第二章 01
少女は恐る恐る目を開けた。塞いでいた手を離し自分の目の前へと動かした。
(あれ、生きてる・・・?)
少女は確かに思った。あのときあの瞬間、衝撃こそはなかったものの確かに死を悟った。だが自分はこうして生きている。実感がない。半信半疑だった。
少女が自分が置かれている状況、自分が遭遇した状況に困惑しているとやさしげな声が少女のちょうど前方から聞こえてきた。
「あの、怪我はないですか?」
少女は自分の前に人影があることに気づき困惑した頭のまま聞こえた声の先を辿り見上げた。
そこには少女と同じ年ぐらいの少年が立っていた。少年は心配そうな眼差しで少女を見据え少し屈んだ姿勢で少女に手を伸ばしていた。
「え、あ・・・。」
少女の頭は未だ困惑していた。なぜ少年が自分の前に立っているのか。なぜ自分は生きているのか。死を悟ったあのトラックはどうしたのか。あれは一体なんだったのか。ぐるぐると疑問だけが頭の中をループする。少年にその答えを問おうと思い口を開けるがうまく言葉にならず言葉としては成立していない言葉が宙を漂う。
少女は尋ねたいことが山ほどあったがうまく言葉にできず差し伸べられた手を取ろうと手を伸ばした。
少年は少女の手をぐっと掴み上方に向かって放り投げるかのごとく少し強引に引っ張り上げた。
自分が立つのを手助けするために手を伸ばしてくれたのだと思っていた少女は突然起こった浮遊感に驚き、その現象に疑問を抱いた頃には少女の足は地面に触れていた。
華奢、というほど細くはないがそれでも細身のこの少年のどこにこれほど力があるのかと少女は驚いた。
「悪い。少し走るぞ」
言うが早いか少年は少女の手を握り駆け出していた。
少し腰が抜けていた少女の足は覚束ず、もつれこけそうになるのを少女は耐え少年の後を追いかけていた。
少女の頭の中は次から次へと起こる事柄への疑問がループしていた。少女は今起こっている現象にただただ身を任せていた。
数秒前まで少女達がいた後方ではざわざわと人が集まり怒声にも似た叫び声が飛び交っていた。だがその叫び声は今の少女に聞き取ることはできずテレビなどから流れるBGMのように右から左へただ抜けていくだけだった。
細い住宅地の道を三つほど抜け、少年はようやっと立ち止まり繋いでいた手を離した。
疲れたのか少年の息は少し荒く、肩が呼吸に合わせて僅かに上下に動いていた。
その後ろでは余程疲れたのか少年よりも更に肩を上下させ少女が荒く呼吸をしていた。
「あの、大丈夫ですか?」
少年は落ち着かせるように数回深呼吸をし振り返り尋ねた。
少女の息は荒く、声を出そうとするがうまく言葉にならない。
少女は少年と同じように数回深呼吸をし息を整え、そしてキッと少年を見据え、
パシンッ!
そう音が鳴り響くほど強く少年の頬を右の平手で打った。
「・・・え?」
頬を打たれた少年は突然のことに言葉を失くした。目を丸くし呆然と少女を見つめた。
「あの、色々、聞きたいことはあるんですけど、まず、助けてくれて、ありがとうございます」
まだ少し息は荒く、所々言葉が切れる。
「でも!」
続きを言おうとするが言葉が出ず一度深く息を吸い込む。
「なんで、あんなことするの!?助けてくれたのにはお礼は言うよ!でも!あなたも死んでたかもしれないんだよ!」
目の端に涙を浮かべながらたがが外れたように叫び続ける。
「もう、なにがなんだか訳わかんないし!頭の中ぐちゃぐちゃだし!」
浮かべた涙は溢れ頬を伝う。
「ねえ!死んだらどうするの!?死んだらそれで終わりなんだよ!?」
涙は溢れ止まらない。頬を伝う涙はやがて行き場をなくし宙を漂いそして地へと落ちた。落ちた涙はそのまま地に溶け込みシミとなった。この溢れ止まらない涙は怒りから来るものか恐怖から来るものか今の少女に知る由はない。
少女をただ呆然と眺めていた少年は丸く見開いた目をさらに開き少女の肩を強く掴んだ。
「なあ!あんた今殴ったよな!?殴ったよな!?」
掴んだ肩をさらに強く掴み揺らす。捜し求めていたものを得た。少年の目はそんな好奇な目をしていた。
「え、あ、ごめんなさい」
予想外の少年の反応に少女は戸惑い、鉄砲水と化した水のような勢いを失った。少女は奇怪なものを見る目で少年を見る。
「いや、別にいいんだ。そうじゃなくて!なんであんた俺を・・・!」
言いかけて少年は何かに感付いたのか顔を上げた。そのまま耳を欹てたように固まった。
数秒固まった後目は少女を見ずどこかを見ながら少年は言った。
「・・・、悪い。もう行かなきゃいけない」
どこかを見続け少年は言う。
「あんたもここから離れたほうがいい。人に見つかると厄介だ。もし誰かに事故のことは黙ってたほうがいい。もし訊かれても知らないと答えたほうがいい」
ああ、そうだ。とどこかを見ていた少年の目が少女へと向き直る。
「明日のこの時間にまたここに来てもらってもいいか?少し訊きたい事があるんだ」
少女と少年の目と目が合い少女の瞳には少年の顔が映っていた。事故に遭いかけたというのに冷静な、けれど少し急いでいるような、そんな顔だった。
「え、えっと・・・、はい」
少年の気迫に押され少し怯えた顔で少女は答えた。
「そうか。ありがとう」
微笑み、じゃあ。と少年は掴んでいた手を離しくるりと踵を返しそのまま駆け出した。
目の端に涙を残し遠く小さくなる少年を少女は眺めていた。
ぺたん。と思い出したように腰が抜け地面へと座り込む。
「なん・・・、なの・・・?」
誰へとない言葉は誰にも届くことはない。
一人少女は道の真ん中に座り込み吹く風が少女の頬をなでる。気がつけばどこかへと去りその姿をくらませた少年の後を眺めふいに一つのことを思い出す。
「あ、名前、訊いてない・・・」
過ぎ去った少年を思い出す。どこかで見たことがあるような、けれど思い出せないあの少年。握られた手を目の前に持ち上げもう一つ忘れていたことを思い出す。
「あ、焼き芋、置いてきちゃった・・・。まだ一つ、全然食べてないのに・・・」
あったはずの手にない焼き芋を思い出す。
吹く風は冷たく舞う枯葉は心地よい音を出す。
少女はただただ去った少年の後を眺めていた。