悪夢の足音
「薪、呼ぶまで近くの出口の応援に行け」
携帯を切ると、葛城をじっと見ていた薪に静かに言った。
「命令ですか?」
薪は真っ直ぐ葛城を見た。
「ああ……」
「俺は……半人前で……確かに葛城さんの足手まといです……でも、弾除けぐらいにはなれます」
「バカ野郎、弾除けはこれだ。お前はデカだ……俺の相棒だ」
葛城は少し目を伏せ薪の防刃ベストを叩き、そして言葉を絞り出した。
「呼んで頂けますね?……必ず」
「約束する」
「……分りました。薪巡査部長、応援に行きます」
悔しさが噛み締めた唇に浮かぶ、敬礼した薪は近くの出口へ走って行った。その背中にゆっくりと敬礼を返した葛城だった。
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「変やな? 結構時間が経ったけどな」
一向に復旧しない照明に、飛燕は嫌な感覚に包まれ始めていた。
「そうね、こんなんじゃオープン心配だな」
法子の言葉は、焦り初めていた飛燕の腰を落ち着かせた。その大らかで優しい性格はどこから来るのだろうと、法子の横顔に占ってみた飛燕だった。
二人で交互にライターの火を灯した。火が照らしている間は安心するが、ライターは直ぐに熱くなり長い間は点けられない。消えた間の短い時間は、小波みたいに飛燕の心を揺さぶった。
「法子さん、怖くないんか?」
「怖いよ……でも飛燕ちゃんがいるから平気」
法子の声は飛燕を優しく包んだ。
「なあ法子さん……どうしてそんなに優しいいんや」
「私が?」
あまりピンとこないのか、法子はキョトンとした。
「何か、法子さんといると……うちまで……」
俯いた飛燕の横で法子もまた俯いた。
「私こそ……飛燕ちゃんといると、なんか素直になれる……どうしてかな?……」
「なんでやろうね……」
二人の脳裏は同じ考えで満たされ、それは甘い果物の栄養みたいに心に浸透した。そして、気付くと法子は飛燕の肩でうたた寝をしていた。静かな寝息は、飛燕の心拍とシンクロして、こんな状態でも安堵って言葉を実現させた。
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北側から進入した一斑吾妻は小隊に命令した。
「ライト点灯、民間人を捜索する」
そして、最後尾の隊員に近付いた。
「木野三曹」
木野は頷くと暗視ゴーグルを装着し、小隊とは別の方向から地下へと向かった。
「前へ」
その後姿を見送って、吾妻は号令をかけた。入口を入ってすぐ、大きなエスカレレーターを降りると暗闇のあちこちに光を確認した。それは、作業員達のライターの光だった。
「我々は、陸上自衛隊です。皆さんを救助に来ました」
「自衛隊? 救助って何ですか?」
一番近くにいた男は、吾妻達の格好に驚いた。
「幸いまだ心配ありませんが、有毒ガスの危険があります。直ちに避難して下さい、非難口は、一階北側よりお願いします。要救護者はいますか?」
「いないと思うけど……」
「それでは退避を始めます、順番に指示に従って下さい」
そう言うと吾妻は部下に指示し、作業員達は避難を開始した。そして、吾妻は最後尾の男を呼び止めた。
「地下二階にまだ作業員は残ってますか?」
「今日は下は少ないと思うけど、急に電源落ちたから。いると思いますよ」
地下一階の作業員の避難を見送ると、吾妻は号令した。
「小隊集合。索敵状況は?」
「熱感知、反応無し」
「空気振動センサー、感無し」
「対人ソナー、感無し」
隊員からの報告を聞いた吾妻は、無線のスイッチを入れた。
「吾妻だ、状況は?」
「こちらレッド1、地下二階に目標を確認出来ません。要救護者は十三名確認」
「了解、小隊は地下二階に移動する」
振り向いた吾妻は、小隊に命令した。
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一階でも各小隊が、救護活動を展開していた。そして、各小隊から一名づつが独自の索敵行動をしていた。次々に施設から出てくる人々は、救護班が迅速に対応していた。
「こちらブルー2、一階西側クリア」
「アンバー3、一階東クリア」
「パープル4、一階南、二名の遺体を確認、従業員待機所付近」
「レッド1、地下一階クリア。二階へ向かう」」
指揮車の内田に次々と連絡が入った。
「四班、救護者確保に迎え」
初めての犠牲者に内田は唇を噛んだがモニターを睨み続けた。
「犠牲者が出たのか?」
葛城は内田の後ろから呟いた。
「ああ……」
押し殺した声で答えた内田だった。
「俺が囮になる」
葛城は静かに言った。
「どういうつもりですか?」
「この事件の始まりは……俺だ」
「葛城さん、ヒーローにでもなりたいのか?」
内田は振り返り葛城の視線と対峙した。
「知ってるだろ、俺の話し?」
「報告書は読みました」
葛城に視線を固定して、内田は椅子の肘掛を摩った。
「さっき、奴から連絡があったそうだ」
「何と?」
「待ってると」
「あなたを?」
「ああ……」
葛城の返答に内田は暫くの沈黙の後、ゆっくり口を開いた。
「どうしたいんですか?」
「奴が見つからなければ、俺が出る……きっと現れる」
「もうすぐヘリが到着する。特別班は、屋上より突入する……高い所は平気ですか?」
内田は離していた視線を葛城に戻した。
「あんまり得意じゃないな」
薄笑いを浮かべた葛城は天を仰いだ。
「なら、目をつぶっていて下さい」
内田は軽く首を振ってニヤリと笑った。
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辺りの雰囲気の異常は、ゆっくりと飛燕を圧迫していた。かなりの時間が経つのに近くにいたはずの作業員達の気配が無いのだ。
「やっぱおかしい」
声に出したのか、心で呟いたのかさえ飛燕には分らなかった。
「そうだね」
寝ていたはずの法子の声がした。ライターを点けて、法子を確認した飛燕だった。
「何も音がせえへん」
「結構人がいたのにね」
「皆、逃げたんとちゃうやろか……」
「逃げ遅れたのかな?」
「そうやな……」
「遅れ馳せながら逃げますか?」
「法子さん変、オヤジみたい」
久々に思い切り笑った感覚は飛燕のメーターをフルに近づけた。そして立ち上がった二人は支え合い、ライターの照らし出す、ほんの一メートル先の地面を見ながらゆっくりと歩き出した。
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その頃、南側より三階へと進んだ四班に異変が起こっていた。
「隊長、振動センサーに感あり」
「他の小隊じゃないのか?」
「付近の作業員の退避は完了してます、他の小隊も位置は確認済みです」
他の隊員の報告も入った。
「対人ソナー感」
「熱感知センサーには感度ありません」
「何だと? ソナー、位置は?」
小山の背中を悪寒が走る。
「右前方一時の方向、距離五十」
「振動センサー、近付いてきます」
「各員、戦闘隊形を取れ。暗視ゴーグル装着、接近戦だ、誤射に注意!」
小山がゴーグルをした瞬間、青白い光が横の隊員を貫いた。生暖かい液体が、小山の顔に飛ぶ。小山の時間が止まった。周囲はスローモーションの様に動きを遅め、発砲した自動小銃の閃光が疎らに光った。音は少し遅れて届き、かなり歪んで耳に木霊した。
恐怖が小山を支配した、身体中の血液が頭部に集中する。そして、青白い光は実体を結んだ。赤い血のような目、四本の腕には血に染まったナイフの様な刃物、ソイツは動けない小山にゆっくりと近付き、横を通り過ぎた。
「助けて……」
小山の後ろの隊員にソイツは近寄ると、魚の目でも抉る様に隊員の目をゆっくりと抉った。悲鳴が響く、ソイツの口元は微かに緩む。小山は立ち竦んだまま、隊員の数だけ悲鳴を聞いていた。
既に小山は思考は崩壊し、心の中で悲鳴を数えていた……そして最後の悲鳴の後呟いた。
「やっと……俺の……番か」
痛みは無かった、倒れる感覚もあった、目の辺りが熱かった、すぐ近くにソイツの存在を感じながら小山の意識は肉体を離れて行った。
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「四班、通信途絶!」
モニターを凝視していた内田に突然オペレーターの声が響いた。
「何だと? 三班迂回して確認」
内田に戦慄が走った。
「もういい、撤退させろ」
座る内田の肩を葛城は激しく揺さぶった。
「まだ作業員がいる」
揺さぶられても、内田はモニターを睨んだまま動かなかった。
「しかし……」
葛城に悔しさが充満するが、震える内田の背中に察した。そのまま言葉は床に流れた……壁面のアナログ時計の音が葛城の心音と重なった。
「二班も通信途絶!」
オペレーターは声を詰まらせた。外見的には動かないように見えたが内田は激震していた、握り締めた拳には血が滲んでいた。
『内田二佐、突入の許可を!」
内田のインカムに田口の声が飛び込んだ。
「まだだ……」
『行かせて下さい! 小山は後輩なんです!』
「分っている……三班の報告を待て」
『……三班もコールに出ません』
田口は静かだが強く言った。
「……」
内田はほんの一分程沈黙した後、オペレーターに告げた。
「撤収……全部隊撤収しろ!」
「全部隊撤収せよ! 繰り返す! 全部隊撤収!」
オペレーターはマイクに怒鳴った。
『我々は?……』
田口の問いは掠れていた。
「待て……」
葛城の視線の先の内田は、背中を丸め小さく見えた。
「一斑と連絡が取れました、現在地下一階を撤収中……木野三曹以下、特別索敵ユニットは通信……途絶」
オペレーターは悲喜両方の報告を噛み締めた。




