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扉を開けた恐怖

「害者は三谷宗則二十五歳。バーテンダー、死亡推定時刻、昨晩午前三時から四時。両眼摘出、両耳切断、鼻は潰され、舌は……」


「場所は?……」


 薪の報告を途中で遮って葛城は押し殺した声で呟いた。


「御幸通りのモデナです……」


 また薪の答えの途中で葛城は席を立った。


「葛城さん、対策本部のミィーティング……」


 薪の声は葛城の背中には届かなかった。慌てた薪は上着を引っ掴み、後を追った。そして、駐車場でやっと追い付いた。


「付いて行きますからね」


「好きにしろ」


 低い声で言った葛城は、ゆっくり助手席に乗った。薪は御幸通りのモデナに向けて、無言で車を走らせた。午前中で晴れてるはずなのに、空気がベトつく感じがした薪は横目で葛城の様子を窺った。


 遠く一点を凝視している横顔は、長い付き合いでも見た事のない雰囲気を溢れさせていた。その根底にあるのは、いくら鈍感な薪にもひしひしと感じられた。触れば火傷しそうな感じ……否、それ以上の、怖い程の空気が薪を内側からも圧迫した。


 現場では、数人の警官が辺りを警戒していた。鑑識も帰った後で、葛城は無言で立ち入り禁止のテープを潜って中に入り、薪も後に続いた。


「堪らない臭いですね……」


 現場の臭いは、正しく血の臭いだった。鼻腔の奥から咽て、空気までドロドロにした臭いだったが、薪にはさっきの雰囲気から比べたらマシの様に感じられた。葛城は、被害者が座らせられていた椅子の前でずっと目を閉じていた。


 血に塗れた椅子とおびただしい床の血痕は、前衛芸術のように暗いライトに照らされていた。しかし、それ以外は荒れた様子もない店内は、事件の糸口を曖昧にしていた。


 その普通で日常で、何の不信感も抱かせない現場と凄惨な殺人事件が更に事件を眼界の向うに晒す。


「前回同様、無差別なんですかね?……害者同士には何の繋がりもない……動機も分らない……いつ起こるのかも不明……待つしかないなんて」


 葛城の背中越しに問い掛けた薪だったが、反応なんて期待してなかった。


「……鑑識は?」


 椅子を見つめたまま呟く葛城に驚いた薪だった。


「えー、害者以外の指紋及び体液の検出無し、遺留物もありません。毛髪がありましたが、数が多いので分析中です」


 慌てて手帳を開いた薪だった。


「もしも俺たちに絶対的権力があって、全市民を家に閉じ込める事が出来て、街中に監視カメラを設置して、何百の警官で警備出来たら?……」


 葛城は薪の報告の後、静かな声で呟いた。


「そしたら、捕まえられますね」


 手帳を仕舞いながら薪も呟いた。葛城はまた少し沈黙した後、噛み締めるみたいに言った。


「そうだな……それじゃあ、現実を見るか」


「現実ねぇ……」


 何が現実で何が夢なのか、薪の中では整理がつかなかった。葛城は、今の自分達に出来る事からやるしかないと自身に言い聞かせ、声に出した。


「夜だ……」


「へっ?……」


 薪は聞き返した。


「分っているのは、犯行は夜って事だけだ」


 向き直った葛城は、薪に強い視線を向けた。意味なんて分らなかったが、薪は葛城を見つめ返した。


「どこでも付いて行きますよ」


「頼りにしてるぜ……」


 いつもの皮肉には聞こえないと、薪は感じた。


___________________



「飛燕ちゃん」


 夕方のスーパーのレジで飛燕は急に呼ばれた。振り向くと、笑顔の法子がいた。


「どないしたん法子さん?」


 驚いた飛燕だった。


「何時まで?」


 また笑顔の法子。


「今日は五時時までやけど」


「待ってる」


 嬉しそうに手を振って、法子は出口へ戻って行った。


「美人だね、飛燕そっちの趣味だったのか?」


 隣のレジから瑞樹が笑った。


「アホちゃうか」


 笑い返した飛燕は何故か、とても嬉しかった。仕事が終わり、従業員出口を出ると法子が待っていた。


「お待たせ」


 飛燕は走って法子の元に駆け寄った。


「遅いぞ」


 よく見ると、法子はいつもみたいな大人の雰囲気ではなくて、細身のジーンズにサンダル、タンクトップといった少し子供っぽい格好だった。それが全く自然で似合っていて、嫌味なとこなんて皆無だった。


「どないしたん? また、お子様みたいなカッコで」


 飛燕は思わず冷やかした。


「今日は、飛燕ちゃんと遊ぶんだ」


 全く効いてない法子は大らかに笑った。


「何処行くんや?」


 少し呆れた飛燕は苦笑いした。


「行くよ」


 法子は飛燕の腕を取り走り出した。初夏の太陽は眩しくて、汗ばむ気温は身体の細胞を活発化し、心の栄養にもなっているみたいに飛燕は感じた。


「飛燕ちゃんゲーム上手いんだ」


 ゲームセンターの格闘ゲームでは飛燕は敵無しだった。


「うちの数少ない取り得やね」


 全然出来ない法子をよそに、飛燕は得意げだった。クレーンでは、法子の欲しがる縫ぐるみを一発で捕り、ダンスゲームでも抜群のダンス感覚で周囲の喝采を浴びた。


 法子は皆の拍手の中で、飛燕がとても眩しく見えた。二人で沢山プリクラして、競馬のコインゲームで大笑いした。


 飛燕にとって不思議な感覚だった。新しい友達と遊ぶ……今までに何度もあったはずなのに、どこかが違うみたいな感覚。それは不快などではなくて、例えるのが難しいが敢えて言うなら”懐かしい”に近い感覚なんだろうってぼんやり思った。


 そして、前に法子が言った言葉が泡の様にほんのりと包んだ”関西弁の二十歳位の女の子を見ると、なんかこう”……。


 法子は単純に飛燕と遊びたいと思った。しかし、深層心理の中には確かにその訳はあった。でも、なるべく出さない様に、飛燕に気付かれない様に……それは、自分の為かもしれない……飛燕に嫌われたくない……それが根本だった。


「ねえ飛燕ちゃん。名前、誰がつけたの?」


 不意に法子は言った。飛燕は向き直り、ちょっと笑って首を傾げた。


「お父ちゃんのお父ちゃん、つまりおじいちゃんや。大昔の戦闘機の名前なんやて、なんでもごっつ綺麗な飛行機やったそうや……でもな、エンジンがボロでアカンやったんや、そこでなカッコ悪うなるけど、エンジン変えたそうや。そしたらなメチャメチャ良うなったんやて、他のどんな戦闘機よりも強かったんやて……でもな、うちは女の子やで……意味が分らん」


「そうなんだ……私はなんか分るな」


 法子は、宙を見た。


「ホンマ?……」


「外見よりハートで……強くなれる」


 不思議な顔をする飛燕に法子は優しい笑顔をくれた。


「そう。なんかな……」


 飛燕もつられて笑顔になった。


「私のお母さんも大昔の航空母艦の名前だって」


 法子はまた笑顔をくれた。


「飛行機に空母かぁ……なんかごっつい名前やな、女の子やでホンマ」


 自分の名前の事、少し好きになった飛燕だった。法子は立ち上ると、飲み物を買いに行った。飛燕はその後ろ姿に、何故か言葉に出来ない不思議な感情を確かに感じた。


「飛燕じゃねえか?」


 数人の人相の悪い男達がベンチに座る飛燕に声を掛けた。飲み物を買いに行っていた法子が戻って来てるのを見つけた飛燕は焦った。


「そんならな」


 立ち上った飛燕は法子の方へ走ろうとしたが、金髪の丸刈りに腕を掴まれた。


「つれないなぁ飛燕」


「放しぃ」


 法子が来るまでになんとか逃げようとした飛燕は、必死で腕を振り払おうとした。しかし、法子は満面の笑顔でやって来てしまった。


「お待たせ」


「ほう、可愛いな……紹介しろよ飛燕」


 男達は法子の周りに集まった。法子の笑顔が恐怖に変わる。


「その子は関係ないやろっ!」


 飛燕は腕を振り払って法子の側に駆け寄った。そして、飛燕は法子を自分の後ろに隠した。


「いいじゃねぇかよ」


 だんだん近寄る男達に飛燕は啖呵をきった。


「この子には指一本触れさせへん!」


 瞬間、飛燕と法子は同時に水中で煌く青白い炎みたいなものに包まれた。飛燕は背中の法子が小さく感じ、自分が守らなきゃって衝動が破裂する。法子は目前の飛燕の背中が大きく感じ、限りない優しさに包まれた感覚に支配された。


 二人の意思は混ざり合い、溶け合って意識の中で固体化し、現映化した。



 飛燕の意識の中には、あどけない笑顔の赤ん坊がいた。大きな瞳は少し潤んで、胸の辺りに痺れるみたいなキュンと掴まれる感覚……それは、愛しいもの大切なもの……何にも代えられない小さな宝物に感じられた。


 法子の意識の中には、慈愛に満ちた笑顔があった。両手でその頬を触ろうとしたら、自分の手が紅葉みたいに小さくなっている事に気付いた。触ると柔らかい頬は温かくて、自分の中の痛みや悲しみを全部癒してくれているみたいな感じがした。


 そして、二人は同時にあの感覚に包まれた……大切な人を抱き締めた時のあの感覚に。法子は後ろから、そっと飛燕の手を握った。そこにはもう、恐怖は微塵も存在しなかった。


「あら、法ちゃん……飛燕ちゃんも」


 二人を現実に引き戻したのは梓の声だった。


「梓姉ちゃんっ!」


 飛燕の後ろから法子が声を上げ、梓は男達を完全に無視して二人に近付いた。


「ついてるな、また美人の登場だ」


 リーダー各らしい目の鋭い男が梓に近付く。


「キャッ、美人だなんて」


 梓は嬉しそうに腰をくねらせた。


「あんた、何してんねん、状況分らへんの?」


 飛燕は必死で叫んだ。


「状況? 遊んでたんじゃないの?」


 わざとなのか、梓は周囲に笑顔を振り撒いた。


「まあ、オバサンだけど分ってるじゃん」


 リーダー各の男はニヤニヤしながら、梓の肩に腕を回した。


「オバサン……」


 梓の声が低く響いた。


「いや、少し古いお嬢さん」


 男の声に周囲は爆笑した。その瞬間、腕を回した男のわき腹に強烈な肘打ちが入り、男は一発で悶絶した。


「誰がぁ~美人はいいけど、オバサンだぁ?」


 変な所で言葉を区切り、梓は横の男を背負い投げで投げ飛ばし、後ろの男に回し蹴りを見舞った。梓の攻めに一瞬引いた男達も直ぐに殴りかかる。一人の男のパンチを寸前で見切り、カウンターでパンチを返す。結局、男達は梓に指一本触れる事なく全滅した。


「ありがとう、梓姉ちゃん」


 法子は笑顔で梓の腕にしがみ付いた、ボコボコになって横たわる男達を見ながら飛燕も呟いた。


「確かに助かったけど、もう少し手加減しぃな……」


「手加減したよ、MAXの半分ってとこかな」


 梓は法子に向けていた微笑を飛燕に移した。


「あれで半分……まあ、半殺しってとこやね……」


 呆れた様に飛燕は呟き、、足元にはまだ男達が痙攣していた。


「法ちゃん、もうじき日が暮れる。早く帰るのよ、戸締りして、朝まで絶対に外に出ちゃダメ」


 急に真剣な顔になった梓は法子の腕を強く掴んだ。


「何かあったの?」


訳が分らず、法子は梓の顔を不思議そうに見た。


「いいから、私の言う事聞いてちょうだい。飛燕ちゃんもっ」


 母親が子供に言い聞かせるみたいな仕草は、少し飛燕の胸を突付いた。


「分った……」


 法子は小さく頷いた。


「飛燕ちゃんも分った?」


 今度は飛燕を真っ直ぐ見た梓だった。


「うちもなん?」


 何故か反抗したくて飛燕は呟いた。


「お願い」


 梓の目は真剣だった。


「うん……」


 飛燕は仕方なく返事した。その胸の奥では、梓に聞いた事件が大きく蕾を膨らませていた。背筋を伝う恐怖は、法子の横顔にまとわり付き梓の後姿に木霊した。


「さあ、不良娘達を送ってくか」


 梓は二人の肩を抱いて出口へと向かった。


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