自分で決められない①
僕がおかしくなったのには、いくつもの理由がある。神経質、完璧主義的な性格は間違いなくその一因だ。
周りは概ね、「勉強のしすぎで疲れた」とみている。広い意味では、そうなるだろう。僕もそう思っていたし、自分は勉強が嫌いなんだと思っていた。しかし今では、そう単純なものではなかったのだとわかる。
僕は、「自分で判断できない、決められない」という弱さが致命的だったと考えている。
もっとも、それが今でも日々気になっていることだから際立って感じられるという面はあると思う。
他の性格や勉強のつらさについては、もう過酷な受験勉強をする必要がなくなった以上、以前より気にならなくなっているはずだ。
「自分で決められない」という弱点は、僕の生活の様々な場面で顔を出す。
例えば、本屋に行くとあれもこれも気になってしまい、どの本を買うべきか悩んで何時間も本屋にいる、結局10冊以上も本を買ってしまう、ということがよくあった。
睡眠について悩んでいるときは、何時に寝起きすべきか、この時間に寝起きするなら、もう何分早くても、あるいは遅くてもよいのではないかと、就寝・起床時間が決められない。
勉強についてもそうだ。自分がどう勉強するか、どんな教材や参考書を使うべきか悩んだ。先生の授業についても考えた。
学校からのフォローも手厚かったが、生徒たちは各々で参考書を選んで活用したり、予備校の授業を受けたりしていた。
先生は、主に独自のプリントや冊子を作って使用していた。
今思えば、もっと教科書を活用するべきだった。発展的なことをやらなくては、みたいな余計なプライドがあったのだろう。
あと、まだやる気があるときは模試の結果が悪いと発狂しそうになってたけど、試験の復習をしなかったのはとてももったいなかった。
最初のうちはレベルの高い授業を受けているという自信があったし、結果も出ていた。だが、うまくいかなくなったり、視野が広がったり、受験が近づいて周りの本気度が上がってきたりすると、授業内容にも疑問を抱くようになった。
世界史は暗記ばかりで流れや横のつながりがとらえづらいとか、数学はそもそもなんでそういう解き方をしようという発想になるかが理解できないとか、古典の授業は雑談ばかりで不安になるとか。
感覚で解きがちだった現代文は、先生のやり方で取り組んみたら試験時間内にまったく問題が解き終わらなくなって、どうしたらいいかわからなくなった。
授業中に内職(授業をきかないで自分の勉強をすること)をしたほうが効率がいいんじゃないかとか、試験に合格するということだけを考えたら、宅浪みたいに自分で家で勉強したほうがいいんじゃないかとか、そんなことを考えはじめた。
でも、高校生として、人間として、それでいいのかとも考えた。
また、実際問題、全部自分でやろうとしたら、生活リズムとか時間の使い方とか、どの教科をいつやるかとか、何を使ってどう勉強するかとか、絶対僕には自己管理ができないと思った。
結局僕は、「自分で考えて判断し、下した決断に基づいて行動する」ということができなかったのだ。ただ、どうしようどうしようとおろおろしていただけだった。
授業については、クラスメイトと一緒に予備校のものを受けたこともあった。予備校に通うのとは違って、外部の生徒に向けて特別に開かれた授業を受けるのだ。
僕たちが受けたのは、有名講師が数多く在籍し、ハイレベルな授業をすると噂の予備校のものだった。
たまたま結果のよい模試があったので、無料で受けることができた。
どの授業に感銘を受けるかは、その人の興味やレベルによって変わってくるだろう。
僕は、数学は自分の実力が足りなすぎてよくわからなかった。英語はいい授業だったと思う。衝撃的だったのは、世界史だった。
出来事や単語の羅列ではなく、ものごとの因果関係や世界の結びつきを、実に興味深い語り口で論じてくれた。
生徒の思考力を高め、教養も身につけさせる授業だった。
入試に対するアプローチ方法もしっかりと教えてくれ、学問としての世界史と受験対策を高いレベルで両立していた。
久しぶりに知的好奇心が刺激され、興奮したのを覚えている。
ついていくのは大変そうだけど、最初からこんな授業を受けていられれば、いつもこんな授業を受けたい、と思った。クラスメイトも感動していた。生徒によるところが大きいとはいえ、教師というのは大事なんだなと実感した。
普段からこんな授業を受けている生徒たちには太刀打ちできないという焦りも芽生えた。
結局当時の僕はその授業もうまく活かすことはできなかったが、この予備校の授業は今でもたまに見たくなって、ネットで紹介動画を見ることがある。
理数系にもカリスマ講師がいるし、わかったら楽しそうなのだが、ちんぷんかんぷんなのが残念だ。いつか勉強してみたい気持ちはあるのだが、その日はくるのだろうか。
参考書や問題集は、買っただけで使っていないものがどれだけあっただろう。通信教育も、片っ端から申し込んでおいて、結局ほとんどやらなかった。親には相当な金額をドブに捨てさせたと思う。
小さなことから大きなことまで、人生においてはあらゆる場面で選択を迫られる。そのたびに僕は迷い、テンパり、そして疲れてしまう。
ものごとがうまくいかなくなって、その傾向が強く表れはじめた。
そんなんだから、自分の選択した行動に自信がもてない。そして、また迷っていく。
うまくいっている、または、なかなかうまくいかなくても、信じるもの、これをやっておけば大丈夫、というものがあるうちは、人は多少のことがあってもやっていける。
しかし、それがゆらいだりなくなったりすると、とたんに荒れ狂う大海原に投げ出されたかのように自分を見失ってしまう。これまでの全てを否定されたような気持ちになる。
順調だと思っているときというのは、あとから考えてみると無駄だった、間違っていたと感じることをしている場合もあるものだ。だから、自分のやり方に疑問をもったときは、自分を見つめなおすチャンスでもある。
しかし、そこであまりにもダメージを受けすぎると、自分が壊れてしまう。
僕はもう何もかもがどうすればいいのかわからなくなり、もがけばもがく泥沼にはまっていく状態だった。




