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変わらない男

「やっぱり、おかしいよな……どう見ても」


 窓際の男を見て、薪は呟いた。外をぼんやり見ている男は、五十二歳……しかし、誰が見たって二十代半ばにしか見えない外見、優しそうな面持ちは接する者を困惑させた。しかしその見た目とは裏腹に、男はある仇名で呼ばれていた……それは、out-of-place artifactsオーパーツ


 男の名は葛城巧、塩浜署捜査一課の警部補である。二十五年前のある事件をきっかけにして、葛城の時間は止まってしまった。


「葛城さん、五時です。そろそろ行きますか?」


 薪は、葛城の背中に呟くように言った。返事もしないでゆっくりと立ち上がった葛城は、薪の顔を見ることはなく、机の上の壊れた腕時計に視線を霞めた。多分慣れているんだろう薪は、葛城が部屋を出てドアが閉まる瞬間にゆっくりと後に続いた。


 廊下を数メートル離れて付いていく薪は車の助手席に葛城がもたれ掛かるのを確認して、早足で運転席に入る。薪は刑事には見られない気の弱そうな外見、今どきのスツーツも似合わない冴えない男だったが、捜査一課で誰も組みたがらない葛城と唯一上手くやっていた。


「御幸通りから行きます」


 薪の言葉に、葛城はタバコの煙で答えた。環状線から大池通交差点を抜け、県庁の前を過ぎると御幸通りは直ぐだった。道の両側を欅並木が続き、レトロな街灯が一瞬初夏の街並みを綺麗な風景だと勘違いさせた。


「最近の若い奴等、日本人にゃ見えませんね」


 信号待ちで、薪は欅の大木の下にたむろする若者達に言葉を放り投げた。様々な髪の色、ピアスやタトゥー、破れた服……そして、ナイフみたいな心。


「ただのガキ共だ……」


 葛城の声を何年かぶりに聞いた錯覚が、薪の腕を撫ぜた。”声、若いですね”という言葉を飲み込んで薪は違う言葉を吐いた。


「あの娘……左腕の刺青、全体ですね……腕の白い所が見えない」


「ダックスフンドか?」


 シートに深く腰掛けながら葛城は呟く。


「龍ですよ……多分」


 薪のため息と同時に、車体に衝撃があった。そして、ボンネットの上には腰に手を当てたミニスカートの少女が立っていた。


「パンツ丸見えだな」


 葛城は煙と一緒に呟いた。


「オッサン、何見てんだよ?! 見物料出しなっ!」


 金や銀、ピンクやパープルが混ざった髪の少女は真っ黒な化粧の目元を吊り上げ、周囲の野次馬からは歓声や野次が散乱した。


「誰がオッサンだぁ?」


 勿論怒鳴ったのは薪で、葛城はベンチの鳩を眺めていた。


「だからぁ、あんただよオッサン」


 少女は腕組みして、ピンヒールでフロントガラスをガンガン蹴った。


「見たのはこの人だぞ」


 見当違いに近い薪の高揚した言葉だけが、辺りに空しく響いた。


「確かに見たのは若い方だけどさ、年上が払うのは常識だろ」


「俺はまだ二十九だ! この人は俺の親父とそんなに変わんないんだぞ!」


 薪は更に興奮した。いつも言われている事だが、女から言われると興奮は倍増だった。


「いい加減にっ……」


 少女が言い終わらないうちに葛城がドアを開け、ゆっくり呟いた。


「これは滑り台じゃないぜ」


 何故か少女の罵声を期待した薪だった。


「ふぅん……あんた、割にいい男じゃん」


 ピョンとボンネットから降りた少女は、ニヤニヤしながら葛城を周囲から眺めた。


「お前、いい加減にしろよっ!」


 慌てて薪は外に出ると、葛城と少女の間に割って入った。その時突然、場違いな関西弁が響いた。


「樹花っ、あんた何してんねん!」


 声は二十歳位の女の子だった。珍しく綺麗な肩までの黒髪、切れ長の大きな瞳は棘のある周囲の雰囲気とは一線を画していた。


「やっばっ」


 樹花と呼ばれた少女は慌てて人込みに消えた。


「まだ子供なんや、堪忍したって、苦情ならうちが……」


 関西弁の女の子は葛城と薪にぺこりと頭を下げた。


「君はあの子の知り合いか?」


 葛城の言葉は穏やかだった。その声は薪を硬直させ、何が何だか分からずに唯茫然と様子を見るしかなかった。


「知り合いって程やないんやけど……」


その言葉に嘘はないと葛城は直感で分った。言い訳みたいな言葉が、言い訳に聞こえなかった。何故なら、彼女の瞳は真っ直ぐで一片の曇りも無かったから。


「そうか、君の名前は?」


「うち、飛燕」


「ひえん……」


 葛城は飛燕の顔を見た。その何故か懐かしく感じる瞳は、記憶の紐にそっと手を掛けた。そして飛燕もまた葛城の雰囲気に不思議な感覚を覚えていた、様々な感情のインパクトが混ざり合って。


「飛ぶツバメって書くんや……」


「……」


 葛城は飛燕の言葉に返事をしなかった。そして優しく見えた葛城の目が鋭く光を放ち、飛燕を一瞬立ち止まらせた。葛城の視線は路地の向こう、三人の男に突き刺さっていた。しかし、飛燕には違和感があった。


 優しい目も鋭い視線も、その奥にある不思議な感覚……悲しみ、憂い、言葉にするならそういう感じなのか……まるで絡まった糸のように胸につかえ、思わず目を逸らした。 


 葛城は飛燕を残したまま、頭を掻きながら男達の方向な向かった。スキンヘッドにした頭に髑髏のタトゥー、袖の無い革ジャン、見るからに危険な感じだった。


「やばい……あいつら何もんか知ってんのか?」


 飛燕は背筋が凍るのが分った。 


「何者なんだよ?」


 やっと落ち着いた薪は、葛城の背中を見ながら普通に飛燕に聞いた。


「何落ち着いてんねん、あんたらこそ何もんや?」 


 振り向いた飛燕は怪訝な顔をした。


「塩浜署、捜査一課の薪だっ、お前なっ……」


「あんたら警察なんか?……うちはてっきり。それよりあの人止めなあかん、アイツら、ほんまにヤバイいんやっ!」


 飛燕は薪の言葉を遮り、腕を掴んで強く揺らした。まんざらでもない薪は少しニヤけたが、今の飛燕の顔は、始めの雰囲気とは違って情けなくて幼かった。


「大丈夫だよ……あの人は”鬼”だから 」


 思わず薪は子供に言うみたいな口調になった。


________________________



「何だぁてめぇ」


 近付く葛城、その外見の穏やかさに一人の男が凄んだ。刹那、葛城の蹴りが男の顎を直撃する。二人目を頭突き、三人目を膝蹴りで蹴倒した。


「何や?……」


 唖然とする飛燕をよそに葛城は男達の上着を探り、ナイフを見つけて薪に指示した。


「確保、銃刀法違反」


「少しは手加減してくださいよ……あーあコイツ、前歯が……」


 手錠を掛けながら、薪はぼやいた。応援が到着し、被疑者が移送されても飛燕はまだ不思議な感覚に包まれていた。そして、一段落した薪が話し掛けて来た時にやっと呪縛は解かれた。


「驚いたろ、あの人はいつもあんな感じ。あの外見からは想像もつかないよな」


「名前?……」


 飛燕は車の横でタバコの煙を立ててる葛城に、視線を釘付けにしたまま言った。


「えっ、薪慎二。さっき言ったろ」


 なんだか嬉しそうに、答えた薪だった。


「ちゃうわ、あの人や」


 飛燕は、また薪を見ないで言った。


「……葛城」


「な・ま・え……」


 溜息と一緒に飛燕は言った、今度は薪をしっかり見て。


「巧……」


 ”なんでやねん”って、薪の思考は関西弁になった。


「ふぅん……巧かぁ……」


 蕾が開くみたいに、飛燕の中に何かがそっと膨らんだ。


________________________



 巡回に戻った葛城と薪は、いつもの場所にいた。それは海辺の別荘街、葛城の一番嫌いな場所だった。


「ここ……嫌いなんでしょ?」


 シートを倒したままタバコを燻らせる葛城に、ハンドルに凭れ掛かった薪が呟いた。


「……ああ」


 煙の中心を見ながら、葛城は呟く。


「いっつもこの時間……非番の日にも来てるって」


「……ああ」


「何なんですか? ここ……」


「お前には関係ない」


 葛城は高台の一際大きい別荘に、ゆっくり視線を上げた。


「相棒ですよね……もう、四年ですよね」


「そうだな……」


「……・まあ、いいか……」


 諦めたみたいに薪もシートを倒し、ポケットから取り出した棒キャンディーを口に咥えた。


「美味いのか?……それ」


「葛城さんには似合いませんよ。それより、あの飛燕って娘、葛城さんに興味あるみたいでしたね」


「……」


 葛城は返事をしないで時計を見た。そして、ゆっくりとシートを戻して外に出た。


「一時間、僕は何してたらいいんですかね?」


 葛城の背中に薪は言葉を投げた。葛城は何も言わず、背中を向けたまま片手を振った。


「待ってろって事……か」


 独り言みたいに呟いた薪は、大きく背伸びしてシートを倒した。


________________________



 午前零時、夜の巡回の時は必ず葛城はこの場所へ来た。海岸のパーキングに車を止めて、別荘入口の門を抜け、坂道を上がって行く。砂混じりの道が、ザクザクと小さな音を立てる。フェンスのない洋風の家々の脇を通り、分かれていた道が一つに収束すると目的の屋敷の前に出る。


 家々の門柱の明かりが松明の明かりの様に導いていた途中と違い、そこから先は一種独特の雰囲気が辺りを支配していた。もう何年も空家のそこは、剥がれた白い壁が脱皮途中の爬虫類にも見えて、遠くから見た時の美しさが、まるで魔法に掛かったみたいに視線に絡み付く。


 葛城はその門の前で屋敷を睨み続ける。自分の中の燃え立つ何かが、やがて炎を弱め鎮火していくまで……。


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