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僕はどう生きるか 偏差値80からうつ、ニート、無職になるまで  作者: 依澄歌
誕生~小学生時代 フツウに生きていたころ
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先生を告発する

 小学生のときの話に戻る。このあたりから記憶がぐっと鮮明になってきて、同時に思い出すのが気が重い出来事が増えてくる。


 5、6年は同じベテランの女の先生だった。いい先生で、僕もお世話になった。男女ともに苗字にさんづけで呼ぶのが印象的だった。

 が、僕はこの先生にとても嫌な思いをさせることになる。


 子供だったからなのか性格なのか、クラスにちょっとヤバい感じの女の子がいて、その子が中心だったと思うのだが、掃除の時間に何やら集団でどこかに向かっていた。

 僕もよくわからないままについていったのだが、彼女たちの向かった先はなんと校長室だった。


 そこで、何人かが校長先生に対して担任の先生を非難する内容の話をした。

 僕はヒエーッってな感じで、黙って話をきいていたと思う。

 校長先生との話が終わった後、「遅くなりました」と教室に戻る僕に「いいえ」と短く答える先生の険しい表情が忘れられない。


 学級会が開かれ、先生は目に涙を浮かべた。

 そこで僕は、決死の思いで手をあげ、「よくわからないままついていっちゃったけど、先生は悪くないと思います」みたいなことを泣きながら言った。

 教室中から注目されて恥ずかしかったけど、あのときそう言って本当によかったと思う。


 このことは、保護者会でも報告があったようだ。「あんた、まさかこのメンバーに入ってないわよね?」と母にきかれて「入ってます……」と答え、怒られた。ここでも泣きながら母に事情を説明した。


 旦那さんも学校の先生と言っていたから、先生は家で相談したかもしれない。校長先生とも話があっただろう。どれだけの心労だったか。本当に申し訳なく思う。


 私生活では、塾での活動が本格化していった。

 塾はあまり辛かった覚えがないが、小学校の卒業アルバムをあとから見たら、『将来の夢:楽して暮らす ほしいもの:自由な時間』と書いてあったので、わりと参っていたのかもしれない。


 思ってみれば、塾での比較的楽しい思い出は大体5年のときで途絶えているので、6年は結構きつかったのだろう。

 平日は学校から帰っておやつを食べて、ほんの少しだけ仮眠をして塾に行く。休日はテストか、遠方まで特別な授業を受けにいく、みたいな生活だった。


 心身ともに余裕がなかったというよりは性格だと思うが、学校での運動会の練習を猛烈に嫌がった。クラブや委員会も嫌だったなあ。

 僕は、自分の時間を納得できないことに使うのが、人一番耐えられない。これは、小さなころから今に至るまでずっとそうだ。


 運動会本番では、紅白帽のあごひもをあまりに気にする僕を見て、母が別の帽子を用意して僕のことろまでもってきた。

 極端に神経質なところも、このころにはすでに見受けられる。


 世界が広がっていき、ぶつかるものも増えていく。小学校高学年は、そんな時期だった。

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