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止まった時間

 二日程、バイトをさぼって飛燕はベッドの上にいた。何も考えない様にしようとレンタルビデオを沢山借りた。SFやコメディ、恋愛物を見まくり、笑って泣いてドキドキして、心の中をリセットした。


 そしてやっと考えなくなって、シャワーを浴びてバイトに出かけた。


「飛燕、どうしてたのよ?」


 瑞樹は隣のレジから、お客の空いた隙に声を掛けた。午前中のスーパーは空いていて、飛燕もレジを拭きながら笑って見せた。


「ゴメン、もう大丈夫や」


「それならいいけど……あっ、主任が睨んでる」


 いつもの瑞樹の雰囲気に、飛燕の気持ちの上澄みは少し透明になった。瑞樹は飛燕の気持ちが分かるみたいに、留守電に普通の言葉を残してくれた。それは最優先の安否の確認だけであり、それ以外はそっと見守っていてくれた。


 昼の混雑、本命の夕方の混雑は飛燕を現実に引き戻した。普段の生活、いつものペースは精神を安定させ、傷だって見えなければどうって事ないと思わせてくれた。


「すみません。こちらの、おばあちゃんが先に並ばれてます」


 そしてもうすぐ上がりの時間という時、瑞樹は隣のレジで凍っていた。レジに横は入りした超強面の大男に飛燕が注意していたのだ。


「飛燕……また」


 震える指の瑞樹は、上手くレジが打てなかった。非常呼び出しのボタンを押しても、多分モニターで見ているんだろう警備員はなかなか来なかった。


「何だぁお前は?」


 男の大声は周囲を威嚇した。


「見たら分るやろ、レジ係や」


 飛燕は老婆をかばうみたいにして、男に対応していた。 


「金は払うって言ってるんだよ」


 男は更に声を荒げた。


「お嬢さん、私はいいから」


 震える老婆は飛燕の陰から、なんとか声を出した。


「心配ないで、おばあちゃん。間違ってんのはこのオジサンや」


 飛燕は振り返って、老婆に笑顔で言った。老婆の震えが飛燕の笑顔によって止まった。


「いい加減にしろよ!」


 大声と共に男は飛燕に近付いた。


「あんたこそ、いい加減にしなよ!」


「瑞樹……」


 唖然とする飛燕の前に瑞樹が飛び出して来た。


「そうです、お嬢さんは間違ってません」


 老婆も飛燕の前に出た。


「おばあちゃん、あかんっ」


 飛燕は老婆を抱き抱えた。


「そうよ、おかしいのはあんたよ」


 後ろに並んでいた主婦も前に出た。


「ちゃんと並べよ」「そうだ」「女やばあちゃんに凄むな」「そうだそうだ」


 反対側からやその向こうのレジからも声が出た。その声は始めは疎らだったが、やがて収束し大波となって男に迫った。そして叱責の声の渦の中、警備員もやっと集まって来た。


「何だこいつら?……」


 後ずさりした男は、足早に出口へと消えた。一斉に拍手が起こり、その真中には笑顔の飛燕がいた。


「全く……あんたは……」


 急に腰が抜けたのか、瑞樹はヘナヘナと座り込んだ。


「堪忍、瑞樹……うち……」


 すまなそうに飛燕は情けない顔になった。


「お嬢さん、ありがとう、ありがとうね」


 情けない顔の飛燕に、今度は老婆が笑顔をくれた。


「おばあちゃん……」


 飛燕も自然と笑顔になった。


「お嬢さん、お名前は?」


「立花飛燕です」 


「いいお名前ね」


 老婆の優しい笑顔は、飛燕の気持ちを温かな陽だまりで包み込んだ。


 騒ぎが一段落して上がりの時間が迫った時、冷凍食品コーナーに法子を見つけた。途端に早まる動悸、滲む汗が飛燕を締め付けた。時間と同時に飛燕は駆け出した、呼び止める瑞樹にも気付かないで……。着替えるのももどかしく売り場に走る。そして、法子の後をつけた飛燕だった。


 夕暮れの街を買い物袋を下げて歩く法子、次第に飛燕は距離を詰めた。そして法子の背中に手が届く所で、飛燕は自分の意志とは関係ないのに声が出た。


「あの?……」


 振り向いた法子は、清楚でとても綺麗だった。


「何ですか?……」


 声さえ、飛燕からしても可愛いって思えた。


「あの……薪さん、ご存知ですか?」


 咄嗟に薪の事が出た。


「ええ、父の同僚の方ですが」


 法子の笑顔は、飛燕の中で突然何かを繋げた。


「お父さんって?」


「葛城巧です」


 立ち眩みって、本当にあるんだと飛燕は思った。空に電線が見えた後、夕焼けが霞んで、視界はゆっくりとブラックアウトした。


_________________



 気が付いたのはマンションの一室だった。大きなソファーは、優しい匂いがした。


「びっくりしちゃった、急に倒れるんだもん」


 法子は、優しい笑顔で飛燕の側に立っていた。


「ごめんなさい……うち、どないしたんやろ……」


 曖昧な記憶は、飛燕の中で交錯していた。法子の入れたお茶を飲み、時間が飛燕を少しづつ回復させた。


「ところで、薪さんの事、何か知りたかったの?……相談に乗ってもいいわよ」


 飛燕の回復を見計らって法子は話し始めた、子供みたいな笑顔で。しかし、法子は勘違いしているみたいだった。そして、明らかに年下の飛燕にお節介を焼きたい様子だった。


「違います、なんで薪慎二なんか……うちは……」


 強く否定した後の語尾は、消え入りそうな飛燕だった。


「違うのか……あっ、そうだ私、葛城法子。あなたは?……」


 少し残念そうな法子だった。


「うち、飛燕。立花飛燕です」


「ひえん…ちゃん……」


 法子もまた他の人と同じリアクションだった。いつも名前で驚かれる、でもその代わりに直ぐに覚えられると言うメリットはあるが。しかし、法子の様子は少し違っていた様に飛燕には感じられた……それは、葛城が初めて飛燕の名前を聞いたときみたいな、曖昧で不思議な様子。


「変でしょ……飛ぶツバメやなんて、誰がつけたんやねん……ホンマ」


 少し笑いながら飛燕は法子の表情を見た、その奥の何かが気になったから。


飛鷹ひよう……飛ぶタカって書くの……お母さん」


 そう呟くと、法子はサイドボードの写真に視線を移した。そこには、葛城と一歳位の子供を抱く女の人が写っていた。その容姿はあどけなく、雰囲気はどことなく自分に似てる感じがした飛燕だった。


「お母ちゃん?……」


 飛燕は近付いて、写真を手に取った。そこには、葛城も飛鷹も優しく笑っていたが、かなり傾いた構図だった。でもその写真の葛城は、つい最近逢った葛城で、飛燕は胸の奥に不思議な痛みを感じた。


「お母さん、まだ二十歳だったんだ……」


 法子の声は少し沈んだ。


「……どうしたの?」


 写真を見つめたまま飛燕は呟いた。


「死んじゃった……その写真を撮った後、直ぐ……」


 飛燕に振り返り、法子はぎこちなく笑った。


「……うちのお父ちゃんと同じや……」


 法子に微笑み返した飛燕だった。


「お母さんね、かなり不良だったのよ……・お父さんに捕まって、それで結婚したんだよ」


 多分、法子は母親のことなんて知らないだろう。でも、まるで知っているみたいに話した。その気持ちは飛燕にも痛い程分った。飛燕もまた、あまり記憶の無い父親の事を人に話すのが好きだったから。


「うちが寝ててもな、帰ったら抱っこしてくれたんや……でもな……仕事帰りにトラックに跳ねられてしもた……」


 幼い頃の父の思い出、法子よりは幸せかもしれない。自分は幼稚園位までの記憶があるからと飛燕は思った。抱き締められた時の父の匂い……タバコと、冬の外の匂いが飛燕の父の形見だった。


「お母さんね。関西出身だったんだよ。だから……二十歳位で、関西弁の女の子に逢うと……何か…こう……もう私、お母さんの事とっくに追い越してるのにね」


 照れたみたいな法子に、飛燕の胸はキュンとなった。勿論、法子は年上で自分なんかより落ち着いている事は分っていても、飛燕は確かに母性みたいなものを感じた。


「お母ちゃん、うちみたいやったかもな……病気か、なんかなん?」


 少し嬉しくて飛燕はつい言葉を滑らせた。すると明らかに法子の顔色は変わった。しかし、飛燕が取り繕う前に法子は続けた。


「病気だったんだって……詳しくは知らない」


 法子の言葉は少し沈んでいた、本当の事を知りたいって思いが飛燕にも感じられた。


「……子供には言わへんもんな。うちのお母ちゃんかて、いっつもはぐらかしよる。まあ、大阪のオバハンに辛気臭い話しは似合わんしな」


 目を伏せたままの法子に、飛燕は少し笑って言った。


「どんなお母さんなの?」


 顔を上げた法子は、飛燕に向き直った。


「そうやね……髪型はな、本人はベリーショートって言うてるけど、どう見たって角刈りやし、まんまる体型やのにピチピチ着るからハムやねホンマ。話し出したら人の話しなんか全然聞かへんし、やたら声デカいし……電話なんか耳当てられへんのやで、鼓膜が破れるちゅうねん」


「めちゃくちゃ言ってる」


 やっと笑った法子だった。


「ほんまや、大阪はな、他に比べたらな、外国同然やねん」


 飛燕は胸を張った。


「それって、自慢なの?」


「……恥や」


 二人は顔を見合わせて笑った。


「法子さんのお父ちゃんは、どんな感じなん?」


 飛燕は、そこが聞きたかった。


「優しいよ……最近は、あまり話さないけど……私に、気を使い過ぎてるんだよ。結構モテるのに自分の事、構わないから」


 葛城と法子の関係が飛燕にはなんとなく分った。それは、双方で思いやる優しい絆だと感じた。でも、梓の事を聞く勇気は今の飛燕には無かった。


「知ってるんでしょ?……お父さんの事」


 少し目を伏せて法子は呟いた。


「……なんとなくやけど」


 飛燕の中の疑問は、少しずつ具体化していた。


「中学の頃までは全然気にならなかった、高校の時……父兄会で、他の人のお父さん見て、何か違うなって……始めはなんだか嬉かったよ、他のお父さんに比べても、断然若いんだもん。自慢しちゃった……でも、大学の卒業式の時のお父さん……周囲から、完全に浮いていた。……お父さん、その写真のまま……二十五年も経っているのに……そのうち、私も追い抜かれちゃうかもね……」


 法子のゆっくり紡ぐみたいな言葉に、飛燕は少しだけ言葉を失った。


「誰だって、びっくりするよね……でも、私の大好きなお父さんなの」


 一つ疑問の答えは、確かに飛燕を圧迫したがダメージではなかった。飛燕の中でも薄々感じていたし、それよりももっと大きな疑問があったから。


「老けてるより、ええやん」


 自然と笑顔で法子に向き合った飛燕だった。


「……そうだね。あっ、そろそろお父さん帰って来る。晩御飯食べてく?」


 時計に目をやった法子は飛燕に笑顔を返した。


「えっ、うちなっ……あのっ、今日は用事があるんや」


 急な法子の提案に飛燕は慌てて言い訳をした。そして、唖然とする法子を残して早々に家を出た。勿論、葛城と一緒にご飯を食べたい気持ちはあったが、それよりも飛燕は動転していた。


 飛び出したはいいが、場所の特定には時間が掛かった。そして、落ち着くと法子の言葉が蘇って、飛燕の全身に優しい震えを与えたが、走り出した飛燕の脳裏には、迷いなんて何とかなるさって気持ちが湧き出していた。


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