第2話
婚約破棄され、学園から追い出され、私はオールドカースル家の屋敷に戻った。
確か、ゲームではこの後、家族にも見限られて勘当されたのだった。
「お前はこの家の恥だ」
「あなたなんて生まなければよかった」
「こんなのが僕の妹だなんて」
「わたくしは、姉として恥ずかしいですわ」
お父様が、お母様が、お兄様が、お姉様が、私を蔑み睨み付ける。
この世でもっともおぞましいものを見るように、目を細めて顔を歪めている。
彼らには、数日前までのあの暖かさは存在していない。
――『瞳』以外では。
殿下同様、家族の瞳が涙を浮かべ、悲しんでいることを伝えてくる。
それだけは私を愛してくれていた家族のままだった。大切に想ってくれているままだった。
「……教えて」
何を思っているのか。心まで、ゲームに支配されてしまっているのか。そうではないのか。
何でもいいから本当のことを教えてほしい。体を支配されているなら伝える方法なんてないのだろうけど、でも、どうか。
「救いをください……ッ」
家族に嫌われているのは、とても悲しい。けれど嫌われていると『思い込んだまま』勘当され、会うことがなくなるのは、もっと悲しい。
だからどうか教えてください。神様、ゲームの強制力なんかに負けない力を、どうか――。
「――あぁぁっ!」
「っ――お父様!?」
突然自分の頬を殴った父の奇行に思わず怯えてしまう。
武人として名を馳せる父の拳は自身にも堅いものだったらしく、父は床に倒れ込んだ。
腫れた頬を冷やせるものは、と周りを見渡しても、この父の執務室にはそれらしきものが見当たらない。ならば、とハンカチを水で冷やそうと思い部屋から出ようとするが、後ろから名前を呼ばれて足を止める。
「アンジェ……リーナ……」
「お父様……? 待っていてください、今すぐ冷やすものを……」
「聞け……聞いて、くれ……」
そう言う父の表情はこれ以上ないほど切羽詰まっていて、私は静かに、倒れたままの父の傍に寄り添った。
「何でしょう」
父は苦しそうに喘ぎながら、必死に言葉を吐き出す。
「おれ、たち……は、しん、じて……」
ゴホ、ゴホッ、と咳き込み、何かに抗い続ける父。
何に抗っているの? 何を伝えようとしているの?
母と兄と姉は先程からまったく動いていない。体も、表情も。ただ嫌悪感に歪めた顔を私に向け、泣きそうな瞳で見つめてくる。
異様な光景だ。理解できない。
――いいえ。信じればいいの。私が、今まで愛し愛された三人の家族を。
「お父様、教えて下さい……。私を、愛していますか……?」
恐る恐る聞いたそれに、父は遂に頬を濡らしながら何度も何度も頷いた。
「……いる。愛して、いるよ……アンジェ、リーナ。俺達、は……全員、お前を……ずっと……。だけ、ど……体……思うように……動かなくて、な……」
ひどくつらそうに、悔しそうに囁かれ、私の瞳からも涙が溢れた。
ああ、愛してくれている。向けられている憎しみは、ゲームの設定のせいなのだと知らせてくれた。
強制力に逆らってまで、伝えてくれた。
そんなに愛を注いでくれている家族に、父に、喉の奥が詰まって、言いたいことも言えなくなった。
「おとう、さま……! わたしも、私もです……! 愛しています……愛しています、お父様を、お母様を、お兄様を、お姉様を……! ずっと、大好き、で……!」
ずびっ、と鼻を鳴らして嗚咽を漏らし、更に涙を流すと、父が震える指先で拭ってくれる。
つらいでしょう。動くだけで痛がる表情を見ている私もつらいです。でもそれ以上に、私を気遣ってくださるお父様の優しさが嬉しくてたまりません。
ゲームの通りに動かないことがどれ程の負担になるのか分からないけれど、父以外は誰も――殿下も母も兄も姉も――抵抗できないのだから、きっと相当なものなのだろう。
そこまでしてこの世界は進まなければならないのですか? ああ、どうして。
「ぐ、う……」
父は一度体を大きく震わせると、スッと立ち上がった。支えた方が良いのかと手を差し出した私を押し退け、冷たく吐き捨てる。
「出ていけ。ここはもうお前の家ではない」
「ぁ……」
もう終わってしまった。父は再び、ゲームに支配されてしまった。
どうしようもない悲しみは、父の濡れた瞳によって霧散された。
――このまま終わるなんてできない。ゲームの思い通りになんて、なりたくない。
ゲームの設定では、悪役令嬢の最期を描かれていない。死んだのか、それとも生きているのかすら不明だ。
ならば生きてみせよう。設定が存在していないなら私の自由だ。物事をねじ曲げられることもないだろう。
きっと……きっと、家族に恩返しできるよう。殿下を支えるという夢を実現させるために。
諦めなんか要らない。ゲームでは、設定では、私が婚約破棄されて数ヶ月分しか描かれていない。最終的には、ヒロインと殿下が平和に国を治め、幸せになることで終わりになる。
それ以外のキャラクターに関しては何もないのだ。
ならば自分で、この手で未来を作ることも可能だ。
「お父様……ありがとうございます。私は、お父様のように強くないけれど、頑張っていけそうです……!」
勝手に希望を持って勝手に覚悟を決めただけだけれど、それでも私の人生を進めていく力として……。
「強制力が、いつか、なくなったら……また、お話ししましょう」
そうしたらお祝いに、プレゼントを用意しなくては。
お父様には大好きなお酒かしら? お母様には、最近集めてらっしゃる詩集? お兄様にはペンを差し上げたいわ。すぐどこかへなくしてしまうんですもの。お姉様には趣味の刺繍のための糸かしら?
その日が待ち遠しい。早く、強制力なんかなくなった未来になってほしい。いいえ、私が強制力なんてものに流されないように成長するの。
待っていてください、それまで。私が成長して戻ってくるその日まで。
だからこの別れからはしばらく会えなくなるから……。
「お父様、お母様、お兄様、お姉様。――笑って?」
思い出になる最後が、笑顔であってほしいから。
四人は互いに顔を見合わせると、冷たく固まっていた顔を動かし、口を歪に形作った。
人を馬鹿にするような、生意気な誰かが浮かべそうな、温もりの欠片もない笑み。
でもそれが、今の彼らにとって精一杯に笑顔なのだと、私は知っている。
ゲームに体を支配され、瞳以外は何も語れぬ彼らにとっては、口元を動かすだけでとてつもない負担がかかっているのだと思う。
現に、四人の体は小刻みに震え、苦しそうに息を乱していた。
そんな四人に、私も笑顔を向ける。
さっきから止まらない涙のせいでぐちゃぐちゃになった顔だけど、しゃくりあげながらも口の両端を無理にでもつり上げた。
「今まで、ありがとうございました……! ずっと、ずっと、愛しています……! 愛しています……! 大好きで大好きで、私……!」
それ以上はもう何も言えなくなり、私は深く頭を下げた。
貴族の子女として有り得ないほどボロボロに泣きながら、最後の最後まで感謝を伝えた。
そうして私は、家から追い出された。
数分後に瞳まで冷たいものになりかけてしまった家族が使用人に指示し、私の荷物を用意してくれた。
勘当されたといっても、ゲームの中で詳しい内容は描かれていなかったから、身の着のままでは放り出されなかったのだろう。
庶民用の服と路銀をくださったお父様は、私に一瞥もくれることなく去ってしまった。他の家族三人も同じであった。
さぁ、ここからが始まりだ。
まず、もう王都には居られない。ゲームの設定がどうとかではなく、単純に、殿下に気に入られている彼女を貶めようとした(という設定の)私を気に入らなくて刺客を放ってくる人もいるはずだから。
今日中でなくとも、数日中には、必ず。
取り敢えず王都から出て、近くの村に行こう。とにかく王都から離れた方が安全だ。
乗り合いの馬車を見つけると、御者に金を払って乗せてもらった。どこに行くか、分かっていないけれど。
そういえば、と思い出した。
殿下も泣いていたから、彼もゲームに体を支配されてしまっていたのか、と。
――もしかして、やがて心まで支配されるようになってしまうのだろうか? だとしたら――。
ゾクッ、と寒気が走った。
だとしたら、家族は私を心の底から嫌うようになり、殿下はヒロインを愛するということではないか。
………………いいや、それでいいのだ。私は彼らを支えられるようになれれば、それで。