闇が来る
「今日は]
玄関にはバックを持った飛燕が曖昧な笑顔で立っていた。
「いらっしゃい」
法子は満面の笑顔で迎えた。
「巧、いやお父さんが……」
飛燕は消えそうな声だった。
「聞いてるよ」
法子の笑顔は全てを語っていた。そして食事の準備を二人でした。二人で作る料理は楽しくて、会話は素敵な調味料となった。
「飛燕ちゃん、包丁裁き上手いね」
「うちの数少ない取り得や、法子さんこそ手際ええやん」
「私はずっと作ってたから、お父さんに任せてたら栄養偏るし」
「そうやね」
飛燕は葛城が台所に立つ姿を想像したが、ピンとこなかった。
「私ね、今度任された仕事があるんだ」
「そう言えば法子さんの仕事、何なん?」
食事しながら、法子はふいに言った。飛燕はそう言えば、法子はどんな仕事をしているんだろうと思っていた。
「一応デザイナー」
「ほんま、凄いやん」
「まだ駆け出しだけどね」
法子は照れたみたいに微笑んだ。
「何のデザイン?」
「何だと思う」
「……分らへん」
飛燕は色々想像したが、法子はどんなデザインでも出来そうで余計に分らなくなった。
「店舗デザイン」
「お店なん?」
「そうだ、明日行ってみる?」
急に思い立ったみたいに、法子は飛燕を見つめた。
「えっ、何処なん?」
「駅の南のハイパーセンター」
「あそこか、でもまだ建設中とちゃう?」
「そうね、関係者以外は入れないよ」
「そうやな、うち……」
「私が関係者です」
「あは、そうやね」
二人は顔を見合わせて笑った。
「それでは問題です、私のデザインしたお店は何のお店でしょう?」
「えっ?」
「この問題は、お店を見てからお答え下さい」
法子は得意そうに笑った。飛燕は早く見てみたいと、心から思った。他の友達とは違う感覚、ほんの僅かな緊張と、抱き締めたくなるような不思議な感覚。
飛燕は法子がとても愛しく、可愛く思えて仕方なかった。
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「午前中に二件と午後から三件……」
喫煙ルームでタバコを吸う葛城に、薪は溜息混じりに報告した。
「どうした?」
煙と一緒に葛城は言った。
「変質者をを逮捕したんですって」
薪は呆れた口調だった。
「そうか……」
葛城は生返事だった。
「どうしたんです?」
薪は怪訝な顔をした。
「短時間に不審者を五人……案外見つかるかもな」
考えが葛城の脳裏に不吉な影を落とした。
「見つけますよ」
葛城の前にはいつの間にか内田が立っていた。
「そうですか?」
愛想なく返事した葛城だった。
「時間の問題です、絞り込みは進んでいます」
内田の言葉には自信があった。
「部隊の装備なんですけど?」
俯いたまま、葛城は疑問を投げた。
「何か?」
「あの装備は対銃撃戦用ですよね?」
葛城は顔を上げて内田を見た。
「そうですが、何か問題でも?」
内田は葛城を見返した。
「報告書見たでしょ? 奴は刃物しか使わない」
「ええ、見ました」
「奴の動きは速い、あんな鎧みたいな装備じゃ……それに、装備の関節や頸部は刃物の攻撃には弱そうに見える」
葛城は訴える様に内田に言った。それは他の何でもない、隊員を心配しての事だった。
「大した見識ですね。でも近づけなければ、どうって事ありません」
内田の自信がどこから来るのか、葛城には分らなかった。
「近付かないで、どうやって捕まえるんですか?」
自問のように葛城は呟いた。
「赤外線、熱感知、空気振動センサー、そして対人ソナー。あらゆる索敵装備で捕捉して、アウトレンジからの先制攻撃で殲滅します」
内田の言葉には捜査、逮捕という概念は存在してなかった。そして、その目には葛城と同じ種類の炎が渦巻いていた。
「そんな無茶な、戦争じゃないんだぞ!」
ずっと横で聞いてた薪は声を上げた。
「それぐらいでいいんだよ」
葛城はニヤリと内田の方を見た。何も言わないが、内田も葛城の胸の内を読んでいるようだった。
「それでは失礼」
敬礼の後、内田は持ち場に戻った。薪は否定するだろうが、葛城はがんばってくれと心で思った……そして、誰も死なないでくれと。
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「ここが法子さんの設計したお店?」
飛燕は嬉しそうに見回した。通路にはまだ資材が溢れていたが、法子の案内で五階の現場に着いた。結構完成した店が多くて、平日の昼間にしては作業員の数はあまり多くなかった。
「どう? 可愛いでしょ。さあ、問題の答えは?」
その店はカフェみたいな外観で、丸いテーブルが幾つもあった。しかし、そのテーブルは腰よりもかなり低く、椅子は見当たらなかった。周囲は洋服屋が多かったから、そうかとも思えたが、ヒッティングルームは無いし、飛燕は戸惑った。
店内を後ろ手で歩く。ふと床に視線を落とすと、三分の二くらいが緩やかな曲線で毛足の長い人工芝になっていた。そしてまだ梱包を解かれていない、小さな椅子を見つけた。
「多分……子供服のお店や」
振り返った飛燕は法子に笑顔を投げた。
「どうして、そう思うの?」
腕組した法子は、そっと首を傾げた。
「なんか、公園みたいやん……なんかな、子供とお母ちゃんが楽しそうに遊んでいる様子が想像できるんや」
飛燕の脳裏には、お天気の公園があった。
「やっぱり、飛燕ちゃん……」
法子は少し俯いた。
「違うん?」
「大正解」
「事務所の人も誰も分らなかったんだ、でも一人の先輩がが気づいてくれた。先輩はね、シングルマザーで小さいお子さんがいるの……」
法子はなんだか嬉しそうに飛燕を見た。
「何か優しくて、楽しそうなお店やね」
飛燕はまた店内を見回した。なんだか、法子の優しさが溢れているみたいで嬉しかった。
「ありがと………」
法子は嬉しかった、まるで母親に誉められたみたいな感じだった。
「ええなぁ法子さん、うちはまだ……やりたい事が見つからへん」
羨ましいと飛燕は思った、そして、自分は何をしたいのだろうと自問した。曖昧な心は自身にさえ答えるはずもなく、脳裏に浮かぶ色々な職業を宙で舞わせた。
「これからだよ……夢と一緒、叶うまでが一番楽しいよ」
法子の笑顔は飛燕を優しく後押しした。
「考え方次第なんやな……」
「そうだよ……大丈夫、私が保証する」
瑞樹と同じ事を法子も言ってくれた、陽だまりみたいな言葉が飛燕をまた強くしてくれた感じがした。
「ありがと……」
飛燕の中に勇気みたいなものが溢れた。
「さて、他も見てみようか」
「うん」
法子の言葉に飛燕が頷いた瞬間、辺りの照明が消えた。瞬時に飛燕の胸に衝撃が走った。それは予感ではなく確信に近いもので、手探りで法子を探して無意識のうちに抱き締めた飛燕だった。
闇が押し寄せ、計り知れない悪意がゆっくりと飛燕達に迫っていた……氷のような微笑みを浮かべながら。




