不屈
「今、お父さんの声がした……」
法子は暗闇に確かに葛城の声を聞いた。全身に鳥肌が立つ、鼓動は喜びの悲鳴を上げる……力が湧いてくる。
「飛燕ちゃん起きて、お父さんが来た」
法子は飛燕を揺さぶった。気絶でも休養にはなる、気がついた飛燕は法子にしがみ付いた。
「法子さん!」
「飛燕ちゃん、お父さんが来たよ」
法子の言葉に今度は飛燕の全身に鳥肌が立った。
「ホンマか?」
「確かに声がした」
飛燕も耳を澄ませた。すると、確かに葛城の声がした。その瞬間、飛燕の全身に稲妻が走り様々な胸の閊えがゆっくりと晴れ、確信した……本当の自分の気持ちを。
「行こう法子さん」
飛燕はふらつきながらも立ち上がった。
「行こう飛燕ちゃん」
法子も飛燕掴まって立ち上がった。そして二人は支え合い、葛城の声の方を目指してゆっくりと歩き出した。
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『ターゲット移動を開始、葛城さんに向かってます』
葛城が移動を始めると、インカムに連絡が入った。
「うまくいったな」
葛城の呟きにライトの光が希望として重なった。しかし次の瞬間、ソナー隊員の声に全身の血が凍った。
『二人が移動し始めました』
「何だとっ、どこにっ?!」
葛城は叫んだ。
『二人から見て二時の方向、葛城さんの方へ』
「なんてこった……ターゲットは?」
『移動してます、同じく葛城さんの方へ』
「田口さん、配置はどうだ?!」
立ち止まったままの葛城は田口に叫ぶが、パニック寸前の思考では演算が出来ない。
『後少しです』
葛城の中で思考は戦争していた。二人の元に行けば田口や内田が危機に見舞われる、しかし二人は確実にこちらへ来ている。
「どうすりゃいいんだ!」
葛城は叫ぶと、思い切り床を蹴った。
『葛城さん、行って下さい』
田口の声が飛んで来た。
「ばか言うな、配置に付いてないだろ?!」
『彼女達とは天秤に掛けるまでもない』
明らかに走っている田口の言葉は乱れていた。
『早く行け!』
内田の声も飛んだ。
『振り向いて十一時の方向、真っ直ぐです』
ソナーの隊員の声も続く。
「すまんっ」
葛城は二人のもとへ全力で走り出した。
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「急げ、全員銃を構えて走れ!」
田口は走りながら叫んだ。
「ターゲットが方向を変えました!」
「何だとっ?!」
「葛城さんを追ってます!」
「方向転換、死ぬまで走れ、葛城さんに知らせろっ! 早くっ!」
田口の叫びは暗闇に炸裂した。
「走れ! なんとしても間に合わせるんだ!」
内田も叫んでいた。
「ターゲット方向転換! 葛城さんを追い始めました!」
横の吾妻が叫ぶ。
「何だって?!」
「我々も追いますか?!」
「当たり前だっ!」
ヘルメットを投げ捨てた内田も、暗闇に叫びを爆発させた。
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『ターゲットが向きを変えました』
走る葛城に連絡が入った。
「どっちだっ?!」
『葛城さんの方です』
「俺と二人の距離はっ?!」
『約、二十』
聞くと同時に暗闇に二つの光が見えた、葛城は叫んだ。
「飛燕っ、法子っ止まれ!! 引き返せっ!!」
『ターゲット、二十五まで接近っ!』
ソナー隊員の声も闇に激突した。
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「飛燕っ、法子っ止まれ!! 引き返せっ!!」
確かに葛城の声が二人に突き刺さり、闇の彼方の光が輝いた。
「巧!」
「お父さん!」
瞬間、走り出そうとする法子。しかし、その腕を飛燕が強く握り締めた。
「駄目や法子さん、そっちは」
「何で?! 聞こえたでしょ! お父さんの声!」
葛城の声で冷静さを失った法子は、飛燕の両腕を取り大声を上げた。
「聞いて法子さん、あっちにはアイツがおるんや」
押し殺す飛燕の声にも法子の興奮は収まらない。
「何よアイツって? 誰よっ!」
「死体見たやろ、殺人犯や」
飛燕の声に切り刻まれた死体が、法子の脳裏にフラッシュバックする。とたんに全身を震えが襲い、更に強く飛燕の腕を掴んだ。
「戻るで、法子さん」
飛燕は振り向き、近くに工事中店舗の入り口が開いているのを見つけた。しかし、動けない法子からの返事はない。そっと背中に回り、震える法子を後から抱きしめた飛燕は耳元で囁いた。
「大丈夫や。あんたは、うちが必ず守る」
その言葉は飛鷹の声と重なり、動けないはずの法子に力を与える。震えが自然と止まると向き直り、飛燕を抱きしめ返した法子は小さく囁いた。
「うん……」
二人は飛燕の見つけた店に移動を開始した。
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葛城は闇に向かいライトを向ける。混乱した頭は方向感覚を鈍らせ、ただ動悸と吐き気、喉の渇きを誘発する。メリーゴーランドの中心で回転と同期しながら周囲を見渡す感覚、全方向から悪意が押し寄せる感覚。眩暈が葛城を覆う、何も聞こえない何も見えない恐怖が、精神と思考を破壊しようと押し寄せる。
歯を食い縛り、銃を握る手に渾身の力を込め葛城は持ち応える。そして、永遠に続くかと思われた悪夢は終わりを告げた……白いライトの光はついにソイツを捉えた。
漆黒のコート、その隙間から覗く四本の腕。本来ならその姿に戦慄するはずだが、今の葛城は違っていた。
胸の奥底から込み上げるのは、怒り……頭が空白になる、血が逆流する。ライトの光を受け、現実に可視化したソイツに葛城は渾身の弾を撃つ。マズルフラッシュが、一瞬周囲を照らし、遅れて銃声がホールに木霊する。
しかしソイツはコートを翻すと、ライトの照らす視界から忽然と消えた。
直ぐにライトの角度を変えソイツを探すが、廃墟の様な工事中の店舗が照らし出された一瞬に、幻みたいに浮かぶだけだった。焦る葛城は銃を握り直すと、更に広範囲にライトを向けた。
それは瞬間だった。咽る様な腐敗臭が鼻腔を貫くと同時に、漆黒の何かの強大な力が葛城を床に叩き付ける。激痛が背中と後頭部に炸裂し、目の奥で火花が飛ぶ。
ふいに身体全体の重力が変化したみたいに、動けなくなる。そして激痛の為、一瞬閉じた目を開くと……ソイツの血の様な眼が目前にあった。
至近距離のソイツは口元を獣の様に歪め、笑っている様にも見えた。
「やっとご対面だな……会いたかったぜ」
葛城はその赤い眼を、目の毛細血管が破裂しそうな程睨む。視野の片隅には、四本の腕に押さえられた自分の肩が見えた。力を入れるが、まるで巨大な岩の下敷きになったみたいに身動き出来ない、それどころか鬱血したみたいに全身が痺れた。
『殺して、くれ、と、言わないのか?』
壊れたスピーカーみたいな途切れる声、否、耳障りな雑音みたいな……音。
「誰が言うかよ……」
葛城は腹の底から言葉を絞り出す。
『こい、よ、こっちに……お前には、よく似合う』
「誰が行くかよ……」
押し付けられた腕を強引に背中に回す、激痛が筋や筋肉を捻り上げるが葛城はお構いなしに腰の拳銃に手を伸ばす。真近のソイツの顔に渾身の頭突き一瞬、力が解放されると銃を取り、電光石火でスライドを引くと同時に至近距離から連射した。
返り血? 生温かい液体が葛城の顔に掛る。体を起こしながらソイツの腹に前蹴り、くの字になるソイツの後頭部に銃のグリップを叩きつける。
素早く距離を取るが、全身の激痛は動きを鈍らせたが、更に激しい激痛が右の太股を襲う、落とした視線の先には鈍く光るナイフがあった。そのまま床を転がり、近くの壁に背中を叩きつける。素早く周囲を確認すると、ネクタイで止血した。
幸い周囲にはアイツの気配はない。ほんの数秒で息を整えると、次の瞬間背筋が巨大な氷に押し付けられた。
「法子、飛燕……」
葛城は歯を食い縛ると歩き出す……掛け替えのない、命に換えてでも守らなければならない大切なものに向かって。




