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自分で実際に体験したことだが、言葉にすると、あの経験が作り話のように思えてくる。
通常の人なら、空想の出来事だと笑われてしまうだろう。自分ですらあれは夢だったのではないかと少し思う。
だが、目の前の真剣な表情でこちらを見つめる人たちが、あれを夢だと切り捨てさせてくれない。
「その塊の上に、人がいて・・・手に持っていた刀を塊に突き刺した後、大きな叫び声みたいな音が響いたと思ったら、視界が変になって」
おかしい。あの塊を見た後からを思い出そうとすると、視界が定まらない。
視界が揺れ、正面を見ていられない。
額に手を当てる。
「まゆりさん、もう十分です。お話してくださり、ありがとうございます」
咲也の声に顔を上げる。
「あなたが見た、その塊ですが、ここにいる私たちはそれをオニと呼び、退治するお役目を担っています。今回は、こちらの不手際であなたを巻き込んでしまい、誠に申し訳ございませんでした」
咲也はまゆりへ謝罪を述べると、彼女に向かって深々と頭を下げた。
周りにいる人達も、咲也に合わせてまゆりの方へ向き、頭を下げる。多勢に頭を下げられ、まゆりは慌てた。
「え、あの。・・・確かに怖い思いはしましたが、怪我はありませんでしたし、えっと、頭を上げてもらえますか?」
まゆりは言葉を口にしながら、内心、何かとんでもないものに巻き込まれてしまっているのだと感じた。
咲也はさっきなんと言った?オニ?
あのお伽話に出てくるオニがこの世に存在するとでも言うのだろうか。
しかも、それを退治する役目を担っていると?
常識的に考えてあり得ない。
オニなんているはずがない。それは冗談ですか?と笑い飛ばせれば、どれだけ幸せだろうか。
しかし、まゆりは実際にオニと呼ばれているあの生き物の最後の叫び声を聞いて閉まっている。今でも耳に残っているあれは、幻でも、作り物でもない。
現実に生きて、あの場にいた。
咲也はゆっくりと頭を上げて、話し始める。
「申し開きをいたしますと、私どもはお役目の際に、今回のようにオニの存在を知らない一般の方々に被害が及ばないよう、作戦範囲へ特殊な仕掛けを施しています。今回も問題なく仕掛けを展開させていました。ですが、どうやらその仕掛けがあなたには効かなかったようなのです」
「どうして、私に効かなかったんですか?」
「まゆりさんのお話の中に、それまでいた場所と違う場所に入ってしまった様な感覚がした、とありましたね。おそらく、私どもが施した仕掛けに同調出来たために、中に入れたのだと思われます」
頭の中にはてなが浮かぶ。
まゆりは理解が出来ず、軽く眉間にしわを寄せた。
「これは、説明するよりも実際に体験していただいた方が良いでしょう。朝子、お願いします」
名を呼ばれた朝子は、はい、と返事をすると、立ち上がり、まゆりの元へと行くと膝をつく。
「まゆりさん、私の手のひらをよく見てください」
朝子が手のひらを上にして両手をくっつけ、静かに息を整える。
少しすると、朝子の手のひらの上に小さな立方体が出現し、あっという間に手のひらいっぱいの大きさまで膨れた。
突如現れた物体に、まゆりは目を丸くする。
「え、な、なんですか。これ」
「私たちは、結界、と呼んでいます」
まゆりの問に、朝子が静かに答えた。
「この結界に触れてみてください」
朝子に触るように促される。まゆりは少し躊躇した後、恐る恐る立方体へ手を伸ばす。
固い感触を想像していたそれは、想像に反し、するりとまゆりの手をその内側へを招き入れた。
自分の手が立方体の中に入ってしまった事に驚き、まゆりはへぇ!?と変な声を上げ、他の面々からは小さなどよめきが生まれる。ただ、朝子と咲也だけが静かに、まゆりの手が入っている結界を見つめていた。
「まゆりさん。この結界は術者が侵入を許可したもののみを内側に通します。今、朝子は結界を作っているだけで、一切の侵入を許していません。祐輔」
朝子の隣に座っていた男性が立ち上がり、まゆりと朝子の方へ行く。彼は膝をつくと立方体に触れる。すると、彼の手は中に侵入することなく、立方体の外側を触る。
祐輔は立方体をノックするようにコンコンと叩いた後、元いた場所へ戻った。
「通常はこのように内側に入れないはずなんです」
朝子の言葉に、自分はその通常に含まれない、例外なのだと覚る。
まゆりは立方体から手を離す。すると、出現した時とは逆に、立方体は小さくしぼんだ後、綺麗に消えた。
立方体を消すと、朝子も元いた場所へ戻った。
「一般の方の侵入を防ぐ仕掛けとは、この結界の事を示しています。お役目の際に張る結界は一般の方に私どものお役目が覚られないよう、様々な役割を果たします。その結界の影響を受ける事なく中に出入りできるのは、同じく結界を作れる者であるということ。そこにいる朝子も、4年程前に結界に迷い込み、能力を見出した者です」
まゆりは朝子を見る。
自分と同じ、その結界に迷い込み、今では彼らとともにお役目とやらを果たしているらしい。
この話の流れから、まゆりはどうして咲也がこんな話をするのか、なんとなく予想が出来た。
「つまり、私も、朝子さんと同じく、結界が作れる・・・そういう事ですか」
「はい」
そんなまさか、という思いとともにまゆりが投げた問いかけを、咲也は真剣な表情で是と答えを返す。
自分に何か得体の知れない能力があるのだと告げられたまゆりは思考が停止した。
あり得ない、あり得ない、あり得ない。
その一言が彼女の頭の中を埋め尽くす。
「突然、こんな事を言われて、混乱するのも無理はありません。ただ知っていて欲しいのです。あなたは特別な能力を持っていて、それについての知識がないままでいることは危険であると」
咲也の静かな声は、こちらを心配しているのだと十分に察せられる。
まゆりは混乱した頭を整理するために、教えられた情報を順番に思い出す。
1つ、今日見たあの塊はオニと呼ばれている。
1つ、ここにいる人たちはオニを退治している。
1つ、自分がここにいるのは、オニを退治するために張っていた結界の中に入ったから。
1つ、結界の中に勝手に入れたのは、結界を作る能力を持っている。
「あり得ない」
頭の中で整理した情報に、思わず言葉が漏れた。