大切なコト 大切なヒト
気が付くと、白い天井と泣き顔の法子の顔があった。
「どうした?……そんな顔して……」
記憶の混濁が葛城を支配していた。
「お父さんっ!」
法子の目から、大粒の涙が葛城の顔に落ちた。
「大丈夫だ……」
「心配したよぉ」
葛城の胸に法子は飛び込んだ。
「ごめんな……」
法子の頭を撫ぜた葛城は胸が締め付けられた。
「お父さんに何かあったら、私、一人になっちゃうんだよ」
泣き顔の法子の顔が、飛鷹の顔と重なった。”あんたが死んだら、うちとこの子はどないなるん”……確かに声が聞こえた。
「母さんにも怒られた……」
「……お母さんにも?」
顔を上げた法子は、不意を付かれて一瞬戸惑った。葛城から母親の事を言うなんて初めてだったから。
「どんなふうに怒ったの?」
「今のお前みたいに、泣きながら……俺に何かあったら、自分と法子はどうなるって」
葛城はさっき聞こえた声の事を話した。法子の脳裏に、泣きながら怒る母親が浮かんだ……しかし、母親の顔を知らない法子は、その泣き顔は自然に飛燕と重った。
「飛燕ちゃんも心配するよ」
法子の言葉はカウンターで葛城にぶつかった。胸の片方が、少し痛かった。
「……」
言葉を失う葛城に、やっと涙の止まった法子が微笑みかけた。
「お母さん、飛燕ちゃんみたいだったんだろうな……」
「……ぁぁ……」
法子の言葉に聞こえないくらい小さな声で葛城は答えた。
「大丈夫ですか、葛城さん?」
急にドアが開いた。視線を移した先には、泣きそうな薪の顔があった。
「何だ、お前までそんな顔して…………薪っ! どうなった?!」
記憶は突然繋がった、衝撃的に葛城は飛び起きて叫んだ。しかし、薪の沈んだ表情に全てを悟った。葛城が、ゆっくりベッドに横になってから薪は話し出した。
「足利さんと、行方不明の恩田さんは亡くなりました。茂野さんも、あの後すぐ……」
法子に配慮して薪は詳しくは言わなかった。
「法子、薪と話しがある。外してくれ」
葛城が法子の頬を撫ぜると、法子は黙って席を外した。
「足利さんも恩田さんも死因は-------」
法子が出て行くと、薪は状況を説明した。死因は他の被害者と同じ出血死であり、鋭利な刃物の様なもので切り裂かれたという事だった。
「……」
葛城は愕然として言葉は失われた。
「目撃者で……」
薪は小声で囁くみたいに言ったが、最後は消え入った。
「言えよ」
分かってる答えを天井を見つめた葛城は聞いた。
「葛城さんだけです。生き残ったのは」
「そうか……」
どうして、自分だけが生き残ったのか? どうして自分以外が皆死んだのか? それは呵責となって葛城を責めた。考えれば考える程、答えはある一点に収束する。しかし、葛城は無意識にそれを否定した。
でないと、死んで行った人々に申し訳が立たないと、もう一人の自分が思考を引き寄せた。
「もうよしましょう! あいつは人間じゃありません!」
薪は急に声を上げた。沈み込む葛城を見ていられなかった。
「……確かに、俺や足利の弾が当たった」
葛城は天井を見つめたまま呟いた。
「科警研が徹底的に調査したけど、痕跡は全く見つからなかったわ」
いつの間にか梓が部屋の入口に立っていた。
「特機隊……お前が?」
葛城は痛む身体を支えながら起き上がった。
「進言しただけよ、決めたのは上」
近付いた梓はベッドに腰掛けた。薪はなんとなく居ずらくて、そっと部屋を出て行った。葛城は二人きりになると、ゆっくり話し始めた。
「法子の側にいてくれたのか?」
「ええ」
「すまない……」
「法ちゃんはもう大人……大丈夫だから」
「そう、だな……」
泣き顔の法子の顔が浮かんだ葛城は、少し微笑んだ。そして、梓に向き直った。
「何時から決まってたんだ?」
「決まったのは最初の事件の後すぐ、対策会議に出ないからよ」
「そうだな」
「……気の毒だったわね……足利さん達」
「……初めて……追い詰めた……」
「追い詰めたってっ!……死んじゃ、何もなんないよっ!」
梓は声を荒げた、その瞳には涙が滲んでいた。
「……」
葛城はその涙が見れなかった。沈黙が広い病室を覆い、かなりの時間沈下した後、葛城はそっと口を開いた。
「最初の事件以来、二十五年……出会えなかった……夢なのかと考え初めていた」
「……あいつは存在したのね」
梓の中でも怪物が具現化した。
「今度は目の前で……」
拳が白くなる程、葛城は両手を握り締めた。
「私達の手には負えないかもね……」
梓は窓の外に並ぶ、高層ビルに視線を飛ばした。
「…………」
葛城は握り締めた拳を見続けた。
「先生も看護士さんも驚いてた。緊急だったんで一般病院だもの、ここ」
沈黙が嫌で法子は話しを逸らした。
「……」
「若いですねって、顔を引きつらせてた」
少し微笑んで、葛城の表情を見た法子だった。
「……そうか」
葛城は、視線を上げて法子の顔を見た。その視線には、力が感じられなかった。
「今度の会議で決まったの、陸自からも来るのよ」
法子はまた、話題を変えた。
「自衛隊だと?」
法子の言葉に葛城は声を上げた。
「大宮の科学危機管理ユニット」
「何だそれ?」
「最先端の戦闘を研究している機関かな」
「どうしてそこが?」
「事件のデータ送ったの。興味を示したわ」
「実験出来る……か」
葛城はバタリとベッドに倒れた。
「彼らなら、なんとかなるかもしれない……少しでもあなたの為に」
「……そうか」
横になったまま葛城は呟いた後、ゆっくりと起き上がった。
「何処に行くの?」
そのまま起きて、服を着替える葛城の背中に梓は言葉を投げた。
「確かめたい事がある」
背中で答えた葛城だった。
「今度は会議、出なさいよ」
ドアに向かう背中にまた梓は言った。葛城の身体が気にならない訳じゃなかったが、梓はあえて止めなかった。性格なんて、とうに知り尽くしていたから。法子もまた梓と同じく、微笑んで見送った……無言で無事を祈りながら。
「ああ……」
片手を上げて葛城は静かに答えた。
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「ネタはどこからだ?」
カウンターに座ると同時に葛城は声を押し殺した。
「……多分、奴です」
針の声は震えていた。
「そうか。で、どんな声だった?」
葛城は声のトーンを落とした。
「それが、よく覚えてないんです……確かに話したのに」
声の震えは針の内側を表していた。
「覚えてないのか?」
「恐ろしい声でした……機械のような、獣のような……でも、笑ってた」
「俺に何か言ってたか?」
「……ええ?」
「何と?」
「あなたに知らせろと」
「他には?」
「それだけです」
針は氷に覆われたみたいに小刻みに震えた。
「目的は何だ?」
「分かりません」
「聞いてみるしかないな」
「えっ?……」
隣に座る葛城に、目を移した針は心臓を鷲掴みにされた。横顔の葛城の目が、あの声と重なっていたからだ。
「葛城さん、あんた……」
それ以上の言葉は針の口から溶けて消えた。
「奴は俺に用があるようだ」
立ち上った葛城は他人事みたいに呟いた。針は俯いたまま、背中で葛城を見送った。
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タクシーの窓から法子はぼんやり街を見ていた。
「大丈夫?」
梓がその横顔に声を掛けた。
「大丈夫だよ……」
外に視線を向けたまま、法子呟いた。
「今日、泊まっていい?」
「いいけど、仕事はいいの警部さん?」
「何よ、夜中も仕事しろって」
梓は法子の肩を突付いた。
「五年前も梓姉ちゃん、泊まりに来てくれたね」
懐かしそうに法子は遠くを見た。
「そうだね」
梓は五年前の法子を思い出していた。二十歳の法子は大人と子供の狭間で、梓を困らせた。話せば分ってくれたが、葛城の事で心を閉ざそうとした。
言葉の少ない葛城の代りに、梓がよく話し相手になっていた。言葉だけではダメ、抱き締めるだけでもダメ、法子に足りないもの、法子が欲しいもの……でも、梓にはどうしようもなかった事がそっと脳裏をかすめる。
「お客さん、警察関係の人?」
初老の運転手がふいに話し掛けた。
「はい」
梓の返事に運転手はバックミラーで見て微笑んだ。
「娘と同じぐらいだ」
「そうですか。娘さん、今、何を?」
「レスキューでした……被災者を助ける為、娘は自分を犠牲にしました」
少し寂しそうに運転手は答えた。
「すみません……」
梓は俯いた。法子も胸が痛かった。
「気を付けなさいよ」
「はい」
「仕事だからとか、犯罪は許さないとか、あんまり張り切らない様にね……親はね、堪らないからね」
「はい……」
梓は父親から言われているみたいな感じに、心が揺れた。
「ごめんなさいね、年寄りのお節介だから、聞き流して下さい」
バックミラー越しに運転手は謝った。
「いえ、気を付けます」
背筋を伸ばした梓だった。
「大切な仕事です、警察も救難も。ただ、助ける側にも大切な人や家族がいるってこと、忘れないで下さいね……絶対死んだらだめですよ」
運転手の言葉は、二人の胸に染みた。そして、二人の視線の向こうには、葛城の姿が霞んで見えた。




