第5話 開門
夜間に明りが灯された病室内。
日頃の任務で負傷したレベランスたちが傷を癒すために白いベッドの上に横たわっているが、室内はガヤガヤと騒がしい。
皆、今夜起きた出来事に気づいているからだ。緊急警報が鳴らされ、外の廊下からは何度も大きな音が響き、続いて負傷者が運ばれてくれば誰でも事件だと感づく。
その上、今回は普段医務室の世話になどならないマスター・オブ・レベランスが、ナイト階級でそれも女性であるミルンの背中に負ぶさる形で搬送されてきたのだから誰もが関心をよせるのは当然のことであろう。
その証拠にゼオルが医務室に運ばれてきてからは周囲のベッドからヒソヒソ話が耐えない。病院では静粛にという暗黙の了解があるが、小さな声で話しても幾重に重なれば次第に賑やかになっていく。
ゼオルはミルンの背から降りてベッドに横たわり傷の治療を受けていた。
身体中軟膏や固定具や包帯だらけで身体を動かすことさえ手間がかかる。
だがゼオルの頭は傷の具合や痛みよりもさっき退却してきたばかりの戦場のことが頭から離れなかった。
そしてミルンの放った言葉も。
(怪我人を救護するのもレベランスの仕事だ……)
怪我人か。我ながら40年以上レベランスを続けてきてこのような恥を晒したことは初めてだ。
戦場では常に前だけを見てきた。自分の部下が敵に倒されようとその屍を乗り超え自らの任を全うするために。
勿論、わしだって血も涙もないわけではない。任務が終わったら殉職した部下達には任務成功の報告を携えて祈りを捧げている。
無論、他人に口外したことはないので周囲からは部下を切り捨ててでも自らの功を率先する非情な人物と認識されているようだが。
それに、小娘達の言った通り、わしは自分の命令を忠実に聞く部下を育ててきた。
実際非情だと思われても仕方のない仕打ちも部下達にしてきた。
しかし、そのことで後悔の念を持ったことは一度もない。
わしは過去に犯した自らの過ちを清算するために”あの時”から今まで任を全うしてきた。
(お待ちくださいゼオル様!今は情報が少なすぎます!他の部隊からの連絡を待ってからでも――)
(ええい!黙れ腰抜けがっ!こうしている間にも敵が侵攻してきているのだ!!作戦通り一時間後にこちらから攻め入る!他の者にも徹底しておけ!)
ゼオルの脳裏に過去の映像が再び過る。
部下達はきっとわしのことを強く恨んでいるだろう。このような重傷を負わされた相手が念獣とは皮肉な話だ。
ゼオルは医務室の天井を見つめながら考えにふけっていた。
その直後に遠くのほうから大きな爆発音が聞こえてきた。
音とともに震動が医務室を遅い、周囲のレベランスたちは驚きを隠せないでいる。
ゼオルは身体を起し、医療班の騒ぎ声が聞こえる廊下へ視線を飛ばす。
一体何があったというのだ?……いや、そんなことはいい。
奴らは……無事なのだろうか?
ゴォォォ!!!
熱気と地響きが空間を支配している戦場。
既にエレーナの剣を首に突きたてられ、生命活動を停止させたはずの念獣が復活を遂げこの異様な空間を作り上げていた。
壁も床も天井も崩れ、そこらじゅう瓦礫やガラスの破片が飛び散り、もはや廊下としての役目も原型も失ったこの場所でエメル、ミルン、エレーナの三人は溶岩のように真っ赤に豹変した念獣と向き合っていた。
「ちっ……!さっきのあたしたちの攻撃じゃ甘かったってことか」
ミルンが舌打ちをして念獣に剣の切先を向ける。
「いや、攻撃は有効だったはずよ。事実あの念獣は一度死んだんだ。急所をあたしの剣で突き刺したんだから間違いない」
「でも、その念獣が異常な熱気と殺気を放って、外見まで変えてそこに立っているのもまた事実です。
どうしますか?エレーナさん」
エメルがエレーナに問う。
会話を交わしながらもエメルとミルンの身体からは汗が流れ出ていた。
それは熱気のせいだけではなく、暴走した念獣が放つ殺気に恐怖してのことであると二人には分かっていた。
分かっていたが、だからといって尻尾を巻いて逃げることはできない。
正直こんな化け物を相手にしたことは今までの二人の経験にはなかったので作戦も戦術も立てようがない。
……でも、今は自分たちがやるしかない。それだけは確かなことだ。
「こうなった以上、いくら剣で攻撃しても無意味だね。幸い『開門』申請は取り下げてないから、もう少しすれば実行されるはず。それまで――」
エレーナが横目でエメルとミルンに説明している最中、念獣が地を蹴って猛スピードで走りだした。
だが、走り出した方向は三人とは真逆の方向、つまり増援部隊のいる方角だ。
丁度そのとき、奥の瓦礫の山を切り崩し、現場に駆けつけた増援部隊の何人かが三人の遥か前方に姿を現した。
そしてほぼ同時に念獣と増援部隊の隊員が目を合わせた。
「な、何だこいつはぁぁぁ!」
増援に駆けつけたレベランスたちは三人の姿を確認する前に今まで見た事のない怪物がこちら側目がけて突進してくるのを目撃し、その場に足を止めてしまった。
あっという間に自分たちまで接近した念獣は狂気に満ちた目で走りながら咆哮をあげて大きく拳を振りかざした。
増援のレベランスたちの身体から血の気が引いた。
殺される……!死が前から迫ってくる!!!
ボンッ!!
……ガシャーンッ!!!
念獣が掲げた拳を振り下ろした直後、戦場には二つの鈍い音が大きく響いた。
続いて音の中心から辺り一面に風圧が駆け抜ける。
エメル、ミルンは直前に起こったことを理解する前に風圧に襲われ、両手を前に出して身を守る。
少し時が経った後に両手を退けて前方を見つめた。
見ると少し遠くで念獣が両手、両足を大きく広げて地面に仰向けで倒れ込み、口を大きく開けて無様に伸びていた。
そして砂煙舞う中、襲われたはずのレベランスたちの姿がゆっくりと視界に入ってきた。
遥か前方にいるレベランスたちは迫ってくる念獣から自らを庇うために差し出した両手を恐る恐る退ける。
目の前で皆、エメルとミルンの見た光景と同じものを見て息を呑んだ。
双方共通して一つの疑問が起こった。一体何が起きたのかと。
しばらくして増援のレベランスたちはすぐ前方に膝を地についてうなだれるエレーナを見つけた。
「マ、マスター・エレーナ様!!」
一人のレベランスが身を屈め、呼吸を乱しているエレーナの元へ駆け寄る。
エメルとミルンは同時に真横を見る。
そこにエレーナの姿はなく、二人は遥か前方にいるエレーナの元へ走り出す。
「エレーナ様!ご無事で!?」
駆けつけたレベランスがエレーナの顔を覗き込む。
両手と両膝を床につき、視線を下に落として呼吸を乱しているエレーナの顔からは大量の汗が滲み出ていた。
「まったくっ……それは……こっちのセリフだよ……!」
エレーナがゆっくりと視線を横へ向けながら答える。
「エレーナさん!!大丈夫ですか!?」
そこへ念獣の身体を飛び越えてエメルとミルンが駆け寄った。
「悪いね……。急に化け物が走り出したんで、攻撃から全員を守るには……多少無茶するしかなかったんだ……」
エレーナは荒い呼吸で口元に少し笑みを浮かべてエメルとミルンに言う。
エレーナの前には何か鋭いもので引いたような真直ぐな線が廊下の端から端まで引かれていた。
「これは……?」
エメルが線を見つめながら呟く。
「それはあたしがつけたものよ……。怪物のパンチからこいつらを守るためにあたしのレテンシーで風の壁を作ったんだけど、何しろ急場だったから不完全でね……。その上制限下とあってこのザマよ……」
エレーナは念獣が増援部隊に向かって突進した際、その横を猛スピードで駆け抜け、念獣の攻撃が来る前に剣で線を引き、そこに自らのレテンシーを流し込み、念獣の一撃と同時に上に向かって放出させ、地面から壁壁が生えるようにして増援部隊を守ったのだ。
だが、制限されたエレーナのレテンシーでは完全に攻撃を防ぐことはできず、念獣の攻撃にレテンシーの壁が耐え切れずに双方相討ちとなりダメージを負った。
その証拠に念獣の右手からは斬りつけられたような傷が見える。
風のレテンシーで作った壁はいわば攻撃方向とは逆の方向へ押し返す突風のようなもので
地面から上に向かって発生したレテンシーが同時に念獣の方向へ突風を発生させたため内部で風による摩擦のようなものが発生し、念獣の攻撃を弾くと同時に偶然にも反撃を担うこととなった。
だが、壁を作り出したエレーナのダメージも大きい。
突風の壁が破られたことによってエレーナ側にも念獣の攻撃による運動エネルギーが伝わり、激しい衝撃が起こった。
さらに制限下で大量のレテンシーを体内から放出したために著しく体力を消耗したエレーナは、立ち上がることすら困難な状況になっていた。
「申し訳ございません……。我々のせいでマスターを……!」
増援部隊のレベランスが唇を噛みながら視線を落とす。
「反省は後だ!まだあの化け物は死んじゃいないよ……」
エレーナが険しい顔で倒れた念獣を睨みつける。
その言葉通り、念獣はよろよろと頭を振りながら起き上がろうとしていた。
エメル、ミルン、そして増援のレベランスたちがハッと息を呑む。
「いいかい、増援部隊は一旦撤収!これ以上被害を増やさないためにこれ以上の増援を出さないように伝えなさい!」
「っ!しかし、マスターとそこの二人だけでは――」
「いいから従いなさい!これはマスターとしての命令よっ!」
エレーナが戸惑うレベランスたちに大声で怒鳴る。
レベランスたちは目を見開いて驚いた表情を見せたが、すぐに表情を固めエレーナに一礼すると踵を返して後方に走っていった。
直後に撤退の指示を飛ばす声が聞こえてくる。
エメル、ミルンはひざまづくエレーナの前に立ち、体勢を整えた念獣に向き直る。
念獣は胸を両手で激しく叩きながら大声で叫んでいる。
さっきの攻防で余計に怒らせてしまったらしい。
「さぁて、これからどうするか?」
ミルンが剣を構えて言う。
額からは汗を流し、その声は若干震えていた。
「そうね……とりあえず、なんとかしないとね?」
エメルも武器を構えて念獣に向き合う。
「あらま、珍しく何の作戦も思いつかない?」
「仕方ないでしょ?あんなの相手にしたことないんだから!」
エメルの言う通りだ。
一撃でエレーナにこれだけのダメージを負わせた化け物を相手に一体どうやって立ち向かえばいいのか見当もつかなかった。
きっとエメルも同じだろう。
必死に冷静を保とうとしているが、内心は混乱しているに違いない。
「二人とも、開門されるまで少し時間を稼いでもらえる?」
エレーナがよろよろと立ち上がりながら二人に言う。
エメルがふらつくエレーナに駆け寄ろうとしたが、エレーナが片手でそれを制した。
「あたしなら大丈夫。少し休んだおかげで大分よくなった。あんたたちのバックアップくらいならできるはずよ」
エレーナが体勢を整え、再び金色の剣を構える。
額には汗が吹き出しているが、念獣を睨む眼光は衰えていない。
エメルとミルンが一瞬顔を見合わせてエレーナに言う。
「わかりました。私たちで時間を稼ぎます」
「頼んだよ。開門されたら二人のレテンシーで押し切るからできるだけダメージは避けるように。一撃離脱で攻めなさい」
「了解。でも開門されてもあたしとエメルのレテンシーじゃ念獣を消し去るだけの力があるかどうか、正直ビミョーなんだけどねぇ……」
「安心して。あたしに考えがある。指示はあたしが出すからそれまでは時間を稼ぐことに集中しなさい。絶対に撤退した部隊や救護者の方へ念獣を行かせたらだめだよ!」
「はい!」
「ラジャー!」
二人の声に反応したのか、怒り狂った念獣の視線がこちらへ向けられる。
歯をギシギシと鳴らしながら念獣が両足を大きく広げ、力強く拳を握り、両手を頭上へ大きく振り上げた。
エメルとミルンが同時に念獣のほうへ突進する。
「エメルは足、あたしは上をやるっ!」
ミルンはそういうと走る速度を上げ、エメルより大きく前へ出る。
次の瞬間、念獣が一際大きな咆哮をあげながら振り上げた両手を勢いよく地面に叩きつける。
ドカァァンッ!!と大きな音を立てながら床が悲鳴をあげ激しく震えた。
直後に地面が叩きつけられた地点からピシピシッ!と鋭い音を立てヒビのようなものがミルン目がけて伝っていく。
ミルンはすぐにその場で力強く地面を蹴って大きく空中を舞った。
その刹那、地面がガッシャーンッ!!と大きな音を立てて真っ二つに裂ける。
さっきまで床だった場所は跡形もなく、まるですべてを飲み込まんとする怪物の口のように黒い大きな裂け目を露出した。
ミルンは避け目の真上を跳躍の勢いで念獣を目がけて舞っている。
念獣は深く腰を落としたまま、振り下ろした両手を地面からゆっくりと離すと前方に迫っているミルンに視線を合わす。
ミルンは視線が合うか合わないかのタイミングで右手の剣の切先を真直ぐ念獣の視線に合わし、跳躍による前方への勢いと重力による落下の勢いを乗せて真直ぐ念獣の左目を狙った。
念獣は両手を広げて目前に迫ってくるミルンを握りつぶすがごとく構える。
その瞬間、キーンッ!という甲高い音が周囲にこだました。
念獣の横目には右側の壁から地面の裂け目をかわし、壁を駆け抜けながら猛スピードで走ってくる人影が映った。
その人影は一瞬で壁を蹴ってこちらに突進してくる。
あっという間に先に念獣に向かったミルンに追いつき、エメルが両手の剣を胸の前で交差させながら念獣の右足を狙って飛び込んできた。
ミルンとエメルは大きな声を発しながら互いに剣を力一杯振り上げる。
両手を広げた念獣はミルンを視界に捉えており、先に走ったミルンを追い抜くべく猛スピードで突進してきたエメルの攻撃に反応するには気づくのが遅すぎた。
念獣の足は両足とも大きく開かれていて完全にフリーになっている。
左目と右足、同時に潰せれば大成功、仮に片方だけでも潰せれば形勢はこちらに傾く。
「お先にっ……!」
エメルは両手で交差させて剣を勢いよく前方に向けて逆方向に交差し、念獣の足を切り裂こうとする。
次の瞬間、ミルンの目前で念獣が口元でニヤリを笑った。
念獣は開いたままの両手の拳を握り締め、身体を右後ろに少し捻り、右足を地面から離した。
直後にエメルの剣はキーン!という音を上げながら勢いよく空を切った。
同時に念獣の右足の真下に着地したエメル。
だが、エメルは切りつけた勢いでくるっと地面スレスレで一回転し、すぐさま受身を取ると両足を地面についてすぐに前方へ走り出す。
「ミルン!!右!」
後方でエレーナの声がする。
ミルンがハッとして右に視線を移すと、そこには念獣の溶岩の塊のような赤い拳がすぐそこまで迫ってきていた。
「くっ……!!」
咄嗟に身体を捻り、右手で振り上げた剣を自分の身体に平行に構えて前に付き出す。
そしてボワッ!という小さな音とおもにミルンの剣から小さな炎が出る。
直後にドスッ!!という鈍い音が周囲にこだました。
念獣の一撃を受けたミルンは身体全体に重い衝撃が走るのを感じ、視界が真っ白になりそうだった。
そのあと間髪いれずにゴツンッ!!という低い音が聞こえた。
念獣の背後にまわったエメルの後ろで勢いよく何かが壁に激突する音と共にドスンッ!という重たい物が地面に叩きつけられる音が響く。
エメルは瞬時に身体を半回転させて後ろを振り返り、走りの勢いを殺すため腰を落として片手を地面に付いてブレーキをかける。
だが、停止したエメルの視界は念獣に吹き飛ばされたミルンの姿より先に何か赤い物が地面を擦りながら突進してくるのを捉えた。
エメルはハッ!として体勢を起し再び両手の剣を胸の前で交差させる。
刹那、ドスンッ!という鈍い音とともにエメルの身体は地面を離れて上空を勢いよく舞う。
エメルの目に火花が散り、意識が遠くへ行きそうになる。
そしてその勢いのまま天井に限りなく近い壁に激突した。
周囲をガシャンッ!という大きな音と砂煙が包みこみ、その後沈黙が流れた。
念獣はエメルの攻撃を足をあげてかわし、身体を右後ろに捻った勢いで正面から突っ込んできたミルンを左手で殴った。
続けて右足を地面に振り下ろし、体勢を低く立て直すとミルンを殴った左手をそのまま地面ごと抉りとる要領で背後で足を止めたエメルに向けて振り上げたのだ。
こうして念獣はエメルとミルンの二段攻撃を同時に潰すことに成功したのだ。
念獣は振り上げた拳を握り締めたまま両手で胸を張り、高らかな咆哮をあげる。
直後に背後から何かがこちらに迫ってくるのを感知した念獣。
そういえばもう一人いたな?二度同じ手には引っかからないぞ!!
そう思うとフシュゥ!と荒い鼻息を出し、すばやく背後に振り返る。
念獣の読み通り、前方からエレーナが自分の右足目がけて勢いよく飛び出してくるのが見えた。
念獣が再び右手の拳を振り上げてエレーナを捉えようと右足の前に拳を振り下ろす。
ドスンッ!!という音が廊下に響き渡った。
が、念獣の攻撃は空気を殴りつけただけに終わった。
エレーナは念獣の攻撃をさらりとかわすとそのまま前方の壁に埋まる形で倒れているミルンの元へと向かった。
ミルンは仰向けに倒れながらゲホッゲホッ!と咽ている。
口からは少量の血が流れ出ていて顔は砂煙をかぶってくすんだ色になっていた。
「ミルン!しっかりしなさい!」
エレーナがミルンの身体を起しながら呼びかける。
「ごめん……失敗しちゃった……」
ミルンが薄らと血の滲む口に笑みを浮かべながら薄めで答える。右手には自分の剣を握りながら。
エレーナはミルンの身体を触って傷の具合を確認する。
「あ、あたしなら大丈夫……!あいつの攻撃がくる前にレテンシーで前後を覆ったから見た目よりダメージは少ない……」
ミルンが答えた瞬間、背後で大きな唸り声が響いた。
念獣が二人目がけて猛スピードで突進してくる。
あっという間に間を詰めた念獣は素早く身体を捻って右手を振り上げ、ミルンもろともエレーナを殴り飛ばそうとした。
その瞬間、エレーナが振り向きながら跳躍し、剣を水平に大きく振りかぶる。
「邪魔すんな!」
その一言とともにエレーナが念獣の右目を斬り付けた。
念獣は大きなうめき声をあげながら両手で右目を押さえてよろよろと体勢を崩す。
地面に着地したエレーナは片手でミルンを抱えるとそのまま地面を蹴って前方に進んだ。
少し前にエメルが横たわっている。
エレーナはすぐにエメルまで近づくと、抱きかかえた。
エメルも自分の剣を両手に握り締めながらゴホゴホと咽ている。
「エレーナさん……!エメルは、エメルは大丈夫なの!?」
背後でミルンが心配そうな顔でエメルを見つめる。
念獣の攻撃で大きく弾き飛ばされたエメルはミルン同様天井近くの壁に激突し、そのまま地面に叩きつけられた。
顔を砂煙で黒くし、頭部から少し出血があるが、エメルが小さな声でうめき声をあげる。
「大丈夫よ、エメルにはあたしのレテンシーを飛ばして包み込んだから直撃は免れた。
でも、飛ばせたレテンシーはごく少量だったからね。ダメージを完璧に防げたわけじゃないけど」
「わ、私は大丈夫ですエレーナさん……」
エメルがゆっくりと目を開けながら弱々しく答える。
「すみません……油断しました。念獣が私を踏み潰すとばかり思ってて……」
「それは後よ。幸い二人ともレテンシーで防いだおかげで軽い傷と打撲程度で済んでいるみたいだけど、これ以上前線での戦闘は危険よ」
「そ、そんな!あたしまだやれるよ!」
ミルンが叫ぶ。
エメルも訴えかけるような目で頷く。
「違うわ。少量だけどあたしがエメルにレテンシーを飛ばせたってことは……『開門』が実行されたみたい」
エレーナが口元に笑みを浮かべる。
エメルとミルンが顔を見合わせる。
考えてみれば、レテンシーで防いだとはいえ、制限下の状態ではあれほど重い一撃が打撲程度で済むわけがない。
そうか、交戦中にレテンシーの開門が受理されたのか。
エメルとミルンはなんとなく体内を循環するレテンシーの動きが活発になったように感じられた。
「さぁてと。これで身体も大分軽くなったわ」
エレーナはすっと立ち上がると金色の剣に手を添えて身体の前の突き出す。
バサッ!という音と共にエレーナの制服が風に吹かれたように上へ舞い上がる。
そしてキーンッ!という高音が辺り一面に響く。
そして徐々にエレーナの周りから大きな風が発生したかと思うとやがて直視することのできない風圧へと変わっていった。
エメルとミルンは風圧から身を庇うために両手を前にだす。
その激しい風圧の中心でエレーナはビリビリッ!と音をたてながら立っていた。
「それじゃあ、うちの子たちを痛めつけてくれたお礼をしてあげないとねぇ?」
エレーナは口元に薄らと笑みを浮かべながら二人へ振り返る。
風圧の影響で腕の隙間からしかエレーナを見ることができなかったが、次の瞬間に二人は息を呑んだ。
エレーナの両手に握られていたのはさっきまでの金色の剣ではなく、ギザギザとした大きな鎌のような業物が握られていた。
鎌の刃先は剣のときと同じ、大小様々な大きさのギザギザがあり、そこに風が触れる度に色々な高さの音が辺りに響く。
前方で右目を押さえてうずくまっていた念獣も異変に気づき、左目だけを開けてこちらを凝視する。
そして再び念獣は大きく目を見開いた。
あの時と同じ目をしている。念獣に初めて恐怖という感情を植えつけたあの目と。
いや、あのときより一層鋭く、切れ味を増しているようにさえ感じられた。
念獣は思わず後ずさりをした。
エレーナはサッと左手を上げる。
直後にエレーナの周囲を包んでいた暴風が収まり、辺り一面に舞っていた砂煙がパラパラと音を出しながら地面に積もる。
エメルとミルンが立ち上がり、エレーナの背中を見つめた。
「じゃあ、『演習』……再開よ!」