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僕はどう生きるか 偏差値80からうつ、ニート、無職になるまで  作者: 依澄歌
中学・高校時代 歯車が狂いはじめる
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変化

 中3のとき、世界史のM先生が担任になった。僕と友達がゲームボーイアドバンスを没収された先生だ。先生は、保護者会で僕たちのことをプリントにして保護者に配り、母にゲーム機を返すという粋な計らいをしてくれた。


 今思い出したので話が前後してしまうが、中1のときは若い体育の先生、中2のときも若い国語の先生が担任だった。

 国語の先生には、早弁を見つかってアイアンクローをくらった。あと、野球をしていて窓ガラスを割ったとき、「窓ガラスが割れました」と言ったら、「割ったんでしょ!」と言われた。

 この国語の先生は今、沖縄でヨガの講師をしている。


 M先生は柔道経験者で、背は小さいけどがっしりしている年配の先生だった。歯に衣着せぬ個性的な先生で、教育熱心だった。グーパンはしてなかったと思うが、よく手帳で生徒をぶったたいたり、椅子ごと蹴っ飛ばしたりしていた。

 個人的には、先生は生徒にそれくらいはしてもいいんじゃないと思っていた。生徒の側も大概だし。難しい問題ではあるけど。

 M先生はかなりのお坊ちゃん(僕も知っていた世間的に有名な家の出という噂で、同級生には政界の重鎮がいる)らしいが、そういうイメージとはかけ離れていた。僕はこのM先生が嫌いじゃなかった。

 他の学校の校風を実際には知らないので詳しくはわからないが、生活指導にも力を入れている学校だったと思う。それは校訓にも表れていた。いい子が揃っていたから、先生方もやりやすくはあっただろう。

 

 そんなM先生だが、卒業後にお会いしたときにはすっかり元気がなくなっていて、悲しかった。歳のせいもあるだろうが、僕が在学しているときから、荒れた家庭環境に悩んでいた。

 以下、少し重い話になってしまうが……

 在学中、精神を病んでしまって亡くなる先生も何人かいた。詳しい事情を知らないのでいい加減なことは言えないが、先生方も悩んでいたのだ。

 また、卒業後に自ら命を絶ってしまうクラスメイトもいた。うつと戦いながら東大を卒業して、母校に教育実習にきている最中だったそうだ。

 自分が言えるような立場じゃないが、先生でもクラスメイトでも、もう少し話をしておけばよかった、なんとかならなかったか、と思う。


 中3のはじめのころ、ずっと冬休み明けだと思っていたのだが……それだと時期が合わないな。春休み明けだったのだろうか。それか、中3の遅い時期だったのだろうか。とにかく、M先生が長期休み明けに生徒にアンケートをしたことがあった。

 その中に、休み中1日平均何時間勉強をしたかという項目があった。宿題がない休みだったのか、宿題以外に、だったかは覚えていない。僕は素直に、「0時間」と書いた。先生はアンケートの結果を教室に張り出した。生徒の名前も書かれていたような気がする。

 僕は、ヤバいと思った。みんな結構勉強していた。平均2,3時間はしていたんじゃないだろうか。


 それから、僕は勉強するようになった。僕の中高生活の中で、これが最初の大きなターニングポイントだった。

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