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苦手な方はご注意ください。

王専用の人間盾(旧)

作者: 森野 乃子

こちらの作品は現在「文学フリマ短編小説賞」に改稿応募中のため、原作である本作を検索避け状態にしております。

「私がお前を自らの盾と決めたときに言った言葉を覚えているか」


 雪の降る中、一人の血にまみれた少女に覆いかぶさる青年がいた。

 青年の目は潤み、ただ少女だけを映している。


「もちろん、覚えておりますよ……陛下。私の命は、陛下のものですから。ところで陛下は……相変わらず私から目をそらさないですね……」


 少女はかろうじて口を開くと、かすれた声でそう言う。なぜ一介の少女が王とこんな話をしているのか――……

 そこには、ある理由があった。




* * * * * *




「ミハル・アマミヤ。貴様を王宮管理財産破損の現行犯で処刑する」


 豪華絢爛という言葉がピッタリの王宮。一年を通して溶けることのない雪にも負けず、王宮は雪景色の中に堂々とたたずんでいる。

 その王宮内の一角に王の間があった。今そこで、一人の少女の命を消すことが決定した。

 般若の形相をした男たちの前で強制的に跪かされているのは、この世界に紛れ込んで二年になる日本人の少女、雨宮美晴であった。


「お前は確かメイド長から戸籍をもらった外国の没落貴族だったな。いやはやメイド長への恩を仇で返すとは……」


 毎日朝早くに起きて雪かきや王宮内の掃除をし、三食ご飯を食べ、部屋へ寝に帰るだけの単調な生活。

 しかしそれでも、全く身寄りの無い異世界で過ごすのに、この王宮という場所へ入ることができたのは、少女にとって非常に運が良かったとしか言いようがない。


「まあ、今となっては全てが遅い。何か申し開きは?」


 低い声で審議会の男にそう言われ、美晴はふと自分がこの世界に来た時のことを思い出していた。瞬きした次の瞬間に、美晴は城の洗濯場の隅にいたのだ。

 呆然と立ち尽くしている美晴を見つけたのは、洗濯物を干しに来た洗濯婦である。身なりの綺麗さに外国の貴族と思われた美晴だったが、言葉が通じない美晴には、あれよあれよと言う間に“捨てられた外国の没落貴族”という称号が与えられた。

 そして親切で同情しやすいメイド長により、国で保護するために必要な書類一式をそろえてもらい、戸籍をもらって王宮の下働きとなったのだ。


「……何も無いのか? 無いなら処刑を行なうが。さあ、首を出せ」


 そこから二年、美晴は必死に仕事をこなし、“真面目に仕事をする子”という評価を得て王宮内のメイドとして昇格した。言葉も死ぬ気で覚え、まだわからない単語がありながらもなんとか話せるようになり、少しではあるが友人も増え始めた。

 まさに、色んなことが“これから”だった。


「今回の罪状は器物破損であるが、壊れた物が物だ。簡単に死ねると思うなよ」


 それが、たった一瞬にしてこのザマだ。調度品を壊したと言うだけの理由で、こんな事になっている。

 ただ、その壊れた調度品というのが、美晴が一生かかっても弁償しきれないほどの――さらに言えば王家に代々伝わる重要な鎧であることは、美晴も含めた国民全員が知っていた。

 しかし、一つ言うことがあるとすれば、それを壊したのが美晴ではないということである。


「お前の遺体は身寄りの無い者の墓地へと埋葬されるだろう」


 一緒に掃除をしていたメイドが、不注意で壊したのだ。そしてそのメイドは、美晴が言葉に不自由なのを知っていて罪を押し付けた。その瞬間も、美晴は淡々としていた。自己主張が苦手な美晴は表情を変えずに立っていたのだ。

 そんな美晴と何年も王宮で働いて演技能力が非常に高いメイドとでは、どちらに軍配があがるかなど、美晴には考えずともわかった。


「墓地に入れられるだけでもありがたいと心得よ。いいな」


 つまりそういった経緯があって、美晴は抵抗することを早々に諦め、騎士によって投獄されたというわけだ。それでいいとは全く思わなかったものの、抵抗する手段が全く思いつかなかった。

 そして審議の日。牢から王の間へ連行される間、美晴は自分を失望の眼差しで見るメイド長を見つけて心が痛んだ。それでも、自己弁護をする気が全く起きなかった。こうなっては何を言っても無駄だと、短い人生で何度も体感していたからだ。

 しかし、審議が始まってから美晴を見たまま一度も目をそらさない王を見て、美晴の気が変わった。


「恐れながら陛下」


 ボソッと声をあげた美晴に、全員の視線が集中する。


「国宝を壊したのは私ではございません」

「言い訳をするか。現行犯で見たと言うメイドがいるというのに、その戯言を信じろと申すのか。そもそも私はお前のことなど知らん。知らない奴の言うことを信じろとはあまりにも無理があるとは思わないか?」


 王の冷たい言葉が響く。

 この時、美晴は始めて王の声を聞いた。


「何ゆえそのような妄言を吐くに至った。言ってみろ」


 その王を見ながら、美晴は王を哀れんでいた。

 なぜならこの王には誰も信用できる人がいないと思ったからだ。

 王であるから暗殺は日常茶飯事。美晴は今朝も王の毒見係が死んだと聞いた。それに先月は左大臣が横領の罪で投獄されている。兄弟も血で血を洗う後継者争いで、今でもこの王を座から引き摺り下ろそうとやっきになっているのだと、メイドはおろか王宮に仕える者であれば誰もが知っていた。

 そんな孤独の王を見ながら、美晴はどうせ死ぬかもしれないのならと賭けに出たのだ。


「信じられないのは重々承知しております。ただ、私は口が重いので、みなさまにご納得頂ける冤罪証明の答えを用意することができません」

「ではどうする?」

「私と賭けをして頂きたいと存じます」

「ほう?」


 今や、室内は静まり返っていた。

 みんなが王と美晴とやり取りに注目している。

 美晴は手の震えを隠しながら、しっかりとした口調と眼差しで前を向く。


「陛下。失礼ながら、陛下には信頼できる方がいらっしゃいません」

「貴様……! なんと無礼なことを――」

「よい、事実だ。続けろ」


 王は怒る右大臣を抑えて、表情を変えないまま美晴を見つめる。そしてゆっくり頬杖をついた。


「まずは信じて頂くところからですが……もし私の言葉を信じて私の命を取り上げないで頂けるのならば――……命を助けて頂いたお礼に、私は陛下の唯一信頼できる盾となります」


 王はわずかに口角を上げる。

 真犯人は別にいる。信じて欲しい。信じてくれるのなら、お礼に命を差し出す。

 その立場ゆえに王は命を狙われやすい。だからそれは結局のところすぐに死ぬのではないかと思ったものの、王はそれを面白いと思った。


「盾、とは?」

「文字通りでございます。戦場にお連れ下さいませ。弾除けになります。毒見をさせて下さいませ。身をもって知らせます。旅にお連れ下さいませ。あらゆる災厄から陛下を――バレン様をお守り致します」


 名を呼べば、王が片眉を上げた。その表情には好奇心が見え隠れしている。


「弾除けか。一回しか使えんな」

「私の命は一つでございます。一つを一度だけ助けて頂くのですから、私がお助けするのも一つの命を一度だけでございます」


 美晴が無遠慮にそう言う。

 これはある種の賭けだった。この失礼な発言をこの王がどこまで許すのか、美晴には全くわからなかった。それでも何か印象付けられる何かがあればと、あえてこういう言い方をしたのだ。

 そしてそれは、正解であった。

 王はさらに笑みを深くして椅子から立ち上がる。


「本日より貴様は私の盾となれ。処刑は中止だ」

「陛下!!」

「お前たちは真犯人を探せ」


 何人かの男たちがいさめるように王を呼ぶも、王は手を振って取り合わなかった。


「盾よ。お前の命は私のものだ」


 マントをひるがえし、王は部屋から立ち去っていく。

 喧々囂々の室内で、ただ一人、全身から汗を吹き出しながらへたりこむ美晴。

 この時から、美晴は王の人間盾となったのだった。




* * * * * *




「国王陛下の盾様がいらっしゃいました」


 部屋の中に大声で美晴の訪れを告げる男。

 美晴はこれがあまり好きではなかった。

 いっせいにかしずくメイドや騎士たちは、今まで自分よりもはるかに立場が上だったのだ。それなのに、王の専属盾と言うだけで優遇され、その身に嫉妬を受けることもあった。

 お陰で体には生傷が絶えず、以前、王に「その傷はどうした」と問われたときも苦笑して誤魔化すしかなかった。


「…………」


 今日も、大勢の使用人たちが美晴にかしずく。

 美晴は視線を外さない王に自らの視線を合わせる。そしてそのそばまで行くと、丁寧にお辞儀をした。今美晴が着ている物は他のメイドと同じメイド服だが、その色は紺ではなく白と水色で構成されている。

 血に塗れたとき、わかりやすくなるだろうと王が特注で作ったのだ。


「毒見をさせて頂きます」

「ああ」


 王は美晴から眼を離さない。

 視界の端に映る王を目の端に意識しながら、美晴は「この王様、いつも私のこと見てるなあ」とのん気なことを考えていた。しかしながらそこに愛だの恋だのといった感情が全く無いのは、美晴自身が一番よく理解している。この視線は、美晴を見極めようとしているのだと。

 その証拠に、王の目の奥には他の者に向けるのと似たような“疑い”があった。もっとも美晴と他の者では歴然とした差があったものの、自分のことに鈍感な美晴がそれに気づくことはない。


「毒見と言いながら王と同じ食べ物が食えるのだ。役得だな、盾よ」

「はい、至極光栄でございます」


 王の皿から少しずつとった食物を口に入れ、王から離れる。すると王は決まって美晴の腕をつかんでこう言うのだ。


「またか。いい加減に覚えろ。お前の定位置は私の横だ」

「恐れながら陛下――」

「弾除けが私から離れてどうする」

「かしこまりました」


 そう返答し、美晴は背筋を伸ばして王の横にある椅子に座る。

 王は食事に手をつけず、美晴の目をジッと見ながら世間話を始めた。


「ところでお前、何故先日やった髪飾りをつけない」


 この会話はいつもの流れで、美晴はもうずっと食事の前に王とこのやり取りを繰り返している。鈍行性の毒に対処するべく、美晴が口をつけてから三十分は王も食事をとらないのだ。

 その間暇だと言うので、王が美晴の目を見ながら話をし始めたのが最初だった。最初は他愛も無い話だったそれは、そのうち美晴が聞いてもいいものか戸惑うような話までし始めた。それがもう数週間も続いている。


「陛下、規則では仕事中に髪飾りをつけることを禁止されています。それに私は歩き回りますので、万が一にでも壊してしまいますと――」

「死刑だな」


 美晴が盾となった理由を持ち出してニヤリと笑う王に、美晴も口角をあげる。

 その時、美晴はふと喉の奥に違和感を感じた。


「……?」

「どうした」


 美晴の異変に気づいた王が片眉を上げた瞬間、美晴は「あ」とつぶやいて口を押さえながら立ち上がる。

 王の前から去ろうとしたものの間に合わず、うずくまるのと同時にその口から真っ赤な血がボトボトと滴り落ちた。

 一瞬にして部屋は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、王も目を見開いて美晴を見下ろす。しかし美晴は静かに立ち上がり、しっかりとした表情で王に一礼した。


「大変失礼致しました。毒のようです」

「……そのようだな」


 口から血を流しながらもあまりにも普通な反応を返す美晴に、王は呆然としながらゴクリと唾を飲み込む。


「すぐ別の食事を」

「いや……朝食はもう良い」

「お食べ下さい。朝の食事は重要です。私は身を整えてきますので、別の毒見係を用意致します」


 颯爽と歩き、戸をあけて部屋を出て行く美晴。

 誰しもがその後ろ姿を呆然と見つめていた。




* * * * * *




「……っ」


 美晴が息苦しさで目覚めると、腕から何本も管が伸びていた。消毒のにおいをかぎ、ようやく自分が毒見後に扉を出たところで意識を失ったのだと思い出す。


「…………」

「お目覚めか、盾人間」


 乱暴な口調に視線を向ければ、顔をしかめた無精ひげの医者が美晴を睨みつけている。

 この老人とは美晴が盾になった頃からの顔なじみで、よく怪我をする美晴の手当てをしてくれていた。


「言っとくが、俺は陛下の盾人間だからって媚びへつらったりしねぇからな」

「毎回聞いているので理解しています……それに、それが普通です……助けて頂いてありがとうございました」

「王が――」


 そう言って黙る医者。

 視線で続きを促せば、医者は意地悪そうな笑みを浮かべて美晴を見下ろす。


「大層、お怒りだった。直接ここに来たからな」

「……な、何に、たいして……お怒りなのでしょうか……?」


 怒りという単語を聞いて、美晴の心臓が早鐘を打つように暴れだす。決して自分の心配をしているのではないと思った。しかし、怒っているとなればそのとばっちりがくるかもしれないと思ったのだ。


「それは自分で考えろ」


 そう言われても、美晴にはひとつも理由が思いつかなかった。




* * * * * *




「…………」


 王の食事に毒が混ぜられていた事件から数週間。

 王は美晴を率いて王都への視察へ来ていた。その顔はしかめられており、珍しく美晴の目を見ていない。狭い馬車の中、王の不機嫌を察した美晴が王の視線から外れるように体をずらせば、勢いよく振り返った王から「動くな」と叱責を受ける。


「おい」

「はい」

「なぜ毒をくらってなお、平気な顔でいた。のた打ちまわっていれば早々と医者に診せられただろうに。扉の外をしばらく歩いてから倒れたらしいな」


 それを聞いて、「今さらそのことを……」と内心で呆れる。確かにその後、そのことに関して王は一言も話さなかったものの、まさか数週間も経って昨日の事のように言われるとは思わなかったのだ。


「陛下。王の物理的な盾は、傷ついたときにのた打ちまわるでしょうか?」

「お前は物じゃない」

「ですが、盾であることに変わりはありません。盾は動揺しませんし、叫びません。痛がりもしません。だから使い手は遠慮なく使えるのです」

「…………」


 王の眉間のしわが増えていく。


「なるほど。信用に値する盾のようだ」

「ありがとうございます」


 低い声で言われたそれに美晴が礼を言えば、さらに王の眉間へしわが寄った。


「おい、なぜ私はこんなに胸糞悪い思いをしているんだ」

「は?」

「…………」


 思わず素で聞き返してしまい慌てて口を塞ぐも、王はそれに気づいた様子もなく眉間にしわを寄せたまま外の景色を眺めていた。

 一体なんなんだと美晴が内心疲れ果てた頃、馬車はようやく街へとたどり着く。美晴は王より先に馬車から飛び降りて周囲に目を走らせ、異常が無いことを確認して馬車の方を振り向く。それを見てから、王はゆっくりと馬車の中から出てきた。

 しかし、騎士が馬車の周囲を取り囲んで配置についた瞬間、その時は訪れる。


「お覚悟……!!」


 突如男の叫び声が聞こえ、右手前方が騒がしくなる。

 こちらに向かって走ってくる男に、まず真っ先に騎士が反応して駆けていった。王は少しも表情を変えないまま、その男のことをジッと見る。そしてその男が捕らえられ、わけのわからないことを叫んでいるのを聞いていた。

 しかしその男がニヤリと笑った瞬間、王の胸に何とも言いがたい嫌な予感が走った。

 そして――


「くそっ!!」


 後方から別の男の悔しそうな声。

 背中へあたる衝撃。

 一体何が起こったのかと振り向けば、そこには自分を庇って胸の中央を刺されている美晴がいた。美晴は王の背に寄りかかるようにして立っている。

 そして王は、美晴の手が王を遠ざけようと王の体を押しているのに気づいた。


「邪魔をするならこのまま殺すぞ!」


 敵は二人いたのだ。それに真っ先に気づいた美晴が、前方の敵を騎士に任せて後方の敵に立ち向かった。


「くそ! 離れ――」


 男が全てを言う前に、男は王の剣によって切り倒される。

 その男が倒れるのと同時に、美晴も役目を終えたとばかりに地面へと倒れた。広がっていく赤い色に王は一瞬顔をしかめると、美晴を抱き上げて馬車に押し込む。そして御者へ「医者へ連れて行け」とだけ言い、去っていく馬車を見もせずに王の馬車の周囲にいた騎士たちを睨みつけた。


「我が盾は騎士より役に立つようだ」


 一言だけそう言うと、王は予定通り視察を開始した。




* * * * * *




「…………」


 かりかりと王の滑らせる万年筆の音。それを、美晴はソファに腰掛けながら黙って聞いていた。

 窓の外は雪深く、時折雲の間から太陽が見えるものの雪そのものがやむ気配は無い。その雪を見ながら、美晴は嫌な予感がしていた。

 どうも体が重いのだ。頭も痛く、完全に風邪をひいたように思う。しかしそれが王にバレれば、間違いなく傍を外されるだろうと思い、美晴は黙っていることにした。


「傷は」


 胸を刺されて数ヶ月経つというのに、王はいまだこうして美晴に近況報告をさせる。

 相変わらず雪が降り続ける窓の外を眺めながら、ソファに腰掛けた美晴は呆れたように口を開いた。


「抜糸したところが盛り上がってきました。もう痛みも無いですし、完治といって良いでしょう――と、申し上げてから数週間経っております。もう何ともございません」


 多少失礼な物言いをしたなと内心ドキッとした美晴であったが、王は「そうか」とだけ言うと仕事に戻る。

 書類にハンコを押しながら、王は時折チラッと美晴に視線を向け、美晴と視線が合うとまた書類作業へ取り掛かった。


「盾よ」

「はい」

「三ヵ月後、戦が始まる」

「はい」


 わずかに震えた美晴の手。それは王に気づかれることはなかった。


「盾」

「はい」

「お前は不死か?」

「いいえ、そのようなことは……」

「ではなぜ、今まで壊れそうになりながらもその命を失わない。私の知る限り、お前は三度死にかけた。一度は死刑から、一度は毒から、一度は暴漢の剣からだ。もっとも、死刑はカウントされないかもしれないが」

「――陛下の盾だからではありませんか?」


 少し考えてそう言う美晴に、王は不思議そうな顔をする。


「陛下は、そのお召しになっている服や、今お使いの万年筆もですが、全てにおいて他の者よりも立派なものをお持ちです」


 冗談めかして、そしてさりげなく自分の質を褒める美晴に、王はフッと笑った。


「では此度の戦も無事に終わるのだろうな」


 美晴もつられるようにして笑いかけ、ふと気づいた。

 王のおしゃべりが多い。

 きっと疲れたのだろうと思い、美晴はお茶を入れるために立ち上がり、一瞬世界が回ったような感覚におちいる。そこで初めて熱があるのだと自覚した。慌てて王へ視線だけ向ければ、王は書類に視線を落としているため美晴の異変には気づいていないように見えた。


「……今日はどの茶葉を使いますか?」


 簡易の給湯室に入りながらそう言うも、王からの返答はない。不思議に思って振り返ると、すぐ後ろに王が立っていた。

 驚いて悲鳴をあげるところだったが、なんとかそれを堪える。


「どうされましたか?」


 王は、黙って美晴の首筋に手を伸ばす。

 そしてその耳元へ口を寄せると、ささやくようにこう言った。


「ほう? 盾も風邪をひくようだ」

「……っ」


 カッと顔に熱が集まり、なぜバレたのかという思いが脳内を駆け巡る。


「盾よ。バレないとでも思ったか」


 スッと離れた王の目は厳しく、美晴はすぐさま謝罪をする。


「生憎だが私は自らの持ち物の状態を知らぬほど愚鈍ではない。物が持ち主を見下したか」

「いえ、そのような――」

「私にうつされてはかなわん。今日は下がれ。治るまで顔を出すな」


 きつい物言いにぐうの音も出ない。

 しかし言っていることはごもっともで、美晴は再び謝罪をすると部屋を出た。


「…………」


 その後姿を見て、王が拗ねたような顔をしたのを美晴は見ることがなかった。




* * * * * *




「戦況は」


 美晴の風邪が治ってから三ヶ月。国では王の言ったとおり戦が始まっていた。

 王の傍には騎士よりも軽い装備の美晴が立っている。その顔は強張っており、周りにいる数名の騎士も心配そうに美晴を見ていた。


「我が軍の圧倒的優位です。ここから負けることは転地がひっくり返ってもありえないでしょう」

「そうか。わかっていると思うが、最後まで油断はするな」

「はっ」

「美晴、これを」


 差し出したのは短剣。


「命が危なくなった時に使え」

「かしこまりました。足手まといになる時には首をかき切ります」

「……おい」

「冗談でございます」

「…………」


 王の言うとおり、戦況は非常に良かった。

 敵対国は早い段階で王の策にはまり、次々と自爆していったのだ。思った通りに進んでいく戦況に、美晴は背筋が寒くなるのを感じる。


「どうした、盾」


 美晴の異変を感じ取った王は、美晴の目を見て問いかける。美晴はなぜ王がそんな質問をしてきたのかわからなかった。顔に出ていただろうかと気を引き締め、王の質問に答えるべく口を開く。


「陛下には千里眼があるのでしょうか?」

「は?」


 気の抜けたような声。

 顔もわずかに引きつっており、「一体何を言っているんだコイツは」と言った心情が聞かずともわかる。美晴は若干気まずい思いをしながら、少しだけ視線をそらした。


「王の立てた作戦が、ひとつも狂うことなく進んでいます。恐ろしいくらいに」

「不安か」

「いいえ」


 即答する美晴に、王はニヤリと口角を上げる。


「盾よ」

「はい」

「お前は自分のことを良い盾だと言ったな」


 王の言葉に美晴が頷く。


「良い盾を使えるのは、良い使い手だけだ」


 その言葉に、美晴はわずかばかり目を見開いた。


「お前はただ、私の傍に」

「かしこまりました」


 薄っすら笑った美晴に、王も薄っすら笑う。

 王は騎士との会話中に美晴の目を見ない。当たり前だが、王が美晴に視線を向ける回数は、王宮にいるときよりもはるかに少ない。

 しかし、美晴が王に視線を向ける時間は、いつもと変わらなかった。




* * * * * *




「どうしてこうなった……? どこで間違えたんだ……私は……」


 王は、珍しく自分が震えているのに気づいた。

 あたりは火と煙が立ち昇り、死体があちこちに倒れている。


「なぜ――……盾! 盾はどこだ!」


 雪深い中で、王は叫ぶ。

 しかし、返事を返す美晴の声は聞こえない。


「盾……」


 戦争は確かに勝っていた。

 敵の王を打ち破り、戦は終了した。そして王は一足先に王宮へと戻るため、馬車と数名の騎士を連れて雪山を進んでいたのだ。しかし天候が悪化し、しんしんと降っていた雪はいつの間に吹雪へと変わっていった。その真っ白になる世界の中で、馬車をあやつっていた御者は恐ろしいものを見たのだ。

 それは、残党――……

 あっというまに囲まれ、切り伏せられ、崖から落ちていった者もいた。王が馬車から飛び出して何とか応戦し、全てを切り伏せたとき。

 その場に立っていたのは王ただ一人であった。


「どこだ! 盾!!」


 王が叫んだと同時に、ガタリと馬車が揺れる。

 そう言えばあの女は馬車から出てきていなかったなと思い出し、王は慌てて馬車に駆け寄る。

 しかしその扉を開け放った瞬間、中から出てきた残党が自分に向けて剣を振りかざしていることに気づいた。


「!」


 そして、それを守ったのは、当たり前のように王の前へ飛び出してきたのは、美晴であった。

 その身で剣を受け、真っ赤なしぶきが空中へ舞う。


「……っ!?」


 しかしそれだけではなく、美晴は残党の首筋に短剣をつきたてると、その勢いを利用して残党と一緒に馬車へ乗り込んで扉を閉めた。

 慌てて王が扉を開けようと手をかけると、内側からガチャリと鍵をかける音がする。


「盾! 何をしている!! ここを開けろ!!」


 馬車は大きく揺れ、中からは争っている音がした。

 王は初めて血の気が引くという体験をし、力任せに扉を引いた。ところが扉は全く開かず、王用にといって頑丈に作った馬車に心底悪態をついた。


「開けろ、盾……!!」


 怒りで力任せに扉を叩いたのと同時に、あれだけ揺れていた馬車が動かなくなった。


「……盾?」


 ゆっくり、ゆっくりと扉が開いていく。

 王が眉間にしわを寄せて剣を構えると、中からいつものように平然とした表情を浮かべる美晴が現れた。

 平然としているのに、その顔からは血の気が引き、全身真っ赤に彩られている。


「お怪我は?」

「何を――何を考えているんだ貴様は……!!」


 空気が震えるほど怒鳴り、美晴の肩が揺れた。


「陛下――」

「そんなところに敵と二人きりになれば、どうなるかなど考えずともわかるだろうが!!」

「陛下、お忘れのようですが――」

「私は貴様なんぞに守られるほど弱くは無い!! 何故あの短剣を貴様の命を守るために使わんのだ!」


 そう言い放った瞬間、美晴の傷ついたような顔を見て、王は顔を引きつらせながら悪態をついた。

 そしてマントを引き千切ると、美晴を馬車の中へ押し倒して傷口に押し付ける。しかし血は止まることなく、どんどん馬車の中を侵食していった。


「陛下」

「喋るな」

「お聞き下さい、陛下」

「…………」


 無言を貫く王。

 聞く気は無いという意味なのはわかっていた。しかし、美晴はそれでも口を開く。


「陛下、私は盾です」

「知っている」

「盾の用途を、果たしました」


 そういった瞬間、王は唇を噛み締めて、寝ている美晴の顔のすぐ横に拳を叩きつけた。


「そんなのは……! 知っている……!!」


 低い声でそう言うと、王はマントを押し付けるのをやめ、美晴の胸へと巻いていく。

 そして美晴を抱えあげると、美晴を医者に診せるため一人山道を歩き始めたのだった。




* * * * * *




「私がお前を自らの盾と決めたときに言った言葉を覚えているか」


 雪の降る中、血にまみれた美晴に覆いかぶさる王がいた。

 王の目は潤み、ただ美晴だけを映している。


「もちろん、覚えておりますよ……陛下。私の命は、陛下のものですから。ところで陛下は……相変わらず私から目をそらさないですね……」


 美晴はかろうじて口を開くと、かすれた声でそう言う。もう美晴の視界には、ほとんど何も映っていない。

 何故こうしているのかと言えば、暖を取るために洞窟を探したものの、見つからなかったからだ。だから王は、大事そうに美晴を自らの体で覆う。冷たい風がその身に吹き付けないように。


「相変わらず……?」

「私が盾になったあの日から……いえ、それよりも前から、陛下はいつも……私を見ています」

「……そう、だな……言われてみれば……お前だけを見ていた気がする」

「初めは、疑いの眼差しを……されていました」


 そう言って美晴が笑えば、王もフッと笑う。


「盾よ」

「……はい」

「痛むか?」

「……いいえ」

「そうか……盾よ」

「……は、い」

「お前は不死ではないのか?」

「……残念ながら」

「……そうか」


 王は、もう美晴の命が尽きようとしているのに気づいていた。

 気づいてからようやく、自分がこの盾を失うのを惜しいと感じていることに気づいた。そしてこの使い慣れた盾を、思いのほか気に入っていることに。


「盾」

「…………」

「お前は、良き盾だな」

「…………」


 美晴の目は、もう王を見ていない。




* * * * * *




「盾」

「はい」

「やはりお前、不死なんじゃないか」

「いいえ、ただの人間でございます」

「本当か?」

「ええ、間違いなく人の両親から生まれました」


 美晴は生きていた。

 あのあと、王は美晴を抱えて何時間も歩いていた。すると、途中で跡を追って来た騎士たちに出会ったのだ。騎士たちは馬車が襲われているのに気づき、そこから続く消えかけの足跡を追って来たのだった。

 無事王宮へとたどり着いた美晴は王よりも手厚い看護を受け、消えそうな灯火を再び力強い炎へと変えた。


「おい、美晴」


 王がそう呼びかけると、美晴は目を零れ落ちんばかりに見開いた。

 あまりにも人間くさい反応に、王は一瞬驚いた。

 今まで、盾である間は努めて“物”であるという態度を崩さなかった美晴が、自分の一言でこんなにも驚くのかと知ると、何か胸の奥に愉快な感情がわいてくるのに気づく。


「なんだその顔は。どうした?」


 意地悪そうにそう言えば、美晴は少し顔を赤らめてつぶやいた。


「……私の名前、ご存知だったのですか」

「無論」

「……ご存じないのだと……思っていました……」


 嬉しそうにそう言う美晴を見て、王は少し罪悪感が沸いてくる。

 今まで“盾”としか呼びかけなかったのは自分だ。城にいる全ての者の名を、王は知らない。それは当たり前のことであるが、王は身近にいる者の名前くらいは覚えているのだ。

 それなのに、今まで美晴のことは“盾”として扱っていた。

 今更何故そんなことにこだわっていたかなんていうのは考えても思い出せなかったものの、王は美晴が嬉しそうにするのなら、今後は名を呼んでやっても良いと思った。

 正確に言えば短剣を渡す際に一度名を呼んだが、どちらも平常心ではなかったので記憶にはない。王に至っては本当に無意識だったのだ。


「陛下は盾をお持ちになられてから変わりましたな」


 カーテンの隙間から顔を突っ込んだ医者が、楽しそうにそう声をかける。


「どういう意味だ」

「おや、お気づきでない? 以前の陛下は氷でできた心を持っていると言ったら素直に信じるほど冷たいお方だったというのに」


 医者の歯に衣着せぬ言い方にムッとした顔を向ければ、医者は王に柔らかい笑みを向けた。


「良かったですな、良い盾が手に入って」


 そう言われた王は、医者から視線をそらすと口角を上げるのだった。

教訓:凍った心を溶かすのは、暖かい心以外にありえない。


美晴は“盾”になりきっているとき、なるべく即答して、詰まったり言いよどんだりしないようにしました。

また感情を上手く隠し、王に内心がバレないようにしています。

しかし、王は美晴を受け入れるに従い、その感情がわかるようになりました。

初めて盾になりきっている美晴の微妙な変化を感じ取ったのは、戦場に行ったときですね。

そして一旦わかってしまえば、後はもうお互いにツーと言えばカーの仲になるのです。

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[一言] たまに、掘り返して、読まさせてもらってます
[良い点] 面白かったです。 最初の引き込まれるようなつかみと終盤のリンク、そしてオチまで、すっきりとまとまっていて読後感が良かったです。 [一言] 物になりきろうとする美晴のプロ精神が素敵で、王が美…
[良い点] 内容がまとまっていてとても読みやすかったです。 王の心情の変化が手に取るように分かりました。 [気になる点] ないですね。 素晴らしいの一言につきます。 [一言] このサイト内で初めて読…
感想一覧
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