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僕はどう生きるか 偏差値80からうつ、ニート、無職になるまで  作者: 依澄歌
大学~社会人時代 迷いの日々は続く
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父の休職と入院、両親の引っ越し、祖母の死

 父は「休むと復帰できなくなる」と仕事を休むことを拒んだが、どう見ても働ける状態ではなかったので、母とも相談して休職してもらうことにした。


 職場への電話は、僕がした。直接どういう人か知っているわけではないので下手なことはできないが、件の所長が出たときは一言言ってやりたい気分だった。憎まれっ子世にはばかるというのは本当だ。


 父の状態をきいてびっくりし、本当にお世話になった、いつでも戻ってきてほしい、と言ってくれた人もいた。その人はお見舞いに来たいと言ってくれたが、父はもともと人間嫌いだったし、人に会えるような状態ではなかったので、丁重にお断りした。


 父の元同僚が開業した病院にも、家族で行った。先生は驚いて父を診察し、「先生、どうか頑張ってください」と父と握手をしてくれた。


 しばらくの間、父は自分の勤めていた病院に入院することになった。定期的に母が世話をしに行き、僕も何度か様子を見に行った。

 当然だが、父は入院生活を嫌がっていた。先生も合わなかったようだ。調子はよくなってないと言っていた。確かにまったく元気ではなかったが、救急車で運ばれたときよりは落ち着いているように、僕には見えた。


 そして、このタイミングで寝たきりになっていた父方の祖母が亡くなった。父がこんな状態だし、僕たちは祖母のところへ行くことができなかった。葬儀も含め、必要なことは亡くなった伯父の再婚相手がすべてやってくれた。

 この人と伯父や祖母は色々トラブルがあったようだが、このときは感謝した。

 父は、自らの母の死を知ってもどこか上の空だった。


 自らの不調、妻とのこと、父とそれを支える母の不調、祖母の死……嫌なことが重なりすぎて、笑えてさえきた。そして、そのあとすぐに泣いたりした。


 父が働けない以上それまでと同じ生活は維持できないので、母は家を売って引っ越すことに決めた。父は調子のいいときに家を買ったりとずいぶんお金を使ってしまっていたので、貯金はさほどなかった。


 引っ越しに際しては、叔母夫妻が大いに力になってくれた。義理の叔父の友人である不動産屋さんを紹介してもらい、この人にお世話になった。


 母はだいぶ参っていて、あれもこれもやらねばならないことがあって、そんなにできない、と繰り返した。

 叔母夫妻が色々とやってくれていて、僕もやるからお母さんはやらなくていいよと言っても、母はどうしようどうしよう、できないとばかり言っていて、ついイライラしてしまった。

 母はお金のことも気にしていて、かといって生活水準を下げるのはつらそうにしていたので、それで小言を言って、悲しい思いをさせたこともある。


 家には本やCDやレコードなど、父のものがたくさんあって、これらも処分した。売れば相当な金額になるはずだし、手続きも僕たちがやると言っているのに、母は大変だからいい、お金を払ってでも引き取ってほしいと言って、これまた一苦労だった。

 父のコレクションには貴重なものがたくさんあったはずだ。手放すのはとてももったいなかった。場所さえあれば、僕が引き取りたかった。

 結局少しはお金になって引っ越し資金にできたから、わずかばかりの慰めにはなった。

 母は、家も多少安くなってでもとにかく早く売りたがった。


 母はアルバムも捨てるつもりだったが、両親の結婚写真もあったし、家族の思い出が詰まっていたので、僕が引き取った。このとき、妻は車で一緒に来て力になってくれた。


 両親は、叔母一家のすぐ近くに家を買って住むことにした。いい場所だったし家の中はきれいだったが、住みやすさはそれまで住んでいた家に比べるべくもないし、以前の居住地に愛着があったので、二人ともがっかりしていた。

 父はそんな余裕がなかったのか気を使ってかあまり口に出さなかったが、せっせと働いてようやく手に入れた家を手放すことになって、耐えがたい喪失感を味わったと思う。


 叔母夫妻やその知り合いの力を借りて、両親の引っ越しはなんとか無事終えることができた。みなさんには頭が上がらない。

 母も、昔は苦労したらしいが今では心身ともに強くないし、結婚してからはほとんど父が家のことをやっていたので(家事は母がしていた)、よく頑張ってくれたと思う。


 その後、父は1年以上休んでも病状が改善せず、これ以上は休めないと最近職場に復帰した。僕自身と比べて、よくあの精神状態で仕事をしに行けると思う。父がどれだけ苦しい思いをしているかと考えると、心が痛む。


 しばらく前、母が「今は時短で働かせてもらってるけど、そろそろ働く時間も業務内容も元に戻さないと職場にいられない。それができるか、休むか、私には判断できないから自分で決めてってお父さんには言ってある」と話していた。心配だ。


 母は母で、今もずっと調子が悪い。うつの人とずっと一緒にいるのだから無理もない。

 母は元々体も強くないし、精神的にも不安定だった。僕と同じ先生にかかっていたこともある。僕が心配やストレスをかけ続けたのは、小さからぬ原因だと思う。

 色々薬を試したがどれも合わないしさほど効かないようで、ここのところは薬を飲んでいないようだ。

 母は体重が40キロをきってしまい、体つきがガリガリでとても心配だ。先生にも入院しないとダメと言われたそうだ。


 うちはメンタルが弱い家系なのかもしれない。父は基本的には陽気だが、強迫性障害(潔癖症)に長い間悩んでいて、やはり僕と同じような薬を飲んでいた。 

 父本人は、学生時代無灯火の自転車にぶつかられて頭を打ったときからおかしくなったと言っていた。それが真実かはわからないが、もしそうだったら、祖母の事故といい、やりきれない思いだ。

 他にも、僕の気がつかない精神的苦痛に悩まされていたかもしれない。


 週に一度電話をしているが、父は僕と話すときは元気を出しているものの、やはり回復はしていない。

 母はかなりつらそうだ。今の生活がしんどいし、僕に心配をかけているのも苦しいみたいだ。電話口で泣くことも少なくない。


 まさか、僕が両親に励ましの言葉をかけることになるとは思わなかった。最近仕事をやめたことは、二人には言えていない。


 力になれず、歯がゆい思いだ。叔母夫妻も近いうちに引っ越してしまう。

 精神的な問題を抱えている人を外部から簡単に助けられないことはわかっているが、せめて僕にもっと稼ぎがあったら、両親を楽にできるのに。

 頑張ると、親孝行すると誓ったのに。親にはあれだけ助けてもらったのに。


 両親はもうすぐ還暦を迎える。まだまだ元気でいてほしい。楽しい老後を過ごしてほしい。

 今、両親も僕も苦しい状況にあるけれど、また僕と妻と両親と、叔母夫妻と従妹と……みんなで楽しく会える日がくることを祈っている。

 信じている。

 僕が前に進まねば……。

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