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僕はどう生きるか 偏差値80からうつ、ニート、無職になるまで  作者: 依澄歌
大学~社会人時代 迷いの日々は続く
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ついに精神科にかかる

 大学3年、二十歳になったばかりのころ、ついに精神科にかかった。

 大学のカウンセリングは一度行ったかもしれないが、それまで両親にカウンセリングや通院を勧められても、僕は行かなかった。

 今となってはもうそんなことはないが、はじめはやっぱり精神科にかかるということが大事に感じられて抵抗があったし、薬を飲むのも人格を変えてしまうような気がして(実際そんなことはない)怖かった。

 そんな簡単に治らないと思っていたし、調子が悪いときは病院に行く気にもならないというのもあった。


 だけど、とうとうもう限界だと感じて、病院に行くことに決めた。


 そのころの症状はというと、まず絶望感。とにかく存在するだけでつらくて、消えたかった。消滅したかった。このまま眠ったら二度と目が覚めませんようにと、何度願ったかわからない。それでもやっぱり、朝はきた。

 「死にたい」という言葉をあまり使わなかったのは、自分はそんな大胆な行動はとれないだろうというのと、何より両親が悲しむ、申し訳ないと思ったからだ。でも、一人のときは我慢できずに呟いていた。

 この世の終わりだと思った。本当にどうしていいかわからなかった。過去を後悔し、今を嘆き、未来に怯えていた。


 そして、とにかく動けなかった。巨大な杭で地面に磔にされているようで、起き上がるのも一苦労。水が肌に触れるのも不快で、風呂に入るのすらきつかった。


 すべてに無気力で、ただひたすら寝ていた。それが一番楽だった。当然生活リズムは狂いまくり、日中ずっと寝ていて夜はなかなか寝付けない、そんな日が続いた。


 しょっちゅう、夜中に同じような話を延々何時間も両親にしていた。よくきいてくれたと思う。話をしている間も、僕は常に時計を気にしていて、またこんなことに時間を使ってしまっている……と後悔していた。


 僕は父の紹介で、父が勤めている病院の女の先生にかかった。症状としては以前からあったが、「うつ」と正式に診断されたのはこのときということになる。


 出た薬は、抗うつ薬としてパキシル、睡眠導入剤としてマイスリー、レンドルミンだった。薬に抵抗があった僕は、最初は震えながら薬を飲んでいた。

 その後先生も変わり、薬もドグマチール、メイラックス、レキソタンなどを試し、今はパキシルとデパケンを服用している。


 最初の先生は生活リズムを重視していて、とにかく23時までに寝るよう僕に言った。しかし、なかなか規則正しい生活を送ることはできなかった。

 睡眠導入剤もあまり効いているようには感じなかったが、一度夜中無意識に起き出して冷蔵庫を開けていたことがあったので、効いていたのかもしれない。


 この先生はきっちりしているタイプで、僕は乱れた生活が直らず怒られた。もちろん、僕のためを思ってのことだ。


 結局、生活や精神面が大きく改善されることはなかった。先生には数年お世話になり、今の先生へと変わった。


 僕は、学校をやめると言い出したこともあった。両親に卒業だけはしろと説得され、なんとか卒業することはできた。

 自分がどれだけ恵まれているかはわかっていたし、学校をやめたあと何かプランがあったわけではない。それでも、もうすべてを投げ出したい気分だった。僕には、すぐ感情的になって極端な言動をしてしまう短所がある。

 あのとき本当に学校をやめていたら、今よりもっとひどい状況になっていただろう。

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