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僕はどう生きるか 偏差値80からうつ、ニート、無職になるまで  作者: 依澄歌
誕生~小学生時代 フツウに生きていたころ
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先生がキライ

 小学校中学年のころは、あまりいい思い出がない。

 3年時と4年時もそれぞれ違う担任の先生だったのだが、どちらの先生も合わなかった。

 もっとも、当時の自分は9歳とか10歳なわけで、先生方の人となりがどうだったか、正確に判断することはできない。

 ただ、特に3年のときの年配の女性の先生はなかなかにアクが強くて、親も苦手そうだった。怒るときに「タァーッ!」というのが特徴だった。


 この女の先生は、朝の時間とかに生徒に歌を歌わせていた。ここで僕はジブリの某有名アニメの存在を知り、その主題歌に出会う。最初は、「ナイフランプカバン」というものがあるのだと思っていた。テレビCMを見て「ゴランノスポンサー」という大きな会社があると思っていたのと同じ現象である。


 それから、金八先生の主題歌も歌わせていた。流れる音楽を聴きながら、ガガガッとチョークで黒板に高速で歌詞を書いていく先生の姿が印象的だ。

 今思えば、先生も教師という職業に色々な夢とか信念とか情熱とかをもっていたのだろう。


 対照的に、4年のときの担任の先生は、他の学校から赴任してきた若い男の先生だった。少なくとも最初のうち、特に女の子からは人気があったと思う。

 バイクで事故ったとかで、紹介されたときは手にものものしい金属の器具をつけていた。先生は、「ハムスターの回し車みたいでしょ」って言ってたっけ。


 この先生は長縄跳びに熱心で、よくクラスで練習させられた。わざわざ他の学校まで行って、大会に参加したり。そういうのが大嫌いな僕は、とても乗り気じゃなかった。一部の女子はやる気を出してたな。


 それから、前の学校の話をよくしていた。「前の学校の生徒たちはこうで~」と他の子供たちと比べられて、そっちのほうがいいというようなことを言われるのは、子供心に嫌だったと思う。


 こんなふうにあまり好きになれなかった先生たちだけど、今会ったら意気投合したり昔を懐かしんで話したりできるのだろうか。

 自分が立派な人間になっていたら、余裕をもって「ハハハ、そんなこともありましたね」なんて言える気がする。

 人間そんなもんか。


 さて、そろそろ色々と印象的な出来事とか思うところとかが出てくるけど、あまりつながりとか時系列とかを気にせず、思いのむくままに書いていこうと思います。

 お付き合いよろしくお願いします。

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