもいいか』とは、つまり、そういうことなのか。私を選んでくれるというのか。
「陛下……今の私は、ただの村娘ですよ……?」
何も持たない、非力な娘だ。それでもいいのか。それでも、私を選ぶというのか。
陛下は柔らかく微笑み、言った。
「リーナはリーナだ。私にはずっと君しか見えていない」
暖かい言葉、表情。すべて私の好きな人そのもの。
恥も外聞もなく顔を涙でぐちゃぐちゃにして泣き声を上げながら、私は陛下の胸に飛び込んだ。
陛下はまるで宝物に触れるように私を優しく抱きしめ、私の頭を幾度か撫でた。
「愛しているよ、リーナ。きっと、二人で幸せになろう」
「はい……! はい……っ!」
未だに謎は多く残るけれど、もう、陛下が近くにいるというだけで他に何も見えない私には、どうでもいいことだった。
――悪役令嬢は、幸せです。
これで本編は完結になります。時間が空いたときに番外編として、強制力がなくなった理由や刺客を放ったのは誰かなどの謎、そして後日談を投稿していくつもりです。
お読みいただきありがとうございますm(__)m 評価などお待ちしております。