小さな光
突然警報が署内に鳴り響いた。
「奴が網に掛かりました!」
同時に警報に負けないぐらいの剣幕で、薪が報告に飛んで来た。まだ日があると、葛城の予感は不吉な占い結果みたいに冷たく肩から降った。それは夕方前の太陽の色が、血の様に赤く感じたからかもしれない。
「場所はっ?!」
葛城も叫んだ。
「駅の南のハイパーセンターです」
「あそこは工事中だろ?」
「そうなんですが」
「人はいるのか?」
「工事も終盤ですので作業員は少ないですが、関係者がまだかなりいます」
関係者という薪の言葉に戦慄が走った、法子の言葉と重なった……”今度仕事任されたんだよ、駅の南のハイパーセンター”……。
「まさか」
心の中から最悪の事態を排除しようと努力した、そしてその考えを振り切って目前の事態に集中しようと葛城は心を強く握り締めた。
「陸自も現場に向いました、動きがメチャクチャ速いです」
薪の声に頷いた葛城は、ゆっくりと立ち上がった。
その時また、警報が鳴った。
「どういう事だ?」
「見て来ます」
薪は司令室へと向かい、葛城の予感は悪い方へと傾いた。
「参りました……」
帰って来た薪の顔色は血の気を無くしていた。
「どうした?」
「センター通りで暴徒がスーパーを占拠、人質を取って立て篭もりました」
「何だと?」
「それだけじゃありません、市庁舎で爆弾テロ。東アジア銀行に武装強盗、都市高速荒戸大橋で多重衝突事故に、市内数箇所で同時に火災発生が発生しました」
一気にそれだけ言うと、薪はヘナヘナと座り込んだ。
「各部所の配置は?」
「機動隊、S・I・Tはスーパーへ、強行班、一課は銀行へ、特機隊も市庁舎へ急行、二課も三課も交機や警らも、消防までも完全出動です、誰も残りません。一体どうなってるんだ?」
頭を抱えた薪はパニックになりかけた。
「落ち着こうぜ……お前だけが頼りだ」
少し笑った葛城は薪の肩を叩いた。
「分りました、更なる情報収集に行ってきます!」
電光石火の立ち直り。薪の後姿を見ながら、葛城は冗談抜きで頼もしく思った。
_________________
工事中のハイパーセンターの巨大な駐車場に、陸自の国防色の大型指揮車が止まっていた。
「兵員輸送車だけじゃなくて、装甲車まできてますよ」
呆れたみたいに薪は呟いた。
「そうだな……それより、これ着てろ」
葛城は車のトランクからベストを取り出して薪に渡した。
「何ですかこれ?」
「防刃ベストだ。チタンと特殊ケプラーで出来ている」
「あっ、ありがとうございます」
嬉しそうな薪は背広の上から着ようとした。
「お前は鬼太郎か?……シャツの下に着るんだよ」
溜息が出た葛城だったが、また心の重さが軽くなった様な気がした。
「遅くなりました」
薪がモタモタとベストを着ている時、真剣な面持ちの梓が到着した。梓は直ぐに、葛城を車の陰に誘った。
「……法ちゃんと、連絡が取れないの」
梓はすまなそうに言った。
「そうか」
葛城の声は落ち着いていた。
「会社は有給取ってるし、家の電話にも出ない……携帯も繋がらない」
「昨日の夜から、飛燕も一緒だ」
「ええ、昨日電話で聞いた」
「……」
無言になる葛城の目を梓は見つめた。
「私、心当たりを探してみる」
「お前、持ち場は?」
葛城は梓の目を見つめ返した。
「今の私は、こんな事しかできない」
「すまない……」
「いいの……」
少し俯いた梓だった。
「お前、この状態で同時に起きた他の事件、どう思う?」
ふいに話題を変える葛城は。自分でも心が震えてる事に気付く。
「信じたくないけど……もの凄い悪意が状況を操ってる様に感じる。私達の戦力を割き、怯える人々を嘲笑い、そして……」
最後の言葉は梓には辛すぎる、押し殺すように曖昧にフェードアウトさせた。
「そして、どうなんだ?」
思いがけない葛城の優しい目に梓は戸惑うが意を決した。
「アイツは……あなただけを待っている……邪魔者全てを排除して……」
「そうかもな」
また優しい笑顔で葛城は微笑み、梓の胸に衝撃が走る。この人は……。
「葛城さん、着替えました。あれっ、夏樹警部」
着替えを終えた薪が二人の所へやって来た。梓の崩れ落ちそうなココロは、どうにか踏み止まる。
「薪君、葛城さんの事お願いね」
梓は薪に優しく微笑んで、その場を後にした。しかし、握りしめた拳と強く結んだ口元は激しく震え、我慢したはずなのに決心したはずなのに、涙は止め処なく頬を伝った。
「任せて下さい」
何も気付かない薪は大きく胸を張った。
「すまない……」
梓の背中に葛城はそっと言葉を投げた。せめて梓だけでも、この場所から遠ざけたい……そんな思いが葛城を包んでいた。
________________
指揮車の中で、内田は作戦内容を説明をした。車内は観光バス位の広さはあったが、なんせ長方形で、色々な装備が占領し狭かった。空調は効いていたが、十人程の人の熱気で蒸せて息苦しかった。
「状況を説明します、目標はこの施設の中に潜伏中。本日、ヒトロク・サンマル、監視システム、ラプターにより確認されました。映像をご覧下さい」
指揮車の壁には幾つものモニターがあり、その中央一番大きなモニターに黒いコートの男が写った。
「このクソ暑いのにコートか? 南極育ちの奴じゃないの?」
薪は手で顔を扇ぎながら呟いた。
「ここで拡大します」
黒いコートの男がアップになる。そこにいた全員の鼓動が早くなり、暑さとは違った汗に包まれた。風でコートが微かに揺れて、そこには確かに四本の腕があった。
「ここから先、南側、工事中の入口より施設に侵入。今から、三十五分程前です。監視は続けていますが、出て行った形跡はありません。次……」
モニターの画面は施設の見取り図に替わった。
「施設の設計者、道上さんより説明があります」
内田は痩せて顔色の悪い男を紹介した。
「道上です、この施設は地上五階、地下二階の複合商業施設です。一階あたりの床面積は、分りやすくいえばドーム球場ぐらいですかね。地下二階はレストラン街、地下一階は直営の食料品、地上一階は大型家電専門店、二階は外資のスポーツ用品と大手雑貨店で構成し、三階から五階までが大小百五十の専門店です。屋上には野外型ゲームセンター、勿論開閉式屋根で雨天荒天に対応しています」
「出口は?……どんな小さな出口もだ」
一番後ろの葛城はモニターの見取り図を凝視していた。
「地下一階に駅と直結する大型出入り口、地上には東と西に大型、南に中型三箇所、北にも三箇所の計九箇所です。あっ、二箇所地下二階にメンテ用出入り口があります。合計十一箇所」
汗を拭きながら道上は説明した。
「今度は警備の橋屋さん」
警備会社の制服がハチ切れそうな童顔の男が紹介された。
「本日、工事業者八十七名、メーカー五十四名、その他二十五名が名簿により確認されました。計百六十六名です」
「その他?……」
薪は独り言みたいに呟いた。
「警備の者や専門店の経営者、保健屋に雑誌の記者ってとこです」
橋屋は滝の様な汗を拭った。
「それでは、警官隊は地上の八箇所の出入り口の封鎖と出て来た人員の確認をお願いします。地下の三箇所は我々で。封鎖後、特殊部隊四個小隊が東西南北より進入。索敵行動を実施しつつ、人員の救助、誘導を行います。またこれとは別に一個小隊による、目標の殲滅作戦も同時進行します」
見取り図を示しながら内田は自信のある口調だった。
「一般人がいる間の発砲は認められない」
葛城は内田に鋭い視線を送った。
「勿論ですよ、人員の救出が最優先事項です」
特殊装備をした田口が、不適な笑いを浮かべた。葛城は信じた訳ではなかったが、大きな溜息で壁に凭れた。
__________________
「こんな時に携帯忘れるやなんて」
飛燕は玄関に忘れた携帯を恨んだ。
「私なんか電池切れ」
暗闇の中なのに法子は普通だった。
「そうなん?」
小さな安心感と共に飛燕は法子を感じたいって思った。
「真っ暗だね」
すると法子の声は握っていた手の他で、法子の事を確かに飛燕に感じさせた。
「大きく目を見開いて、そしたら慣れて少しは見えるようになるからな」
怖さに耐え、自分にも言い聞かせる様に飛燕は言った。
「やってみる……」
少し震える法子の手は、飛燕の手の中でなんだか小さく感じた。咄嗟に法子の手を引いて店の右側、椅子の梱包の陰に座った……飛燕は必死で暗くなる前の、店の状況を思い出していた。
「こないな事なら、タバコでも吸ってればよかったわ」
「どうして?」
「ライターあるやん」
「私、持ってる」
「法子さんタバコ吸うんか?」
別に驚く程じゃないのに、飛燕は見えない法子を驚いて見た。
「えへへ……」
驚いた様な飛燕の声が可笑しくて、法子も見えない飛燕を笑って見た。
「赤ちゃんに良くないんやで」
こんな状況なのに飛燕は真剣だった。
「お父さんの」
何だか可哀想で法子はタネ明かしした。
「へっ?」
「お父さん、すぐ忘れるから。いつも私が持ってるの」
「そうなんか……てっ、持ってるなら早よう出しぃよ」
「あはっ、忘れてた。言われるまで」
そんな法子が可愛いって、心から思った飛燕だった。
「それでは、点けます」
法子はガサガサとバッグを探って、ライターを取り出した。シュって音と共に、二人にオレンジの光が射した。
お互いの顔を確認すると、安堵感に包まれ顔を見合わせて笑った。闇の中で、光は希望や安らぎと同義語となった。
_________________
指揮車の外では小隊が整列し、警官隊も配置に就いていた。
「各小隊長前へ。第一斑、吾妻曹長、北側より進入。二班、石川一曹、西側より進入。三班、今藤一曹、東側より進入。四班、小山曹長、南側より進入。特別班、田口一尉、一時待機。尚、第一斑は地下を捜索。他は地上の捜索にあたる。それでは時間を合わせる……」
内田は指示の後、腕時計に手をやった。全部の隊員が同じ動作をする。
「五秒前……三、二、一、マーク」
時間を合わせると、各小隊は持ち場へと向かった。
「仕事とはいえ、暑そうですね」
汗を拭きながら、薪は特殊装備を見て他人事みたいに呟いた。
「死ぬより暑い方がいいさ」
葛城も隊員の後ろ姿に呟いた。
「葛城さん、二百人近くの人……けが人とか……消防、手に負えませんよ」
「内田って奴、口だけじゃないな」
葛城は広大な駐車場の奥へ視線を飛ばした。
「何ですかね、あれ?」
目を細めて窺う薪は葛城に問い掛けた。
「陸自の救護部隊だ」
時間にして十数分で、救護基地と呼べる施設は半分近く完成した。葛城はその様子をぼんやり見ていた。
「訓練の賜物です」
近付いて来た内田は葛城に話し掛けた。
「大した手際だ、これなら大丈夫だな」
腕ぐみしたまま、葛城は機敏に動く兵士を見ていた。
「今回は大人しいですな」
内田は落ち着いている葛城を不信の思っている様子を窺わせた。
「そうですよ、どうしたんですか?」
一番驚いているのは薪だった。驚いていると言うより、薪はなんだか悔しい気持ちに覆われていた。
「あんたらの指揮下に入れと命令だ」
平然と葛城は言った。
「そうですか?」
内田は背中で言ったが、顔は薄笑いを浮かべていた。
「本当にどうしたんです? 俺なんかこんなクソ暑いのに、こんなチョッキまで着て」
葛城の前に回った薪は懇願した。
「特別班」
葛城は指揮車の横、装甲車の周囲に整列する特別班を睨んでいた。
「奴等がどうかしました?」
まだ、状況が読めない薪は大粒の汗を袖で拭った。
「奴等が本命だ、見つけたら動きだす……それからだ」
「そうなんだ……」
やっと事態を飲み込めた薪は頷いた。
「もう少しの辛抱だ……きっと動く」
葛城の視線の先には黒い影が蠢いていた。そして、葛城の携帯が鳴った。
「俺だ」
『葛城さん……実は……』
針の声は沈んでいた。
「どうした、早く言えよ」
葛城は悟っていた。
『奴が……』
「奴がどうした?」
『……待ってると』
「そうか」
『葛城さん、罠です』
針の言葉は、凍っていた。
「ああ。分っている」
『分ってるって?……』
「決着付けるつもりだろう……望む所だ」
葛城の腹の奥底に、煮えたぎる何かが溢れた。




