自分で決められない②
前の話で、一番書こうと思っていたことを書き忘れてしまった。ただでさえだいぶ脱線しているところに今から付け足すとめちゃくちゃになりそうなので、別途書くことにする。すみません。
以前、「決まったことだけをやっていればいいうちは、うまくいっていた」というようなことを書いた。
僕は、学校の定期テストのような、これこれの期間にここからここまでやりなさい、といった課題はよくできた。
適正はあったのだろうし、細かくきっちりやる性格だった。
ただ、試験期間に次の日の科目の勉強が終わると、やることが終わってしまった、どうしよう、と思うことはあった。
ほかの勉強をするなり好きなことをすればいいのだが、頭に入れたことが抜け落ちそうで、余計な情報を入れたくなかった。
ここまでやったからよしとしよう、という判断もできなかったのだ。
学年が進んで勉強事項の絶対量が多くなったり難易度が上がったりすると、定期テストでさえ、自分のやり方では通用しなくなっていった。
受験となると、その範囲は膨大だ。もっとも、大学入試で問われる知識や思考力などたかがしれているし、学問の世界のごくごく一部に過ぎない。すべての試験で100点をとる必要もない。
しかし、当時の僕には、全教科を高水準にもっていく(それが当然の目標だった)のは途方もない道のりに思われた。今やれと言われてもやっぱり無理だろう。
範囲が広いだけでなく、どこまでやればいいか判断できないというのも、僕を苦しめた。学問というのは、キリがない
人によって言うことも違うし、何をどこまでやればいいのかわからない。やってもやっても終わらない。やってもやっても不安になる。
僕は行動を始める前に自分の前に広がる広大な世界に怖気づき、身動きがとれなくなってしまった。
勉強計画を立てるとこも含めての能力だというのに。
勉強に限らず、実際に行動する前にあれこれ考えてしまって結局何もしない、というのは、僕のよくないところの一つだ。
近年では、前よりも「とりあえずやってみよう」の精神を取り入れることにしている。
反対に、何も考えずに行動しちゃうのが悩みの人もいるんだろうな。バランスって難しい。足して2で割りたい。
そして、人に言われて、自分でも考えて、「大学合格がゴールではない」ということを頭ではわかっていても、それを実感できていなかった。
生きている限り、学ぼうとする限り、人は学び続ける。学問だって、そのほんの一部にすぎない。
長い人生を見据えて、己を高めるということに対しての心構えができていなかったのだ。
まあ、高校生でそんなことを考えているやつも稀有かもしれないが。偉そうに言ってるけど、今も大して変わらないしな。
なんか大げさな話になってしまった。




