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僕はどう生きるか 偏差値80からうつ、ニート、無職になるまで  作者: 依澄歌
中学・高校時代 歯車が狂いはじめる
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大学入試・私立編

 私大の個別試験は、名門とされるW大、K大の2つを受けた。どちらも文学部だ。

 こちらはセンター、東大以上に対策をしておらず、試験前日にほとんどはじめて赤本(過去問集)をペラペラめくり、「わかんねー」と言っていた覚えがある。


 私大の歴史はマニアックな知識を問うものが多く、K大の世界史でタイの焼き物の名前を書かせる問題が出た。

 答えは「宋胡録スンコロク焼」なのだが、当然わかるはずもなく、僕は最初「タイ焼き」と書いた。

 しかし、ふざけた解答で採点者の機嫌を損ねたらまずいと思い、最終的には消した。それが正解だったのかはわからない。


 K大の小論文は、個性がないと悩んでいる人にアドバイスをせよ、といった設問だった。

 僕は、「わかるよ君~」といった感じで熱く解答を記述したが、支離滅裂な内容になっていたことだろう。


 W大の試験はよく覚えていない。できなかったことだけは覚えている。


 結果、W大は不合格だった。

 調子を崩す前の実力的には落ちるのは考えづらかったので、「おー、やっぱやらないとちゃんと結果に出るんだなー」なんて他人事のように思っていた。


 K大は補欠だった。人間、ダメになるとここまで能力が落ちるんだなという気持ちと、あの状態でよく補欠に引っかかったなという気持ちが半々だった。


 結局、K大は繰り上がり合格となった。

 母はとても喜んだ。母はことあるごとに「K大に合格してくれたことが一番嬉しい」と言っていたが、僕は学校の名前が重要なのか? と虚しい気持ちだった。


 担任の先生もよかった、と言ってくれた。のちに同窓会でお会いしたときに、「現役の時一番心配したのは○○(僕)だよ」とおっしゃっていた。

 ありがたい。申し訳ない。いつか恩返し、まともなご報告がしたい。

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