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不思議な人だ。
先を歩く咲也の背中を見つめ、まゆりは思った。
外見は朝子よりも少し年上の上品な女性だが、広間にいる人たちの長として十分な威厳を醸し出していた姿から、 咲也が彼らをまとめるだけの能力を持っているのだと十分に感じられた。
位の高い家に生まれ、幼少より人の上に立つ事を求められれば、自然と身に付くものなのかもしれない。
咲也の姿に圧倒され、緊張もしたが、嫌な感じはしなかった。
むしろ、彼女の近くで、彼女の手足となって彼女のために働きたいと望んでしまう魅力があった。
今思い返すと、よく彼女の要望を跳ね除けることができたものだと、心の中で自分自身に拍手を送る。
咲也の後ろを黙々とついて歩いていると屋敷の玄関に着いた。
百花が綺麗な草履を靴箱から取り出し土間に置く。咲也は百花にありがとうと礼を言うと、土間に置かれた草履 を履いた。
まゆりも置いたままになっている自分の靴を履く。
玄関前には車が一台止まっている。運転席には、先回りして車を出したのだろう、瑞希がいた。
「本日はありがとうございました。何かありましたら遠慮なくご連絡をください」
外に出て車のすぐ近くまで行くと、咲也がまゆりに再度礼を言う。
「こちらこそ、ありがとうございました」
まゆりとしては咲也に何度も礼を言われるほど大層なことはしていないが、ここで彼女の礼を否定するのは失礼 だろう。咲也の礼を受け取りつつ、こちらも再度今日の礼を述べる。
朝子が車の後部座席のドアを開けてまゆりに車内に入るように促す。
まゆりは咲也に軽く頭を下げ、朝子にありがとうございますと言うと車に乗り込む。
まゆりが完全に車内に入ると朝子はドアを閉めた。
「よろしくお願いします、瑞希さん」
「はい、安全運転で行くから安心して」
まゆりが運転席にいる瑞希に声をかけると、瑞希は運転席から身を乗り出してまゆりの方に顔を向けると、笑顔 でそう言った。
「当たり前ですよ。事故なんか起こしたら、他の人達から非難轟々ですよ」
まゆりが乗った方とは反対側のドアを開けて朝子が車に乗り込み、シートベルトを締める。それを見て、まゆり も慌てて自分の所のシートベルトを締めた。
瑞希は朝子の指摘に、ははは知ってるーと言葉を返すと、咲也たちがいる方、運転席とまゆりのいる後部座席の 窓を開ける。
「車内から失礼いたします。咲也様、行ってまいります」
瑞希が咲也に出発の挨拶をする。
「はい、気をつけて行ってらっしゃい」
「あの、お邪魔しました」
まゆりの挨拶に、咲也は笑顔で手を振った。
車が走りだし、窓が閉まる。
離れていく咲也を、まゆりはじっと見つめる。
どうしてだろう。
何故か、寂しさで、胸が苦しい。
「まゆりちゃん、早速明日から能力制御の訓練を始めたいのだけど、明日の予定は空いている?」
朝子の問いかけに、まゆりは外の景色から視線を外し、朝子の方へ向ける。
明日何か用事があっただろうかと記憶を探るが、友人と出かける約束や家の用事もなかったはずだ。
「はい、空いています」
「それじゃあ、明日から訓練を始めようね」
明日から能力の訓練が始まる。まゆりの胸の内に不安が生じ、知らず知らず、体に力が入ってしまう。
「学校が終わったら迎えに行くから、校舎内で待っていてもらえる?あと、まゆりちゃんの連絡先を教えてもらえ るかな」
「あ、はい。少し待ってもらえますか?」
まゆりは制服のポケットの中を探る。
携帯電話をすぐに取り出せるように、たいてい制服のポケットに入れているのだが、上着の左右のポケット、どちらも何も入っていない。
どこに仕舞ったのか、記憶を辿る。
そういえば、今日は学校を出る前に通学カバンの中に入れていた事を思い出す。
ここでまゆりは今更ながら自分の荷物が手元にない事に気づいた。
「あの、私の荷物は」
今まで気づかなかった自分のまぬけさに、若干恥ずかしさを覚えつつ、まゆりは朝子に尋ねる。
「ああ、君の荷物ならここだよ」
はい、と運転している瑞希が、助手席に置いてあったカバンを片手でまゆりの方へ差し出す。
「ありがとうございます」
まゆりが礼を言うと、どういたしましてとバックミラー越しに瑞希の笑顔が見えた。 カバンの中を探り、携帯電話を取り出すと朝子と連絡先を交換する。
「念のため私以外のメンバーの連絡先も渡しておくね」
勝手に連絡先をもらっても良いのだろうかと困惑していると、そんなまゆりの戸惑いに気づいたらしい朝子は、 事前に了承取ってあるから、と笑って言った。
本音を言えば、この人たちの連絡先などほしくない。
彼らと親睦を深めるつもりはないのだ。
いつかは全く接点がなくなるのだから、繋がりは希薄な方が気持ちが楽なのだが、そんな我儘を言える立場でも、状況でもない。
そんな不満を胸の奥に押し込んで、朝子から他の人達の連絡先のデータを受け取る。
もらった連絡先の中に、白木尭久のものがある事に気づき、思わずほんの少しだけ眉間にしわが寄ってしまった。
近くにいる朝子に気づかれぬよう、まゆりはすぐに表情を元に戻す。
「よし、完了っと。急ぎの用件以外は基本メールで連絡をもらえるとありがたいかな。お役目中だと電話に出られ ないから。面倒かけるけどお願いできるかな」
申し訳なさそうに言う朝子に、まゆりは面倒ではありません、大丈夫ですと答えた。
「明日、学校が終わる前に連絡を入れたほうが良いですか?」
「ああ、大丈夫。終わる時間は分かるから。そう言えば、まゆりちゃんは何か部活に入ってる?」
「いえ、どこにも所属していないです」
「じゃあホームルームが終わる頃に連絡するね」
「はい、よろしくお願いします」
会話が途切れ、朝子は正面を向く。
話さなければいけない件は終わったのだろうと察し、なんとなしに車窓の外をぼんやりと眺める。
流れていく景色を眺め、どこか安心している自分がいることにまゆりは気づいた。
道路沿いには建物が立ち並び、人々がまばらにだが歩いている。
どこでも見られるような、当たり前な光景がこんなにも自分に安心感を与えてくれる。その原因は間違いなく、 今日自分の身に起こった出来事だろう。
昔から、不可思議な事が嫌いだった。
現実的でないもの、理解し難いこと。例えば、幽霊とか超能力とか、ファンタジーとか。
そんなものは、生きていく中で少しも役に立たない。むしろ、皆平等である事が求められる集団生活では、特殊 であるという事は最も不要だ。
そんな、最も不必要なものが自分にあるという。
どうせならもっと違う、将来役に立つ才能があったら良いのに。
なんて、情けないことを考えてしまう。