2
後悔しても、起こってしまったことは変えられない。
後の行動で良い状況へ好転することもあれば、何をどうやっても悪い状況から抜け出せないこともある。
あの時は、後者の方だった。
過去を悔やみ、未来に希望はなく、現状を嘆くしかなかった。
愛しいあなたに、残酷な仕打ちをさせてしまってごめんなさい。
それでも、私は・・・。
「・・・れ、し・・・った。」
何か言葉を発すると同時に、自然にまぶたが開き、目の前の光景が飛び込んできた。
どこか狭い部屋のようだ。見える範囲のものに見覚えはない。
どうしてこんな所で寝ているのだろう。寝起きのせいで動きの鈍い頭で考え始める前に、柔らかい女性の声が聞こえた。
「目が覚めた?具合はどう?」
年上の女性が顔を覗き込んできた。見知らぬ女性の問いに答えようとするが、体が重く、動きが鈍い。
気を抜くと、意識が沈んでしまいそうになる。
「こ、こは?・・・わた、し、は」
重い体を動かし、小さくかすれた声で言う。女性はその小さな音を拾い上げる。
「あなたは道で意識を失って倒れていたの。今は私達の車で移動中。着いた先であなたを診てもらう手配をしてあるから。あなたの許可を取らないまま、決めてしまってごめんなさい」
「いえ、・・・あの、助けて頂いて、ありがとう、ございます」
いつまでも横になった状態では失礼だと思い、起き上がろうと体を動かすが、やんわりと女性に止められる。
「当然のことをしたまでよ。もう少ししたら到着するけれど、今はまだ横になっていなさい」
すみませんと言うと、気にしないでと笑みが返って来た。
女性とやり取りをしたことで、少しずつ頭のなかの霧が晴れてきた。
道で倒れていたと言われたが、自分は貧血で倒れたことはないし、思い病気を患っているわけでもない。
倒れる前に何が起こったのかを、一番最初に思い出せた記憶から遡っていく。
今日の学校が終わり、帰る途中で自分は不思議なものを見た。
“あの塊”を思い出した瞬間、思わず叫び声を上げそうになった。しかし、引きつった喉からは悲鳴ではなく、かすれた小さな音しか出ない。
あれは、あの生き物は何だったのか。
生き物に刺さった刀が引きぬかれた時の大きな咆哮が耳の奥で蘇る。
得体の知れない生き物が、あの時、確かに目の前にいたのだという恐怖が次々と湧き出し、体が強張っていく。
息が上手く出来ない。
体にかかっている布の端をギュッと握りしめる。
「落ち着いて、もう大丈夫だから。」
女性のゆっくりと静かな声が耳に入り、そちらに視線を向けると心配そうな顔でこちらを見ていた。
「倒れる前に見たことを、思い出したのね」
頷き、ゆっくりと瞬きをする。
「いろいろと分からないことが起きて混乱していると思うけれど、これから行く所で説明するから」
女性の手が額に触れる。少しひんやりとしていて心地いい。
「今、あなたを傷つけるものはいないわ。大丈夫」
こちらの恐れを取り除こうとしてくれている事を感じる。まだ体の強張りは解けないが、深く息を吸って気持ちを落ち着かせる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ニッコリと笑う女性につられて笑みを浮かべると、女性の笑みが更に深くなった。
少し落ち着いたところで、それまで続いていた車の振動が止まった。
「あ、着いたみたい。起き上がれる?」
女性の手を借りて、ゆっくりと起き上がってみる。体を起こすと視界が揺れたが、すぐにそれは治まった。
横になるために脱いでいた靴を履いていると、視界の隅に何かが見えた。
なんとなしにそちらを見ると、見覚えのある後ろ姿が出入り口と思われる扉から出ていく。
扉の方を見て動きが止まっている事に気づいた女性が、どうしたのと問いかけてきたが、何でもないと返事をして立ち上がる。めまいはなく、自力で歩けそうだ。
「1人で歩けそう?」
「はい。大丈夫です」
「辛くなたら教えてね。それじゃあ、行こうか?」
分かりましたと返答すると、女性が歩き出す。その後に続いて大型車から降りた。
外はすっかり暗くなっている。
「あの、今何時ですか」
「ん?んーと、19時を過ぎところだね」
「すみませんが、今親に帰りが遅くなると連絡してもいいですか?」
「ああ、もうあなたの親御さんにあなたの帰りが遅くなることは連絡してあるから、大丈夫よ」
持ち物のかばんの中に入っている生徒手帳には緊急連絡先として自宅の電話番号と父親の連絡先が入っている。それを見て連絡したのだろうか。
「そう、ですか。ありがとうございます」
どのようにして親へ事情を説明したのか疑問に思うが、深く聞かないことにした。
行くよーと先に行く女性の後に続く。
車は外見だけで広いだろうと予想できる立派な日本家屋の前に止まっていた。
玄関に入ると女性が式台に上がり、土間で脱いだ靴を引き戸が付いている靴箱の中に入れていた。
入ってきた玄関の扉を閉めてから式台の近くまで行き、靴を脱ぐ。式台に上がり、靴を揃えてつま先を玄関入り口の方へ向けて置いた。
立ち上がり女性の方を向くと、彼女はこちらを見て待っている。
お待たせしましたと言って彼女の方へ行く。
女性の後に続いて玄関から続く廊下を進み、家屋の奥へ奥へと進んでいく。
家屋の中を進んでいてどこか既視感を覚える。その原因が最近見に行った武家屋敷であると気づいた。古い建物が持つ独特の空気が、似ているのだ。
何故か緊張が全身に走る。
心臓が一瞬多く脈打ち、指先の温度が失われていく。
「咲也様、朝子です。件の少女をお連れいたしました」
しばらく廊下を進んだ先で、女性が襖の前に膝をつき、中にいるのだろう人へ声をかける。
するとすぐに中から落ち着いた女性の声が返って来た。
「お入りなさい」
「失礼いたします」
中からの返答を受けると、ここまで案内した女性、朝子は襖を開ける。
「どうぞ、中へ」
先に入ると思っていた朝子に中に入るよう促され、少女は少し戸惑う。
このまま立っていても先に進まない。
意を決して、中へと足を進めた。