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第八話

 太陽の下でしっかり熟した葡萄のジュースに、朝一番に採れた新鮮ミルクをちょっぴり混ぜたような、上品で甘いラベンダー色のフレアドレスの裾がふわりと揺れる。

 より柔らかく、軽やかに見えるよう、裾にわざと空気を孕ませるようにドレスを着付ける。

 いや、着付けてくれたのはこの人をおいて他にいない、もちろんシルヴィ様だ。

 あの弾丸トークの中身は半分以上冗談だと思っていたのに、残念、99%以上本気だったようです。

 もっと正確に言えば100%冗談だと思いたがっていた私の期待を見事木っ端微塵に打ち砕いて、シルヴィ様は非常に手際よくあっという間に私を意のままに操って着せ替え人形にしてしまったわけで。

 やっぱりさすがヴァンパイア様だわ。

 あの口調と有無を言わさぬ威圧感、妙な「中性」具合と合間に見せる「男性」らしさ、それらがバランスよく混ざり合うと、手品や魔法みたいに人の心をがっちり掴んで引き込みながら、オーケストラの指揮者みたいに難なく思い通りに相手を操ってしまう。

 次から次へと身支度が整えられていくのを眺めながら、シルヴィ様の万能ぶりに素直に感心していると

「褒められるのは嬉しいけど、別に大したことじゃないのよ?加えて言うなら、ヴァンパイアだから可能、というよりアタシだから可能っていう方が正しいわね」

 なんて、私の思考を読んだシルヴィ様は苦笑した。

 そうは言うけど

「女性のドレスを着付けちゃう公爵様なんてそうはいないと思うの」

 脱がせるのが得意、っていう方はたくさんいらっしゃるでしょうけど。

「アタシだって得意よ、そっちの方が」

「む」

 なんですと。

 そりゃあ女性たちの憧れの的ですもの、経験だって豊富でいらっしゃるでしょうけど…それを仮にも一応求婚した相手に堂々と言わないで。

 ちょっと胸が痛むから。

「あらあ?ハニーちゃんたら、ヤ・キ・モ・チ?」

「違います。別に、そんなの」

 この嬉しそうな顔が腹立たしい事この上ない。

 私の気持ちを手玉にとられてすっかり掌でコロコロされてるみたいで面白くない。

 そうよ、妬いたりなんかしないんだから。

 シルヴィ様が相手にしてきた女性なんて、見たこともないし会った事もない人ばかりだもの、それに過去は過去だし身分ある男性なら誰だって一夜の相手なんていくらでもいることだし、そんなこと、当たり前だもの。

 なんといってもシルヴィ様はヴァンパイアだし、魔力が減れば血を吸う必要が出てくるし、ね、女性の扱いが下手だったら吸血できなくなっちゃうもの、彼にとって必要な事なんだから、うん、妬く必要なんてないわ。

 …って、なんで必死に自分に言い訳してるのかしら。

 ああもうこんな事考えるなんて大失敗よ。

 ほら、シルヴィ様の口角が良い角度まで上がってる。

 満足げに瞳を細めて輝かせて。

「可愛い」

 熱い吐息を混ぜて、肺の奥の方から深く息を吐き出すように耳元で呟きながら、しなやかな腕が私を抱きしめる。

 勢いのまま抱きつくのとは違う、ぎゅっと、彼の感情を溢れさせて包み込むかのような、しっとりとした抱擁。

 こんな抱きしめ方をされたら嫌でもときめく胸の鼓動をどうやって押さえ込めばいいの?

 どうやっても湧き上がってくるこの感情が、喜びでなくてなんだというの。

 私きっと舞い上がってるんだわ。

 好きだとか愛してるだとか散々そんな言葉を溢れるほど浴びせられて、更には触れられたところがじわじわ痺れるくらい何度も口付けを繰り返されて、こんなこと全部初めてだからきっとびっくりしてるの、知らない間にパニックになってるのかもしれない。

 流れに飲まれている内に思考も鈍って心までふわふわし始めて、冷静な判断が出来なくなってる。

 突然訪れた夢物語に酔ってるのかも。

「じゃあずうっと酔ったままでいてちょうだい。アタシが優しく介抱するから」

「その言葉で酔いが醒めました。スッキリ爽快!」

「あらそう。残念だわー。でもまあさっさと醒めてもらった方がいいわね。だって全部現実なんだもの。夢だなんて思ってもらっちゃ困るわ」

「んー、ってことはむしろ夢のままの方が私にとっては良」

「こーら。どっちも幸せに決まってるでしょ」

 んちゅ、とおでこにお咎めのキスが降ってくる。

「え?どっちも?」

「当たり前よ。夢の中でもそこから覚めても、ずうっと幸せでいてもらうわ。ね、それよりどう?このドレス、気に入ってくれた?」

 抱きしめていた腕を解放して体を少し離すと、着付けたばかりのドレスを上から下までしっかり眺めて、彼は満足げに微笑む。

 つられて私も頬が緩む。

 シルヴィ様のセンスは実に洗練された上流階級の、それもただお金をかければいいと思っているようなお貴族様のそれとは違う、こちらの容姿や好みを的確に察して自然と馴染めるようなものを見極める力があるもの。

 本人曰く「やらかしてしまった」というカーテンも、日差しを和らげて室内に取り込んでくれる柔らかなクリーム色に近いパステルイエローで、合わせて付けられているレースカーテンと共に優しく温かな雰囲気を演出してくれている。

 室内のインテリアも控えめながら上質な輝きを宿すものばかりで、豪奢なシャンデリアで飾られた部屋よりもずっと上品さが際立っている。

 まるでおとぎ話のお姫様になったような気分だわ。

 鏡の中の自分は別人のように綺麗に着飾っていて、こんな姿になれるものなのかと驚いているくらい。

 いつも農作業や牛馬の世話でドレスなんて滅多に着なかったから、裾がふわりと揺れるのをみると、なんだか胸のあたりがくすぐったくなる。

「ドレスもお部屋も、何もかもとっても素敵です」

 クローゼットもチェストも、椅子もソファもルームランプも、全部木の質感が落ち着きある贅沢な空間を作り出していて、こんなお部屋だったら一日中こもっていてもずっとリラックス出来そう。

 まあ私の性格を考えたら、きっと朝から外へ出て作業をしてしまうだろうけど、でも外に出られない雨の日などはこの部屋でゆっくり読書をするのも素敵だと思う。

「良かった。他に必要なものがあったら言ってね。一緒に買いに行きましょ」

「はい。…でも、既に十分すぎるくらいです。これ以上何が必要か思いつかないわ」

「ふふ、ハニーちゃんはホントに欲がないわね。遠慮は禁物よ?質素倹約が身に付いてるみたいだから無理強いはしないけどね」

 シルヴィ様はそう言って茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。

 うぐっ。

 そんな愛らしい仕草、どこで覚えたの?

 ええ、大丈夫、分かってます。

 お姉さま方ですよね。

 だってそっくりだもの、自然と相手の視線を捉えて惹きつけてしまう、魅惑の仕草。

 蠱惑的、っていう言葉がぴったり。

 いや…シルヴィ様のような美丈夫が「蠱惑的」っていうのもおかしな表現なんだけど、なんていうのかな、格好いいんだけどどこか愛らしさがあって、って…だから、肩書きある成人男性に向かって「愛らしい」って表現するのは憚られるんだけど、どう言えばいのかしら。

 ただ格好いいだけじゃなくて、もっと深みのある…えーと…。

 彼にぴったりと当てはまる表現を真剣に探していると

「ちょっとハニーちゃん?」

 目の前で手のひらをひらひらさせて彼が呼びかけてきた。

「はい?」

 思考を止めて視線を向けると、彼はクスリと笑う。

「あんまり褒められるとくすぐったくなるから、そのくらいでストップして。ね?」

「…はい」

 そっか、私一生懸命褒め言葉を探してたのね。

「しかも無意識だから困っちゃう。そんなにアタシを褒めてどうしたいの?」

「どうって…」

「せっかくだから試してみる?そのドレス、着せるのが得意か脱がせるのが得意か」

 な、ななななな、なんですって!?

 ちょ、ちょっと待って、ストップ!え、ウソッ、なんで!?どうして!?

 シルヴィ様の宝石みたいな瞳が完全に獲物を狙う猛獣の目に変わってる。

 しかも何だか彫刻みたいに美しいお顔が迫ってくるしっ!!

 両手でガードしようと手を動かせば、いつの間にか手首をしっかり掴まれていたことに気付く。

 あれっ!?えっ!?いつの間にっ!?

「アタシ心配になってきちゃったわ。ハニーちゃんたらちょっと鈍感なんだもの」

「ど、鈍感?」

 ずいっと更に距離を縮めて、ほとんど鼻頭がくっつくような位置まで迫ったシルヴィ様は、ぎゅっと目を細めて拗ねたように唇をわずかに尖らせた。

 え、ちょっと、なにそれ、可愛いんですけど。

「こーら」

 コツン、と額が重なる。

 それから軽く「ちゅ」と唇を吸われた。

「鈍感な上に疑うことを知らない無邪気さと純真さ、ね…。ねぇ、ひとつだけ約束してくれる?」

「何ですか?」

「アタシ以外の男性とはこんなに近づいたりしちゃダメよ?っていうより、世の中の男はみーんなケダモノだと思って警戒して近寄らないこと」

「はい」

 と返事をしてみるけど、そもそも私に近づく男性なんて今までいなかったし、これからも現れないと思う。

 シルヴィ様以外は。

 なんといっても私は貴族令嬢としては規格外。

 社交場に顔を出してもいないから存在すら忘れ去られている可能性が高いし、今後そういった場所へ出ることがあるとしても私から近づくことはないし、寄って来る相手がいるとも思えない。

 こんなふうに興味を持たれたのなんてシルヴィ様だけなのよ?

 それだって私が運命の相手で魔界の鍵で、一人にしておくと危険がつきまとうから、シルヴィ様が守ろうとしてくださっていて、だからこうして出会って一緒にいるわけで…

「って、ちょっとハニーちゃん?思考がネガティヴになってるわよ。ここにシワなんか寄せちゃってもう」

 彼の骨ばった長い指先が眉間をなぞるのがくすぐったい。

 シルヴィ様は少しの間するするとそこを撫でると、今度はぎゅっと、包み込むように私を抱きしめた。

 直後に深いため息。

 ん?

 どうしてそんなに落胆したような溜息をつくの?

「あのねぇ、義務や責任感だけでアタシがこうやって一緒にいると思ってる?こんなふうに抱きしめるのも、ん、ちゅ、んー、ってこうやってキスするのも、アナタが運命の相手で魔界の鍵だからだって?そうじゃなかったらこうしてないとでも言いたそうな物言いなんだもの、さすがのアタシも泣きたくなるわよ」

 語気を荒くしてシルヴィ様はそう言いながらうなだれた。

 それから再び深く、貪るように唇を重ねてくる。

 呼吸を奪うように、唇すべてを覆うように、何度も何度も、軽く啄むだけと見せかけながら甘い蜜をまとった舌で口内を探り、どうしていいか分からずに戸惑う私の舌をすっかり絡め取った。

 ん、んんッ、ふあっ、はあ、っ。

 どうやって呼吸すればいいかわからない。

 それに爽やかな甘い蜜は勝手に私の喉を伝って全身に行き渡っていく。

 おかげで頭はふわふわし始めるし、鳩尾の辺りはじわじわと熱を持ち始めて、心臓が強い鼓動を奏でる。

 突然の口づけはそれまでとは全く別の、ひどく激しく羞恥心を煽る行為で、一体何をどうされているのか分からないくらい思考は停止。

 ただシルヴィ様の唇や舌の動きに促されるまま反応するだけ。

 シルヴィ様…怒ってるの?

 それとも私、貴方を傷つけてしまった?

 ごめんなさい。ごめんなさい、シルヴィ様。

 私…

「っん、は、んちゅ…っはぁ」

 不意に口づけが止んだ。

 生理的に浮かんだ涙で視界がぼやける。

 その先でじっとこちらを見つめる濃い紫色の瞳。

「実感がないならこれから何度だってこうやって教えてあげる。例え運命の相手が本当は別にいる、って言われてもアタシはアナタを選ぶわ。アタシはアナタが好きなの。アナタじゃなきゃダメ。アタシはね、ハニーちゃん、アナタが相手だから魔王になる覚悟を決めたの。もし他の人間が鍵だったら、ここまでのめり込んだりしなかったわ。アナタだけが特別なの。それは解って。いいわね?」

 言い聞かせるような、懇願するような、そんな、懸命で熱い感情がぶつけられる。

 浮遊感に包まれた私はまるで熱に浮かされているみたい。

 目の前の瞳をそっと見つめ返す。

 奥の方まで覗き込んでも、そこに不純なものなどなにもない。

 ただひたすらに私の心まで見つめている様な真っ直ぐな視線。

 伝えられた熱と体中を駆け巡る不思議な疼き、全身を電流が流れていくようで心まで痺れてしまう。

 コクン、と静かに私は頷く。

 シルヴィ様の思いは予想外に強く、深い。

 …どうして…そんなに私を想ってくれるの?

 そう思いながらも彼の感情がくすぐったくも心地いい。

「言ったでしょう?思いっきりアタシに可愛がられなさい、って。つまりこういうことよ。まだまだ序の口だけどね?」

 序、の口…。

 本気を出したらこれ以上、ってこと?

 それって一体、どうなっちゃうの?

「知りたいなら今すぐにでも教えてあげるけど、覚悟はいい?」

「え、っと、いえ、まだ、ちょっと、早すぎるかなって」

「そーお?じゃあじっくりゆっくり教え込んであげるわね。ふふー、楽しみだわっ」

 シルヴィ様は両手をパンっと合わせて嬉しげに笑う。

 その仕草に一抹の不安を抱いたのは、言うまでもない。







 続く


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