表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レベランス  作者: ビオラ
7/16

第6話  使命

 ガシャーンッッ!!ドスンッ!!


「ウウッ……」


 ドスンと大きな音を立てて念獣が地面に突っ伏す。


 身体中に切り裂かれたような傷を負い、そこから大量の黒い血を流し床に黒色の海を作る。


 スタッと念獣の前にエレーナが降り立つ。

 右手には念獣の血で黒く染まった大きな鎌を持ち、腰に手をあてながら念獣を見下ろす。


「ざっとこんなもんかな?」


 廊下の辺り一面には念獣の身体につけられた引っ掻いたり抉り取ったような痕が無数に残っている。


「すごい……」


 エレーナの後ろでエメルとミルンが呆気に取られて立ち尽くす。


「開門からわずか1分で念獣を沈黙させるなんて……。私たちの出番、なかったみたいですね」


 エメルが呟く。


 実際、実に見事な戦いぶりであった。

 襲い掛かる念獣の攻撃を素早い身のこなしでかわし、死角に入り込んで容赦のない斬撃を次々と加える。

 怒りに満ちた念獣と言えど、ダメージは着実に蓄積されていくのでやがてその身体は限界に達し、動かなくなる。


「久々にこんな重いもん振り回したから肩凝っちゃったよ……」


 エレーナが左手で肩を叩きながら言う。


 エレーナは普段の戦闘では金色の剣を得物として戦うが、本来の武器は身体の丈ほどあるこの巨大な鎌である。

 剣と同じ刃先は大小様々な大きさに尖っているため、斬り付けられた者は身体を抉り取られたかのよな複雑な傷を負う。

 大きさもさることながら重量も剣の比ではないため、振り下ろされた際には岩石を簡単に砕くほどの破壊力を秘めている。


 ただ、本人曰く長時間使うと肩が凝るため、それ相応の相手と戦う時以外は滅多に使わないという。


「演習のはずがついうっかりやりすぎちゃったみたいだねぇ。まっこれ以上被害が拡大しなかったからよしとしようかねぇ」


 エレーナが大鎌を片手でクルクルと回転させて右肩に担ぐようにして持つ。

 刃先にはまだ念獣の血がこびりついており、金色の刃がところどころ不気味に黒光りしている。


「ちぇっ!ぶん殴られて終わりってなんかスッキリしないなぁ~」


 ミルンが口を尖らせて両手を頭の後ろで組む。


「でも、正直今の私たちには手に余る相手だったので、ホっとしてます」


 エメルがにっこりと微笑む。


 エレーナも微笑み返して再び倒れた念獣に向き直る。


 念獣から流れ出した血は尚も止血する様子もなく床を汚し続けていた。


 念獣が動かなくなり、地響きも咆哮もなくなったおかげで崩壊した廊下は急に静かになった。


 食堂や宿舎のほうでは何人かのレベランスたちの騒ぎ声や足音が聞こえてくる。


 恐らく、皆パニックになっていることだろう。

 得体の知れない怪物が突如自分たちの家の中に踏み込んで来て夜の静寂を地獄の轟音に変えるところだったのだから。


 まぁなにはともあれ、無事解決できてよかった。この後、上層部への報告が億劫であるが。

 エレーナはため息をついて天井を見上げる。


 どうやって誤魔化そうかな?

 廊下をめちゃめちゃにしてしまったこと、マスタークラスのレベランスが負傷したこと、現場に居合わせた隊員が一人死亡したこと、そして駆けつけた増援部隊をそのまま撤退させてしまったこと。


 パッと思い付くだけでこれだけある。


 死傷者の報告はともかく、他のことは正直黙っておきたい。


 緊急警報で駆けつけた応援部隊は実は下級のレベランスたちばかりで結局事態の収拾に当たったのはたった三人のレベランスであったと。


 それもマスター・ゼオルではなく、マスター・エレーナが収拾活動に当たったということであれば上層部は決しておもしろくないだろう。


 ま、開門を要請した段階でそこはバレているのかもしれないが。


 エレーナは急に気持ちが重くなった気がした。


 やはりありのままを伝えるしかないか……。

 隠蔽なんてエメルが黙ってないだろうし、そもそもあたしのやり方じゃない。


 エレーナの背後では早速エメルがこの後のことについて話を始めている。


「とりあえず、私は死傷者の報告と被害状況の報告を支局長(オフィサー)と本部の方々に報告してくるから、ミルンは先に宿舎に戻ってて」


「え~、そんなの明日でいいじゃん~。あたしもう疲れたよぉ」


「だめよ。報告はすぐにしなくちゃ。それにミルンは先に休んでていいから」


 これだもんなぁ……。エレーナは心の中でため息をついた。


 エメルはしっかりしすぎている。まぁそれがこの子のいいところなんだけども。

 まぁミルンがやんちゃで大雑把な分、エメルが丁寧で冷静に動いてくれるおかげでバランスがとれているんだけど。


 ただ、そんな二人を監督する立場にある身としてはちゃんと業務をこなさないと示しがつかない。

 ……本当は帰ってシャワーでも浴びて早く休みたいんだけどね。


 エレーナは再び二人に向き直る。


「はいそこまで~。本部への連絡と報告書の作成はあたしがやっておくから、二人は早めに切り上げて休みなさい。

 エメル、局長への報告だけ頼んでもいい?」


「はい。勿論です」


「ごめんね、ありがと。じゃあそういうことでミルンは先に――」


「っ!!エレーナさん!後ろ!!」


 話している途中で突如ミルンが目を見開いて大声を出す。

 突如、エメルとミルンに薄暗い影がかかった。


 エレーナはミルンの声を聞き終わる前に眉をひそめて後ろへ振り返る。


 直後、視界に赤い塊が真上からこちらに覆いかぶさってくるのを捉えた。


 カキーンッッ!!


 廊下に甲高い金属音がこだまする。

 そしてその直後にウウウゥゥッ!!という低い唸り声が響く。


 エレーナは両手で鎌の柄と切先の平たい部分に手を添えて赤い塊ごと大鎌を支えていた。


 腰を深く落とし、鎌を支える両手は震えていた。

 赤い塊は凄まじい力でエレーナを押しつぶそうとしていた。


 エメルとミルンは同時に息を呑む。


 そこには今度こそ絶命したはずの念獣が全身の傷口から血を吹き出しながらエレーナに拳を振り下ろしていた。


 身体のあちらこちらから流血して、眼は殺気も生気も感じられず、虚ろな眼差しで目の前の獲物に食らいつくように襲い掛かっている。


 エレーナは額から汗を流した。

 左手は刃のほうに手を添えているため、手が鋭い刃に食込んで赤い血が流れている。


 だが、それ以上に重量級のこの力比べをこれ以上続けるのはさすがにきつかった。


 エレーナは息を素早く呼吸すると次の瞬間、傾けて念獣の拳の力の咆哮をずらし、鎌を引き抜いて大きく後ろへ飛び退いた。


 念獣の拳がそのまま地面に落ち、床が大きな音を立ててへこんだ。

 地響きが周囲に鳴り響く。


「ったく。いい加減しつこいね」


 エレーナが着地して念獣にむかって叫ぶ。


「どうやら、まだ私たちの演習は終わってないみたいですね?」


 エメルが再び両手に剣を構える。


「延長戦ってカンジ?仮を返すには丁度いいじゃん!」


 ミルンも口元をにやけさせながら剣を回す。


 次の瞬間、念獣は咆哮もあげず、小さな唸り声とともに地面を蹴って三人に向けて突進してきた。


 三人は瞬時にそれぞれ別の方向へ飛び退く。


 だが、念獣は間髪いれずにすぐに突進を始める。

 最初に標的となったのはエメルだった。


 念獣はエメル目がけてウオォォッ!という低い唸り声とともに飛び掛ってきた。


 あっという間にエメルの真上まで念獣が接近する。


 エメルは瞬時に身体を小さく屈めて、膝を曲げて前傾姿勢になり、念獣が突進してきた方向へ地面を蹴った。


 ヒュイインッ!!……ザシュッ!!


 直後に甲高い音とともに何かを切り裂くような音が響く。


 気が付くとエメルは念獣が突進してきた方向で両手を身体の後ろで伸ばし、前傾姿勢を保ったまま静止していた。


 エメルが移動したと思われる場所には黒い影のような跡が残っている。


 そして念獣の左足からプシュッ!という音とともに黒い血が勢いよく吹き出してきた。


 空中で左足を切りつけられた念獣はバランスを失い地面に倒れこむ。


 先手を取って突進してきたようだが、エメルの素早いカウンターにより、逆に左足の自由を奪われた。


 ……のように思われた。


 エメルが身体を起し、素早く後ろを振り返ろうとしたとき、再び念獣の低い唸り声が聞こえてきた。


 念獣を視界の片隅に捉えたとき、なんと念獣は次なる方向へ身体を傾けていた。


 エメルに切り付けられた左足は依然として血を流したまま、だけど地面を蹴るための軸足としての役目を失っておらず、念獣はミルンが飛び退いたほうへ突進を始めていた。


 ミルンには左前でエメルが自分に注意を促すより前に念獣の突進に気づいていた。


 エメルに飛び掛り負傷して着地した瞬間、痛みに対するリアクションを一切見せずにそのまま方向を変えて突進したきたんだ。嫌でも気づかされる。


 再び念獣が右手の拳を後ろに引く。今度は真直ぐに殴りかかってくる気だ。


 レテンシーで剣の前に炎の壁を作ろうか……?いや、それにしては距離が近すぎる!

 やはりここは避けるしかないっ!!


 ミルンは一瞬だけ迷った。


 その間に念獣は既にミルンを攻撃の間合いに含んでおり、拳を突き出し始めていた。


 念獣のドタドタと突進する音がもう目の前まで迫ったとき、ミルンは右に避けようと身体を傾ける。

 だが、念獣の拳はもうミルンの数センチ手前まで迫っていた。


 ……だめだ!間に合わない!


 ドスンッ!


 廊下内に鈍い音が響く。


 ガシャーンッ!!!


 さらに何かが壁に激突する音が重なる。


 エメルは後方で立ち上がって辺りを素早く見渡す。

 物体の激突した壁からは灰色の砂煙があがっている。

 ミルンは……ミルンはどうなったの!?


「ミルン!!」


 エメルは砂煙に向かって叫ぶ。


 だが、その声に先に反応したのは念獣だった。


 念獣はすぐにエメルのほうへ向き直り低く唸る。

 エメルは再び剣を構える。


 だが、すぐに突進してはこなかった。

 念獣は確かにエメルのほうを注視しているが、唸り声を上げて威嚇するだけで両足を地面に立てて停止している。


 エメルは構えを崩さず、念獣と向き合った。

 なぜ襲ってこない?


 その時、エメルはある事に気が付いた。


 念獣の右手からポタポタと黒い血が地面に滴り落ちている。

 いや、右手だけではない。右横腹辺りからも複雑な形状の切り傷が見受けられる。


 エメルは砂煙のほうを見る。

 既に砂煙は止んでおり、そこからミルンとその後ろでひざまづくエレーナが姿を現した。


「ったく……戦場で迷いは死を招く。そう教えなかったミルン?」


「エ、エレーナさん!!」


 ミルンが大声を上げる。


 エレーナは左の脇腹を抑えながら荒い呼吸で言う。

 額からは大粒の汗を流しているが、顔は険しいながらも口元には笑みを浮かべている。


「ごめんなさいあたし……反撃しようとしたけど間に合わなくて……」


 ミルンが声を震わせながら言う。


「そういうのは後よ。あたしはレテンシーで防いだから直撃は免れたし、盾代わりにしたレテンシーであいつが触れる瞬間に右半身を力いっぱい切裂いてやったから……。最も、ほとんど防御に回しちゃったからどこまで効いているかはわかんないけどっ……げほっげほっ!!」


 エレーナは地面に視線を落として激しくむせ返る。

 むせたときに僅かに吐血して地面に赤い斑点ができていた。


 ミルンは目を見開いてハッと息を呑んだ。


「いいミルン?まだ戦いは終わってないの。例え仲間が戦いで傷ついても、戦うのを諦めたらだめよ。

 傷ついた仲間の分も戦わなくちゃ。それが戦場であり、レベランスの使命よ」


 エレーナが穏やかな表情で優しくミルンに言う。


 レベランスの使命……


 戦場あらば戦い、その命尽きるまで敵と戦いぬく。

 守るべきものあらば、わが身が滅びようとも守りぬく。

 任を帯びたならば、何があろうとその任を全うする。


 ミルンは静かに目を閉じた。


 そうだ、ここは戦場なんだ。

 敵を倒さなくちゃ、自分も任務も大切な仲間も、何一つ守れやしない。

 だからあたしは戦う!傷ついた仲間も思いを無駄にしないためにも!


 ミルンは唇を噛んで小さくうなずき、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 エレーナの目には振り返る最中にミルンの目から小さな光がこぼれ落ちるのが映った。


「さぁ、続きだ!!」


 念獣に振り向きなおったミルンの表情からは迷いや悲しみが完全に消えていた。


 背後から声をかけられた念獣はグルル……と息を荒げながらミルンのほうへ首を向ける。


 ミルンは真直ぐ念獣の眼を睨みながら剣の切先を念獣に向けた。


 反対側でエメルも剣のかまえて念獣の背中を睨みつけている。


 囲まれた念獣は低い唸り声をあげたままその場で停止している。


 勝算を計っているのだろうか?それともミルンの眼光に怯んでいるのだろうか?

 いや、さっきまで血眼になって突進してきた怪物にそんな感情と知能があるとは思えない。


 エメルは念獣の背を見つめながら考えをめぐらす。

 そもそも、あれだけ攻撃したのになぜまだ生きている?

 傷の具合、出血の量から見ても普通の生物ならとっくに絶命しているはずなのに。


 あれこれ、考えている間も念獣とミルンの睨み合いは続いていた。

 ミルンは剣を身体の前で縦に構えて赤い光を薄らと剣に宿していた。


 攻撃態勢に移行するつもりだろう。実際私たちの役目は念獣を動きを止めること。


 が、エメルの頭には何かモヤのような物が掛かったように、この状況が妙にしっくりこなかった。


(念獣は暴れだしたら止まらん。ただあるのは飼い主の憎悪に感化され、対象を葬り去るためにその命尽きるまで暴れるのみ……)


 不意に頭の中にゼオルの声が響いた。

 エメルの頭の中で何かが素早く駆け巡っている感じがする。


(念獣はお前が言った通り第三者の操り人形だ。一番確実な方法はそいつを見つけだし止めさせることだ。)


 操り人形……それに、第三者!


 エメルはハッとして目を大きく見開いた。

 私、どうして気が付かなかったんだろう?自分で言ったことなのに今の今まで忘れているなんて!


 依然として念獣とミルンは睨み合いを続けている。

 その後ろでエレーナが周囲を鋭い眼差しで見渡していた。

 まるで何かを探しているような……そんな感じの眼差しだ。


 なるほど、エレーナさんは気づいていたんだ。


 なぜ一度絶命したはずの念獣があれほどまでに豹変して復活したのか。

 エレーナさんの手で再び瀕死まで追い込んだはずなのになぜまた復活したのか。

 足を切りつけてもダメージを受ける素振りを見せず突進してきたのもおかしい。


 でも答えは簡単だ。


 念獣の飼い主がこの近くでずっと操作しているからだ。

 飼い主が近くでレテンシーを念獣に送り込んでダメージの回復や攻撃指示を行っているに違いない。

 いくら斬りつけられても出血してもあっという間にレテンシーで回復される。

 恐らく、傷の度合いによって回復までに掛かる時間は変化するのだろう。


 その証拠に、念獣が活動停止まで追い込まれた際には悠長に今後の動きを話し合うほどの時間があったが、足を斬りつけた程度では怯みもしなかった。


 豹変前の念獣には確かに有効だった目や足への攻撃も豹変後にはあまり効果がない。


 あくまで想像の域を出ないが、恐らくその理由は飼い主が念獣に接近したからだろう。


 今回の事件の犯人はなんらかの目的のために遠くから念獣を送り込んで暴れさせたが、こちら側の戦力が予想以上に大きかったため一度念獣が停止してしまう。


 しかし、再び接近してレテンシーで回復させて念獣を再起動した。豹変もレテンシーの影響だろう。レテンシーを飛ばす際、対象との距離が離れるほど送信できる量も減少してしまう。空中で自然のエネルギーと結びついて同化してしまうからだ。


 でもなぜ?

 エレーナさんはそれらに気づいているのにも関わらず、念獣の動きを止めろと指示した。

 しかし、例え念獣をバラバラに切裂いても飼い主からレテンシーが送り続けられる限り、念獣は復活し続ける。

 それがわかっているのになぜだろう?


 それになんとなくゼオルとの会話で外部犯だと思い込んでいたけど冷静になって考えてみれば、こんな大きな怪物をピュレジア支部のレベランスに気取られずに呼び出せるなんて一般市民では不可能だ。

 支部に入り込むには正門をくぐるしかないし、見張りがいるからやり過ごすのは無理だ。

 正門以外の場所から入り込もうとすれば、支部の周辺に結界のように張り巡らされたレテンシーに引っかかり、たちまち警報が鳴る。

 遠くから送り込んだとはいえ、豹変までの時間から察するにすぐに念獣に接近できる程度の距離から操作していたのかもしれない。


 ということは犯人は最初から内部にいた人間の可能性が高い。


 無論、正門の見張りも突破できないわけではないから外部犯の可能性も十分あり得る。


 内部か?外部か?


 エメルは頭を振った。

 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない!一刻も早く念獣の飼い主を見つけ出さなければ。


 エレーナさんは腹を抑えて吐血している。何本か骨が折れているかもしれない。下手をすれば臓器も損傷している可能性だってある。

 私もミルンも軽いとはいえ負傷している。

 このまま戦闘が長引けばこちらが徐々に消耗していき、戦況は不利になる一方だ。


 かと言って応援は期待できない。

 全員撤退を命じてしまったし、それに駆けつけたのはいずれも私たちよりも階級の下のレベランスばかり。

 階級で差別するのは嫌いだが、まず念獣との戦闘経験がある者などいないだろう。


 そう思っていた次の瞬間、念獣は突如咆哮を上げてミルンとエレーナ目がけて突進した。

 しまったっ!時間を与えすぎた……!


 エメルは右手の長剣を天井に掲げた。

 直後に剣の切先がキランと薄く青く光った。


 切先に宿った光は柄に移動し、そのままエメルの手の中に入る。

 尚も光はエメルの中を徐々に移動する。


 次の瞬間、エメルは地面を蹴って念獣の後ろを追いかけた。

 それは凄まじいスピードだった。

 ヒューン!!という甲高い音が周囲に響く。

 地面を蹴って突進を始めてからエメルの姿は残像のように青い光だけを残してあっという間に念獣の背後まで辿りつく。エメルが蹴った地面は小さくへこんでいた。


 念獣は異変に気づき突進を止めて後ろを振り返ろうとした、その時!!


 ドスンッ!!ドカンッ!!


 念獣の背後で何かがぶつかる音と爆発する音が同時に聞こえた。

 直後に念獣はビューン!という風を切る音を立ててエレーナとミルンの横を通りすぎる。

 そして自分の突進よりも遥かに早いスピードで壁に突っ込んだ。


 ガシャン!と勢いよく壁にぶつかる音が響き渡る。


 やがてミルンとエレーナの前には前傾姿勢で剣を身体の後ろに振り終えたエメルが姿を現す。

 エメルの髪は激しく後ろになびいてやがてゆっくりと肩におりた。


 エメルはくるくるっと右の剣を回転させて身体を起す。


「いい速さだったよエメル」


 前でエレーナが微笑みながら言う。


「すっげぇ!まったく見えなかったよー!」


 ミルンが目を見開いて言う。


「ミルンもエレーナさんも大丈夫ですか?」


「あたしは大丈夫。エレーナさんがあたしのせいで怪我しちゃったけど……。でも、あたしがその分戦うから!……ていうか、今まさにあいつをぶっ倒そうと思ったのに!!」


 ミルンがエメルの前で地団駄を踏む。


「大丈夫よ、あれくらいのことじゃ念獣は死なないから。仮に死んでも暫くすれば復活するはずよ。……ですよね?エレーナさん」


 エメルがエレーナに視線を移す。


「あら?気づいたみたいね。でも今はだめよ」


「ですが、元を絶たない限り念獣は何度でも――」


 そこまででエレーナはエメルの前に手をかざして遮った。


 そして、口だけ動かして「静かに」という。


「とりあえず、今はあの念獣をなんとかしないと、これ以上被害が及んだら危険よ!」


 エレーナはわざと周囲に聞こえるような大声で言う。


 エメルとミルンは表情を固くして身がまえる。


 それと同時に二人の正面から壁が崩れる音が聞こえてきた。


 大きく壁にめり込んだ念獣は頭をブルブルと振りながらよろよろと立ち上がる。

 そしてゆっくりこちらに振り向いた。


「さて、そろそろチームワークを発揮するときかなー?」


 エレーナがニヤリと笑う。


「いい?次にあいつが突っ込んできたら、まずミルンが正面から迎え撃って。ただしこのときに身体中全部のレテンシーをあいつ目がけて放出してちょうだい。いい?」


「えっ!?放出って、あたし放出系は苦手だよ!?」


「形はなんでもいいの!ただできるだけ小さくまとめるんじゃなくて大きく広がるように出して欲しいの」


「うーん。形作らなくていいならなんとかできそうかなぁ?」


 ミルンが目線を上にして考える。


 エレーナは軽くうなずくとエメルに向き直った。


「エメル。あなたさっきの一撃でどのくらいレテンシーを使った?まぁあの速さだから結構使っちゃったと思うけど?」


「正直咄嗟のことだったんで大分使ってしまいました。残ったレテンシーはあと4割程度かと」


「4割あれば十分。ただ、ほぼすべて使い切ることになるけどやれる?」


 エレーナは強いまなざしでエメルを見つめる。

 しかし、エメルは迷うことなくすぐに答えた。


「大丈夫です。私、やります」


「いい返事ね。エメルの役目は簡単よ。ミルンが放った炎を消して欲しいの」


「へっ?」


 ミルンが呆気にとられた顔でエレーナを見つめる。

 しかしエメルは何事もなく頷く。


「はたして4割で足りますか?すべて受け止められる自信はないですけど……」


「多少こぼれてもやむなしよ。それより今はあの化け物を焼き尽くすほうが大事よ」


 エメルは念獣に視線を移して静かに頷く。

 念獣は既にこちらを向いており、拳を固めて威嚇している。今にでも突進してきそうな勢いだ。


「ちょ、ちょっとー!!説明してよぉー!」


 ミルンが二人に向かって大声をあげる。


「あんたは何も考えないであいつを燃やすことだけに集中して!」


 エレーナがミルンの頭に手を置いて言う。


 ミルンは頬を膨らませて不満そうな顔をしながらも念獣に振り返る。


 その時、念獣は一際大きな咆哮を上げた。

 そして同時にこちらに向かって走り出した。


「いい!?チャンスは1回きりよ!二人とも集中して!」


 エレーナが大きな声を上げて鎌を構える。


 エメルとミルンは同時に頷いた。


 そして次の瞬間、ミルンは勢いよく地面を蹴って念獣に突進した。


 みるみる念獣とミルンの距離が詰まっていく。


 十数メートル手前まで接近した瞬間、ミルンは力強く地面を蹴って大きく跳躍した。

 念獣は驚いて足を止める。


 ミルンは深く息を吸い込んで剣を地面向けて構える。


 そして次の瞬間、バチバチッ!というはじけるような音とともにミルンの剣から赤い閃光がほとばしった。

 閃光は地面目がけて落下し、瞬く間に念獣の周りに広がる。


 直後にミルンが大声をあげながら空中で身体を勢いよく開いた。

 ミルンの周囲の空間が歪み始め、廊下全体を熱気が包む。


 刹那、ボワッ!!という音とともに閃光が勢いよく燃え上がった。

 あっという間に念獣の周囲を炎の柱が包み込む。


 ミルンは身体を捻って空中を移動し、炎柱の後方、エレーナの横に着地するとガクっと膝をついた。

 額からは大粒の汗が滴り呼吸を乱しながらも真直ぐ念獣のいる炎を見つめる。


 炎の柱の中で念獣が苦しそうに叫び声をあげている。


「次、あたしの番よ!」


 エレーナがミルンの前に立ち、鎌の柄を地面に突き刺し、自分の前に立てた。

 そして次の瞬間大きく目を開いて炎の柱を見つめる。


 直後に炎柱に向かって突風が吹いた。

 エレーナは鎌に手を添えながら髪を前になびかせて炎の凝視する。

 その目は普段の黒い瞳ではなく、緑色に変化していた。


 エレーナが作り出した突風で炎柱は大きく揺らぎ、念獣目がけて襲い掛かる。

 同時にさらに勢いを増してより大きな柱へと成長した。


 念獣が大きな悲鳴を上げる。

 炎の中には念獣の黒い影がもだえ苦しんでいるのがわずかに見えた。


 尚もエレーナの風は止まらず、ゴォォォ!!と大きな音を立てて炎は勢いを増し念獣を焼き尽くす。

 甲高い悲鳴をあげていた念獣の声がやがて聞こえなくなっていった。


 と次の瞬間、激しさを増した炎が柱の形を崩し、大きく広がった。

 そして念獣を超えて廊下の後ろまで広がり始めていた。


「今よエメル!奥からあたしたちまで一気に包んで!!」


 エレーナがそういい終わる前にエメルが剣を勢いよく地面に突き立てた。

 そして柄を握り締めると大きな気合をあげる。


 直後に廊下がゴゴゴ!!と大きく震えた。


 そして次の瞬間、ピシピシと言う音と共に床にヒビが入り、大きく割れた。


 バシャーンッッ!!


 爆発するような音とともに、割れた地面から勢いよく水の柱が出現した。

 水の柱は念獣を超えて暴走した炎を飲み込んでシュゥゥゥ!!という大きな音ともに蒸気に変わった。



「ミルン!後ろへ下がって!」


 エレーナの掛け声とともにミルンがさっと後ろへ飛び退く。


 エレーナは突き刺した鎌を引き抜くとそのまま力強く振り下ろして空中を切裂いた。

 直後に風向きが変わり、三人の背後から吹いていた突風は正面からの向かい風へと変化した。

 奥へまではみ出そうとした炎の向きが変わり、水の柱が炎を背後から包みこむように吹き出す。


 三人の正面からはすさまじい熱気がこちらに吹き込んで目と肌がピリピリと焼けるように痛む。


 続いて炎の柱がこちらに倒れてくるように熱気とともに迫ってきた。

 が、その瞬間に地面から水柱が現れる。


 水柱から発せられる冷たい風のおかげで熱気が緩和され、柱を直視できるようになった。


 再び炎と水が触れ合って蒸発が起こる。


 蒸発の際の大きな音を立てて水の柱と炎の柱が三人の前で争っていた。


 エレーナは再び鎌をドン!と地面に立てた。

 その直後に向かい風が収まり、顔に降りかかる熱気が止まった。


 が、目前には残った炎の柱と水の柱がシュゥゥゥ!という大きな音を立てながら依然として勢いを失わない。


 やがて周囲は水蒸気によって霧が発生したかのように白く包まれていった。


 ミルンが呼吸を荒げて柱を見守る中、背後でエメルがドサっと倒れこむ音が聞こえた。


 エレーナとミルンが後ろを振り返ると、剣の柄から手を離してエメルが地面に倒れ込んでいた。


 エレーナがハッ!として前に向き直る。


 見ると水の柱が徐々に勢いを失って収縮していくのが分かる。

 ……まずい!このままでは炎がこちらに溢れこんでくる!


 エレーナは咄嗟に身構えた。


 しかし、水の柱が勢いを失うと同時に炎の柱もまた勢いを失い始めた。


 しばらく、蒸発する音を立てていたが、二つの柱はやがて形を失い、最後に炎の柱がバチバチと音を立てながら地面に崩れ去った。


 霧のように白い視界の中、沈黙が訪れた。


「……や、やったんですか?」


 ミルンがかすれた声で言う。

 熱気の影響で喉が渇いてヒリヒリと痛む。


「どうやら、うまくいったみたいだね……」


 エレーナも呼吸を整えながら答える。


 白く霞視界の中で、さっきまで大きな炎の柱があった場所には、灰のように黒く焦げた念獣と思わしき物体が灰色の煙をあげて横たわっているのが見えた。


 エレーナはホっと溜息をつく。


「っ!エメル!!」


 ミルンがかすれ声で地面に倒れ込んだエメルの元に駆け寄る。


 エレーナも振り返って心配そうな表情でエメルとミルンを見つめる。


 ミルンがエメルの身体を起し、抱きかかえながら名前を呼ぶ。


 エメルは顔に黒い汚れを薄ら残しながら目をつむっていた。


 ミルンが激しくエメルを揺さぶりながら尚も名前を呼び続ける。


「う……」


 エメルが小さな声を発して目蓋をピクピクと揺らした。


「わ、私……どうなってたの……?」


「勝ったんだよ!あたしたち勝ったよ!!」


 ミルンがパっと笑顔になってエメルに抱きついた。


「あんたたち!よくやったね!!」


 いつの間にか近くに来ていたエレーナがさらに二人を抱きかかえる。


「ちょ・・・エレーナさん苦しいです……」


 ミルンが言う。


「ち……窒息します……」


 ミルンの胸にうずくまっていたエメルがさらにエレーナに圧迫されて苦しそうな声をあげた。


「っとごめんごめん!」


 エレーナがはっとして手を離した。


 二人ともハァハァと呼吸を整えている。


「でも、ほんとによくやったよ二人とも!おかげで念獣は真っ黒焦げさ!」


 エレーナが焦げて横たわる念獣を指差した。


 エメルとミルンがよろよろと立ち上がって近寄る。


「なるほどねぇ。あたしが出した炎をエメルが消して処理するってことか」


 ミルンが頷きながら呟く。


「そういうことー!ミルンが全パワーで炎を出して、あたしがそれを風でさらに大きくする。そうすればタフな念獣と言えどひとたまりもないでしょ?それで念獣の息の根を止めたら、激しくなりすぎないうちにエメルの水で消してもらうってわけよ!」


 エレーナが得意げな顔で言う。


「もう!最初からそういってくれればいいのに!そうすれば柱の形じゃなくてもっとマシなのにしたのに!」


 ミルンが頬を膨らませながら言う。


「そうですよ~。私だってまさかあんな大きな柱になるなんて思ってもなかったですし、勢いついて形が崩れた後は押さえ込むのに必死だったんですよー?」


 エメルもため息をつく。


「もー!文句言わないの!説明したかったけど、あいつが突っ込んできたからそんな時間なかったのよ!それにミルンは説明したって覚えきれないでしょ!?」


「ちょっ!馬鹿にしすぎー!!いくらあたしだってそれくらいのことは覚えられるよー!」


 ミルンがエレーナに文句を言う。


「あーもう!わかったわかった!今度はちゃんと言うから!そんないじけないの!」


 エレーナがため息をつく。


「まぁ、何はともあれ一件落着したようでよかったですよ」


 エメルが真ん中に入って言う。


 ミルンは膨れたままだったが、少し笑って頷いた。


「そうね。念獣は止まったし、そろそろ本命に会わないとね?」


 エレーナは突きたてた鎌の前まで歩いていく。


「ここまで焼いたんですよ。そう簡単に復活しないでしょうね。その間に見つけられるといいのですが」


 エメルも突きたてた剣を回収しながら言う。


「大丈夫、”あいつ”を呼び出すから。なんのために骨折ってまで念獣の攻撃を受け止めたと思ってるのー」


「へ?」


 ミルンだけは二人を交互に見直しながら目を丸くしていた。


「ごめん、やっぱし……説明してほしーかなー?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ