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僕はどう生きるか 偏差値80からうつ、ニート、無職になるまで  作者: 依澄歌
誕生~小学生時代 フツウに生きていたころ
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急激に目が悪くなる

 小3くらいのときに、急に目が悪くなった。

 近視に遺伝があるのかはわからないが、父は相当目が悪い。母も一時期視力が下がったそうだが、コンタクトが合わなくてやめたらいつの間にか回復していたらしい。


 目が大きい人は、近視になりやすいときく。そして、僕は目がでかい。二重瞼で、まつげも長い。鉛筆がのるといわれていた。小さいころは、クレープ屋さんに「お嬢ちゃん」と言われたこともある。なんの話だ。


 特に目が悪くなるようなことはしていなかったから、そういう体質だったんだろう。視力はぐんぐん下がり、両親はとても心配した。


 まず、暗いところで本を読んだり、字の小さいものを見たりするのは禁止だった。当然、漫画も禁止だった。

 僕がはじめてちゃんと漫画を読んだのは、家にあった父の『ドラゴンボール』を見つけたときだと思う。小4だったかな。

 父は医者なのだが、離島に研修かなんかで行ったときに宿に置いてあって、面白かったから揃えたらしい。

 ドラゴンボールを読んだ僕は、こんな面白いものがあるのかと思った。当時は第一形態のセルが怖かった。

 

 僕のバイブルといえる『動物のお医者さん』に出会ったのもこのころだった。犬を飼っている小学校の先輩のお母さんと仲良くなって、教えてもらった。

 のちに色々な人にこの漫画のことを話したが、好きだという人が多くて嬉しい。最高に面白い漫画なので、読んだことのない人にはぜひ読んでほしい。


 以後、漫画はよく読むようになった。父は少女漫画も含め、古典傑作漫画を色々ともっていた。それらは後述する事件のときに、大量の本やCD、レコードなんかと一緒に手放してしまった。引き取ればよかったと思うが、置く場所もなかったし、それどころじゃなかったのでどうしようもなかった。


 また、テレビゲームも禁止だった。このことは僕のメンタリティに結構大きな影響を与えたが、話すと長くなるので、別の機会に1つエピソードを割いて振り返ろうと思う。


 なんとか僕の視力低下を食い止めようと必死だった両親は、休日になると視力を回復させるトレーニングセンターに僕を連れて行った。

 センターまでは車でしばらくかかるし、トレーニングは退屈極まりないし、子供ながらにうさんくさいと思っていたし、僕はこれが嫌で仕方がなかった。


 我慢強く僕を連れて行ってくれた両親には感謝している。お金もずいぶんかかっただろう。もっとも、その後、それまでをはるかに上回る苦労と金銭的負担を両親にはかけることになるわけだが……


 結局、このトレーニングは効果がなかった。ブルーベリーを食べたりもしたが、視力の低下が食い止められることはなかった。


 今では、視力は0.1を大きく下回り、裸眼では目の前の人の顔も見えないが、眼鏡をかければ生活に支障はない。学生時代は使い捨てのコンタクトレンズを使っていたが、あまり運動をすることもなくなったし、面倒なので普段は使っていない。


 そんなわけで、日常生活で視力の低さで困ることはほぼないが、時代が違ったら野垂れ死んでいたのかなと思うことはある。

 実際、ずっと昔はそういう人もいたんだろう。近眼の割合は少なかったかもしれないけど。

 眼鏡のある時代でよかった。

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