第一章 浜枦高校入学編 1
――また、あの時の夢か……。
ベッドから上半身だけ起き上がり、洋は頭を抱えた。
県予選で敗退してから約7ヶ月、今でもあの時のレースが夢に出てくるときがある。まるで、敗戦を忘れないようにと。
頭を抱えていた手を下ろし、片手で目覚まし時計を顔の前に持ってくる。セットしたタイマーの時間よりまだ1時間ほど早い。二度寝しようと思ったが、既に目が冴えてしまったことを感じ取り、諦め、ベッドから降りた。
クローゼットの中からジャージを取り出し、着替えてから、床に落ちているトレーニング用のチューブをポケットの中に入れ、自室から出る。足音を立てないように下の階に降り、玄関で靴に履き替えて扉を開けた。
既に日は登り始めていたのか、外は曇り空程度に明るかった。
洋は軽く屈伸をし、アキレス腱を伸ばしてから走り出した。
最初はゆっくり、次第にスピードを上げ、長距離走を走るときのペースまで上げていった。
早起きして走ることは滅多にないから知らなかったが、この時間に外出している人は少なくなかった。犬の散歩、ウォーキング、洋と同じようにランニングなど。すれ違った人全員に挨拶をし、5人まで挨拶したところで洋はさらにスピードを上げた。
やがて少しずつスピードを落とし、公園の前まできたところで歩き、息を整え始めた。そのまま公園の中に入り、ブランコのあるところまで歩いていった。
――まだ、時間はあるな。
公園の中にある時計を見て時間を確認し、洋はポケットに入れてあったチューブを取り出す。
ブランコの後ろにある柵にチューブを通し、両方の長さが均等になるように合わせる。その後、伸ばせるところまで伸ばし、限界のところで半歩前に出る。
前屈みになり、両腕を前に伸ばした状態から、片腕ずつ回し始める。自由形のフォームを意識したチューブトレーニングだ。
最初はフォームを乱さないようにゆっくり、丁寧に肩を回していたが、時折スピードを上げるなどして、腕に負荷をかける。
休憩を挟み、同じことを何度か繰り返すうちに、時間はタイマーが作動する15分前を指していた。もう少しやってもいいと思ったが、家に戻ってからシャワーを浴びたいと思い、その時間を考えてトレーニングを終了することにした。
チューブを再びポケットに入れ、公園の水飲み場で少しだけ水を口に含み、洋は行きより少しスピードを上げて走り出した。
空は家を出たときに比べるとかなり明るくなっており、外を出歩く人も増えていた。
洋は行きと同じようにすれ違った人に挨拶をし、そのまま同じペース走り続けて帰宅した。
玄関を開けると既に朝食の準備ができたのか、いい匂いが家中に漂っていた。洋は靴を脱ぎ、匂いにつられそうになったが先に部屋に戻り、ポケットの中のチューブを床に投げ捨て、部屋着を持って洗面所へと向かった。
着ているジャージを脱いで洗濯機の中へ入れて風呂場へと行き、扉を閉めてすぐにシャワーを出した。まだ冷水では冷たく感じるが、火照った体を冷やすのにはちょうど良い。
全身の汗を流し終えたのを感じ、洋はシャワーを止めた。風呂場から出て、洗面所で体を拭き、部屋着に着替える。
体を拭いたタオルを洗濯機へ投げ入れ、洋は洗面所を出てリビングへと向かった。
扉を開けると、家中に漂っていた匂いがさらに強まった。
「あ、おはよう。もう起きてたんだ」
キッチンには妹の水咲(みさき)が既に朝食を作り終えて、脱いだエプロンをたたんでいた。
「おはよう。久しぶりに走ってきたんだ」
「へぇ~。気合入ってるね」
話しながら朝食が並べられているテーブルに同時に腰掛け、手を合わせて「いただきます」と一緒に挨拶する。
最初の間は二人共黙々と食べていたが、食事が終盤にかかったというところで、水咲が話を持ち出した。
「お兄ちゃん、今日から高校生だね。緊張してる?」
「いや、いつもどおりだよ。水咲は中学校で最上級生だな。進路も視野に入れろよ」
そんな会話をしながら、食事を終えた。
洋は水咲より早く家を出るので、後片付けは水咲に頼み、自室に戻って学校へ行く支度を始めた。
新しい制服に袖を通し、カバンを持ち、部屋から出る。
下に降りると、水咲が階段の下で待っていた。
「良く似合ってるよ、お兄ちゃん!」
「ありがとう。じゃあ、行ってきます」
美咲の「行ってらっしゃい」という返事を背中で受け、洋は靴を履き、扉を開けた。