地獄の入口
港の街灯が途切れた先にジャックの店はあった。ライブハウスには見えない倉庫みたいな外見はエトランゼ達の溜まり場で、犯罪の温床でもあった。錆び付いたドアは、葛城でさえも開くのを躊躇わさせた。
葛城は銃を構えてゆっくりとドアを開けた。真っ暗な室内は物音一つなくて、目を見開き視覚、聴覚、嗅覚を集中した。始めの刺激は臭覚だった、咽る様な血の匂いは密室の空気循環の悪さも手伝い、酸素の存在を忘れさせた。
前方に広がる漆黒の闇は前後左右だけでなく上下の感覚さえ麻痺させ、宇宙空間に浮いてるみたいに感じられた。そして音は耳鳴りを伴い、心臓の音が輪唱みたいに鼓膜に張り付いた。
開いたままのドアから微かな光が葛城の背中から照らし、徐々に慣れてきた視覚に床の物体が映る、それは死体の大群だった。
なんとか明かりのスイッチを見つけると、ピンスポットの照明が点いた。
「なんてこと……」
そこには、見渡す限りの死体があった。気が付かなかったが、床は打ち水をした様に血に染まっていた。そして見た事で、靴を通してもベトつく感覚が足の裏に現れた。
観客席に十人、ステージに三人の死体を確認した葛城は署に連絡しようと携帯を取り出した。しかし、届くはずの電波は雑音だけを作っていた。
「くそっ……」
吐き捨てた葛城はもう一度周囲を見渡した。死体は男女が混ざり、殆どが外国人の様だった。そして、ステージの隅にジャックを見つけ近付いた。両目を潰されてはいたが、ジャックはまだ息があった。
「何があった?」
葛城はジャックを抱き抱えた。
「……その、声、は……葛城……」
途切れながらの消えそうな声はジャックの状態を表していた。
「直ぐに医者に見せてやる」
「……葛城……俺、の……目……どう、なってる……」
「赤い……アイシャドウしてるのか?……」
血に染まったジャックの目には眼球が無かった……葛城は全身の血が沸騰してるのを押さえて声を絞った。
「……そん……な……趣味……ない……」
ジャックは口元だけで力なく笑った。
「奴は何処に行った?」
「何……なんだ……あれは?……・」
「何処に行った?……」
「楽屋……行き…止まり……抜け……道……マン…ホール……」
ジャックの言葉は最後に向かっていた。
「分った……」
「気……付け……あれ…………悪魔……人……違…う……」
「もういい、喋るな」
「……目……拾っと…………いて……くれ…………」
ジャックは絶命した。
「くそったれ……」
ゆっくりとジャックを床に寝かせ、葛城は立ち上った。両手の血を上着で拭い、ホールの奥の楽屋の方向を眼球が痛くなる程葛城は睨みつけた。
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切れかかり、不規則に点滅する蛍光灯が楽屋に続く通路を歪めていた。壁に背を付け銃を真っ直ぐ構えた葛城は、ゆっくりと進んだ。血の臭いは薄れ、カビと埃が混ざった臭いに変わった。
突然、携帯が鳴る。バイブが心臓の音と同調した。
『葛城さん、今どこですか?』
薪の声が葛城を現実に引き戻した。
「港倉庫のジャックの店だ、害者は十数人……ジャックも死んだ」
『何ですって、十数人ですって、そんなバカな』
「早く来い」
「俺が行くまで、無茶しちゃダメですからね』
薪は受話器の向こうで叫んだ。
「分ってる……」
張り詰めていた葛城の心は新鮮な空気に包まれ、目を伏せて微笑んだ。そしてネクタイを更に緩め、額の汗を拭いカラカラの喉に強引に唾液を送り込むと、肺の空気を全部入れ替える位の大きな深呼吸をした。
葛城は先へと進んだ。楽屋のドアは半開きで、その横の壁に葛城は背中を付けた。そして呼吸を整え、飛ぶ様に突入した。
雑然とした狭い部屋、衣装などが散乱し、壁の鏡には血が飛び散っていた。そのまま楽屋を抜け、奥の方へゆっくり進む……そこには、抜け道のマンホールがあった。
蓋はずらされ、覗き込むと上から一メートル程から先は、本当の”闇”だった。流石の葛城もその闇の中へ入る事を考えると身が凍った。
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『夏樹警部、葛城さんが!』
食事が終わり、ソファーでくつろいでいた梓に薪の慌てた声が入った。法子がキッチンで洗い物をしている事を確認して、梓は小さく返事した。
「薪君、落ち着いて。状況を」
『港倉庫のジャックの店です! 害者は十数名、犯人はまだ現場にっ! 葛城さん一人なんです!』
薪は叫ぶみたいに捲くし立てた。
「あなた、今どこ?」
『向かってます』
「現着何分?」
『後、二十分は』
「後は任せて、あなたはとにかく急いで」
『わかりました』
梓は電話を切って直ぐ、他の場所に掛けなおした……震える指、締め付けられる胸の痛みを抑え、飛んで行きたい気持ちを押し殺して。
梓は今日程呼び出し音が長く感じた事はなかった。
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「動くな、両手を見える場所に出せ」
背後からの突然の声に、葛城はゆっくりと手を上げた。
「塩浜署の葛城だ」
その声が同業者だと直ぐに分った葛城は、時計を見た。マンホールを覗いてから、二十分以上経過していた。葛城は悔しさが爆発しそうだった、自分は恐怖で長い時間動けないでいたのだ……唇を噛み締めて、握ったままの銃に力を込めた。
「公安特別機動隊の足利です」
黒い戦闘服の男は、大男の割に優しい目をしていた。
「特機隊?……何であんたらが?」
葛城の後ろには自動小銃で完全武装した集団がいた。特機隊とは公安のテロ対策部隊だった。
「上からの命令です。奴は?」
「多分、あの中だ」
葛城はマンホールを目で指した。
「第一班、突入。残りは付近の捜査」
足利の命令と同時に、一人の隊員がマンホールに小銃を一連射した。そして、射撃音の収まらないうちに四人がマンホールに入った。
「俺も行く」
後に続こうとした葛城の前に足利が立ち塞がった。
「危険です」
「分ってる、どけ」
葛城は鋭い視線を足利に向けた。
「通す訳にはいきません」
足利は葛城の視線に臆する事はなかった。
「公安がどうして?」
足利の態度に葛城は切り口を変えた。
「命令です」
「誰の命令だ?……」
葛城のココロのタンクは、アドレナリンが危険水位を超えそうになった。
「葛城さんっ、よかった」
突然の薪の声は葛城の抑制剤になった。薪は葛城の腕を引っ張って、部屋の隅に連れて行った。
「どういうことです? こんなに一度に大勢……今までは、一人づつだったのに」
薪は特機隊の連中を横目で見ながら眉間を狭めた。
「さあな……それよりあの連中」
葛城はタバコに火を点けた。何年ぶりかとも感じられた紫煙は、心と身体を落ち着かせた。
「もしかして……」
頭の中に梓の言葉が木霊した薪だった。
「心当たりがあるのか?」
「来る前に夏樹警部に連絡しました」
「梓に?……」
葛城の中に考えが浮かんだ。そして、足利の方に歩み寄った。
「本庁と公安で取引したのか?」
葛城はストレートにぶつけた。
「お答えできません」
足利は表情を変えなかった。
「隊長! 一斑との連絡が途絶えました」
突然、葛城と足利に隊員が割って入った。
「何だと?」
足利の脳裏は事態の把握が出来なかった。突入して五分も経ってない、考えようにも思考は固まっていた。
「無線の故障じゃないのか?」
それでも動かない脳を駆使して足利は部下に叫んだ。
「だいたい、穴の中なんかで無線なんか通じるのかね?」
慌てて無線をチェックする隊員を見て、呆れたみたいに薪は呟いた。
「中継器がある、トンネルの中でも通話可能だ」
足利は薪を睨んだ。
「どうするつもりだ?」
「……」
葛城の声に足利は答えなかった。
「行くしかないだろ?」
もう一度、葛城は背を向ける足利に言った。
「四人も失った……撤退するしかない」
背を向けたまま、決心した様に足利は呟いた。
「死んだとは限らない。あんた指揮官だろ、最後まで部下の安否を考えろ」
葛城の声は突入した者の”生”を考えていた。
「残った者の安全も、私の使命だ」
足利の声もまた、残る部下の”生 ”゛を考えていた。
「勝手に撤退しろ、俺は助けに行く」
吐き捨てるみたいに葛城は言ってマンホールに向かった。
「待て」
その背中に足利の低い声が刺さる。
「……」
無言のまま振り向いた葛城に足利は自動小銃を渡した。
「持ってけ……」
「ついでに、ライトも貸してくれ」
葛城はニヤリとした。足利は葛城にライトを渡すと、自分も装備の確認を始めた。
「何してる?」
「部下の救出だ」
足利は装備の確認を続けながら呟いた。
「俺も行きますからね」
他の隊員から強引に自動小銃をもぎ取った薪は鼻息が荒かった。
「撃てるのか?」
薪の方を見た葛城だった。
「ここを持って、ここを引く、するとここから弾がでる」
薪は解説した。
「上等だ」
葛城はまたニヤリとした、そして足利に目をやった。
「救護と応援を要請しろ、私は救出に向かう」
足利は残った隊員に指示した。
「我々も行きます」
隊員達は足利の元に集まった。
「俺たちが帰って来ない時はな」
足利の声は穏やかだった。
「隊長……」
俯く隊員は声を合わせた。足利は背筋を伸ばし、はっきりとした口調で言った。
「行ってくる」
「俺達も行くか」
葛城はマンホールに向かう足利の後に続いた。
「待って下さいよぉ」
慌てて薪も後を追った。




