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始まりの予感

 ベッドに横になると、葛城の事が浮かんだ飛燕だった。優しそうな面持ちは、その後の捕り物と混ざって揺れた。そして、前に会った事がある様な感覚は不思議な胸騒ぎを招いていた。


「何やろ?……アイツ……」


 確かに心は揺れていた、確実に気になっていた……しかし、その答えも意味も思考の結束には至らず、解けないパズルみたいに心に巻き付くだけだった。


 竹を割った様なとか、ノー天気だとか、自分の性格を分析する。今まで出会った男と比べて見る……しかし記憶にはオブラートが掛かり、霧の向こうには葛城の顔しかなかった。


 一目惚れ……それも考えた。でも、過去の自分のライブラリーには存在しない文字であり、ブルーローズや関取のバンジージャンプくらい有り得ないことだった。


 天井の模様を見ながら、他の事も考えた。美味しいお菓子、可愛い子犬、素敵な洋服、楽しい旅行、気持ちいいお風呂、面白い映画……でも、気を抜くと葛城の顔が浮かぶ……。


「うち……どないしたんやろ?……」


 ふと、ベッドの横の壁に視線を移す……そこには仲間と撮った集合写真。 満面の笑顔の自分……。


「こんな顔して笑うんや……」


 自分では見れない笑顔、他の人にしか見れない笑顔……今、自分はどんな顔をいているのだろう……鏡を見る勇気は今の飛燕にはなかった。今の時点の結論は、横に写る親友の笑顔だけだった。


__________________



「飛燕、どうかした?……上の空」


 ファミレスのテーブルの向こうで、柏原瑞樹が心配そうに声を掛けた。軽いウェーブの肩までの髪、円らな瞳の優しそうな娘だった。


「えっ、何っ?……」


「あんたが誘ったんだけど?」


 呆れ顔の瑞樹は頬杖を付いて飛燕を見た。


「そやったかな……」


「……何かそんな飛燕、初めて見た。難攻不落、天下無双のあんたが、ついに覚醒、レアアイテムゲットって訳か……」


「何言ってんねん、意味分からん……」


 ストローを取って、溜息と一緒にオレンジジュースを一気飲みした飛燕だった。


「ふむふむ……」


 頬杖を付いたまま、流し目の瑞樹はコーヒーをかき混ぜ、飛燕の顔色を分析する。


「うちな……何か変やねん……何か、こうな……」


 自分でもどう表現していいのか分らない飛燕は、言葉が縺れる。


「教えてあげようか……」


 瑞樹は意味ありげに微笑み、飛燕に顔を近づけた。


「……恋ですな、それは」


「えっ?……」


 本当は分っていた、でも否定したい自分と肯定したい自分が飛燕の中にいた。誰かに背中を押して欲しかった、だから相談を持ちかけた。望む展開になったのに、飛燕の心は晴れなかった。言葉では表現出来ない何かが、飛燕の胸を暗い色に染めていた。


「そうかもしれん……でも何かが違うんや」


「難しいものよ……それは、あんたが自分で見つけるしかないね」


「……そうやな……」 


 瑞樹は優しい笑顔で、溜息を付く飛燕の頭を撫ぜた、そこには母性に近い気持ちが羽根を広げていた。夕暮れの街はオレンジ色の光に包まれ、やがて訪れる闇さえ、もしかしたら違う意味になるかもしれないと思わせた。


「飛燕は悪ぶっても違うんだよねぇ」


 ソファーに思い切り深く座り、瑞樹は溜息を混じらせて、また頬杖を付いた。


「何が違うんや?」


 片肘付いた飛燕が濡れたテーブルを拭いた。


「あんたは誰とでも友達になる。初対面のお婆ちゃんとかによく話し掛けられているし、子供にも優しいし……そして皆、あんたの事が好きになる……才能かな……」


 頬杖の間から瑞樹は笑った。


「あんたこそ、ええ子や……」


 穏やかに微笑み返す飛燕は、さっきまで痛んでいた心のカサブタが、そっと剥がれた感覚に包まれた。

 

「あたしはカッコだけの不良娘……類は友を呼ぶってね」


「そうやな……うちも……な」


 分ってくれる友達……それだけでもいいかなって、飛燕は瑞樹の笑顔を心の中でそっと抱き締めた。


「葛城巧……刑事や……」


 飛燕は吹っ切れたみたいに呟いた。


「その人が今回の主役ね……で、どんな人?」


 瑞樹は座り直した。


「外見はな……優しそうな感じや、とても刑事なんかに見えへん。でもな……なんかこうな……」


 少し照れたみたいに飛燕は小声になった。


「ふぅん……」


 瑞樹は口元を緩めた。


「何がふぅんや」


 飛燕は赤面した。


「まあ、要するに好きだってこと」


 瑞樹の言葉に飛燕の脳裏にピンポーンって電子音が鳴り、耳たぶまで赤くなった。 だがその時、突然、外が騒がしくなった。道路の反対側のコンビニ周辺に、悲鳴が響き渡った。


「昼間っから強盗だよ、最近のここらはねぇ……」


 人事みたいに瑞樹は呟いたが、飛燕は身を乗り出して集まって来たパトカーや警官を凝視していた。


「あんた、誰か探してるの?」


 飛燕の様子に瑞樹は不思議そうに聞いた。飛燕は返事もしないで、周囲を必死で探し続けた。


「アイツや!」


 飛燕の視線の先に葛城が映った。


「ちょっと」


 瑞樹も立ち上ったが、飛燕はそれより先に表に飛び出した。


_________________



 コンビニの中ではヘルメット姿の男が、若い女性店員にナイフを突きつけていた。店員は恐怖で泣き叫び、周囲を包囲した警官達は緊張に包まれていた。


 飛燕は真っ先に飛び出す葛城を想像していた。しかし、視線の先の葛城はポケットに手を突っ込んだまま違う方向を見ていた。


 そして、葛城の横の綺麗な女性が飛燕の胸に冷たい氷を押し当てた。多分、二十四、五ぐらいだろうか、日本人離れした容姿と醸し出す大人の雰囲気は沈黙の威嚇となっていた。


 金縛りみたいに動かない体、声を出そうにも脳のシナプスは石膏みたいに固まって、胃の辺りが激しく痛んだ。


「飛燕ちゃん、だったね?」


 突然の声が飛燕を呪縛から解き放った。


「あっ、薪慎二」


 飛燕は自分が喋れる事に、ようやく気付いた気がした。


「フルネームで言うなよ……」


 薪は呆れたみたいな仕草で頭を掻いた。


「あの人、誰や?」


 視線で指差した飛燕だった。


「まだ分んないよ。多分チンピラさっ、本庁にも照会中だし」


 得意げな的外れの薪に、飛燕はグイっと顔を近づけた。


「ケンカ売ってんのか?」


 飛燕はとても良い匂いがした、薪の鼓動は自然と早くなった。


「誰の事言ってんだよ?」


「巧の横の人や……」


 そっと目を伏せた飛燕の仕草。暫くの沈黙後、ステゴサウルスみたいに、やっと気付いた薪だった。


「あっ、法子ちゃんか」


「だから誰やねんっ!」


 いい加減頭に来た飛燕は、凄い剣幕で更に薪に詰め寄った。その瞬間、周囲に歓声と悲鳴がぶつかり合った。包囲していた警官が、一斉に突入したのだった。飛燕の胸を激痛が押し寄せた、その痛みを引きずったまま急いで葛城を探した飛燕だった。


 人垣の隅の葛城は、法子と呼ばれた女性と腕を組んで現場を離れる所だった。遠くで葛城の表情は見えなかったが、疑問と落胆、そして怒りみたいな複雑な心境が飛燕の胸を大きく揺さぶった。


「なんで巧は行かんの……」


 疑問は自然と口に出た。


「葛城さん、非番だよ。それに法ちゃんもいるし」


 いつの間にか後ろに立つ薪にの言葉が、また飛燕を揺さぶった。そして、何も考えていないのに、飛燕の足は葛城の後を追った。


__________________ 



 二人は飛燕の少し前の歩道を歩いて行く。その後姿は、ちょっと背の低い法子が葛城の耳元に親しげに話していた。横顔の法子の笑顔は長い睫毛が光を優しく反射し、目を背けたくなる程に飛燕を締め付けた。


 目の周囲が熱くなる、胸の辺りがまた痛くなる。飛燕は、胸の奥でずっと考えていた……”何やってるんだろう”って。


 そして、どんなに辛くて悲しい事にも終わりは来る。二人はイタリア料理の店に入って、飛燕の尾行は終わった。


 一緒に入る理由も勇気もない飛燕は、暫く店の前で立ち竦んだ。色ガラスの店内は外からは見えなかった、そのままじゃ自分はネガティブな想像ばかりしてしまう……内側に動き出した飛燕の思考は、更に隅へと追いやられた。


「ふぅん……やっぱり普通の娘なのかな?」


 気が付かなかったが、飛燕のすぐ近くから女の声がした。振り向くと、タイトな黒のスーツ姿の女が立っていた。三十前後だろうか、気品のある気の強そうな顔立ちが、ショートウェーブにした髪を一際引き立たせていた。


「……誰や?……」


 伏せ目がちに飛燕は女を見た。嫌な予感がした。


「夏樹梓」


 梓は優しく笑った。


「名前やない、素性や……」


 その目を見返した飛燕だった。


「国家公務員ってとこかな」


「巧の……」


 一瞬で飛燕の頭の中はあらゆる演算をしたが、答えなんて出なかった。


「あなた、幾つ?」


 梓の切れ長の瞳は、飛燕をそっと刺した。


「二十歳や……それがどないしたん?」


「ふぅん……あなた、葛城さんの何なの?」


 少し首を傾げた梓は、飛燕をじっと見た。その瞳を見返せないのは、自信も確信も飛燕の中にはないからだった。それより(何なの?)という言葉が何度も頭の中を木霊した。


「……」


言葉なんて出なかった、胸の奥で煮えたぎるみたいな感覚だけがあった。


「やめといた方がいいよ……あの人。あなたみたいな娘には無理だから」


 忠告したつもりだったのだろうが、梓の言葉は消えそうな気持ちと、もっと奥の熱い血を奮い立たせた。


「あんたこそ……」


 飛燕は梓を睨みつけた。


「……いい目ね。あなたは彼を尾行してた。彼って敵が多いからてっきり……」


 軽く腕組みした梓は口元だけで笑った、その真意は飛燕には分らなかった。自分の真意だって分らなかったから。そして、飛燕は梓を見向きもせず、その場を立ち去った。


 歩きながらずっと飛燕は考えていた、ずっとある数ある疑問が交錯していた……そして、その中の一番手前の疑問が降りてきた……自分は何をしているのだろうと。


 ふいに降りだした雨が頬を伝う。そして、雨とは別の液体も飛燕の頬を伝った。


「どうしたんやろ……うち……」


 言葉に出したつもりでも、声は雨音に消されていた。行き成りの二人の登場は、飛燕の心を激しく刺激していた。


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