可視化する記憶
「陸上自衛隊、大宮科学学校の内田二佐です」
「田口一尉です」
対策会議の会場で二人の男が葛城に挨拶した。
「ああ、どうも」
一番後ろの席に座る葛城は素っ気なく挨拶した。
「葛城警部補ですよね?」
「そうですが」
「お聞きしたい事があるんですが?」
立ったまま内田は言った。
「会議に遅刻しまして、他の者にどうぞ……」
上目使いで葛城は二人の様子を観察した。
「確かに弾は当たったんですよね?」
ふいに核心を突く、内田の目に鋭い光が射した。
「報告書に書いてあったでしょ」
葛城は面倒そうに頭を掻いた。
「足利は学生時代からの友人なんです……あいつが外すはずがない」
内田の声は震えていた。
「あなたが一番先に現着した……訳は?」
今度は田口が葛城を睨んだ。
「それも報告書に書いてある」
葛城は田口の目を睨み返した。田口が身を乗り出した時、内田が片腕で制した。
「今度は我々にも直ぐ連絡をお願いします」
内田は頭を下げると、田口に目配せをしてその場を後にした。
「……」
葛城は黙ったまま、誰もいない会議室でホワイトボードに書かれた文字を睨みつづけた。夜の訪れは葛城の全身を強く圧迫したが、何も出来ないでいる事より、何が出来るかを葛城は考え続けた。
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都合や予定なんか関係なく、誰にだって朝は来る。気付くと窓の外は明るくなっていた。
「おはようございます。家に帰らなかったんですか?」
眠そうに薪が挨拶した。
「ああ……」
葛城は腕を組んだまま、窓の外を見ていた。
「今日の会議は九時からです。まだ時間がありますから、コーヒーでも買ってきましょうか?」
時計に目をやった薪は、また眠そうに目を擦った。
「頼む……」
薪がコーヒーを買いに行ってる間、葛城は何も考えないで窓の外の大きな木を見ていた。初夏の風が緑の葉を揺らし、その緑の匂いが空に舞い上がるのを感じていた。
「葛城さん」
両手にコーヒーを持った薪が葛城を引き戻した。
「どうした?」
困った様な表情の薪に葛城は面倒そうに言った。
「来てますけど」
薪は言いにくそうに言った。
「誰が?」
「飛燕ちゃん」
薪はまた嫌な役を押し付けられると思った。しかし、葛城の態度は以外だった。
「どこだ?」
「玄関のホールです」
「分った」
葛城の背中を唖然として見送った薪だった。頭の中で”何で?”とリフレインさせていた。
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ホールの中央階段に葛城を見つけると、飛燕の胸は締め付けられた。飛燕には分らなかったが、葛城も胸に小さな痛みみたいなものを感じていた。
「朝飯、食ったか?」
近付いた葛城の口からは、以外な言葉が出た。違う言葉を想像していた飛燕は、答えるのに時間が掛かった。
「行かないのか?」
「行くっ」
飛燕のスイッチが入った。葛城の後に続いて署を出た。そして、葛城は裏通りの古い食堂に入った。
「朝定食二つ」
葛城は店の老主人に注文した後、テーブルに飛燕を座らせた。老主人は、飛燕を見て一瞬驚いた様な表情を見せたが、暖簾の向こうで笑顔を見せた。
「あんたが女連れとは、まさか朝帰りじゃないだろうな?」
飛燕は耳たぶまで赤くなった。
「さっさと飯を出せ」
葛城は相手にしてなかった。
「美味いか?」
美味しそうに食べる飛燕に、葛城は不思議な感覚に包まれた。それはデジャブの様に記憶の扉を叩いていた。そして、頬にご飯粒を付けた飛燕を見た時、光の中に記憶は鮮明に蘇った。
「どないしたん?」
飛燕の顔を見つめる葛城に、照れた様に飛燕は小声で呟いた。
「ほっぺた、ご飯粒」
「あっ」
飛燕は頬を触った。
「反対……」
葛城は確かに思い出していた。
「あの時と全く一緒じゃ、悪さした飛鷹ちゃんを捕まえて、丁度今位の時間に店に来たのぅ……しかし、似とる。驚いたわい」
お茶を出した老主人は飛燕の顔を覗き込んだ。
「あっちに行ってろ」
葛城は主人を睨んで飛燕から視線を逸らせた。
「うち……似てるん?」
飛燕は葛城の表情で占った。
「どうでもいいだろ」
葛城は視線を逸らせたまま呟いた。
「ええやん、教えて」
飛燕は食い下がった。
「……」
「似てるんか?」
「……ああ……」
小さな声で葛城は呟いた。
「うち……似てるんや……」
飛燕の胸は鷲掴みにされた。手は汗ばみ、心臓の鼓動は聞こえる程だった。
「お嬢ちゃん、名前は?」
いつの間にか老主人が側に立っていた。
「立花飛燕です」
「飛燕……三式だな」
「何ですか、それ?」
飛燕は聞き返した。葛城は頬杖を付いて、タバコに火を点けた。
「一式戦闘機は格闘戦重視の軽戦闘機、二式戦闘機は速度重視の重戦闘機、三式はその両方を兼ね備えた戦闘機なんじゃ」
「何、訳の分らんことを」
葛城は呆れたみたいに呟いた。
「うち、そんな事言われた気がする」
「意味は分るな?」
老主人は優しい笑顔を、飛燕にくれた。
「なんとなくやけど」
「いい名前じゃ」
笑いながら、老主人は奥へ行った。
「飛燕はな、飛行機の名前なんやで」
「そうか」
「飛鷹さんは空母の名前なんやてな」
「ああ」
飛燕の笑顔が眩しく感じた葛城だった。そして、目が合うと逸らしながら、葛城は飛燕の顔ばかり見ていた。
「美味かったか」
食堂を出てすぐ、葛城は太陽に目を細めながら聞いた。
「うん、美味しかった。面白いおっちゃんやね」
飛燕も朝日に目を細めた。
「あの、クソじじぃ」
葛城は舌打ちした。
「あのな、うちな……巧の邪魔にはならへんからな」
「ああ」
「そんなら……ごちそうさまでした」
飛燕はペコッと頭を下げて、帰ろうとした。
「飛燕」
呼び止めた葛城だった。
「どないしたん?」
微笑んだ飛燕が、お日様の中煌いた。
「……いつか法子だって歳を取る……でも俺は立ち止まったままだ……皆、俺を置いて先に行くんだ」
葛城は俯いたまま声を曇らせた。
「それがどないしたん、巧は巧や」
「十年先、二十年先でもそんな事言えるのか?」
「うん!」
飛燕は即答した、その瞳には一片の曇りもなかった。葛城はその笑顔から眼を背けられなかった。泣きたい程の震えが全身を包み、記憶の彼方の飛鷹と重なった。
「飛燕」
「どないしたんや、もう」
またお日様みたいに飛燕は微笑んだ。
「夜は家に来い、法子と一緒に……」
「うち、行ってもええん?」
「ああ、法子の側に居てくれ」
「分った」
素直な飛燕の返事に葛城は黙って背を向け、眩しい太陽の先にある遥か先の暗闇を睨みつけた……。
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会議室に戻ると薪が待ち構えていた。
「どこに行っていたんですか? 本部長カンカンですよ」
「朝飯」
葛城は、また一番後ろの席にドカッと座った。間も無く会議は始まったが、普通の会議とはかなり違っていた。それは、陸自の二人が中心となっていたのだった。
「監視衛星による監視は、新型防衛監視システムの”ラプター”を使用します。これは低高度衛星監視システムの総称で、顔の識別及び音声の識別も可能です。そして完全自動化したコンピューターにより二十四時間監視します」
システムを説明する田口に、葛城は不快感を持った……まるで自衛隊の演習だと。
「監視した後は?」
前の方の席で梓が質問した。
「今回の犯人は、不明な点が多すぎます。それを逆に取り、犯人像をシュミレーションしました。見つけ次第、我々の特殊装備の部隊が出動します」
「あなた方には逮捕権はないのでは?」
梓は静かな声で言った。
「特別許可を取ってあります」
田口は自信のある声で答えた。梓はそれ以上質問はしなかった、やっぱりねと心の中で呟いただけだった。
「俺達、何したらいいんですかね?」
状況を把握出来ない薪は隣の葛城を見た。
「何もするなって事だろ」
吐き捨てるみたいに葛城は呟いた。
「ご質問がなければ、これで終わります。それでは駐車場に指揮車を配置しますので、我々はそちらに移動します」
田口は書類を持って内田と共に会場を後にした。




