第一章 01
日差しはほんのりと暖かく、風は程よく涼しいそんな日、一人の少女が後ろ手を組んで機嫌良さ気に昔ながらの入り組んだ色づいた枯葉が舞う閑静な住宅街の中を歩いていた。
少女は親指ほどの大きさの猫のぬいぐるみのキーホルダーが付いた紅葉のような茶色とも赤とも呼べるそんな色をしたポーチを腰元に下げ、クリーム色のふわりとした印象を与える膝丈ほどの長さのワンピースに身を包んでいた。
どこか目的地があるのか、あるいはないのか、急ぐでもなく己のペースでゆっくりと鼻歌を歌いながら少女は歩いていた。
そんなゆったりとした空気少女を中心に流れる中、どこからかこれもまたゆったりとしたテンポの音楽が流れてきた。
「あっ、石焼き芋!!」
少女は少し周りをきょろきょろと見渡し、まだ見えぬどこからか聴こえてくるその音を手繰るようにその音源の元へと歩き始めた。
聴こえてくる音が少しずつ大きくなっていく。その音源はもう少しのところまで近づいていた。聴こえてくる音が近づくにつれ少女の歩くスピードも自然と速くなっていく。
「あ!あった!」
ゆったりとしたテンポの音楽は少し年季が入ったように見える、後ろに『焼き芋』と簡単に、けれど一目見るだけでそれが何かが誰にでもわかるように的確に書かれた暖簾を荷台につけた軽自動車のトラック、通称軽トラの頭に取り付けてあるスピーカーから放たれていた。
少女はそれを見つけるや否や
「おーい!お芋ちょうだーい!!」
手を大きく振りながら叫んだ。
しかしトラックの運転手はそれに気づいていないのかスピードを緩めず、けれども加速するわけでもなくゆっくりと、人が走るよりも少し遅いぐらいのスピードで走り続けていた。
「あ、気づいてない。おじさーん!って、おじさんじゃないかもしれないけど、おーい!」
少女は少しずつ離れていくトラックを追いかけるように手を大きく振りながら走り出した。
少女が走り出して数秒経った頃、トラックの運転手はようやく気づいたのかそのスピードを緩めだし、そして真ん中に車線のない狭い、けれども余程大きな車でない限り容易にすれ違うことができる大きさの道路の脇に止まった。
「あ、止まった」
運転席からは五十代半ばぐらいのやさしそうな顔をした、パジャマとも見間違える姿をした紺のジャケットに縦に白のラインが入った黒のジーンズ、そして先に雪洞のようなものが着いた帽子をかぶった男が、流れていた音楽をそのまま再現しているかのようにゆっくりと出てきた。
「おじさん。お芋ちょうだい」
トラックに追いついた少女は少し息を荒げていた。
「はいはい。一つ二百円ね」
「ううん。二つちょうだい」
男は微笑み、手馴れた様子で左手にミトンのような白の手袋をはめ、保温のために乗せてあったアルミの蓋をその手で開け、そして開けた蓋を横に置いた。そしてもう片方の手には少し黒ずんだ軍手を二重にはめ、アルミ製の使い古したのか少し色が剥げたトングを握り、湯気か煙か、白い水蒸気のようなものを放つ遠赤外線を放出する黒い石が敷き詰められた直径1mほどの長方形のアルミの箱のようなものに握ったトングを中にあるものをつぶさないように刺した。
石を掻き分ける音を二、三秒立てた後、見ているだけでお腹が空いてきそうな紅色のほかほかと湯気をまとった芋を挟んだトングが敷き詰められた石の中から姿を現した。男は挟んだ芋を石の上に置き、もう一度トングを刺し込んだ。数秒後新しい芋を挟んだトングが姿を現し、今度はどこかに置くこともなく、いつの間にか手袋を外した左手で備え付けの小さな棚から紙袋を取り出し器用に片手でその口を開け、挟んでいた芋をその中に滑り込ませた。それを、はい。と少女に渡し、最初に取り出した芋も同じように紙袋に滑り込ませた。
「じゃあ二つで四百円ね」
そう言いながら男は芋の入った袋を少女に渡そうとした。
「あ、ちょっと待って」
少女はお金をまだ用意していないことに気づき、受け取ろうと伸ばした手を戻し、腰元まで提げているポーチの口を開けその中から水色の折りたたみ式の財布を取り出した。
片手が先に焼き芋が入った紙袋を受け取った為に塞がっている為、少女は空いているもう片手だけでお金を取り出そうとした。だが片手だけではどうにもお金を取り出すことはできず、悪戦苦闘した結果、ちょっと持って。と少女は先に受け取った紙袋を男に預け、空いたもう片手を使いようやく少し艶が消えた銀貨を四枚取り出すことに成功した。
はい。と苦労して取り出した銀貨を男に渡そうと手を伸ばしたが、今度は男が預かった袋と渡そうとした袋を片手ずつに持っていた為に少女から代金を受け取ることができず、少し眉間に皺を寄せ、困った。という表情を顔に浮かべた。
「あ、ごめんなさい」
少女は自分が預けた為に男は受け取れないことを悟り、お金を握っていないもう片手で焼き芋が入った袋をもう一度受け取った。そしてようやく代金と焼き芋の入った袋とを交換し、ありがとう。と少女は男に感謝の意を表した。いいえ。と男は少女に微笑み、それにつられるように少女も微笑んだ。
念願の物を得た少女はくるりと踵を返し、焼き芋を得たことが余程嬉しかったのかなにかの音楽のテンポを刻むかのようにそれまでよりもさらに機嫌良さ気に歩き出した。
(あれ、なにか用事があったような・・・。)
少女は右手に持った袋を片手で器用にずらし先ほど買ったばかりの湯気が立っている見るからに熱々でおいしそうな紅色の芋をその袋の口まで出し、
(まあいいか)
そして一口かぷりと噛んだ。
「あっふ!」
あまりの熱さに立ち止まり、口の中の物を吐き出しそうになる。だが吐き出すまいと必死に堪え、少しでも冷まそうと餌をねだる鯉のように、端から見るとあまりにまぬけに口をパクパクと動かした。
飲み込めるまで冷めたのか少女は口を動かすのを止め、ごくんっ。と喉を鳴らして飲み込んだ。
「はー。あっつこれ」
少女以外に人影はなく、閑静な、だが寂れているという訳でもない住宅街に、ゆったりとした時間が流れていた。
少女は手にした焼き芋を頬張りながら機嫌良く歩く。顔には笑顔が満ち溢れていた。